リーンズィ②

 ちらり、とミラーズを見るが、まだシィーと無意味な言い争いをしているようだった。

 励起してしまった身体機能の様々を確認し、急速冷却させて肉体の反応を抑制する。

 そして胸の鼓動がまだ収まらないのを感じて、ようやく理解した。


「私の肉体は、ミラーズの……キジールの笑顔が欲しいのだな。ヴァローナはキジールの柔らかな髪が、時折見せる優しい眼差しが恋しいのだ」


「そうですね。では、会話への参加を実行しますか?」


「いや。私が混じっても水を差すだけだ」

 それから溜息を吐いた。

「……どうも聖歌隊の肉体というのは扱いが難しい。起動直後のミラーズが、君のアバターに奇妙なほど熱情を示していた理由を、身を以て理解できた。彼女たちにとっては、これは恒常性を構築する一要素なのだ。おそらく慕情や身体接触をトリガーに、変異の進んだ肉体を基準点に回帰させるという設計思想がある……それが基盤にあるせいで、励起された身体反応が、思考にノイズを発生させる」


「カルト教団という閉じた組織に順応した思考形態なのでしょう。リーンズィ、さっき、当機のアプローチで貴官は少しドキドキしました? 積極的に接触してくるとは予想できませんでしたが」


「肉体を興奮させることで、ヴァローナのメディアに刺激を与えられるかと考えたのだな? 聖歌隊の彼女たちの日常は、そういうものだったのであろうから」

 無表情に、頭部の水仙の花飾りに偽装された人工脳髄に甲冑の指先で触れる。

「肉体の記録、そしてミラーズと君のコミュニケーションから予想されるスヴィトスラーフ聖歌隊の行動規範に従って、肉体に適当な動作をさせた。だが無駄だったようだ。生前に経験したであろう行動を踏まえてみても、人工脳髄の方からはやはり具体的なデータを引き出せない。ただ、彼女たちがかつてどの程度親交が深かったのかは、察しが付いた……」


「いいえ、貴官は理解していません。換言します」

 嘲るような調子を抑えて、淡々とユイシスが問いかける。

「肉体ではなく、貴官自身、リーンズィに質問しています。貴官は、どのように思ったのですか」


「私に固有の思考は存在しない」


「それ故に、です。新しい肉体に意識を移したことで、思考に変化は生じていませんか? 例えば当機、及びミラーズの『外観』に関して新しい知見を得てはいないでしょうか」


「統合支援AIとして、自己連続性のチェックでもしているのか? 外観の知見か……キジールから借り受けている肉体は小さく、格闘戦に向かない。眉目が整い、交渉に際して有利な外見をしている。主観的にはそれだけだ。特に何も変わっていない」


 それだけだ、と繰り返しながら、リーンズィは腕を組んだ。

 頬杖を突くようにして甲冑の手で、頬に触れた。

 金属の冷たさに目を細めながら少し考えた。


「……いや、主観的な変化があるな。親機側の肉体にいる時より、外観が少し、美しく見えるか? 印象の問題だが。魅力が増している……増していない……どうだろうな」


「その身体動作の癖は先ほどまではなかったものですね」

 鏡映しに頬杖をついたユイシスが指摘する。

「レポートの課題に何を書くか悩んでいる女の子のように見えますよ」


「自分の端末に入れ込む思春期のAIをどう扱えば良いのかレポートに書いて、学位でももらうおうかな。もっとも、学位証明書の代わりにカウンセラーへの紹介状を渡されそうだが」


「ユーモアレベルの評価を更新しました。可愛い女の子の顔で言うと、ユーモアもまた違って聞こえます」


「そういうものか」ふむ、と唇を引き結ぶ。「自分自身では全く分からないが……」


「貴官には、致命的に人間性というものが欠けています。当初懸念されていたほど壊滅的ではないようですが、アルファⅡモナルキアの起動だけを目的にチューニングされた人格では、やはり情動の獲得というものに限界があります。しばらくはその脆く、愛らしく、機能を限定された肉体で、生きている感覚を味わうと良いでしょう。それでこそ無益な争いを止めることに真の意義を理解できるはずです」


 ふむむ、とリーンズィは喉を鳴らした。


「機能を限定されているとは言っても、全身を不朽結晶連続体で覆っているのは、最初の肉体と比較して上位互換なのだが……」


 不朽結晶連続体で形作られた精巧な両手の甲冑を開き、閉じ、また開く。

 そして乳房に沿って布地が盛り上がる胸部に触れながら「何故ろくに装甲をしていないのだろうな」と怪訝そうに問う。


「全く奇妙な装備だ。手甲にしてもそうだが、随所に凝った細工がされている。私の本体のガントレットと違って精密動作にも影響しない。見かけよりもコストが高そうだ。このヴァローナという少女もまた愛されていたのだろう、私は愛など知らないし、彼女への愛がどのような愛かも知らないが……」


「同意します。少なくとも裸身にほぼインバネスコート一枚という装備に合理性はありません」


「加えて、異常に薄い。コートとして見栄えが効くようにはなっているようだが」


 アルファⅡのヘルメットの側の視点で改めて確認する。

 少し姿勢を調整すると、ある程度コートの中にある少女の体のラインが浮き出るようになっていた。

 制作者が意図して奇妙な工夫をしない限り、このような倒錯を抱えた服飾が成立することはない。


「胸部ぐらいは布ではなく装甲板で覆うべきだというのに、布を胸の形に固定することで代用している……どういう加工技術なのだろう」


 不朽結晶連続体を繊維状に加工するだけでも極めて困難な作業だが、戦闘用であるらしいこの装備、突撃聖詠服にも同様の偏執が注がれている。酷く奇妙な工夫が丁寧に施されており、貞淑そうに見えて性的なアピールが露骨だ。

 ただし、キジールやミラーズの着ている行進聖詠服とは異なり、くるぶしまでをコートの裾で覆って、しかも運足のための空間を確保している。

 マスクを外した状態を遠目に見れば、あるいは修道服のように見えなくも無いだろう。

 だが近寄ってみれば、行進聖詠服の下に納められているのが溌剌とした若い肉体であることを強調しているのが分かる。厳粛な総体へ扇情的な意匠を組み込んでいるという点で、反道徳的であり、ミラーズの行進聖詠服と本質的に大差ない。


「何を願ってこんな衣服を与えたのだ。シィーの記録に従えば、聖歌隊の信徒たちは『神に愛された聖歌隊を通して、神に己の信仰を示し、その御許へ導かれる』、そして対価として、こんな装飾ばかりが行き届いた低機能な装備の『寄付』を得ていたわけだ。私の生前の文化圏は不明だが、それでも分かる。少なくともハリストスとやらは色欲の神では無かったはずだ」


「訂正を求めます。彼らは救世主など信じていなかった。信者ではなく異常な性愛を持ったスポンサー、顧客といったものでしょう」


 ユイシスが少女の顔に珍しく明確に不愉快そうな色を浮かべた。


「彼らはキジールを、ヴァローナを、数え切れない不死病の少女達を搾取していたのですよ。唾棄すべき存在です。不死病患者を二重に搾取する悪徳者に過ぎません。あわせてスヴィトスラーフ聖歌隊もやはり道義的に許容不能です。軍事施設占拠を考慮せずとも、元々の信念に背き、公然と不死病患者を商いに使っていたという事実だけで断罪に値します」


「だが当の彼女らはその時点で不死病患者であり、人工脳髄を埋め込まれ、生前の人格を再生された本物の不死だったわけだ。そしてその時点でもまだ、不死病患者は法的に無権利状態であると見做されていた。彼女たちは救いを求めて、求めた結果として災禍となった。スヴィトスラーフ聖歌隊とはつまるところ、時代の歪な形に合わせて成長した悪性の腫瘍に過ぎない。誰も彼らを救わなかった」


 だから彼女たちは創ろうとした。

 不死病による千年王国を。

 一人で楽しげに議論を続けているミラーズを、キジールの残骸を、じっと眺める。

 彼女はテロリストだ。世界を滅茶苦茶にした。

 だが最初に手を出したのは世界のほうだ。

 世界が彼女たちを滅茶苦茶にしてしまった。それほど簡単な話ではないにせよ。


「シィーの記録を繋ぎ合わせて分かった。キジールの素体がオリガルヒに連なる存在だったのは事実だ。そこからマフィアに誘拐されたのも事実で、地下街の悪党どもに売り飛ばされたのも事実だ。そこから先には幾つか分岐があったようだし、我々の記録とも異なるが……両足の腱を切られ、尊厳を破壊され、一児の母となった彼女を助けたのは、聖歌隊だけだ。いや、聖歌隊自体が救われなかった不死病患者の集まりなのだから、実際には誰もが彼女を救わなかった。生家の家族でさえも」


 世界で最初に不死病患者への人工脳髄による人格再建の演算、ブレイン・インストールに成功したのは、スヴィトスラーフ聖歌隊だ。

 教祖であるスヴィストラーフは、不死病の歴史において最も早くに患者の救済に乗り出した人物でもある。軍事、医療、一応の神学的知識を持っていたと記録されている。

 彼は少なくとも初期においては必死に不死病患者たちを救おうとしていた。

 そして不死病患者の本質的救済のために研究されたはずの技術は、斯くの如く背徳の花となって結実した。


 リーンズィは目を細めた。

 時に怒り、時に笑う。ミラーズ。

 年頃の少女そのもに見える彼女が、どれほどの汚濁に染まってきたのかを考えたとき、表現しがたい焦燥感に胸を締め付けられた。


「救うすべはないのだ。立場や状況が改善されても、彼女たちがやらされていた行為は、地下にいた頃とそこまでの差異は無い。救われてなどいなかったのだ」

 首を振って、己の手を見る。衣服を見る……。

「状況はさらに悪化したと言って良い。信者どもにしても、最初は欲望に突き動かされていたのだろう。それが散々金銭や設備を巻き上げられて、最後には不朽結晶連続体まで貢ぎ物にしているわけだから、ただの顧客とも言い切れまい。肉体に神の祝福を……少女たちから感染を受けて神の恩寵を受けた不死となるのであるから、現世での富は不要となる。そしてさらなる伝道のために富を手放すことは、善行だ。最終的には全財産を聖歌隊に差し出す。彼らの行動に破綻は無い。二つの神に仕えることは出来ないというが、彼らは富では無く最終的に彼女たちを選んだのだ。カルト宗教としては、成功していたのだろう……もっとも、彼女らには『原初の聖句』があった。美と言葉が彼女たちの武器だった。彼女たちも丸きり搾取されていたわけではない」


「では彼女たちは加害者側だったと言いたいのですか?」


「分からない。だが世界に悪はあった。誰かが何かを壊され、その報復にまた何かを壊す。悪はそうして息づいていたはずだ。誰しもが戦うことを強要されていた。彼女たちは己を切り売りして、奪われた世界を買い戻していたのだろう」


 アルファⅡの黒い鏡面の世界で、凍てついた目をした陰鬱そうな少女が、誰も手を差し伸べてくれはしない荒れ果てた土地で立ち竦んでいる。


「誰かがそうせざるを得ない状況に追い込んだ。こんな形でしか彼女たちを救えなかった。我々の世界を導けなかった。悪は確かにあったのだ。何時の世にも邪悪は付きまとう。だがそれら邪悪はどこから湧いてくるのだろう? この世界のどこから悪徳がやってくる……?」


 天使のような金髪の少女はただ、脳髄に埋め込まれた血濡れの兵士と言葉を交しあい、囀りあい、不安など何も無いかのように、朗らかな声を……。


「何が彼女たちの手を血で染めた」吐き出され言葉は、意識した以上に熱が無い。「誰が邪悪を吹き込んだ……」


「リーンズィ。大義を見失わないで下さい」

 ユイシスが淡々とした声で呼びかけた。

 そして嘲るような例の声で囁きかける。

「肉体に引っ張られて、御伽噺の騎士様みたいな物言いになっていますよ……」


 ユイシスは金髪の少女のアバターで手を伸ばし、リーンズィの頬にそっと触れた。そして軽く口づけして、微笑みかけた。

 説法するときのキジールの模倣をしているのだろう。


「貴官の任務は旧世界保健機関の事務局の探索、あらゆる争いの調停、そしてポイント・オメガへの到達です。目標に関して不明点が生じたのであれば、当機に相談することを推奨します。そのための当機、そのための統合支援AIです」


「これまで判断の難しい状況には遭遇してこなかった。まだ三日も経っていないが……私には調停が分からない。何を以て調停とするのだ? 何と何を、どう止めれば良い。聖歌隊にしてもそうだ。道義に反すると知りながら聖歌隊の少女を求める資本家。その対価に大規模テロのための資金を得る少女。あるいは彼らを両方とも破滅させようとする第三者……彼らと遭遇した場合、私が手を下すべきなのはどれだ?」


「状況次第です、リーンズィ。調停とは、目標を善と悪とに切り分け、ただ一方に加担することではありません。それだけは明白です。しかし貴官は、貴官自身に定められた調停のやり方については、疑問を持っていないものと思っていましたが……。本来ならそのような思考判断すら必要ないのですから」


「疑問は持っていない」


 リーンズィは、アルファⅡのバイザーを覗き込み、己の憂鬱そうな美しい顔貌を見遣り、ミラーズが時折そうするように、己の体を抱きしめた。


「うん。落ち着くな。ただセクシーさをアピールするだけのポーズかと思っていたが……」


「疑義を提示。不安なのですか、リーンズィ?」


「いいや。ただ、憐れに思うのだ。調停するだけでは足りない気がするのだ。何かもっと良い形で、せめて彼女たちだけでも救ってやりたいと考え始めている。ミラーズには……酷使されるだけのエコーヘッドでいてもらいたくない。識閾下でどのような議決がなされているのか、端末たる私は知らない。だが、ああやって笑っているべきだと感じたからこそ、我々は処置をしたのではないか……」


「警告。当該の思考は、現在の心象から来る記憶の改竄です。現実を見誤らないでください」


「しかし、少女一人笑顔に出来ない機体に、何が救える?」

 リーンズィは卒然として言った。

「世界は『時の欠片を触れた者』の再配置に巻き込まれ、おそらくもはや地上から不死でない人間は消え失せた。出来ることには、どうしても限りがある。関わりを持った人々だけでも救われてほしいと願うことは、間違いではないと私は考える。この肉体にしてもそうだ。永久に私に支配されていて良いはずが無い。過去の記憶を破壊されたままで永久に彷徨うことを看過するほど、調停防疫局のエージェントは冷酷では無いはずだ」

 サイコ・サージカル・アジャストの軛から外れた思考が、寸時思考を紡いだ。

「誰だって、そんなことのために戦ってきたわけじゃない……」


「その点は肯定します。間違ってなどいません」


「私に与えられた機能をそのまま使っては、願いは果たされない気がする。私はどうすれば良い?」


「貴官の自己連続性評価を微修正します……貴官は良い機体に成長してきましたね。スチーム・ヘッドに時間切れはありません。少しずつ考えて、変わっていけば良いかと推測します」


「そんなものか?」


「そんなものです」ユイシスは笑った。


 ユイシスに心というものがあるならば、それはまさしく、心からの笑顔だった。

 どこか安心しているようにリーンズィには見えた。

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