大鴉の騎士、ヴァローナ⑤

 ヴァローナが受けたダメージは、通常のスチーム・ヘッドが修復出来る範囲を超えている、というのがアルファⅡの見解だった。


「悪性変異の兆候が無いか調べなければならない」


 不朽結晶連続体のインバネスコートはキジールの行進聖詠服とは異なって装飾が極めて少なく、留め金の位置はすぐに分かった。ミラーズ曰く突撃行進聖詠服なる白兵戦を想定した特殊な装備とのことだった。

 服を開く。キジールと比較して成熟の進んだ滑らかな白い裸身から湯気が立ち上った。

 下着は身につけていないが、胸部だけはコートの側でサポートされているらしい。無傷であるならば、四肢のよく伸びた均整の取れた肉体だったのだろうが、現状は無残の一言に尽きた。

 肋骨を中心に徹底的な破壊を受けた胸部は輸送中に割れてしまった赤いステンドグラスのようだった。パーツがばらけ、あちこちが割れ裂けて変形し、折れた骨が皮膚を突き破って飛び出している。傷口の修復は一向に進まず、繊維質の細かな触手たちも新造された組織も、形成された傍から崩れていき、周囲では破壊を免れた僅かな体組織が変色して微細な痙攣を繰り返している。

 腹部は比較的無事だったが胸骨より下が不自然に陥没していた。粘性の黒ずんだ液体の混じった失禁や下血が一向に収まらないことから、相当程度の重要器官が全く修復されていないままで崩壊を迎え、そのまま放置されていることのは明白だ。ただ血を流すばかりの肉体。生命管制はおそらく生命活動を維持するだけで手一杯だ。

 

 死んでいないだけで、死んでいるのと大差がない。

 あまりにも痛々しい姿にミラーズは悲しげな表情を浮かべた。

 対してアルファⅡの声に現われたのは危機感だ。


「……本格的な変異まであと数歩、というところか。再生を起こそうにも、基準となる恒常性自体が不全を起こしている」


 シィーが頷く。「俺も同感だな。何時間も持たないぜ、これは」


 その感染した肉体からは、明確に恒常性が損なわれていた。

 不死病に侵された肉体は、欠けたところの無い状態を一つの基準点とし、その状態を維持するために再生を行う。不死の時代ではこれを『恒常性』と称する。人間が死ぬことが出来た時代にも生体恒常性ホメオスタシスという語句はあったが定義が変質して久しい。

 多少の欠損ならばこの恒常性に沿って自然に回復するが、短時間に何度も大きく健康が損なわれ、なおかつ再生を阻害されると、肉体は目指すべき回帰点をしばしば見失い、やがて再生能力を暴走させ、誤った方向への、応急処置的で出鱈目な修復を始めてしまう。


 待っているのは悪性変異という最悪の結末である。


 外部からコントロールすれば悪性変異は抑制可能で、戦闘用スチーム・ヘッドならば基本的には専用の装置を体のどこかに取り付けている。ヴァローナの場合は機器はコートの下を通って頸椎に埋め込まれているようだったが、発電機であるところの蒸気機関は機能を停止している。かなり小規模で、正常に作動していても現状においては発電量が十分かは怪しいところだった。

 額の人工脳髄は鴉面のマスクの内側に設けられた接点から充電する仕組みで、発電自体はインバネスコートのあちこちに編み込まれた装飾を兼ねた金糸、摩擦発電繊維に頼っているらしい。予想される発電量から人工脳髄に備えられた機能を逆算するが、キジールの人工脳髄がそうであったように、さほど大したものではない。

 ヴァローナの戦闘能力を目の当たりにしているため、疑いようが無いのだが、オーバードライブを用いた高速戦闘など本来は不可能な構成に思えた。


 ともあれ、彼女の肉体の損傷について検討するのが急務だった。

 ユイシスの解析も、アルファⅡの予測と大凡一致していた。


『悪性変異進行率、70%と推定。通常ならば、彼女の肉体は劇的な再生を進めているはずです。しかし、再生の兆候が見られないため、生命管制全般が破綻を迎えたことは疑う余地がありません。彼女に備わった能力だけでこのレベルの身体破損を補うのはもはや不可能でしょう。人工脳髄内部のバッテリーが尽きるまでは現状は維持されると予想されます。ただし、処置を行わない場合、悪性変異の発生は不可避です』


「やはり隷属化デバイスを使うしかないか」


 アルファⅡはガントレットから首輪型の金具を新たに取り外した。

 ミラーズの装着しているものと合わせて三つが用意された支援装備だ。

 特殊な人工脳髄としての側面も確かにあるが、大容量の追加バッテリーとしての性質も持つ。さらにユイシスの機能を割譲すれば、悪性変異を抑制しながら身体再構成のための大がかりな演算を行える。

 ヴァローナなる壊れかけのスチーム・ヘッドへの使用は適切だろう。

 

 だが、ミラーズは形の良い眉を不快そうにひそめた。


「リーンズィ? ヴァローナまで、あたしみたいなエコーヘッドにする気なの?」


「その意図が全く無いとは言わない。彼女の聖詠服の防御と近接戦闘技能は我々の助けになる。強固では無いにせよ通常火器を徹さない前衛が欲しい。だが、このデバイスはそれほど気安く使えるものではない。そもそも再起動した彼女を説得し、協力を取り付けられるようであれば、エコーヘッド化の必要など無い」


 ミラーズは胸を撫で下ろし、シィーは「胸に触ることに抵抗を持ってくれ……」と呻いた。


「ええ、説得するというのなら、私も手伝います。話の分からない子じゃないわ。誤解か故障か知らないけれど、きっと受け入れてくれるでしょう」


「そうなるのが最良の展開だ。今はただ、悪性変異を防ぐために、これを使う」


「……でも、それ付けると、相手の人工脳髄の機能を制限できるのよね?」

 胡散臭いものを見る表情で金髪の少女が溜息を吐く。

「さっきの、あのものすごく速くなるやつを使って、よく分かりました。あたしみたいなどんくさい人格が、その首輪を経由するだけで、シィーよりも上の権限を持っちゃうんだもの。相手を言いなりにするなんて、わけないんでしょ?」


「否定はしない。どうであれ安全な形で再起動するには最適だ。それに、もしも反抗的な態度を取り続けるならば、エコーヘッドにはしないにせよ、コントロールを奪取し、何故我々を襲ったのかを供述させるべきだろう」

 黒いバイザーが森林地帯の沈黙を見渡す。

「常識では考えられない地形変動だ。彼女自身、大規模な再配置に巻き込まれた後だとも推測できる。『時の欠片に触れた者』とやらの情報が掴めるかも知れない。ここまでの私の意見について、全てのエージェントに対し、異論があれば発言を認める」


 頷きながらシィーが「こっちもいきなり斬り掛かられたわけだから、俺もやり過ぎとは思わん。あっちも首輪付けられても文句言えねぇさ」と肩を竦め、同じ口でミラーズが「あたしは賛成しないわ。反対も出来ないけど……」と溜息をつく。


『賛成や反対を気にする必要性はありません、ミラーズ。最初から多数決ではないのですから』


「……リーンズィ、あなたは気にしないかもしれませんが、結果を問わないなら形式上の手続きはむしろ省略するべきです。それは信頼を踏みにじる行為ですから」


 真っ暗なバイザーが上下に揺れた。


「善処する。人間性については君やシィーを参照するべきなのだろうな」


『当機を手本にしても良いのですよ』


「お前を手本にしたらこの世から倫理が消えちまうよ」言ってからシィーは少女の声で笑った。「そんなもん、もう消えてるか」


 アルファⅡは首輪型人工脳髄を取り付けて手早く起動させる。

 あちこちに直接触れて肉体の状態をスキャンし、統合支援AIユイシスへと身体イメージを取り込んでいく。

 必要なのは内側よりは、体、つまり外側の情報だった。

 人間の臓器の配置は外観からおおまかに推測できる。

 永劫に不滅であることを強制されている不死病患者の臓器なら尚更だ。

 あるべき姿を測定し、十分なデータを取得したと判断した段階で、首輪型人工脳髄に備わった電力と計算資源を惜しみなく投じ、緊急再生処置を実行した。

 ヴァローナが雷に打たれたかのように目を見開いてのたうち回ったのは短時間のことだ。

 オーバードライブに準ずる高速重点再生で、正常な状態の循環器系が周辺組織ごと新造され、潰されていた胸骨や乳房が心臓や肋骨の再生に巻き込まれて美しい形状を取り戻していく。胸郭が膨らむ。呼吸と血液の循環を再開させる。生産させた幹細胞を四肢の末端にまで送り届ける。

 上下から排出される血液の色味がどんどん鮮やかなものになってきた。

 我が子の一人とまで呼んだヴァローナに思うところがあったのだろう、徐々に肌色が良くなり始めた裸体をミラーズがコートの前を被せることで隠した。

 再生が正常に進んでいることを確認するために外観の情報は欲しかったが、アルファⅡはミラーズの精神安定を優先した。

 娘とまで呼ぶ個体が相手なのだ。当然の行動だろうとアルファⅡはおぼろげに想像する。

 首輪型人工脳髄で身体情報を取得しながら、引き続き基礎となる部分の再形成を推し進め、それを終えた後は肉体に備わった再生能力を促進させるに留めた。

 程なくして再生の全行程が終了した。


 問題は、直後に訪れた。


「……何故起動しない?」


 ヴァローナは薄く目を開いたままぴくりとも動かなかった。

 損傷は跡形も無い。脈拍は正常。体温は平熱程度。瞳孔の対光反応も確認できている。

 刺激を与えると反応はするのだが、通常の感染者のそれを逸脱していない。


 人工脳髄本体のバッテリー切れが疑われたが、突撃聖詠服を直してマスクを被せても無反応だ。手足を外側から動かして服に縫い込まれた摩擦発電繊維を刺激し、人工脳髄自体を刺激しても変化が見られない。

 役に立ちそうも無く、表情の変化などの人格演算の手がかりまで全く分からなくなるため、結局マスクは取り払った。

 中性的な美貌も相俟って少女はいっそ最初からの命のない人形と言われた方が適切な有様だった。


「まさかリーンズィ、ヴァローナのプシュケを壊したんじゃないでしょうね?」


「手順は適切だったはずだ。制圧してスタンさせる寸前までは意識活動の兆候が見られた。あれしきで急に人工脳髄や人格記録媒体が損傷すると考えられない。しかし、大主教リリウムだったか、重要人物の護衛役と言うならば、安定性は高く設計されているのではないか。もう疑似人格の演算が再開しても良いというのに……」


「リリウム」と、目の焦点を合わさぬままヴァローナが復唱した。


「再起動したのか」

 アルファⅡは頷いた。

「君はスヴィトスラーフ聖歌隊のヴァローナだな。私はエージェント・アルファⅡ、調停防疫局だ。今回の武力衝突については不幸な事故だった。我々はこの病の時代を収めるという点で共闘できるはずだ。ここはどうか鉾を収めて……」


 返事をしない。

 ヴァローナはほんの一時だけ周囲を見渡して誰かを探していたようだったが、また動きを止めてしまった。


「どういうことだ? 何故動いて、何故止まった?」


「ええと、ヴァローナが動き始めたのは、リーンズィ、あなたがリリウムの……」


「リリウム……どこに……?」と、ヴァローナが復唱した。また誰かを探すような素振りをしている。「どうして僕を……」また動きを止めた。


「……リリウムの名前を出した時に反応してるみたいね」


 再び動き出すライトブラウンの髪の少女を見下ろして、ミラーズは沈痛な面持ちで少女の頬を撫でた。


「元々こういう人格だったのか?」


「どちらかというと気取り屋で、難しいところの子だったけど、特定の人にだけ返事をする……なんて性格じゃなかったわ。私の可愛い娘の一人。思い出さない日なんて無かったぐらいにね。断言するけどこれは普通の状態じゃない。元々ガールズバンドのギター兼ボーカルだったぐらいには活発だったのよ」


「ガールズバンドのギター兼ボーカル」


 アルファⅡが復唱した。


『ミラーズ、彼女はスヴィトスラーフ聖歌隊では無いのですか?』


「産まれながらにして聖歌隊の一員という子は少ないんですよ、ユイシス。音楽業界で破滅させられて、そこをリリウムに助けられて、才能を見出されて聖歌隊に入ったというふうに聞いてるわ。ああ、これまでの経緯を聞くのはタブーみたいなところがあるから、私も込み入ったことまでは知らないし、いちいち覚えていませんし、覚えていたとしても、あなたたちには教えません」


「記憶。そうか、おそらくこの肉体は記憶の読出しに失敗してるんだな……ユイシス、ミラーリング回路を形成しろ。肉体に情動刺激を与えて、人工脳髄に記憶の読み出しを促す」


『形成開始。形成完了。情動パターンを無作為に入力します』

 少女は殆ど身動きを示さない。

『検証を完了しました』


「何を完了したんだ?」


『再報告。全工程をです』


「ありえない。人格記録装填済みの人工脳髄なのだから、情動に対して何らかのリアクションが無ければおかしい。ユイシス、ミラーリンクのレベルを上げよう。こちらから干渉して、能動的に人工脳髄を刺激する」


『要請を受諾しました。自己同一性確保のため、現在視聴中の筐体は半自動モードに移行します。開始まで3,2,1……』


「上手くいくと良いんだが……」


 首輪型人工脳髄がカチカチと点滅を始めた。

 数秒の間を置いて、ライトブランの髪の少女が何度か瞼を瞬かせた。

 無表情のままむくりと上体を起こした。

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