大鴉の騎士、ヴァローナ①

 ミラーズは居住まいを正した。


「いくつか例を挙げたが、デジャヴが起こったら基本的には警戒だな。さっき見た猫を、また同じような場所で見る、とかだ。スチーム・ヘッドにデジャヴは起こらんから、それは実際に隣接した場所で何らかの改変が行われた痕跡と見て間違いない。天体観測はあんまり役に立たないから忘れろ。ただ、天気がおかしいとか、夜がずっと明けないとか、そういうのあからさまなのは、兆候としてはかなりヤバい。一番悪いのはそれを観測して、異常だと認識した瞬間だな。そうすると情報負荷に耐えきれなくなった生体脳が再配置に適応を起こして、一気に影響が出る」


「影響とは?」


「まぁ、いきなり地形が変わるぐらいのことは有り得るな」


 廃村の北側にある家屋から突如火の手が上がった。建材がガラガラと音を立てて崩れ、火達磨になった感染者が奇声を上げながら瓦礫から這い出てきた。


 シィーは反射的に刀を探したようだが拘束服のようなドレスに阻まれて転倒した。

 刀は元々使っていたボディの周辺に散乱していて、掴めそうな武器は手の届く位置に一つもない。

 黒い鏡面世界の内側で、アルファⅡは目玉を頻りに動かした。二連二対の不朽結晶のレンズが黄色く発光を始める。

 猟銃を右手に持ち、銃身をガントレットの左手で掴んで、構える。

 銃口をあちこちに向けるが何を狙えば良いのか即座には判断できなかった。

 変容は目まぐるしく進行した。次々に家屋が倒壊しては元に戻った。あるいは見上げるような塔に変わり、早贄のように感染者を枝に突き刺した樹木に変わった。藻掻いている感染者は、家にいた感染者よりも明らかに多い。

 樹木は青い炎に包まれて見る間に灰になり、雪原に落ちて消滅し、雪原からは無数の人型の肉塊が芽生えて成長し元の感染者へと再生した。

 雪原はいつのまにか灰の海と化して水気を含んだ泥濘に代わり蒸発して荒れ果てて埃の舞う土に変じて節の付き方が珍奇な奇怪な葦が地面から生えてきたが、それらは新たに地面を突き破ってきた生えてきた瑞々しい枯れ木に舞い上げられて散らばった。

 存在しない何者かへと負債でも返済するかのように太陽光が消滅する。また現われる。世界が痙攣しながら瞬きをしているかのようだった。昼が夜になり夜が昼になる。そのたびに雪は溶け山は崩れ森林は深さを増す。

 全てが成長して真っ黒な森林地帯を前方に新たに形成していく。

 遙か遠方に影が現われる。

 黒い影が。

 黒い影が立っている。

 世界が暗転するたびに影が近づいてくる……。


「『再配置グラフト』だ!」

 シィーが警告した。

「俺たち再配置に巻き込まれてるぞ!」


「言い忘れていたが……実は我々が到着してそろそろ六時間ほどになる。とっくに日が傾いても良い時間だったのに、太陽の位置がほとんど変わらない」


「そいつはモロに再配置が起こる前兆だぜ!」

 少女の体でばたばたと暴れながらシィーが叫んだ。

「手遅れだが、そういう説明の付かないものごとが起こったらすぐに離れるか、隠れるかしろ!」


 行進聖詠服の一番下の釦を外そうと躍起になっているようだが、記憶と位置が異なるのか上手くいっていない。


「最っ悪! どさくさに紛れて何してるのよ! このままじゃ不味い! 何が起こるか分からないんだよ! キジール、あんたの服は一応、一番下の留め金さえ外せば、走ったり飛んだり、あとなんだ、まぁ良い、そういうことも出来るようになってるよな! どうしてそれを知ってるの?! ま、まさか本当に違う世界であたしと……何でも良いから! どうでもいいだろここのあんたにとっては! で、どの装飾に偽装されてるんだ?! たまにパターン違うから困るんだよ! 下着丸出しになるとかの文句は後だ後、恥やら外面は生き延びてからにしろ! 何回も何回もお前を壊されたくないんだよ!」


 最初は黒い点のようだった影が、輪郭をなぞれる程度には克明になり始めた。

 影は一歩も動いてはいない。

 だがその影が属する世界自体が、近づいてきている。

 世界が暗転するたびに、背にした黒々とした森林と一緒に津波のように迫ってくる。

 影は長柄の権杖を携えており、昼間が訪れるたびに、銀色に一度だけ輝く。

 ……また暗転する。


 影が近づく……権杖の先端には十字架の意匠があり、先端は研がれて鋭く尖り、片方は三日月のように膨らみ、もう片方は猛禽の鉤爪の似て歪んでいる。

 分厚い刃。斧槍だ。

 敵を断ち割るための。


「聖歌隊のスチーム・ヘッドだ……聖歌隊は先制攻撃を良しとするのか?」


「普通は無いわ! あたしたち平和主義者だったんだから!」じたばたしているミラーズが同じ口で罵る。「普通の話をしてどうすんだよ! 状況がもう普通じゃないだろうがよ!?」


「ミラーズ、意思決定の優越に基づき、命令する。エージェント・シィーの指揮下に入れ」


「はい」


 金髪の少女は無感情な声で返事をして、自分自身の手で行進聖詠服の留め金を外し始めた。

 ショーツが露出することなど微塵も気にしていない様子だった。

 下半身の拘束を解かれたシィーは跳ね起きた。


 それから「身体を間借りしておいて何だが、あんまり良い気持ちはしないな」と零した。


「二人とも、あの機体に見覚えはあるか?」


「聖歌隊っぽいが……えらく地味な服だな。……シィーは黙ってて! あの武器はヴァローナ。大主教リリウムの使徒、ヴァローナです! いったいどうして彼女がこんなところに……!」


『知っているのですか、ミラーズ!』とユイシスが金髪の少女同士で頬を合わせた。 


「あたしが名付けたんだもの、当然覚えています」ユイシスにすり寄りながらミラーズが応える。「我が仔ヴァータには及びませんが、リリウムの使徒の中では腕の立つ娘です。注意して……じゃれ合うのはそこまでにしてくれ、聖歌隊の機体でも戦闘用ならそれなりに不味いぞ!」


 シィーが少女の身体を操って己の残骸のもとへと駆けた。

 刀を持ち上げようとするが筋出力がまるで足りない。


「くそっ、やっぱり持ち上がらんか。おいアルファⅡ! あたしもユイシスもアルファⅡです。ちゃんと分けて呼ばないよ分からないわよ。ああくそっ、リーンズィ! 俺は今、オーバードライブ出来るのか?!」


「可能だ。首輪型人工脳髄のバッテリーで三秒を保証する」


「出来ないのと同じじゃねえか!」


 また暗転する。

 影が近づく……それは鴉に似ている。

 黒装束の兵士で、中世に疫病の街を徘徊していた医師じみた、鴉の意匠の仮面を被っている。鴉の黒い両目がじっと見つめている。暗転する。

 影が近づく……インバネスコートの下、二本の腕には金属質のガントレット。

 唯一縋るものとでも言うように十字架の斧槍を握りしめている。

 暗転する。

 影が近づく……。


 血に濡れた鴉は「ハレルヤハ」と涼やかな少女の声で鳴いた。

 ユイシスが『不朽結晶連続体』のタグを兵士の全身に付与する。

 暗転する。影が近づく……。


 世界を揺るがすような重苦しい機関始動音が轟いた。


『未確認スチーム・ヘッド、オーバードライブに突入しました』


 世界がまばたきをするよりも速く、漆黒の鳶外套は枯れ果てた大地を蹴った。

 雪原に飛び込んで雪花の飛沫を上げて黒い翼のようなマントを広げて突撃してくる。

 骨肉を削がれてよろめく亡者じみて左右に奇妙に揺れる走り方は、暴風に乗って滑空する大鷲のようにも見えた。

 ほぼ同時に、アルファⅡも同倍率のオーバードライブに突入していた。

 加速した視界で猟銃を放つ。


 一射目はよろめくような軌道に幻惑されて外れ、完璧に修正を加えた二射目は命中したが、不朽結晶の突撃行進聖詠服に阻まれて終わった。

 衝撃で姿勢を揺るがすことさえ出来なかった。

 敵の接近が速い。再装填と照準の時間が惜しい。

 左手のガントレットを猟銃から離し、弾薬ポーチのショットシェルを掴み取る。

 己の胴体と猟銃を盾にして、背後のミラーズや心臓に流れ弾が飛ばないよう調整しながら、ガントレットのスタン機能を作動させ、電流で火薬を直接撃発した。

 衝撃で左腕が跳ね上がり、一〇〇発近い散弾が前方に致死性の結界を作った。

 十数発が逆方向に飛んでアルファⅡの肉体に命中したが、些事だ。


『生命管制、緊急止血中』

 アルファⅡと全く同じ姿勢のユイシスのアバターが呟く。

 腹部や右腕部から大量に出血している。

『警告。あまり些事では無いです』


 鴉面の兵士は散弾の雨に全く臆すること無く突撃してくる。よろめくような走り方はおそらく不朽結晶の衣服の表面で弾丸を滑らせて逸らすための戦闘技法なのだと遅れて理解する。

 意味するところは一つ。

 この恐るべきヒトの形をした鴉に、銃弾の通じる部位など存在しないということだ。


『不朽結晶連続体の服、どうやら芸術品ではないようだが』


 ユイシスが冷笑的な顔に不服そうな表情を浮かべるのを横目に、アルファⅡは格闘戦に備えた。

 敵にもアルファⅡの左腕と頭部が不朽結晶連続体で覆われていることは知れているらしく、攻撃は右半身の腹を目がけて繰り出された。

 アルファⅡは、黒い鏡面世界において、その動きを精密に補足する。

 目で追うことも難しい斧槍の刺突を的確に回避。同時に右手の猟銃を振り上げ、角度をつけて鴉面の頭部を打ち据えた。

 不朽結晶で編まれているとしても、面と布なら物理防御にはやはり限度がある。質量物を直接的に打ち込めば衝撃は徹るはずだ。

 手応えはあった。しかし鴉面の少女は苦鳴も漏らさない。それどころか予め定められた手順をこなすような素振りで、よろめきながら後方へと飛び退いた。

 怯んだわけではないという直観があった。打撃を予知して受け身を取っていたとしか思えない。衝撃への耐性の低さを完全にカバーする立ち回りだ。

 戦闘経験の圧倒的な差をエージェント・アルファⅡは理解し始めていた。

 ユイシスが、突き出された権杖の如き斧槍の柄が、不自然に斜めに下がっている点をポイントした次の瞬間には、もう右足を膝から切断されていた。こちらは猟銃を振り下ろした姿勢のままで、体を適切に運べる状態になく、防御も回避も間に合わなかった。

 大鴉の騎士は常に一手先を行った。

 アルファⅡには相手の動きを予測できない。銃や化学兵器を扱う時代の兵士が、斧槍を振るう不死の騎士との戦い方を知っているはずがない。


『なるほど。先ほど等は、敢えて打撃を受けたのか。隙を作り、脚を刃で引っ掛けて切り離すために……』身体が欠損してから相手の行動意図を察する始末だ。『こうなると……』


 斧槍の柄が甲冑の手の中をスライドしていく。

 最小限かつ最速の動きで突き出された斧槍の切っ先が、姿勢を崩したアルファⅡの心臓を鋭く、確実に刺突した。

 オーバードライブの負荷を抑えきれなくなった心臓が破裂する。

 ヘルメット内に血の臭気が充ちる。

 痙攣する兵士の右腕は、猟銃を手放し、タクティカルジャケットのナイフへと伸びていたが、鴉面の少女は刺突の後また一足飛び退き、翼を翻すような動きでくるりと回転しながら、斧槍を振りかぶった。

 分厚い刃が全身全霊で叩き込まれる。

 アルファⅡの頸部、ヘルメットに覆われていない箇所へ向けて、精密に。


 不朽結晶同士が擦れる甲高い音を立てながら、刃は容赦なく兵士の気管支、頸椎、動脈といった生存に必要な全ての部位を破壊し、胴体から皮の一枚も残すことなく完全に刎ねた。


『やはり私では勝てない。ユイシス、後は予定通りに頼む』と言い残してアルファⅡの意識が消失した。


『全く、AI使いが荒いですね。貴官がブラックアウトしたら当機も視覚を喪失するのですが……オーバライド、レディ』


 首を切断された金髪の少女のアバターが、ガントレットの左手をその進路上に置いた。

 生体脳を失ったアルファⅡの肉体が痙攣を開始。アバターに追従して動作を行う。

 ユイシスの電気刺激が外部から強制的に肉体を稼動させたのだ。

 超高純度不朽結晶連続体のガントレットが、首を骨ごと切断したせいで大幅に減速した斧槍を受けた。

 鴉面の少女が初めて呼吸を乱した。


『スタンモード、レディ』


 電光が迸り、最大出力の電流が斧槍を伝わって少女の体に殺到した。

 どれだけ頑丈な衣服でも、このレベルの電撃への絶縁能力までは備えていないらしく、鴉面の肉体が激しく上下した。手甲の中で筋肉が収縮し、高圧電流の流れる斧槍を手放すことが出来ず、むしろ握り締めてしまっている。

 ユイシスは手早くアルファⅡの肉体の状況を確認する。

 頭部はまだ刎ねられて空中にある。


『再生を集中的に実行すれば数秒で修復できそうですが、心臓と平行して修復するのは非効率的ですね』 


 一時的に付与された意思決定の優越権を利用して、頭部を戻すよりは次々に攻撃を仕掛けた方が有効だ、とアルファⅡの遺した思考ルーチンを流用して判断する。

 最後の力を注ぎ込んで斧槍ごと少女の肉体を持ち上げ、思い切り地面に叩き付けた。

 何かが砕けたような感触。


「かはっ」と鴉面の兵士の押し潰された肺から呼気が吐き出されたのを聞いた。


 しかし、敵も、少女の躯であろうとも、紛れもなく戦闘用スチーム・ヘッドだ。

 このダメージからも極めて短い時間で復帰するだろう。


 既にアルファⅡの重外燃機関は急速発電を開始しているが、心臓が破壊されたせいで発電効率が致命的に落ちている。

 敵に一手先を取られていた。おそらく相手が復帰するまでの「極めて短い時間」では再起動出来ないだろう。

 肉体の完全な動作停止まで幾許いくばくもない。エージェント・アルファⅡが停止する寸前に組み立てたプランに従ってユイシスが肉体を操縦。電流で焦げていく肉体がタクティカルジャケットからナイフを抜いた。


『許してくださいね……』


 そう呟きながら、後方にいる金髪の少女へと投げ放った。


 

 オーバードライブ下での緒戦は一瞬で決着した。

 爆音轟く中で、シィーと一緒になって大量の刀剣類から己の矮躯でも扱えそうなものを探していたミラーズが、その超高速戦闘の趨勢が決したことに気付いたのは、ユイシスからごく短い内容の高速通信があったからだ。

 ミラーズは、己の思考に由来するものなのか、アルファⅡモナルキアによって形成された思考なのか区別しないまま、刹那の攻防が終わったまさにその時、争い合う二人のスチーム・ヘッドの方を見た。


 首を刎ねられて血を噴き上げているアルファⅡ。

 雪原に叩き付けられた鴉面の少女。

 そして――自分目がけて飛んでくる不朽結晶連続体のナイフ!


「ええっ!?」


 無意識に手を前方へ出して顔を庇っていなければ、ナイフは頭に深々と刺さっていたことだろう。


「うわっ! えっ?! 何で?! 何これ、痛い! 痛……シィー! シィー、これ、何とかして!」


 掌を貫通して柄で止まったナイフを自分の肉体に引き抜いてもらいながら、ミラーズは荒く息を吐いた。


「痛っ、痛い痛い……うう、なっ、なんであたしにナイフが飛んでくるの。あとさっきからこのナイフに何回も酷い目に遭わされてる気がする……」


 呻いている間にも、鴉面の少女は投げ飛ばされた状態から、痙攣しながら起き上がろうとしていた。

 一方でアルファⅡは重外燃機関から鮮血色の蒸気を噴射し始めたところだ。

 どちらが先に復帰するかは明らかだった。


 混乱する金髪の少女の顔で、シィーは形の良い眉を顰めながら、無事な方の手で器用にナイフを回した。


「バトンタッチってことだ。不朽結晶で全身を装甲した不死身の兵士とやりあうにはそれなりの練習か準備がいるからな、リーンズィのやつは準備段階に入ったんだろう。それで、俺たちに武器を投げて寄越したわけだ」


「要するにこんなナイフ一本で時間稼ぎしろってこと?!」


「舐めたものじゃないぜ。最高純度の不朽結晶のナイフだ。大抵何でも切れるし何でも受け止められる。ミラーズ、オーバードライブだ」


「了解しました。オーバードライブ、レディ」

 ミラーズは感情の無い声で復唱した。

「本当にやれるの、シィー?」


 かつて刀剣だけを頼りに終わらない戦場を駆けた男は、頭部に角のように人工脳髄を生やした少女の顔で、獰猛に笑って見せた。


「ローニンって渾名をつけたのはお前だぜ。伊達じゃ無いところをこの世界のお前にも見せてやるよ、キジール」

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