大鴉の騎士、ヴァローナ④
どるん、と廃村の静寂をエンジン音が切り裂いた。
途端、空気に闘争の気配が満ちた。
ミラーズはシィーの歩法で即座にアルファⅡの背後に回り、その兵士の体を盾にした。
アルファⅡは弾薬ポーチからショットシェルを拾って握りしめた。
どるん、どるんと蒸気機関をアイドリングしながら、再起動した鴉面の兵士がゆっくりと立ち上がった。
おそらく臓器の殆どが破壊されたままだ。
神経系の再生も完全ではあるまい。
戦闘に必要な箇所を応急処置した程度だろう。
立っていられるのは奇跡に近い。
それでも、がくがくと激しく痙攣する腕が、ぎゅっと握りこぶしを作るのが見えた。
「
「聞こえるか、聖歌隊のスチーム・ヘッド。我々に敵対の意思は無い。君の回復を待ち、平和的な解決を望む。それとも、話し合いで解決できない問題があるのか?」
「……リ、リウム」
鴉面がゴボゴボと血を吐きながら返事をした。
神経質そうな少女の声。
「壊さないと……スチーム・ヘッドは全部、全部壊さないと……」
「会話が成立していない。まず君が壊れているぞ、聖歌隊のスチーム・ヘッド。君は混乱している。今すぐ降伏すれば、修復に対し協力を……」
『目標のオーバードライブを確認しました』
旋風が巻き起こるや否や鴉面の少女の姿が一瞬で消え、いつのまにやら先ほどの戦闘でミラーズに捨てられてしまった斧槍を拾い上げている。
そうしてこちらに踏み込もうとして――そのあたりでオーバードライブが停止したのを、対抗して知覚野を加速させていたアルファⅡは補足していた。
鴉面の少女の腰に取り付けられた蒸気機関からは奇怪な音が漏れている。
燃焼に不具合が生じているのか、少女の側で操縦が上手くいっていないか。いずれにせよ正常な動作状態ではないのだろう。
悪性変異の抑制にどの程度処理能力を割いているのか不明だが、ユイシスが鴉面の騎士に『悪性変異隠蔽の可能性あり』のタグを付け加える。
脅威度を意図的に上昇させることで、悪性変異体と戦闘時のみ使用可能とされる高倍率オーバードライブを解除。
黒い鏡面世界のバイザーの下で、二連二対のレンズが赤く発光を始める。
アルファⅡは左腕のガントレットのタイプライター型入力装置に右手を伸ばし、世界生命終局時計管制装置に解除コードを打ち込んだ。
次に敵の姿が霞んだその瞬間に、アルファⅡもオーバードライブを起動した。
斧槍を構えて駆ける黒い鴉は、標準的なオーバードライブを遙かに凌駕する倍率で加速したヘルメットの兵士からは、殆ど止まっているように見えた。
『打撃ならば通じる、ということはシィーの戦闘記録からも改めて読み取れている。ならばこちらから行動する必要もない。破壊は、彼女自身の運動エネルギーに任せる』
速度で勝っているならば、向かってくる相手に合わせて、冷静に拳を突き出すだけで事足りる。
斧槍をゆっくりと掻い潜りながら、カウンターを取る形で相手の水月のあたりにガントレットの掌を当てて、足腰を落とし、耐衝撃姿勢を取った。
オーバードライブが通常倍率にまで低下。引き延ばされた爆音がゆっくりと大気を揺らす。攻勢を仕掛けた鴉面の少女の質量と全ての運動エネルギーが少女自身を貫いた。臓腑を全壊させるに足る致命の一撃。
敵の体が力を失ったのを確認して、足払いをかけ、斧槍を取り上げて遠くに投げ捨てる。
鈍化した時間の中で、そのまま少女の腹を抱えて、突進と衝突、両方のエネルギーを削ぐために一緒に後方へ飛んだ。
オーバードライブ解除。腕の中の少女を離さないようしながら雪原に滑り、衝撃を殺す。
制御を失った蒸気機関が異常動作を始め、最後の黒煙を吐き出して、完全停止した。
改めて雪の上に横たえてあちこちに触れ、状態を確認する。
やはりと言うべきか、聖詠服の下にあるべき肉の感触が無い。自発呼吸も無い。この短時間で複数回、周辺の構造ごと徹底的に破壊された心臓は、外部からの補助抜きでは暫く再生しないだろう。また、目に見える範囲でも脚関節などはオーバードライブ停止と同時に砕けており、本物の鴉のように逆側に曲がってしまっている。
「りりう、む……」
声が漏れた。
まともに機能していないはずの肺から呼気を絞り出し、少女は恋人の名前でも呼ぶかのように譫言を繰り返している。
「りりうむ……僕が、ぼ、くが……守……らない……と……」
「まだ意識があるのか」
黒い鏡面が鴉面の覗き穴から内部の目玉を確認した。
「降伏するなら、二度瞬きをするように。悪いようにはしないと約束する。君の全ての権利を尊重しよう」
翡翠色の瞳は不規則に揺れるばかりで、望んだような反応を示さない。
視界もはっきりしていない様子だが、アルファⅡを補足したと思われる瞬間が度々あった。
それが分かるのは、強い敵愾心が度々その目に仄暗い光を灯らせるからだ。
「こ……わす……敵は……ぜん、全部……」
「敵対の意志ありと見做す。確実にスタンさせなければ危険だ」
ショットシェルを左手のガントレットに乗せた。
鴉面の側頭部に、弾薬ごとガントレットを押し当てる。
その状態でスタンガンを起動させた。電流が流れるのと同時にガントレットと鴉面の間でショットシェルが撃発した。
ガントレット越しにも相応の衝撃。 装甲の薄い少女の面頬の内側では、頭蓋骨骨折は無いにせよ、ひとまず衝撃が脳を攪拌して機能停止に追い込んだはずだ。
もう一度覗き穴から内部を確認すると、目は開かれたままだが、意識があるようには見えなかった。
「ミラーズ、彼女のマスクを外すのを手伝ってくれ。悪性変異が進んでいないか確認したい」
「そのゴツい手甲だと細かい動きは難しそうだものね。いいでしょう。ちょっと頭を持ち上げておいてもらえる? 留め金が後頭部の辺りにあると思うから」
「了解した」
アルファⅡが言われたとおりにすると、鴉面の首筋をだくだくと血が伝った。
ミラーズは、鴉面の少女の傍にかがみ込み、両手を支えにして腰を下ろして、横座りの姿勢を作り、少女の首を己の膝の上に載せた。
我が子の髪を整えるような調子で留め金を外し、マスクを剥いで素顔を晒した。
「ヴァローナ、安心して。もう怖いことはしませんよ」と囁き、血に濡れた目鼻と口元をそっと拭う。
ショートボブで切り揃えられたライトブラウンの髪が、琥珀の砂漠の流砂のように重力に従い零れ落ちる。額の右側を飾る水仙の花は人工脳髄だろう。血の汚濁を取り除いてみれば、斧槍を振るう蛮勇さからはかけ離れた、繊細な顔立ちの少女だった。
一見して鋭い印象のある虚ろな翡翠の目元に思慮深げな憂鬱の影が落ちているのは、意識が不明瞭であることに起因するものではなく、おそらく生来の特徴であった。
余分を削ぎ落とした潔癖で快活そうな顔の作りとは裏腹に、淡く色づいた唇から浅く呼吸を繰り返す姿は、暮れ泥む深窓で古典小説を読み耽るような気弱さを湛えており、どこか思い詰めた儚さが息づいている。
この年代に特有の、陰りある愁眉。見る者の征服欲と庇護欲を煽る危険な艶めかしさを漂わせていた。
おおよそ恵まれた顔貌をしていたが、その美しさは内気な少年にも勝ち気な少女にも見える。ある種のアンヴィバレントの上に成り立っていた。
「聖歌隊ってのは、美人しかスチーム・ヘッドになれないんだよな?」
溜息を吐きながらシィーが問う。
「レーゲントはあなたたちで言う指揮官の立場よ。スチーム・ヘッドを指す言葉は、再誕者ね。だいたいの再誕者はレーゲントだから、あながち間違った認識でもないけど。それはそれとして、再誕者は神に選ばれ、神に身を捧げ、新しい命を授けられた者、神の吐息そのものです。美しい姿をしているのは当然のことでしょう」
ミラーズは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「なんてね。半分は嘘。レーゲントになるのは、原初の聖句を扱えて、しかも信徒から人気のあった子なの。ちょっとした資産家を破産させてしまうぐらいにね。でもヴァローナはちょっと違うの。見ての通り綺麗な子だから、死ぬ前から何人か大きい信徒がついてたけど、本人は熱心じゃ無かったし、信心深くもなかったし、集金も乗り気じゃなかった。原初の聖句もあってないようなものだったし。どちらかというと執心していたのは、リリウムの方」
「キジール、つまりこいつは大主教リリウムを崇拝してたってことか? それともリリウムに重用されてたのか?」
「両方かしらね。ヴァローナが信じていたのはリリウムで、リリウムが一番信頼してたのがヴァローナなの。だからリリウムが大主教になった時、護衛役として一緒に再誕者にされたわけ」
リリウムの名前に反応したのか、ライトブランの髪の下で翡翠色の瞳が寸時揺れた。
だが何も出来ない。反応出来るだけでも信じられないことだ。こふ、と小さく呼気が漏れ出て、口元を血が伝い落ちた。
ミラーズはかつて自分がヴァローナと名付けた少女を抱き起こして、額に口づけした。
そしてゆっくりと唇を重ねて、繰り返し繰り返し啄むようにしてキスをした。
口腔に溜まった血を吸い上げて、舌裏に溜まった血までこそいで舐め取った。
最後には母猫のように首筋まで桃色の舌を這わせ、丁寧に血の汚れを落とした。
もう一度だけ額に口づけをして、気を失ったままのヴァローナの髪を愛しげに撫でた。
ミラーズの中で黙って事の成り行きを見守っていたシィーが「あのよ、俺もいるんだけどさ……」と動揺した様子で声を出すと、「え? 何も変なことはしていないでしょう?」と金髪の少女はきょとんとした顔で首を傾げた。
「聖歌隊でヴァローナの面倒を見ていたのはあたしよ。つまり私の娘や妹のようなものということです。こうして世話をして綺麗にしてあげるのは普通のことでしょう」
「だからよ、俺みたいな、他のやつのメディア刺さった状態で、なんて言うのか……」
「この子も嫌がると思うから、あなたに感覚は伝わらないようにカットしていた思うけど」
「いや、ひと目がある場所じゃ普通やらないよなって……」
「普通のことでしょ? 親しい間柄なら誰でもすると思うけど。私たちもよくしていますよね、ユイシス?」
『肯定します。普通のことです、ミラーズ』
ユイシスのアバターがふわふわと近寄ってきて、ミラーズと自然に口づけを交わした。
「ウワーッ!」とユイシスから顔を背けてシィーは瞠目した。「普通?! 普通って何だ?!」
金髪の少女の目を使って、唯一援軍になりそうなヘルメットの兵士へ問いかける。
「な、なぁ、これ俺の価値観が古いのか……? そういう時代になったのか……? あとマジで疑問なんだが何でこいつらおんなじ顔同士でイチャイチャしてるんだ……?」
アルファⅡはユイシスからスヴィトスラーフ聖歌隊に対しての分析ログを受取り、表層だけを読み込んだ。
「我々の見解だと彼女たちの観念で言う『親しい間柄』は、前世紀的な価値観だと交配のパートナーを指す。スヴィトスラーフ聖歌隊は極めて狭い、狂信的なコミュニティを前身に置いた組織だ。おそらく連帯の基盤に少なからず反道徳的な要素を有している。これは、彼女たちにとってはまさに普通だ。ただ社会通念上の普通とは異なると予想される」
「そうか、対外工作だけじゃなくて、マジで身内の間でもこんなことしてたのか……そこまでとは思ってなかった……」
「何で二人ともあたしたちが変みたいな言い方をするの。聖書にも書かれているでしょう? ええと、『怨敵を接吻をして歓待しなさい、しかし愛する者に痛みを与える方がまことなり。況んや愛する者への接吻はなお真実に近い』……あれっ、聖書ライブラリにそんな文言無いわね」
ミラーズは神妙な顔で頷いた。
「あんまりこの部分疑ったこと無かったんだけど、もしかしてキリスト教にそんな教えは無い……? ここカルト要素だったんだ……」
「それで、キジールの顔で、キジールの顔したやつとコトに及んでるのは、何なんだよ……」
ミラーズがボッと顔を赤くした。
「それはその……あたしの趣味よ。あんまりあたしの口から言わせないで、自分が世界で一番可愛いと思ってる人みたいになるから……」
『いいえ、ミラーズは世界でもかなり可愛い方ですよ』
きゃいきゃいと騒ぐ二人の間でシィーは禅僧状態になっていた。
考えること自体を放棄したらしい。正しい判断だとアルファⅡは感心した。愛なるものを理解しようとするのは無意味である、というのは全く同意見だからだ。
それらは、ただ、在って在るものである。
「さて、戦闘後のウォームダウンはそこまでだ」
アルファⅡが命じると二人して同時に口を閉ざした。
不意に糸を切られた操り人形のように全ての表情を失った。
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