森の中で③

「でもこれ、本当に大丈夫だったの?」と刀を鞘に仕舞う。「、強くなったんじゃない?」


『否定。ミラーズの心の安定の方が大事ですから』とユイシス。


「ごめんね、あんなに、あたしの気紛れに付き合ってくれたのに。やっぱり、どうしても我慢できなくって、あんな、犬なんかのために……」

 ベレー帽を目深におろし金糸の髪をしょげた様子で触る。

「エージェント失格よね。もしもから撃たれたら、私を盾にしてくれて良いから……」


「私はキジールとの協議により、君に非道なことはしないと約束している。だから、そんなことはしない」


 リーンズィは肩を竦め片手の斧槍の旗を狼たちがいた方向へ振った。

 そしてヘルメットの兵士に目配せした。


「私の本体も、あれに対して無反応だ。もしも敵対行動を感知すればすぐに臨戦態勢に入る。こんな時代だ。我々が武装していても不思議では無いし、私たちの有様は何も怪しくない。攻撃してくるなど杞憂だ。私たちのことを何も無い空間とお喋りしてる変人だと思っている可能性はあるが」


 狼たちはついに最後の一匹まで去った。


「そうだ、敵かどうかも分からない。あの監視機械の向こうにいるのは、君のファンかも知れないからな……」


 それは、さらに後方にいた。

 巨大なレンズの単眼でこちらを監視している。


 臭気を隠すためだろう。幾重にも継ぎ接ぎされた狼の皮を被せられていたが六本の金属質の脚でボディを木々の間に固定している。

 その円筒状の異形を狼と見紛うはずもない。

 木の枝に偽装した砲身のようなものをこちらに向けて微動だにしない。

 リーンズィとミラーズの肉眼では正確には捉えきれない距離にいたがアルファⅡ本体は違った。

 ただ自分のエージェントたちの寸劇を眺めていたのではない。視界を望遠モードに切り替えこの機械の動きを随時観察していた。


 廃村から森に入ってすぐにその存在による監視が始まった。

 獣どもに混じり肉眼では感知できない限界点を維持して枝葉の隙間を伝いながらここまで確実に追跡してきている。


「気付いていないふりをしてやり過ごすというのは、理想的ではあるが、現実的では無かった。遅かれ速かれ、こちらの真意は露見していたことだろう」


 ミラーズの動作に自由度を与えてしばしば転倒を誘発させたのも違和感なく監視機械の位置を確認するための言わば仕込みだ。こちらが不安定な動きを見せればあちらの動きも必然的に大きくなる。

 アルファⅡの演算能力を適切に配分すればいくらミラーズが小柄だと言っても進退動作を調整して倒木を回避させる程度は造作も無い。

 相手側にそのような事情を推察する能力は無いと判断しての欺瞞工作だった。

 監視機械の照準は微動だにしない。おそらく装備しているのは電磁加速砲だ。

 弾頭次第では不朽結晶をも破壊し得る。


「……なんか、完全にバレちゃってるわよね、これ。あたしたちが、最初から気付いてたって」


「あの監視機械も、敵意があるなら既に攻撃を行っているはずだ。心配は無用だ。それに……」


「それに?」


「君が微笑んで手を振ってやればイチコロだ」


「……今から、私を信じてくれた迷える仔羊たちに申し訳ないことを言うので、すぐ忘れてくださいね」

 ぼそぼそとリーンズィに耳打ちする。

「あたしぐらいの年齢の外見に興奮する人、ちょっと問題ある人多かった記憶あるから、正直それはあんまり試したくない……好意的な反応があったら逆に嫌……」


 リーンズィは困惑した。「その……言いにくいのだが……どれほどの聖性を身に纏っていたとしても、すっかりカルト教団に浸かりきっている年若い女性で、しかもスチーム・ヘッド……そんな相手にわざわざ救いを求め、あまつさえ手を出すような人間は、みんな問題があったのでは……?」


「うん、それはそうだけど、でも程度がね……。はいはい。忘れてください。忘れてくださいね。皆、私の大切な仔羊たちではあったのですから」


『あれっ、でも今の言葉、遠回しに当機が非難されているような気がしますね……』


「ユイシスは別です。もしも問題があるなら……」ユイシスに接吻して吐息を飲み込む。「それはあたしも同じだから……二人なら怖くない……」


『ミラーズ……」


「ストップ。それ以上盛り上がるのはやめてほしい。忠告するが、君たち、問題あるかないかで言ったら絶対あるので、注意するように。……神経活性を取得。なるほど。さすがに監視機械の操縦者に弁解したくないから、続けるなら木の陰あたりで頼む」


「そこまで節操なくないわよ! ……本当にぜんぜん反応ない?」


『監視機械、反応ありません』


「こうまで無反応だとこちらの警戒のしすぎかもしれないな。考えてみればヴァローナもこの森を通ってきたのだろうし」

 リーンズィの頭部に差し込まれたヴァローナの人工脳髄は未だに壊せ壊せと狂った言葉を唱え続けている。

「こんな殺意あるスチーム・ヘッドを素通りさせるぐらいだから、管理者など最初から存在していないという可能性もある」


「監視を改めて意識すると、注目されてる中でこんな格好で歩いてるの恥ずかしくなってきたわね……リーンズィ、服の前を閉じるので、私のことを抱いて運んでくれませんか?」


 体力的にも限界だろうとアルファⅡは思考する。

 不死病患者に疲労の概念はないがスチーム・ヘッドは別だ。

 かつて定命の肉体で生きていた時の感覚が時折不滅の肉体を鈍らせる。


 リーンズィは腰に調停防疫局の旗と斧槍をマウントし両手を使って天使の和毛の如き軽やかな少女の肉体を抱いた。

 ヴァローナの肉体も少女一人を抱えて長時間歩き続けられるほど筋出力は高くないはずだったが不思議なことにさほどの支障が出なかった。

 ヴァローナのライブラリにこういった事態のための動きが保存されていたのもあるがミラーズもこういう形で運搬されるのに慣れているようだった。


 アルファⅡ本体を先頭に置いて歩き続ける。

 異邦の姫を抱いて歩くがごとき玲瓏たる猛禽の目をした少女の傍らに、時折ユイシスのアバターが現われて同じ顔をした美しい少女と息が掛かる位置まで近付いて何事か囁きあう。

 そのうちミラーズの意識が全自動モードの人為の暗闇へと落ちて呼吸をする人形の如く沈黙していくのを見守った。

 ユイシスはついでのようにリーンズィに報告をした。


『報告。天体観測は無意味なようです』


 ユイシスは本体たるアルファⅡモナルキアの視覚が捉えた様々な上空の光景をプロットした。

 天体の動きに一貫性が無かった。それだけで済めば良いのだが東西南北が時折入れ替わっているらしいという分析結果も出た。

 リーンズィは特に反応を示さなかった。ただライトブラウンの髪をかき上げて嘆息した。


『随分と気取った動きですね』


「ヴァローナの行動プロトコルを流用した。昔からこういう癖があったんだろう。ガールズバンドのギター兼ボーカルだったか。気取り屋だったのだろう」


『了解しました。ヴァローナ、聞こえますか。当機が馬鹿にしたのはリーンズィであってあなたではないので、あとから怒らないで下さいね』


「私にも謝ってほしい」


『さて、我々は、おそらく当機たちの意識していないうちに、何度も<時の欠片の触れた者>の再配置に撹乱されていたようです。一帯の時空間はデタラメに接合されています。森林地帯を真っ直ぐ進んでいるようでいて、いずれかの地点で規則性無く方角を改編されていると推測』 


「……予想より面倒な事態だ。そうなると、あの監視機械も、ただ迷い込んだだけかも知れないな」


 試しにアルファⅡモナルキアの本体を操作してガントレットで木の何本かを打ち砕き中身を検分した。空間の異常性が植生に影響しているのではないかと思われたからだ。

 だが現われるのは普通の木と同じような年輪と同じような樹液と同じような腐れた芯ばかりだった。


 ……さらに進むと、全く違う場所に、先ほど破壊した木が現われた。奇妙だった。同じ木か似ているだけの別の木なのか正確には区別できない。だが時の欠片に触れた者の『兆し』としてはこの上ない。


「何か勤勉な劇団員がいて、回り道をして大道具を設置しているのではないか……」


 リーンズィが寝ぼけたような目で寝ぼけたようなジョークを言う。

 瞬かせる瞳の色は寒凪の空の暗澹たる静寂と立ち並ぶ木々の鬱屈を映して紺色に色を変じている。

 深呼吸してゆっくりと胸を膨らませる。

 実際のところリーンズィも森にいることに苦痛を感じ始めていた。風景に見飽きてきたわけではない。眼前の光景が本物であると信じられないのだ。

 いずれも間違いなく現実に存在したしアルファⅡの視覚でもユイシスの解析でもそれは否定しようが無かったがリーンズィにはどれも偽物のように感じられた。


 シィーを葬った廃村の前方に『再配置』された森林はそれまでに通ってきた場所と大差ないように予想されたが現実はこうだ。完璧に混沌としている。何がどう書き換えられたのか推量すら許されない。

 まさしく理解を超えている。現象を体感でもって分析しているが裏打ちが何も無い。規則性がつかめない。

 狼の件も気になる。ユイシスに識域下で解析を進めさせていたがアルファⅡモナルキアの記録によればノルウェーからは政府の命令で狼が全頭駆除されていたはずなのだ。

 ではあの獣たちは何だというのか。

 ここは本当にまだノルウェーなのか。他国から移住してきた個体だという線もあるが……。


「何がどうなって、こんなことになる?」


 と寝息を立てる生き人形を起こさぬようリーンズィは囁くように問いかけた。


『推測。観測された情報が確かならば、ヴァローナは空間ごと当機たちに接近してきました。前方に存在していた森林地帯が消去、短縮されたと考えるのが最も妥当です。植生自体は森に侵入した時点から変化していませんので、全く違う世界が配置された可能性は低いかと予想されます』


「土地を短縮するというのは、どういう事情があれば発生する事象なんだ? 悪性変異体とは過剰再生によって異能を獲得した不死病患者だろう。何をどう再生させようとすれば、そんな操作が必要になる?」


『推測不能。あまりその点に拘っていると、シィーと同じ可能性の袋小路に陥ることになるかと思います。思考リソースの無駄遣いである、と割り切らないのは愚と進言します……この遣り取りもそろそろ記録したらどうですか?』


 リーンズィは慄然として押し黙った。


「……まさか、私は半自動モードを解除する度に同じことを訊いているのか」


『自動化の程度が低いですから、実感に乏しいかもしれませんね。貴官は毎回ほぼ同じ文言を発しています。意識するなという方が難しい問題ではありますが』


「……もしもあの変異体が本当に時空間を操ることが出来るのであれば……」


『繰り返しますが、時空間操作の利用を検討するのは、適当ではありません。我々が元いた世界には存在しなかった悪性変異体であり、時空間を操る存在の思考など、現時点で解析する余裕はなく、よって利用の計画を立てるのも不適当です。我々には世界生命の終局を管制する機能はあれども、時空間を管制する機能など備わっていないのですから』

 

 ライトブラウンの髪を揺らしてこっくりと頷いた。


「それもそうか。『時の欠片に触れた者』にしても、森林を特別に操作したわけでは無いのかも知れない。思うまま時空間を改編できるわけではなさそうだというのはシィーも言っていた……考慮するだけ無駄か」


『些細ですが、疑義を提示。自覚はありますか、リーンズィ。不死病筐体<ヴァローナ>の瞳の色が、時折変色しています』


「ああ、自覚していた。不調はない」


 世界の色調が不意に揺らぐ瞬間がある。

 虹彩の変色に伴い世界の認識が切り替わっているのだ。

 人工脳髄が即座に補正をかけるが何か使用中の筐体ヴァローナに異常な事態が起きているのは確かだ。


「今は何色だろう。レッド? イエロー? アイスブルー?」


『ターコイズです』


「ミラーズも気付いていたはずだが、特に言及が無かった。見慣れたものなのか? これはいったい……」


『予測。再配置に対する身体反応』


「その可能性は……いや、そもそも不死病患者の体には、何が起こってもおかしくないのだ。彼らはどのような異常にも感受性を示す。時空間の変動という途轍もない事態に反応する目を持つ感染者がいても、全く不思議ではない。ましてやスチームヘッドなら、現象の異常さにはよく反応するはず……」

 リーンズィは眼球を小刻みに動かした。

「だとしたら、奇妙なものがもう一つある。再配置され、方角すら一定ではない状況で、それでも追跡してくるあの監視機械だ。攻撃してくるでも接近してくるでもないあの機械は、何のために存在しているのだろう」


『……今現在まで試行していないアプローチは、こちらからの接近ですが』


「いや、実行済であるはずだ。意図せずそうなった瞬間がおそらくあった。再配置された森林をデタラメに移動しているのだから、相対距離は何度か変動している。間違いなく何度かは接近している。だがあの監視機械は常に一定の距離を維持しようとしている。この森はずっと以前から時の欠片に触れた者の時空改編の影響を受けていると仮定して、そこで安定して稼働し続けるあの機械は、何のためにある? ……もしかすると、標識のようなものなのではないか?」


『では、当機のような存在を、森から外へと誘導するための?』


「可能性はある」


『警告。ミラーズが危機にさらされる可能性が……」


「危険ではない瞬間は、無かった。そしてここからはリスクを取るべき時間だ」



 無言のアルファⅡを盾にしつつ一向は監視機械へ向けて前進を始めた。

 すると監視機械が反応を示した。

 リーンズィたちはびくりとしたが危険は無かった。監視機械のレンズに光が灯り六本の脚を動かしてゆっくりと後退を始めたのだ。

 そしてその距離は常に一定だ。

 レンズの輝きはそう思って見れば何故だかしるべのように見えた。


 リーンズィは一度だけ足を止めた。思慮を重ねながら腕の中のミラーズを眺めた。意を決しアルファⅡ本体に彼女を預け己は斧槍を掲げて構える。

 臨戦態勢だ。

 この先に何かあると確信していた。


 少女たちは得体の知れない毛皮の怪物に導かれるまま悪竜の喉のごとくなまぐいぬばたまの森の奥へと飲み込まれていった。

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