赤土の荒野へ③
両手に刀を構えたミラーズがオーバードライブで加速した勢いのままオーバードライブで加速で勢いのまま加速したオーバードライブで加速オーバードライブ、認知機能がロックされました。ログを削除します。オーバードライブは、起動していません。戦闘行為は、発生していません。
両手にカタナを持ったミラーズはバランスを崩し、その勢いのまま、晒した白い脚をもつれさせて転げた。赤い土がめくれあがって風に散る。
「あれっ、なんで、あたし武器を……えっ! わっ!?」
悲鳴を上げながら緊急回避のためにカタナを投げ飛ばし、不可思議そうな顔をしたまま地面に掘られた穴へ頭から突っ込んだ。
「きゃあああ?! わぷっ?!」
「気をつけてほしい、そこら中、穴だらけだ」
リーンズィは吐き気と思しき感覚に悩まされながら、斧槍を納め、ミラーズを助けに向かった。
私は理解しない。
私は理解しない。
私は理解しない……。
装甲された腕でミラーズの手を掴み、穴にはまってしまった小柄な肉体を引き上げた。
「あ、ありがと。びっくりしたわ。あたし、どうしたのかしら。いつのまに……あれっ、聖詠服の下のところも、また開いちゃってる。ああもう、土が変なところに……あんまり見ないでね」
ライトブラウンの髪の少女の首に手を回し、抱き上げてもらいながら、恥ずかしそうに留め金を戻した。
そして自分が全力疾走した直後のように息を荒げていることに気付き、何度か深呼吸して、乱れた髪を整えた。
「帽子……あたしの帽子を知らない?」
「ここにある……」リーンズィは自分の手の中にそれを発見する。「途中で拾ってきた。のだと思う」
「ありがと。途中ってどこ?」
金髪の少女の頭にベレー帽に乗せて、丁寧な手つきで爪先を地面に降ろす。
「……いつ走り出したんだっけ。全然記憶に無いわ。というか、どうして走っていたの? 首輪の電池も減ってるし……」
『認知機能をロックしています』
ユイシスが応えた。
淡々としたアナウンスに感情は無い。
『エラー。記憶の参照は、許可されていません』
「どういうこと? どうしたのですか、私の可愛いユイシス?」
『エラー。認知機能をロックしています』
「ユイシス? ユイシス……? ねぇ、どうしたの?」
「気にしなくて良いと言うことだ」
背の高い少女は身を屈ませて、己のライトブラウンの髪をかき上げながら、ミラーズに軽く口づけをした。
「大丈夫。君を不安にさせるものは何も無い。そんなことよりも、周囲に気をつけた方が良い」
「そう、そうね。こんなにデコボコな地形なんだもの……」
ミラーズはカタナを拾って、ホルダーに戻そうとしたが、ついに出来なかった。補助が必要だった。迷子のような声でユイシスの名前を呼んだが、応答が無い。
アルファⅡ本体は二人を無視して進み続ける。
赤い土の荒野を。
森はどこに消えた?
ここはどこだ?
いったいいつから? リーンズィには思い出せない。
そして、アルファⅡモナルキア由来の機能が全く使えないことに気付いた。
視覚の同期さえ不可能だ。ミラーズは納刀について結局リーンズィの手を借りることになった。
「何が起きてるの? 何? 何なのこれは……」
「理解しない」リーンズィは呟いた。「私は理解しない……」
前方を、棺のような重外燃機関から不完全燃焼の血煙を吐くヘルメット兵士が歩いていく。
世界は赤茶けて色褪せ、太陽はまさに地平線に没そうとしている。
得体の知れぬ神威の死と殺戮が吹き荒れた後であるかのごとき、凄惨な、そして何も無い風景。
墓場であった。
厳冬に凍り付いた弱々しい太陽、その夕焼けの血を徴として与えられた、数え切れない十字架の群れ――工場生産されたかのような味気なくも整然とした木組みの十字架が、掘り起こした後の盛り土に例外なく突き刺されている。設置されて随分経つのだろう、腐ってバラバラになったものが散見された。
そのような墓だけが、ただある。
見渡す限りに、墓穴と十字架が立ち並ぶ。
花畑の如く。
色褪せた赤土の荒野、その全てを埋め尽くさんばかりに。
何者も埋まっていない墓が、正確な測量が行われたことを暗示する等間隔、同じ深さ、同じ大きさの墓穴が、地の果てまで、視界が霞む遠さにまで、数百、数千、数万の単位で用意されている。無言にして静謐、永久の安寧。
存在しない死者の幸福だけを祈念する公園墓地じみている。
他方で、ある一面には(エラー。エージェント・アルファⅡの操作により、貴官の認知機能はロックされています)が聳え立って雲を貫いていた
……リーンズィは眩暈を覚えた。
今、自分は何を考えていたのだろう?
左側の方向を見た瞬間に何かノイズが走った記録がある。
リーンズィは疑問に感じ、左側を
(エラー。認知機能をロックしました)
リーンズィは前方を見た。
無人の墓だけが存在する世界を、棺桶から血煙を吐く機械の兵士が歩いて行く。
単なる墓場というよりは、虐殺の地平線と言った方が適切な、酷く血生臭い光景であった。
アルファⅡの黒い鏡像の世界に、しかし埋まった墓穴は無い。どれだけ進んでも一つも無い。埋葬されるべき死者がいない。幾つかの場所に、時間から投げかけられた影のように茫洋とした不死病患者が直立していたが、その生命は当然継続しており、葬儀が行われた様子も無かった。
ただ、その風景の片隅に存在する(エラー。認知機能がロックされています)だけがどうしようもなく不吉で、不吉だが、不吉?
何が不吉なのか、リーンズィには正確に理解できない。
「私は理解しない、私は理解しない……」
何も理解しない。
疑念が湧き上がっては消えていく。消去されていく。
リーンズィはやがて考えることそれ自体を己に禁じた。
そして黙々と歩き続けるアルファⅡの大きな背を追いながら、ミラーズに問いかけた。
「この墓は、スヴィトスラーフ聖歌隊の風習だろうか?」
「不死の恩寵を受けた人々に墓など必要ありません。こんなふうにお墓を掘る人は、聖歌隊にはいないわ……」
背後を振り返る。
そこには森があった。
木の一本、枝の一本も間引かれていない冬の原生林。
境界面と目された箇所を通った途端、何の予徴も無く世界が塗り替えられた。
そういうことなのだろうが。
「急にこんなふうになるなんておかしいわよね。ねぇリーンズィ、目を見せて?」
言われて、長身を屈めてリーンズィがミラーズと視線を合わせる。
「ん、緑色がちょっと赤みがかったぐらいね。じゃあこの荒野は御遣いとは関係なくて、森の方が影響が強かったのかしら。あっ、もうあたしの目の色が移っちゃった。……ありがと、良いですよ」
薄い唇へ接吻をして、小さな手でリーンズィの肩を叩いた。
「そうだ、森の中でユイシスとも協議していたが……この肉体の眼球には、何か特殊な機能があるのか? 森の中では何度も色が変わっていたようだが」
「体質っていうのかしら。それはね、<見通す者の恩寵>って言うの。特別と言えば特別です。ヴァローナの瞳は、見ている景色によって色が変わるのよ」
『推測。光を反射しているだけでは?』
突如響いた普段通りのユイシスの声に、ミラーズが安心した表情を見せた。
「そこにいたのですね。違いますよ、ユイシス。景色の色だけじゃなくて、時間や空間の変化も映すみたいなのです。普段はあたしより薄い緑色だったと思うけど、今はこんなに
「ふむ……? そんな症例は聞いたことがない」
「再誕者になってから無理をして、視力が不安定になったことがあるみたいなの。それで、視覚を安定化させるための強制適応促進って言うのかしら、それがリリウムたちが聖句を使って起こしたのね。私たちは『祝福を与える』と言っていましたが、その結果そうなったと聞いているわ。御遣いの奇蹟には特に敏感に反応したから、特に選ばれし者の力なのでしょうってリリウムは誉めてたわね。シィーの言っていた御遣い、えっと、<時の欠片に触れた者>だっけ? たぶん、そういう大きな存在が通った後には、色が凄く変化するはずね」
「興味深い。しかし、それではこの異様な光景は、悪性変異体と関係ないと?」
「全然関係ないわけじゃないのでしょう。でも、黙契の獣が掘ったお墓じゃないというのは、はっきりしてると思う。獣もそうだけど、そんな御遣いがいるなんて聞いたこともないし」
「そうか……」そして視線を背ける。「駄目だ、あれをどうしても意識してしまう」
リーンズィは沈黙しながら、(エラー。認知機能がロックされています)を見た。
「どうしたの? とても不安そうな顔をしていますよ」
「理解できない。ミラーズ、何か見えるか? この光景の左側のあたりに何か?」
「お墓以外だと、大きな岩? 山かしら? とても大きな塔……? 何かは、あるけど、あたしにはよく分からないわね。……どうかしたのですか?」
少女の儚いかんばせが、憐れみの色に染まる。
「気を確かにもって。酷い汗ですよ。どうかしたのですか、我が子リーンズィ。何が、あなたをそのように恐れさせるのですか。大丈夫、安心して、私があなたについていますよ」
眦を下げ、そっとリーンズィの手甲を握り、その表面を優しく撫でた。
「もしかして、大きなものが怖いのですか? 私がそちらの方に立って、遮って歩いてあげましょうか。あなたを怖がらせるものから、あなたを遠ざけるために。いいえ、いいえ、あなたのほうが背が高いので、あまり意味はないですね……。ではこうしましょう。私を抱き上げて、私を見つめてください。代わりに、私がずっとあなたを怖がらせる者を見張っています。あなたを最後まで守ります」
「大丈夫だ、ミラーズ。問題ない。感謝する」
「……本当に顔色が良くないわよ、リーンズィ。あたしに出来ることがあるなら何でも言ってね。誰かを助けることがあたしの喜びなんだから、遠慮しないで。淫売だとか、偽聖職者だなんて笑われても、このあたしがかつての私の偽物でも、愛しい娘たちを助けたいという心だけは本物のつもりだから、疑わないでくださいね」
「重ねて感謝する。君を疑うなどあるはずがない。ユイシスが愛するように、私も君を愛している」
「急にそんなこと言い出すなんて、ますます変ね。……今生はユイシスに捧げるって決めたから、あなたの愛には応えられませんよ」
「ああ、どのみち、それどころではないようだ。見えるか? どうやら、どうやらここには……、そうだ、思い出した、あの監視機械だ、そうだ、あの監視機械がいっていた。彼女は……(エラー。認知機能をロックしました)……何だったか。そうだ、ここには墓守がいるようだ」
私は理解しない。
私は理解しない。
私は理解しない。
リーンズィは唱え続ける。生命管制が血流と脳内物質を操作し、神経活性を調整して、少女の青ざめた顔を平静に戻した。そのように振る舞う必要がある。
ミラーズは理解していない。
真実、理解していないのだ。
だから自分の異常な認識を引き摺ってはならないのだと思考を反芻する。
問題は幾つかある。
自分が何を理解しないようになっているのか、確信が持てないことだ。
行動のログから、視界の左側を意識するとノイズが生じるよう処理されているのは推測できる。
だが(エラー。認知機能をロックしました)リーンズィは全てを忘れた。
何なのだ、という困惑と、サイコ・サージカル・アジャストが及ばない領域に残された、言い知れぬ不安感、そして意味不明な行動のログばかりが積み上がる。
ミラーズは無邪気にきょろきょろと辺りを見渡すばかりで、リーンズィの異常には気付いていないようだった。
「墓守様が? どこにいるのですか?」
「……あそこだ」
大鴉の少女が指差した先に、一つの動く影があった。
夕焼けの空へと透明な蒸気が薄らと伸びている。
「再誕者……スチーム・ヘッド……?」
墓地の終わり。
まっさらな赤土にスコップを突き刺し、土を掘って、また突き刺しているのが見える。
耳を澄ませば、小さなエンジンの音が、風に乗って聞こえてくる。
それは、ずっと前からこちらの存在に気付いていたようだった。
指差すのと殆ど時と同じくして、視線がこちらに向けられたのを感じた。
ただそれだけのことに言語化不可能な恐怖がある。恐怖。恐怖がリーンズィの少女の肉体を貫いて震えさせる。
言語化不可能? 本当に?
リーンズィは
知覚出来る範囲内に不明な目標が存在するなら、ユイシスが即座にポイントしているはずだ。だが、今回はそれすらない。ならば、自分は本来、あの存在を知っているのだ。
現状とは矛盾しているがそう結論するしかない。
自分は目標を理解しているのに、理解できていないのだ。
つまり、正体を理解した瞬間に、思考が霧散しているのではないか?
……ここまでは思考可能だ。
リーンズィは瞼の裏でログを辿る。
これ以上を思考すると、ここまでの思考も消去される。
理解しないのが正しい挙動だ。そう確認する。
「リーンズィ? リーンズィ? 大丈夫? 本当にあの山が怖いの? あたしが視界を遮ろうか?」
「大丈夫だ。大丈夫だ。少し……少し、時間がほしい」
前方のスチーム・ヘッドは、二人が足を止めたのを見て、穴を掘る作業をやめた。
猪武者のような足取りで前進を続けるアルファⅡと、言葉を交し合う二人の少女を交互に見遣り、最後には少女の姿をした二人の不死病患者にだけに意識を注ぐと決めたらしい。
軽い身のこなしで墓穴の淵から這い上がった。
そして、友人にでも合図をするような気軽さで、ゆっくりと手を振り始めた。
ミラーズはほっと息をつく。
「良かった。あの墓守様、歓迎してくれるみたいね。何かこの場所についても知ってるかもしれないわ。もしかすると、リーンズィが休めるスペースも貸してくれるかも。早く行きましょう?」
「ああ、ああ。しかし、私は……私は理解しない……私は理解しない……」
あの影に見覚えがある……。
私は理解しない。
私は理解しない。
ただ名前が思い浮かぶ……。
フリアエ。『都市焼却機』フリアエ。
理解しない。
その名前の示すところを、私は理解しない。
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