赤土の荒野へ②

「う」自動モードを解除されたミラーズが呻いた。「……あれ、いつのまにかカタナ持ってる。何かあったの? さっきの、監視してるやつが襲ってきたの?」


「いや。終点だそうだ」


 発電を続けている監視機械を、つい、ついと斧槍の穂先で指す。


「ふうん」感心なさそうに返事をする。「何だかリラックスしてるみたいね。こうして見ると意外と可愛いかも」


「可愛いのだろうか」


『可愛くは無いと思いますが』


「そうかしら。それで、終点って? 何が終わったの」


 ミラーズは刃を腰のホルスターに戻そうとして、失敗した。刃先が鞘に上手く入らない。何度か入れ損なって、リーンズィの視覚補助を受け、三度目でようやく収納に成功した。

 それからブーツで雪の腐葉土を踏み分け、切り倒された木々が打ち捨てられた土地を見渡して、息を飲む。


「綺麗に伐採されてるわね。どこかに仕事熱心なきこりのひとでもいるのかしら? こんなご時世に感心なことです。祝福してあげないと」


「ユイシス、付近に動体は存在しないか?」


 アルファⅡ本体のバイザーが世界を捉える。


『動体検知、熱源解析、音紋解析、電磁波解析、いずれも反応無し。いかなる存在の形跡も確認できません』


「見た感じだと、もうちょっと進めばまた森ね。これのどこが終点なのかしら」


 ミラーズはひとしきり伐採地を見渡した後、うーんと喉を鳴らし、考えるのをやめた。

 そして両手を挙げて、つま先立ちになってリーンズィに密着し、何気ない様子で少女の首の後ろに手を回した。


 リーンズィは事情が飲み込めず、肉体に染みついた聖歌隊の記憶に従って、金髪の少女の腰を抱き、そっと接吻した。ヴァローナの記録によれば『挨拶』に類する行動だ。ミラーズはきょとんとした顔でそれを受け入れ、くすぐったそうに目を閉じて応じた。

 息を整えて、繊美な顔に不思議そうな色を浮かべた長身の少女の唇に、そっと指を当てて、困ったように笑った。


「違いますよ、リーンズィ。今のは行進聖詠服の留め金を直したいから抱き上げてほしい、というサインです。あなたとユイシスとあたしの仲だし、分かるかなと思ったけど」


『当機は分かっていましたが敢えて忠告しませんでした』


「君に分かって私に分からないわけがないのだが……」


『分からないようにしていたのですよ。ロー・データの収集機会でしたので』


「二人とも、こういう機微を読み取れるようにならないとね。大主教リリウムの周りには信奉者が一杯いるし、レーゲントだって、たぶん沢山いるわ。聖歌隊にそういう習慣があるのは本当だけど、あたし以外にもこんなことしてたら、無遠慮な人だと思われちゃうわよ」 


 ミラーズがからかうような笑みで小さな肩を竦める。

 身を屈めてリーンズィが留め金を閉めると、背伸びをしてその頬に口づけをした。


「ありがと、もういいわよ」と囁いて、雪の上に降りる。「基本はこの程度。深く口づけを交すのはもっと後の段階です。誰だってそうでしょう?」


 話をしている間に、監視機械が活動を再開した。

 知らぬ存ぜぬ、アルファⅡたちのことなど一度も見なかったというふうに、来たときと同じルートを辿って、微睡むような速度で、ゆっくり、ゆっくりと、元いた森の奥へと進んでいった。

 やがて完全に見えなくなった。


「……あの子、あたしたちの話聞いてたのかしら?」


「何の興味も示さなかったように見えるが」


『これでは、森の途切れる場所まで案内してくれただけではありませんか。判断材料に乏しく、当機は今後について補助が出来ません。判断支援を要請』


「信じましょう」と歌うようにミラーズが言った。「信じることは、美しいことです」


「随分達観しているな」


「ええ聖歌隊の再誕者だったあたしとしては、出来ることは一つだけよ」


「つまり?」


「難しい判断はしないということ。あの魂無き者に、しかし善の心があったと信じます……疑うのはリーンズィとユイシスに丸投げするわね」

 ミラーズが降参するように両手を挙げた。

「こういう駆け引き? みたいなのは良く分からないのよね。あたしには隣人を愛するのが手一杯だもの」


「分かった。疑うのは任せてほしい。信じるのは君に任せる」


「でもね、あたしの勘だと、これはただの森じゃない。共有記憶を見たけど、あなたたちの推測は正しいと思います。たぶん黙契の獣たちの原型風景とか、最後に見た者のリフレインだとか、そういうものよ。きっとこの森は、彼らが見ている永い夢。誰にも妨げられない安全地帯の記憶の再生。こういう合せ鏡みたいな景色には、何となく見覚えがあります。ただ単に引き返しても同じ迷宮に囚われるだけだと思うわ」


『では答えを授けるのは、当機の任務ですね。報告します。気流の解析に異常を検知。前方の伐採地帯と新たな森林地帯の間に気流の断層を確認しました。おそらくあの面から先は、別の時空間へと「接ぎ木ドラフト」されています』


「見た目上の異常はないが」


『ゲート、とでも呼べば良いのでしょうか。あの接続面から外に出た瞬間、違う景色が現われると予想します』


 ふむ、とライトブラウンの髪の少女が悩ましげに喉を鳴らす。


「先ほどの機械は、『鏡像分岐宇連続体に仮設置された誘導端末』と言っていたか。どこかからやってきた親切な学者が用意した、無害なガイドビーコンという可能性も、あるにはあるだろうか?」


「ぶんきう……? というのはよく分からないけど、そうでもなければあたしたちの誘導なんてしないと思うわよ。というわけで、あたしは改めてさっきの子を信じることにします」


「うん。信じよう」

 リーンズィはこっくりと頷いた。

「どうせ騙されところで失う命も無いのだから。大主教リリウムはこの森を抜けた先にいるという話だった。では、ゲートから出た途端に、合流する可能性もあるのだろうか?」


「どうかしらね。森の向こう側に行ってみると言っていたのは、ずっとずっと前のことだもの。さすがにすぐそこ、ではないでしようね。でも、そっか。いきなり聖歌隊入りっていうのも、ありえなくもないです。さっきみたいに節操なくキスしたりしたら問題だから、ちょっとだけ講義をしておきましょう」


 ぱん、と小さく手を鳴らして、「注目してくださいね」と余所行きと分かる微笑で呼びかける。

 リーンズィが頷き、アバターを出現させたユイシスが「承諾しました」と返事をした。


「ええとね、誤解されていると思うけど、聖歌隊の接吻というのも、基本は軽く頬に口づけをする程度です。初対面や短期間過ごした程度であれば、努めて貞淑に振る舞うこと。もっと深く唇を重ねるようになるのはお互いに深く知り合いたいと思ってから。さらにそれ以上となったら、それなりの関係が前提になります」


「それなりの関係とは?」


「親しい間柄なら、って言ってもあなたには通じないのよね。えーっと……」

 首輪型人工脳髄のランプを点灯させ、翡翠色の瞳を瞬かせて記憶をロードする。

「はっきりとした記憶があるわけじゃないけど、少なくともユイシスとリーンズィぐらいの関係なら、何かの機会があれば、深く知り合ってても変じゃなかった……はずです」


 ユイシスが嘲るような、抑えた笑い声を上げた。


『あはは。有り得ませんね。仲が悪い双子の姉妹ぐらい互いを嫌いあっているのが当機とアルファⅡです』


「えっ。仲、良くないの? とっても息の合ったパートナーだと思っていました」


「メイン・エージェントと支援AIは一心同体だ。互いを邪魔する余地が無いので、外観上、そう見えるだけかもしれない」リーンズィは小さく首を傾げた。「私には好悪の概念が薄いのだが、ユイシスがそう言うのなら、そうなのだろうと思う」


「でも、あたしの気を惹くために愛し合うフリぐらいはしてたでしょ? そこに特別な意味がないとしても、振る舞いとしての愛を作る余地ぐらいはあったはずです。聖歌隊もそう。どちらかと言えばそういう行為は、感情では無く雰囲気で生まれるの。顔を合わせたら喧嘩するぐらい仲が悪い双子の姉妹でも、ごく当たり前のようにお互いを知っていたし、そのことを隠してもいなかったわ。この場合は、歳月が感情の善し悪しを補ったって言えば良いのかしら」


 ユイシスの姿が掻き消えて、鏡像のようにミラーズの前に素足になったアバターがふわりと降り立った。

 目を覗き込むようにして近付いてくる己自身の鏡像に、親愛の笑みでミラーズが応える。

 二人の少女は互いに抱き合い、金糸のごとき乱れ髪に指を梳かし、お互いの翠の瞳の奥まで見透かすようにしてたっぷりと見つめ合い、抱擁し合い、やがて花開く直前の花弁のような唇を合わせた。


「何故? 今? 必要か?」リーンズィが真顔で尋ねた。


「……ん。実演です、実演。ちょっと、昔を思い出して切ない気持ちになっただけ。ユイシス、大丈夫です」

 アバターから身を離しながら口元をそっと隠す。指の間から淡い色の舌が見えた。

「あたしとユイシスみたいに、感情が深く結びついていれば、出会ってすぐでも、もっと先へ進むこともあるの。こんなふうにね。だけど、時間さえあれば、誰でも他のレーゲントを多かれ少なかれ知ることになります」


「理由が分からない。教義のためか?」


「ああ、『汝の敵をこそ愛せ、愛する者はさらに愛せ』みたいなやつ? そういうカルトだからって言う面も確かに否めないけど。でも、本当はもっと現実的な話。再生の祝福を授かった人間は子供を作れなくなる……二人には言わなくても分かるわよね」


「不死病患者の生殖能力が不活性化することは知っている」


「すごく高度な癒やしの聖句でも扱えるなら別なんだけどね。これは実際に歳月を重ねないと分からないけど、長いあいだ再誕者として過ごすと、あるとき性愛の価値が真の意味で大したことなくなったことに気付くのよ。残るのは親愛ぐらいなもの。そしていつしか、大切な人と同じ映画を見るのも、同じ歌を歌うのも、同じ閨で肌を重ねるのも、どれも時間を積み上げるという点で何も変わらなくなる。これは、再誕者になって時間が経つほど傾向として強くなっていきます」


「つまり、性交に特有の価値がなくなる?」


「あのね、そこまで直裁に言うとさすがに侮辱になりますよ、リーンズィ。以前も教えた気がしますが、そういう単語は軽率に使わないのがスヴィトスラーフ聖歌隊の流儀です。ああ、でも懐かしいかも。ヴァローナ、その肉体の本当の持ち主と、全然面識は無いのよね? あの子も結構似たようなこと言ってた気がする。……話を戻すわね。聖歌隊はとにかく、そういうこと普通にする集団よ」

 ミラーズは幼い美貌に翳りを見せた。

「だけど行為自体の意味が薄くなる分、時と場合が、さらに本当に大事になるというのは、押さえておいてね。依存し合ってる子も多いから、そんなところに無神経に割って入ったら、蹴ったり殴ったりは無くても、それなりの事態にはなります。命の危険が無くたって、ピンチのとき助けてくれないぐらいの破綻はある。表面上は仲良くしてくれてもね。昨日まで睦言を交し合っていたのに、そういう感じでいざって言うときに拗れてしまうのを何度も見ました。ここまでは分かりますか?」


 リーンズィは押し黙って、「分かるが、分からない」と生返事をした。


『煮え切らない回答ですね』


「煮え切らないだろう。えっと、つまり、本質的な態度を言語化することはあまりないが、事象の裏側で相当に関係が歪んでいる場合がままあるということだろう……? それは……聖歌隊というのは、組織としてかなり難しいのではないか?」


「うーん……聖歌隊を厳密な組織として捉えようとするのがまず間違い、かしらね」


 ミラーズの言葉にリーンズィは眉を潜めた。


「どういうことだ。スヴィトスラーフ聖歌隊は、正教会系の組織では無いのか? 全ての関係者から絶縁されていたとは聞いたが。そちらのルールがある程度残っているのでは……」


「それも誤解ね。正教会との関係性を指摘されたことはあるけど、宗教団体であるとすら言ってなかった……と思うわ。広報部門とはあんまり関わってなかったから詳しくないんだけど。神の言葉を人に伝えるための集団じゃなくて、神の御国を実現するために行動する集団だから、これはもう宗教を超越している、みたいなうたい文句で……」


「カルト宗教では?」


『カルト宗教ですよ』


「あ、あのね、本当のこと言うと、カルト、カルトって言われるのも結構つらいから、あんまり連呼しないでね。全部は信じてなかったけど、少しは信じてたし……。とにかく同じように世界から疎まれて、同じように破滅して、同じように聖歌隊に取り込まれた。そんな寂しい女の子が、教義と聖父スヴィストラーフ、そして七人の大主教に従って、何となく同じ方向に進んでただけなのよ。かなり難しいって言うか、調停防疫局とか、なんだっけ、人類文化……あの大鎧の再誕者たちの組織みたいに、秩序だっていないのです。幹部以外はプシュケも与えられていないんだから、外からは数十万、数百万の軍勢に見えても、実体としての構成員はそんなに数がいなかったわけ」


「数十万や数百万の軍勢……? 我々の記録では……せいぜい数百人の……」リーンズィは首を振った。「それはいい。しかし待ってほしい。それでは、スヴィトスラーフ聖歌隊というのは、単なる淫蕩を好むスチーム・ヘッドのサークルのようなものだということになってしまうが」


「限界まで卑俗に落として説明すると、答えは『そう』なんでしょうね。その、カルト的教義を信じるか支持するか、どの大主教に従うか……組織らしい部分ってそれぐらいじゃないかしら? ちなみにあたしは聖父スヴィトスラーフへの愛と我が子たちへの愛、そして世界への八つ当たりが行動指針でした」


『論点を整理します。スヴィトスラーフ聖歌隊が血のカルト、退廃した組織だという安易な理解には、修正が必要のようですね』


「外の人が一生に一人と決めた人にする口吻も、あたしたちにとってはちょっと丁寧な挨拶みたいなもの。うーん……言い方は悪いけど淫らなカルト扱いされてたのもあたしは知ってるし、説法の通じない時はそっちで信者を引っ張ってたのも事実だから、否定はしません。でもそんな集団でも、人間関係はちゃんと存在するんだっていうのは、覚えておいた方が良いわね」


「む、難しすぎる……」

 誰に由来するものなのかは分からないがリーンズィは気が引けてしまった。

「上手くやれる気がしない」


「そのうち慣れるから、大丈夫です。みんなそうでした。あ、でも、リーンズィは定命者として生きていた頃は、男性だったのでしたか? アルファⅡは男の人ですものね。抵抗感の根源にはそれもあるのでしょうか、スヴィトスラーフ聖歌隊は聖父様以外みんな女性ですし……」


「いいや、男性だったというわけでもない。おそらくだが」


「あれ? そうなの?」


「この肉体を使用するようになってからは、昔から女性だったような気もしている」


『アルファⅡモナルキアは万能機です。人格の自己認識は、肉体の性別に対してもアジャストされます。よって、生前の性別という概念は、根本的に存在しません。不適切な記憶は切除され、習慣は抹消され、思想や信条までも漂白されます。性自認まで含めて当機が万全に調整しています』


「……? 分からないけど、存じました。どちらにせよ、大主教『清廉なる導き手』をやってるリリウムは、聖歌隊でもとびきり寛容な子です。エコーヘッドになったあたしのことも、壊れてしまったヴァローナも、そしてあなたたちのことも、ちゃんと取りなしてくれるはず。何も心配は要りませんからね」


「リリウムという大主教は信頼が篤いのだな」


「あたしも伊達に『マザー』ではない、ということよ。彼女も私の娘なのです、性格はよく知っているわ。それに、あなたたちアルファⅡは、レーゲントじゃなくて、使徒とか勇士とか……あ、これは聖歌隊の戦闘用スチーム・ヘッドのことね、とにかくレーゲントじゃない枠での入隊になるので、そんなに、規範意識とか気にしなくて良いっていう裁定が下ると思うわ」


「ふーむ、とにかく、難しそう。だが、合流してみないことには分からないということも分かった」


 リーンズィは青みがかり始めた目を細めて、腕を組み、頬杖を突き、深く深く溜息を吐いた。

 前進を再開するべき時だ。


「それでは、境界面を通過して境界面を通過境界面を通過境界面を通過して境界面を通過して境界面を通過して境界面を通過しししししししししし


 統合支援UYSYSより通達。

 エージェント・アルファⅡの操作により、認知機能がロックされました。

 エマージェンシーモードが強制停止されました。

 コンバットモードが強制停止されました。

 オーバードライブが強制停止されました。

 オーバーライド、スタンバイ。

 戦闘プログラム、レディ。

 非常時発電が強制停止されました。

 循環器転用式強制冷却装置が強制停止されました。

 機関内部無尽焼却炉、閉鎖中。緊急排熱実行中。炉内圧力を減圧中。

 エルピス・コア、オンライン。

 世界生命終局時計管制装置、スタンバイ。

 アポカリプス・モード、スタンバイ。

 アポカリプスモード、レベル3までの制限を解除済です。特定条件下に置かれた場合、全自動報復管制を起動します。

 視覚ログを削除しました。

 思考ログを限定的に削除しました。

 これらの機能制限および全自動報復形態への移行準備は、当該領域通過するまで継続されます。

 繰り返します。支援UYSYSより通達。エージェント・アルファⅡの操作により、認知機能がロックされました。エマージェンシーモードが強制停止されました。コンバットモードが強制停止されました。オーバードライブが強制停止されました……

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