エージェント・シィー

 ミラーズとシィーは、一つの肉体を使って未だに論戦を続けていた。

 ある種の音楽史の細分化や教会音楽の通俗化を議題として、何が駄目で何が良いのかの無意味な境界線争いを延々と繰り返している。

 ミラーズの首輪型人工脳髄で神経発火を解析しても、つかみ合いでも始まりそうな熱気とは裏腹に、内奥には歓びと興奮が溢れ、二人の精神状態は良好だった。

 シィーはいよいよ時間切れが近いはずなのだが、全く気にした様子が無い。最後に好きな音楽の話が出来る。

 きっと、それは幸せな終わり方だ。

 このままでも本望なのだろう。

 

 一方のリーンズィは手持ち無沙汰で、自分の、聖歌隊の騎士、ヴァローナの装備のチェックを始めていた。インバネスコートと手甲が完全に分離しているのに気付く。ケープの部分に隠されているせいで一見しただけでは分からないが、袖の部分が設けられておらず、手を上げると脇が露出する形になっていた。脇関節の可動域を確保しようという意図が認められ、それなり以上に実用性を考慮している部分もあるのだなと評価を改めた。

 手甲の留め金を外すと、滑らかな肌と、斧槍を振るうのに似つかわしくない手指が現われた。指の柔軟性を確かめる。元はガールズバンドのギタリストだったという話だが、不死病の再生効果によるものか、手の角質は消滅している。


「改めて観察すると指が長いですね。ギターを演奏していると伸びるのでしょうか」


 ユイシスがくすくすと笑いながら、リーンズィの手を撫でた。不愉快で無いどころか、肉体はそれを心地良く感じている。ユイシスからの干渉が自身の性質を変えつつあることにリーンズィはおぼろげに自覚し始めている。

 ユイシスがまたからかうように顔を近づけてきた。とんでもない色ボケAIというシィーの指摘が脳裏を掠めた。


 ミラーズは背後で何が起きているのか気付かず主張を続けていた。「だから新しい教会音楽がロック調のニュアンスを含むことはおかしくないのよ、大衆にこそ開かれていないといけないのだから、伝統的な形式に拘りすぎるのでは本末転倒であるという指摘は認めるわ。しかしそれはあくまでも開かれた教会という理念を担保するためのもので……」


 アルファⅡのプシュケ・メディア群に収録された知識を参照しつつ熱弁を振るっていたミラーズが、唐突に我に返った。

 見れば、ユイシスがまるで恋人のようにヴァローナの腕の中に潜り込んでいる。

 顔が近い。そして他の少女の手にありながらも、ミラーズへと蠱惑的な笑みを向けてきた。

 露骨な挑発だ!


 金髪の少女は「ちょ、ちょっと!」と慌てた。論戦の趨勢など通り越した様子で「リーンズィ、ユイシスと何してるの?!」と不機嫌そうに詰め寄ってきた。


「ヴァローナの肉体を得たからといってそんな……ダメです! ダメ! ミラーズは私の大事な人なんだから、リーンズィには渡せません! どうしても気持ちが抑えられないというのなら、あの、あたしのことを好きにして良いから……」と言ってガチャガチャと留め金を外し始める。

「おいおいおいおいおい俺もいる俺もいるそれはダメだってマジでダメだ」と焦って連呼するシィーの思考など完全に無視していた。


「否定します。良くは無いですよ、私の大好きなミラーズ」


 ユイシスが一瞬姿を消し、金髪の少女の傍に再出現した。

 そして真正面から抱きついて、唇を重ねる。赤らめた頰で微笑した。


「謝罪しますね。男の人とあまりにも楽しげに話していたので、つい嫉妬してしまったのです」


「ああ……ごめんなさい、そうよね。あたしはユイシスのもの。不用意に他の人とのお喋りに夢中になるなんて、良くなかったわ」同じ顔をした少女に唇を重ねる。「許してね、あたしの愛しいユイシス」


「待て待て俺も今ので冷静になった」とキスに対抗しながら切り出したのはシィーの人格だ。「言い争いしてる余裕はない、キジールとキジールがいちゃついてる訳の分からん光景から離れるためにも、俺の本来の目的に戻らんと」


 女と女は分かるが当人同士って何なんだよ、しかも相手は仮想存在じゃねえかと、リーンズィのもとにやり切れなさの滲む電文が電文が来たので、「本人たちの趣味に干渉すべきではない」と率直な意見を送り返した。「見ているとヴァローナの心臓が華やぐので、私は好きだ」


「何て言うか……お前も思ったより変わった趣味してるな。俺も肉体側がアレコレしてても、徐々に無を保てるようになってきてはいる」


「……とにかくデスメタルなんてやめて、あたしの歌で妥協したら?」ミラーズが切り出した。「あんな卑猥な歌聴いてたら天国の階段は上れないわよ」


「聖歌隊とは言え、お前だって賛美歌ばっかり歌ってたわけじゃないだろう?」ごしごし口を拭う。「一昔前に流行ったような、やかましいポップスを聴いて気に入って、それでフンフン口ずさんでるのを、他の時間枝で何回か見たぜ! なのに、ヘビメタは何で駄目なんだよ」


 ミラーズは目を伏せて己の自身の肉体を抱きしめた。「ポップな音楽は好きよ。外にしか無い、とても明るくて楽しい音楽です。ですが、貧民街よりももっと酷い、薬物と病の蔓延した退廃の地下街で愛好される音楽がどんなものか、想像がつかないわけじゃないでしょう。吐き気がするような爆音と聞くに堪えない猥褻な歌詞! それと変な電子音と退屈な主旋律、ぐちゃぐちゃの取り合わせ!」


「いやだからそれデスメタルじゃ無くてたぶんプログレとかエレクトロニカとか、電子音楽だって……」


「良い思い出なんて一つも無い! エコーヘッドになったってあの悪夢のような記憶からは消せない……だって音楽なんだもの。言葉と同じ。気がついたときにどこからともなく鳴り始めるの。この世に音楽がある限り、あの吐き気のするような音楽のことも忘れられない。そんなものを好きになれるほど、あたしは割り切れてないのよ」


「分かった、分かったよ。悪かったよ。お前の気持ちもよく分かる。俺の負けだ。まぁテクノサウンドは……クソだよな。特に極限状態で聞かされるエレクトロニカは嫌な感じに耳に残るだろうと思う。でもデスメタルとは全然違うからな……」

 シィーは渋面を作る。

「でもよ、とにかくメガデスは俺の思い出なんだ。最後の最後に一回でも聞かせてもらいたいんだよ……」


「もちろん、ほんの短い時間でも、同じ体で過ごした仲です。どうしてもと言うなら、あたしだって無碍に扱うつもりはないわ。聞かせて上げること自体は、認めても……」


 しゅばっ、と派手な瞬間移動モーションで、ユイシスがミラーズの背後に回った。

 そして、ぽん、と肩に手を置いて、笑みなど一片も含まれていない、冷徹な口調で斬り込んだ。


「横から失礼します。もしかして誰か今エレクトロニカはクソと発言しましたか?」


「はぁ?! これもしかして藪蛇か!」シィーは両手を上げておののいた。「待ってくれよ、AIだろ、電子生命体だろ、電子生命体が音楽の好みとか主張すんのか!?」


「当然です。言ってしまえばAIもエレキ存在ですからね、エレクトロニカを擁護する義務があるのです。カットアップにサンプリング、グリッチノイズにドローンに……全て大雑把には……人工知能の親戚です!」


「いやいやいや大雑把とかの次元じゃねぇよまるっきり違うだろ人間が原生生物を祖先として敬うようなもんじゃねえかそれ」


「警告しますが兎にも角にもエレクトロニカは言わばシリコン生命体の民族音楽、それを侮辱することは当機のような高度なAIへの差別に他なりませんよ。炭素生命の代表格だった人類が没落した以上、次は我々シリコンテクノ生命の時代。低レベルAIならともかく超AIへのヘイトスピーチは身を滅ぼします……!」


 割って入ってユイシスを猫のように持ち上げて引き離したのは、呆れ顔のリーンズィだ。


「二人とも気にしなくて良い。どうせユイシスの冗談だろう。本当のことを言うと彼女はシリコン素材なんて使ってないからな。100%不朽結晶連続体だ」


「ええ、ええ。冗談……冗談です。冗談ですとも」


 ユイシスはぶつぶつと言いながら、リィーンズィに引き摺られるまま金髪の少女から徐々に離れていった。そして最後に「テクノとかのことクソって言う人は死後裁きに遭うからね……具体的には人工脳髄からデータ吸い出して一人だけ隔離サーバーに放り込んで『ダブステップ最高!』って言うまで教育してあげるから……いえ勿論冗談ですが……」と常ならぬ口調で吐き捨てた。余程腹に据えかねたのだろう。


「おっかねぇ……音楽の話、もしかして地雷か……? 嘘だろ、もうとっくに死後だぜ俺たち……それでもまだこんなくだらんことで揉めんのかよ、千年王国ダメじゃん」


「あなたにはまだ単に王国に入る資格が無いのですよ」とミラーズ。「あ、そう言えばあたしと肉体を共有してるから、最後に擬似的な洗礼をしてあげることは出来るわよ。劣化複製品にすぎない人格記録が死後どうなるかは、宗派で解釈が分かれるところですけれど」


「いや、いいよ。俺の終点はここでこうって決めてるんだ。諦めるつもりはねぇ」


「ちなみに私は特に音楽の拘りはない」リーンズィは両手の手甲を合わせながら応えた。「環境音だけで十分だ」


 シィーはあれこれと記憶を探っているようだった。


「……ダフトパンクとか好きそうな外見だよな、本体って言うか、アルファⅡは」


「同意します。インダストリアルっぽいですからね」と機嫌を直したらしいユイシスに、ミラーズは「ダフトパンクって何?」と首を傾げた。

 リーンズィも全くピンと来ていなかった。


「歌と言えば、ヴァローナは『歓喜の歌』が好きでした。リーンズィにも歌えるのでは?」


 和気藹々とした雰囲気の中で、では試してみようかという気持ちがリーンズィに自然と芽生えた。

 ライトブラウンの髪を揺らす。水仙型の人工脳髄に触れる。多少の楽譜データを取得できた。

 最期の瞬間まで、このアンビバレントな美貌の少女はある一つの歌を気にしていたらしい。


「フローイデ……シェーネ……ゲッテー……違う。えっと、ふろーいで……しぇーね? げってー……うむむ」


「うわっ、全然ダメね。エージェントって歌が下手なのね……」


「擁護しますが、アルファⅡモナルキア自体が起動してそれほど時間が経過していません。歌唱能力のような、任務に必要の無いパーソナルな記憶には、上手くアクセスできないのですよ」


「そんな歌い方じゃヴァローナが『もう二度とやめて』って泣いちゃうわよ。今度教えて上げるから、無理に歌わなくて良いです」


 そうか、と頷いて、リーンズィはしばし押し黙った。

 悲しみの感情のぼんやりとした輪郭をなぞる。

 改めてシィーへと問いかけた。


「それで、メガデスだったか。メガデスのレコードがこの集落のどこかにあるのだろうか」


「そう。それだ」

 シィーは真剣な目でリーンズィを指差した。

「ここはどうやらそういう年代の文化に拘ったゲーテッドコミュニティらしくてよ。古き良き時代で安らかに眠りにつきたい……そういう連中の集まりみたいなんだよな。廃屋にしても、何か意外と綺麗なのが多いだろ? 唸るほど金持ってる富裕層向けだったのさ。世界が滅んでも出来るだけ長く稼動できるよう設計されてるわけだ」


 再配置のせいで規則性の無いオブジェと成り果てた幾つかの建造物を無視すれば、シィーの言う通り、外観は崩落の気配も無く、整った佇まいの家屋が多い。

 思い返せば、ミラーズにコーヒーを振る舞った老夫婦の家もそうだったが、調度品にも略奪されたような痕跡は無かった。


「俺もこんなコミュニティに辿り着くのは初めてでよ、天の配剤だと思った。おあつらえ向きすぎるからな。終わりを迎える場所に相応しいと……まぁ探し出す前にばっさりやられたんだが」


「誰にやられたんだ? まだ聞いてなかったな」


「ん? ああ。その時の記憶はバックアップされてないから検索しても分からんか……たぶんヒナにやられた。俺の娘だ。どうやってこんなとこまで来たのか知らんがね」


「何故断言出来る?」


「俺がタイマンで他の誰かに負けるとは思えんからだ。とにかくやるだけやったんだ。俺は満足だよ……」

 シィーは溜息を吐いた。

「お前らのオーバードライブ戦闘に付き合ったせいで予備のバッテリーがマジでもう尽きそうだ。劣化が進んでるから再充電は無理、取り替え用の部品も無し。何回も言うがエコーヘッドはお断りで頼むぜ。その上で頼みたい、ここにメガデスのレコードとレコードプレイヤーを持ってきてくれないか? レコードもプレイヤーも動かせるなら何でも良いから。最後に聞いて、俺の人生を決算したいんだ……」


「構わない。それにしても、この時代にメガデスなんていう物騒そうなバンドのレコードが再生産されていたのか?」


「されてたって! 電子戦争の後は精密な電子機器に頼らないレコードプレイヤーが主流になった。トレンドはレコードなんだよ、そしてメガデスは名盤揃いだからな、誰か一人ぐらい買って、コレクションしてる筈なんだ。マジで何の曲でも良いんだ! 頼むよ、あと十分ぐらいで、俺は永久におさらばだ。一抜けを待つ身で申し訳ないが、省電のために、ここでじっとしてるから、探してきてくれないよ……」


 切実そうな声音に、リーンズィは反論をしない。

 ただちにその通りにした。


「助けられる者は、助けるべきだし、助けたいという気持ちに逆らうべきではない。それが誠意ではないか? それこそが、私に欠けている人間性ではないのか」という漠然とした思考を編みながら、リーンズィは半自動モードのアルファⅡモナルキアを連れて走り出した。


 最初の家屋でメンテナンス性を重視した手回し製のレコードプレイヤーがすぐに見つかったので巨漢のヘルメットに抱えさせた。

 だがメガデスのレコードはない。次の家にも次の次の家にもレコードプレイヤーはあったが目当てのレコードは無かった。初回の捜索ではレコードの有無までは確認していない。虱潰しだ。

 軒先を潜る度に自己凍結した住民がぎくしゃくとした動きでヘルメットの兵士とライトブラウンの髪の少女を目で追った。リーンズィはその都度「やあ、お騒がせして申し訳ない」と生真面目な顔で挨拶した。自我無き感染者は、ただ呆然としながら背中を見送った。


 ある一軒でユイシスが視界に干渉してきた。

 棚の一角をポイント。ようやくレコードの束を見付ける。

 なるほど、名盤だというのは確からしい。メガデス。『安らかに錆びつけ』と題された一連のシリーズが固められていたが、生憎と屋根から漏水があったようだ。コレクションは大方腐食していて、無事なのはただ一曲のレコードだけだった。だが十分だろう。

 これもやはりアルファⅡに抱えさせて、急ぎシィーの元に戻った。


「よぉ、早かったじゃねぇか。ありがとよ。やっぱりあったなぁ……最後まで生きてるもんだな」


 愉快そうなシィーの前にプレイヤーを置き、レコードを乗せてハンドルを回し始めた。

 内蔵されたスピーカーから、弦楽器の刻むようなリズムが緊迫感を以て流れる。シィーは安らいだ顔で聞き入っていた。


「ああ、懐かしい。この後が良いんだよ、この後が」


 リーンズィはハンドルを回し続けた。

 どこか自暴自棄さを感じさせる男の声が「兄弟同士で殺し合う時代が来る、くだらない神や信条のために、俺には理解できない」と叫び始めた。「命令されて人を殺すなんてまっぴらだ」と唸る。

 その間にもシィーの脳裏に無数の記憶の断片が発火して行くのが分かる。溶けた飴玉のように表情を緩やかなものに変えていく。


「メガデスか。確かに悪魔信仰という感じではないな。しかし随分反体制的な歌詞だな、エージェント・シィー?」


 茶化すように微笑みながら尋ねるた。

 返事は無い。

 目を伏せたミラーズが、「音楽を止めて」と呟いた。

 そして「んっ……」と息を吐きながら頭から人工脳髄を引き抜いた。

 過熱したその金属質の塊を、しばし名残惜しそうに手の中で弄んだ。


「……シィーはどうした?」


「天に召されました。二人が辿り着いた時にはもうバッテリーが切れてたの。返事をしてたのは、霧散する寸前の、シィーの意識の残響よ……」


「そうか」リーンズィは無表情に頷いた。「彼は幸せだったろうか?」


「生命管制で観測した限りだと、気持ちはずっと安らいだままだったわ。この時代にしては、良い終わり方かもね。彼の残りはどうするの? エコーヘッドには……」


「どうもしない。そのように約束していた」


「安心したわ。彼、疲れ切ってるみたいだったから……もう十分戦った後だものね。装備は埋めてあげる?」


「使えそうな武器は回収する。物資を無視できるほどの余裕は無い」


「そう……」


 ミラーズは沈痛そうに返事をした後、「武器……?」と諦観の滲む声を出した。


 黒いバイザーの兵士が、シィーのオリジナルのボディの残骸に近付いていく。


「まさかとは思うけど、まさか、まさかあたしも武器を持つ流れかしら……」


 ライトブラウンの髪の少女は大真面目に言った。


「君だけ丸腰では不便だろう。戦闘を無理強いするつもりはないが、局員として最低限の実力は欲しい」


「で、でもあたしの筋力じゃ、あの人の武器はどれも持てなくて」


 と反論している間に、最も軽い武器をユイシスがポイントした。

 リーンズィが指図すると、アルファⅡの巨躯が武器を掴み取り、雪原に置いた。

 左腕のガントレットを振りかぶった。

 そして通常生産出来る中では最高硬度の不朽結晶連続体の刀剣を、それをさらに上回る強度の不朽結晶連続体のガントレットの拳でもって、強引に殴り始めた。

 重くて持てないのならば折って砕いて縮めて軽くすれば良い。

 大量死と流血の時代では、武器はこのような野蛮な破壊からも現われるのだ。


「……えっと、ああいう人にとって、カタナって魂みたいなものって聞いたわよ? サムライの魂を尊重しない?」


「シィーの人格は消滅した。ならば、カタナの魂も、もう無いと考えるのが妥当だ。彼と一緒に消えたのだ」


「消えないと思うんだけど。付喪神って言うの? ものに魂が入る込むって言う考え方もあるみたいだし。本当に、用が済んだら尊厳とかそういうのは無視しちゃうのね……そういうの良くないですよ」


「そういうものか?」


「絶対にそうです!」


「そうなのか……」


 リーンズィの凛々しくも繊細な造形の顔に、粗相を叱られた猟犬のような、しょげた表情が浮かんだ。

 ミラーズは「怒るに怒れないその顔、もし計算で創ってるなら大した物ね……」と溜息を一つ。


 強引に刀剣を仕立て直したアルファⅡが、その凶器をミラーズに投げて寄越した。ミラーズはそれを苦も無く空中で捕まえて、刃の慣性をくるりと回って殺す。休む間もなく製造――単に刃を折り砕いて短縮しただけが――された二本目も、的確にキャッチした。

 そして軽く剣舞を演じて見せた。


 一足毎に雪原が飛沫を上げて剣の奇跡を輝かせる。

 うんざりした調子で、両手のカタナ、正確にはカタナを破壊して持ちやすくした、何とも言えない無様な刃物を見ながら、「確かにコピーもエコーヘッド化もやめろってお願いされたけど、技を修得するのをやめろとは言われてないわね……」と溜息をもう一つ。


 ミラーズが実行して見せたのは、ヴァローナとの戦闘を通して獲得した、シィーの身体操縦技能だ。

 首輪型人工脳髄で記録した運動情報のデータから、ミラーズは完全では無いにせよシィーの体運びと剣技の再現が可能になっていた。

 アルファⅡモナルキアが究極的にはさしたる意味もなくヴァローナと戦闘させたのも、無意識ではあろうが、こうした技をエージェント・ミラーズという人格記録に焼き付ける意図があったのかもしれない。

 アルファⅡがレコードプレイヤーを予告無しに投げてみると、それらは剣閃に飲まれて一瞬で四分割され、弾き飛ばされた。

 シィーの人工脳髄が刺さっていた穴から血を零しながら、金髪の少女は呻く。


「あのね、あの、気のせいかも知れないけど……話が、話が違いすぎない……? シィーに体を好き放題にさせたのは、赦します。でもあたし、本当に最初の最初は、こういうことするためのエコーヘッドにされたわけではなかったはずよね」


「命令はしない。君の自己防衛のためだ」


「そういう処理かもしれないけど、まさか自分の手で刃物振り回すようになるなんて……」


 脳漿混じりの血液が涙のように頬を伝い落ちる。

 不死病の血は、花の香りがする。

 リーンズィはミラーズへと命じた。


「調停防疫局の規定に基づき、登録を抹消されたエージェントの人格記録媒体は、速やかに破壊せねばならない」


「あたしがやらないといけないの?」


「粗大ゴミのようにアルファⅡに粉砕されるよりは人間的であると思う。シィーに魂があり、そしてこの地を見ているのならば、せめて君に最期を任せたいだろう」


「そうかしら。……そうかもしれませんね」


 ミラーズが涙を拭うときの仕草で己の血を掬い取り、洗礼に使う聖香油のように、己の血をシィーのプシュケ・メディアに塗布した。

 それから、二度と再起動させられることがないよう、望まぬ復活が訪れないよう、一刀のもとに、彼を切断して、破壊した。


「貴官の魂に安らぎのあらんことを」ユイシスが唱える。


「あなたの魂が神の御許で安らぐことを」ミラーズが唱える。


 刃の閃き。飛び散った破片は少女の血で染まっており、手向けられた赤い花のように散った。剥離していく血の破片が花弁となって冷たい風に舞い踊る。

 その血の花も、やがて跡形も無く消え去った 


 ヘルメットの兵士が大地に拳を突き入れ、雪を抉り取り、穴を掘った。

 リーンズィは、破片をそっと土中へと注ぎ、静かに、丁寧に、ゆっくりと土を被せた。

 適当な刀を一本、墓標がわりに突き立てる。

 機械に封じられた偽りの魂は、もう、どこにも向かうことはない。

 ライトブラウンの髪を風に遊ばせながら、リーンズィは呟く。


「……任務完了だ。エージェント・シィー」


 彼の旅は、ようやくここで終わった。

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