偽りの再誕

「ヴァローナ! 良かった、目が覚めたのですね!」


 歓喜の声を上げながら抱きついてくるミラーズを受け止め、ライトブラウンの髪の少女は細い眉を顰めて、ヘルメットの兵士を見つめた。

 視線に反応した兵士が腰を落とし、鴉の騎士の肉体と目線を合わせた。

 かつて騎士だった少女は黒い鏡像の世界に移った己自身の姿をただじっと見つめた。


「ああ、ヴァローナ。本当に良かった。もう天に召されてしまったのかと……」


 感極まった様子で口づけをしてくるミラーズを、少女は黙って受け入れる。

 少しの間、髪を撫でられ、首筋を撫でられ、迷子になって迷惑を掛けた直後の猫のように、小さな手に触られてされるがままにしていた。

 しかしミラーズの体が熱を帯び、抱擁が激しくなった段でぴくりと体を震わせた。

 深く口づけされる。肉体から人工脳髄へと送り込まれる感触を検分する。

 それから十分と見て淡い息を吐き、金髪の少女を両手でゆっくりと押し退けた。


「なるほど。全く反応が無い」とライトブラウンの髪の少女は口元を拭った。「異常事態だ」


「ヴァローナ? どうしたの?」


「ヴァローナではない。私はアルファⅡだ。今は親機から隷属化デバイスを通して人格を転写している」 


 鴉面の兵士だった少女の首で、人工脳髄のランプが点滅していた。

 演算したアルファⅡの人格をデバイスに送り込んで、ライトブラウンの髪の少女の肉体に出力しているのだ。

 押し倒さんばかりの勢いのミラーズをそっと体から退かして、ブーツの足先を確かめながら立ち上がる。

 外観上の問題ではあるが、同年代の少女と比較すれば少しばかり長身だ。それでもヘルメットの兵士とは拳で三つほどの差がある。

 軽く手足を動かし、雪の上で何度かジャンプをした。

 これまで使用していた肉体との間にはかなりの体格差があった。しかし動作に全く問題はない。


「も、もっと早く言ってくれれば良いのに! いいえ、肉体がヴァローナのものなら別に構いませんよ。でもこんな気分になってしまったあたしが馬鹿みたいじゃない」


 ミラーズは口直しとばかりにユイシスのアバターと唇を重ねてからリーンズィに追従して立った。


「いや、俺はどうすれば良いんだよ、俺は」 

 酷く困惑しているのはシィーだ。

 頭に突き刺さった人工脳髄と巻き付けられたバッテリーを所在なさげに撫でる。

「俺を演算してる肉体は、どこの誰と何をしてるんだ……」


 ライトブラウンの髪をした聖歌隊の少女は歌うように答える。


「私は調停防衛局に所属するスチーム・ヘッドであるアルファⅡモナルキアのエージェント、アルファⅡ。現在はスヴィトスラーフ聖歌隊のヴァローナの肉体に限定的に模造人格を転写している。君は私と同じく調停防疫局のエージェントであるシィー。現在はスヴィトスラーフ聖歌隊のレーゲント・キジールの肉体上で実行されている。ただし、肉体自体はキジールの中短期記憶を初めとした幾つかの要素から作成されたエコーヘッドである調停防疫局のエージェント・ミラーズによって制御されている。どこの誰と何をしているのか? 私はミラーズと口づけを交わしたのみである。君がどう認識しているかは知らない」


 澄んだ声ですらすらと応える少女に「要するにお前は、こいつなんだな?」とシィーがアルファⅡを指差す。

 少女は曖昧な顔で「こいつなのだろうか……」と首を傾げた。


「そこ疑問に思うところじゃないだろ」


「元より制限を受けている模擬人格の機能をさらに制限して、以前とは全く違う肉体で実行しているため、厳密に同じかと言えばそうではない。……うん、発話にも問題ない。骨格、筋肉量、臓器配置、全てが『こいつ』こと私とは異なるが、この程度の差異なら許容範囲だ」と一人頷く。


 何の気は無しにその場で宙返りをして着地し、格闘戦を想定しているのか素早く虚空に無意味なパンチを打ち出した。

 巨躯の男性から、平均よりも身長が多少高い程度の女性という全く違う肉体に送り込まれたばかりとは思わせない体捌きだ。

 シィーは何といったものかと黙ってしまったが、ミラーズが小さく拍手をした。


「よく動けるわね。調停防疫局の再誕者……スチーム・ヘッドは皆こうなの? 人格記録プシュケと肉体で、最低限体格が合っていないと、まともに歩くこともできないと思うのですが……」


『アルファⅡモナルキアは特殊仕様です。あはは。ああ見えて身軽な機体なのですよ、アルファⅡは。どんな肉体に搭載しても基本的には問題なく動作します。適切に人格記録を組み直せば、アルファⅡはあなたの体にだって今すぐにでも乗り換えられるのです』


「へー、そうなのですね。もう乗っ取られてるけどね、あたし……」


「今後は親機をアルファⅡとして、こちらの肉体をリーンズィと呼称する」


 インバネスコートがひらひらとするのが興味深いのだろう、どこか上の空でリーンズィが告げる。


「筋出力に不安はあるが、体が軽いのは面白い。今後の使用では機動力をもっと重視してみよう」


「ん? 待て待て、閉じ込められてる記憶を引き出すためにミラーリンクを形成したんじゃなかったのかよ」とシィー。「何でそっちの肉体に定住するみたいな話になってるんだ? 故障はしてないんだろ。人工脳髄まで掌握したなら、さっさと再起動をかけちまえよ」


 少女はまた曖昧な表情で頷いた。


「確かに掌握には成功した。人工脳髄が正常に機能していることも確認した。だがポジティブな成果は得られていない……」


「どういうことだ?」


「このスチーム・ヘッドは現在正常に稼働している、人格記録に、アクセス可能なエピソード記憶が殆ど存在しない、と言う点を除いてだが」


 ミラーズが尋ねた。「エピソード記憶とは何でしょうか」


「分かりやすく言えば『思い出』だ。この少女の人工脳髄には、思い出が無い。かつて愛好したらしいロックンロールも、裏切られたという事件での失意も、リリウムと交したであろう愛情の熱も、全く何一つアクセス出来ない。人格記録プシュケを変質させられている。人格というデータを暗号化されている、と言えば分かるだろうか」


「どういうこと? ヴァローナは、プシュケが壊れてしまっているの?」


「不明だ。奇妙なことに、エピソード記憶以外は無事なんだ。ハルバードを持てば先ほど私の……そこのアルファⅡの首を切断したときの動作も再現できる。楽譜があれば綺麗に歌えるだろうし、何事についても、おそらく元の肉体の持ち主と同じことが出来る。だが人工脳髄自体に自律的な主体が存在しないせいで、入力に対しての出力がほぼ無い。おそらく稼働中の人格記録そのものにが、極めて直接的な干渉を受けたのだろう。見当も付かない、どうすれば生きた人格にこんな加工を施せるのか……」


「じゃあヴァローナのプシュケに、ヴァローナの記憶は、もう何一つ無いの!?」

 動揺を隠しきれないミラーズに、シィーが慌てた。

「いやいや、落ち着けよキジール。リリウムだとか、スチーム・ヘッドは全て破壊するとか、物騒なこと言ってただろ。アルファⅡ、いやリーンズィ、全部無いわけじゃないんだろ?」


「あるにはある。極めて断片的な記憶だ。辛うじてアクセス可能な範囲では、どうやら彼女は……リリウムに追放されたらしい」


「リリウムが?! ヴァローナを?!」ミラーズは絶句した。「有り得ません! 二人は姫と騎士のようなもの、恋人どころか花嫁と花嫁みたいな関係だったのよ! ヴァローナはリリウムを愛していたし、リリウムも同じぐらいヴァローナを愛していました。それなのにどうしてヴァローナが追い出されるの!」


「あくまでも断片。ゲシュタルト化されているせいで詳細は分からない。何か重大な事件があったという印象だけがある。そしてこのスチーム・ヘッドはある一点に関してのみ自律的に行動を開始するらしい」


『肯定します。先ほどから数度、サイコ・サージカル・アジャストの起動を確認しています。ヴァローナの人工脳髄は、他のスチーム・ヘッドを破壊するという行動においてのみ自由意志の発露を許可されています。残されているのは殺意だけです』


「ハレルヤハ。それだ」ユイシスのアバターに向かってリーンズィは頷いた。「『殺意』だけがある」


 我々アルファⅡモナルキアならば十分抑制できるレベルだが、と付け加える。


「放逐との因果関係は不明だが、この機体はスチーム・ヘッドと相対した時だけ、殺戮のための技能を読出して、一定の思考能力を取り戻す状態にある。……私としては不安定なスチーム・ヘッドを放置したくない。危険だし、憐れだ。このまま肉体の制御を続けて、私の精神外科的心身適応で強引にでも精神活動を安定させる」


「メディアを壊すって選択肢は無いんだな?」とシィー。


「本人の同意なしでの人格記録媒体の物理破壊は望ましくない。運用しているうちに何かのきっかけで人格記録が復旧するかもしれないし、とりあえず不朽結晶連続体の装甲も手に入るのだから、特に損をすることも無い」


「ねぇ、それで、直せるの? ヴァローナは、元のヴァローナに戻れるの?」


「戻せるなら、戻さないつもりは無い。記憶を破壊されて永遠に戦い続ける……そのような状態は到底認められない。自然治癒的な沈静化という結末が予め切除されているのなら、それは、悪性変異を遂げるよりも尚悪い。出会い頭に『ハレルヤハ』とだけ言って無意味に敵対者の首を刎ねるだけの生命など、我々は認めない。調停防疫局の一員として、彼女の、この不死病患者の力になってやりたいと思う」


 もっとも、暗号化自体が前代未聞であるから、暗号化の解除も前例が無いのだが、とリーンズィは肩を落とした。


「……リリウムならどうだろう。ミラーズ、噂に名高いリリウムの軍勢なら、この少女を仮初にでも直せるか。原初の聖句を精密に行使出来るのであれば、人格記録への干渉もある程度可能だろう」


「あの子の聖句は確かに絶対的だけど、そんな便利には扱えないわ。記憶の改竄……癒しを与えるという程度なら、そうね、何とか……ううん……でも、やっぱり難しいんじゃないかしら……」


 ライトブラウンの髪の少女は首を傾げた。「絶対的だというのに、できないのか」


「データの暗号化って……たぶん、パソコンとかの……なんか……そういうやつでしょう? あの子、あたしと同じぐらい機械や数字に弱いのよ。仮にあたしにもっとすごい力があったとして、その……暗号化の解除? っていうの? それ、あたしにできそう?」


「できなさそう……」リーンズィが若干しょんぼりしながら言った。

「できなさそうだな……」ミラーズの口でシィーも言った。


「でも、ヴォイニッチがまだあの子のそばにいるなら何とかなるかもしれない」


「ヴォイニッチというのは?」


「大主教ヴォイニッチよ。聖句を、えっと……すごく複雑な形で扱うことにかけては最高峰の子です」


「望みはあるのだな。とにかく、これでまたリリウムに会わなければならない理由が増えた」


 リーンズィはライトブランの髪を揺らしながら頷いた。

 そうしてミラーズに無言で歩み寄り、金髪の少女を抱き寄せ、唐突に口づけをした。

 ミラーズは驚いた様子で目を見開き、目を閉じてライトブラウンの髪の少女の胸に手を当てて、しかし抵抗はせず、爪先を立ててリーンズィを受け入れた。

 接吻を楽しんだ後、耳まで赤くして「ヴァローナの舌遣いと丸きり同じね。それだけに何だか切ないわ」と目を伏せた。


「……それで、これに何の意味があるの? ヴァローナは目覚めそう?」


「この行動はほとんどヴァローナの意志だ」とリーンズィは言った。「人間の行動というものは、大部分が無意識的に実行されるもの。私は肉体と彼女の原理原則に由来する非言語的な衝動を、意思決定の主体として代行したにすぎない。しかし、ヴァローナには期待したような情動喚起は無かった……」


「ふうん。じゃあ、あなたの感想は? 楽しかった? 獣欲が湧いてきたりする?」


「快楽はあるのだと思う。よく分からないというのが実感だ」


「ふうん。それが……あなたなのかもね。そうだ、リーンズィ。あなた、笑うときはどんな風なの?」


「何?」

 少女は面食らった。

「笑うとき、どんな風とは?」


「さっきから見てると、意外と表情があるみたいなので、驚いています。ヘルメットの下でも結構色々な顔してたのかなって思ったの。ねぇ、笑ってみせてくれない?」


「笑う……こうか。よく分からない」


 潔癖と退廃が背中合わせになった繊細な顔貌に、自然と笑みが形作られる。

 遙か遠くに雷雲の迫り来る平原に、午睡に適した青空を背にして一人立ち竦んで笑っているような、見るものの心を理屈無しに揺れ動かす、屈託の無い、どこか危うげで、それでいて穏やかな微笑だった。


「あら、中々可愛いじゃない」


「この笑い方もヴァローナに由来するはずだ」


「ヴァローナとは違う笑い方をしてるわよ。あの子が笑うときはもっと、守りたくなる、自分のものにしたくなってしまう、そういう儚げな表情をしていたもの。その笑顔だけでお客が付いてしまうような、ね」


「ふむ……?」リーンズィは首を傾げた。


「そもそもあの子は感情をあんまり仕草や顔に出しませんでしたから。今のあなたみたいに、そうやって不思議そうな顔してるところ、見たことがありませんよ」


「ふむむ……? ヴァローナ由来の行動ではないのか? ともあれ、私には圧倒的に『人間』としての履歴が足りない。この肉体を通して得られるものは多いのだろうな。では、今後は彼女の肉体に間借りして活動を続ける。どうしたものか。本体をエージェント・アルファⅡと呼び続けるのも問題があるように思えてきた。あちらにはあちらで、新しい名前が必要だろうか」


「じゃあ、ろくなヘルメットじゃねえし、タクシーとか鞄持ちとか荷物番で良いんじゃ無いか」とシィーの素っ気ない声。


「私はそんなふうに思われていたのか?」リーンズィは若干ショックそうな顔をした。「ま、まぁその辺りは、そのうちに、適切なところに定まるだろうし、今は放置しておくとしよう。やりにくいところもあるだろうが、今後も宜しく頼む。ユイシス、ミラーズ」


『当機としては可愛い女の子が増えるのは大歓迎です』と言いながら抱きついてくるが、リーンズィ=アルファⅡはさすがに反応に困った様子だった。


「いくらなんでも君とは……」


『問題ありません。貴官には性別がそもそも定まっていないのですから。あはは。貴官の弱点は知り尽くしていますので、楽しみに待っていて下さい』


「楽しみではないし待っていもいない。ところでシィーだが……そうだ、君は何故この廃村に来たのだった? バッテリー切れも間近だろう。情報共有と、戦闘に協力してくれたお礼がしたい。何か出来ることがあれば言って欲しい。我々は君の献身に敬意を表する。何か未練があるのだったか」


「そうかい? 未練っても、まぁ、その、何だ、残ってるのは本当に大したことじゃ無いんだが……いや、ちょっと不謹慎ではあるかもだ。怒らずに聞いてくれるか?」


 リーンズィは「私はまだ『怒り』を覚えたことが無い」と不思議そうに首を傾げた。


 金髪の少女に身を借りたシィーはもじもじとしていたが、やがて意を決して、切り出した。


「レコードを探しに来たんだ。ここは九〇年代の後半の暮らしを再現したゲーテッドコミュニティの跡地なんだよ。前の世界で、俺は仲間を全部失った。もう疲れ果てて、終わっても良いと思って、なら最後に好きだった音楽を聴いて終わりたいと思ってな。高高度核戦争のせいでデジタルプレイヤーもCDも全滅したが、手回しプレイヤーとレコードは生き残った。ここになら目当てのレコードがあると思ったんだ」


「それで、何という楽団のどういう作品だ」


「いやその……ヘヴィメタルのバンドでな。ヴァローナだったか? お前の肉体のオリジナルの方だったらもしかしたら知ってたかも知れない。このご時世じゃ肩身の狭いバンドで……とても調停防疫局のエージェントが聞くような作品じゃないんだが……」


 シィーは少しの間、言うかどうか迷っていたらしい。

 そのうち、観念して呟いた。


「あのな、『メガデス大量死』っていうバンドの曲なんだよ……」

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