発狂した世界③

検索:『時の欠片に触れた者』

該当:000511件

選択:最古のレコード

……エラー。記録日時が不正です。記録日時を確認できません。エラー。エラー

……ERRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR……

再生/レコード005891:


 丘の影に影を見た。手に箱のような塊を抱えている。眩いばかりの光を放つ……。

 人間のような姿をしていたがそうではない。手の中の光こそがその怪物の真髄で、捧げ持つ従者のような輪郭こそが、まさしくその影だった。脳髄を侵して焼く名状し難い光、それを現実世界に投射するために編まれた肉と骨の影。顔に光を飲み込むようなのっぺりとした闇、その七つある瞳は煌々と輝く、混沌のふいごから吹き込まれた永劫の業火が眼窩から漏れ出ているかの如くに。『時の欠片に触れた者』は手にした光を捻り、回し、組み替える。あるいは数万の時間を欠片にした小さなパズルだった。一度面を回すたびに雪原の花々が枯死して植林された素っ気のない針葉樹にすげ変わる。覆う雪は悉く溶けて湖になる。湖畔に住んでいたらしい老人が驚いた様子で家から出てきた。次に捻られたとき湖畔はどこかに再配置されていた。回す、また回す。太陽の横に月が現われる。月が砕ける。太陽が膨脹して破片を飲み込み空一杯を焼き尽くして消え去る。光が形を変えるたびに世界が呆気なく変容していく。渦動の波が荒れ狂う大蛇のようにのたうち回り世界を蹂躙していく。丘の背後が海に変わり、見も知らぬ鎮静塔が巨獣の乱杭歯のごとく空を貫かんばかりに不規則に生え並び、次の再配置では均等な間隔へと整理された。そして塔すらもが音を立てて崩れ肉に覆われた都市が形作られ、都市は茨に包まれて腐り落ち、腐り落ちた場所から青い花が咲き乱れ、青い花を髪に挿す少女達が……。

 お前には何も出来ない。

 お前には何も出来ない。

 お前には何も出来ない。

 それはお前を見ている。

『時の欠片に触れた者』はお前を見ている。

 燃え上がる七つの瞳がお前を見ている……。



レコード005891:終了



「俺たちは『時の欠片に触れた者』の手の中から逃げられなかった。俺としては目的通りロシアくんだりまで向かう気だったんだが、北欧から脱出したとしても、いつのまにか全然違う場所にいて、最後には見覚えのあるような無いような、北ヨーロッパのどこかに再配置されちまう。お前も起動してから大分長いんじゃないか? 何か妙なことが起こって、真っ直ぐに進んでたはずなのに来た道を引き返してしまっていた。そんな目に遭っただろ」


「いや。私はまだ起動して三日と経っていない。そのような経験は無い」


「三日?!」

 少女は唖然とした。

「マジかよ、今まで何してたんだ? 開示しろ、アルファⅡモナルキア。局員からの要求だ」


「受諾。想定されている我々の最終目的は」生命管制より通達。ログを削除しました。


「そうか……。アルファⅡモナルキアだもんな。そりゃ、俺には何ともしてやれんが。ともかく、俺は『時の欠片に触れた者』をどうにかしないことには話にならなかったわけだ。そのためには丁度この辺に生えてきた『クヌーズオーエ』っていうバカでかい都市で起こっている武力衝突に介入して、どうにかして一つの軍隊にまとめ上げて、時曲げクソ野郎を倒さなければならなかった。……最後はご覧の有様だよ」


「君の起動直後のログを読んだが、腑に落ちない」


 アルファⅡは首を傾げた。

 シグマ型ネフィリム。

 アルファⅡの記録には無い機体だが、レコードの中の姿は、背後で四散しているシィーの装備と明らかに異なる。


「どこかで補給を受けたようだな。活動拠点があったのか?」


「……エージェントを名乗るスチーム・ヘッドが、いきなり現われて、そいつによくしてもらった」


「過去の君は、既に出発しているエージェントは君と同型で、何の役にも立たないだろうと認識していた。防疫局も死に体で、とても支援を回す余裕などないように思えたが」


「そこのところが俺にもよく分からん。ただ、俺は小舟を漕いでノルウェー上陸したんだが、それに合わせてエージェントが出現した。らしい」


「らしい、というのは、何だ。出現したというのは? いつからスチーム・ヘッドは勝手に生えてくる植物になった?」


「そう考えるのが妥当としか言いようがないんだよ、勘弁してくれ。たぶんだが……丁度良く『再配置』があったんだと思う。そうだな、『ガンマ型サジタリウス』でどうだ。ヒットした中で一番古いレコードを選択すれば良い」


「検索を終了した」アルファⅡはレコードを読んで頷いた。「上陸した先に都合良く物資集積場があって、ガンマ型サジタリウスなるエージェントの配備された部隊が陣を構えていたと? しかもまたクヌーズオーエか。今度は、クヌーズオーエ物資集積場……」


「おまけに、ガンマ型サジタリウスの指揮をしてたのは、ベータ型だ。どっちも俺の記憶だと実際には生産されていない」



検索:『ベータ型』

該当:00004件

選択:最古のレコード

……エラー。記録日時が不正です。記録日時を確認できません。

再生/レコード000021:


「妙だってのは認めるよ、でもまぁ防疫局とは連絡付かんし、それでも荷物やら増援やらは次々運ばれてくる、受け入れないわけにはいかんだろ?」


 窓から薄明かりが射すばかりの暗いバーの一室で、ベータⅨを名乗るその機体は、ガスマスク状の口元を解放して濁った水を煽った。

 ごくごく、と薄汚い液体を美味そうに喉を鳴らしながら飲むのを、シィーは困惑して眺めている。


「物欲しげに見るなぁ。こいつは80年もののウィスキーだ、あんたもやるか?」


「スチーム・ヘッドが酒飲んでどうすんだ。酔えるわけないだろ」


「そうだよな。そもそもこれは酒じゃない。その辺の水溜まりから汲んできた、ただの汚水さ……酔ってるときのエミュレートが出来るのは本当に良い仕様だ」


 酩酊度合いを調節するためだろう、ガントレットのダイヤルを幾つも弄りながらベータⅨはぼやいた。


「不真面目な先輩だが見逃してくれ。変な荷物の、受け入れ、仕分け、管理、管理、管理……その繰り返しだ! ガンマ型の連中は真面目すぎて気が合わんし、デルタ型ときたらいっそ昆虫じみてやがる。しかも、どいつもこいつも、命名規則がおかしい! ウォッチャーズだのサジタリウスだの……出展元を統一しろよ!」


「ああ、まあ、一貫性無いよな」


「だいたい、何でそんな気取ったコードネームだか開発コードだかがついてんだ?! あんたなんてネフィリムだろ?! 恥ずかしくない?! 面と向かって私はシグマ型ネフィリムですって言うのは!」


「い、言われてみれば……でもな、そんな余裕は正直無かったし……」 


「そうだ! そればっかりだ! 言葉を話せるやつは誰も彼も同じことを言うんだ、外は大変な状況で、名前なんて気にしたこともなかったって。何が大変な状況なんだか! 世界的な感染が起こって、もう百年は経つし! 今更?! 追加のスチーム・ヘッドがまだ生産されてる理由も分からない! 終わってるんだぞ世界は! 私には付いていけないね。とても素面じゃやっていけない……」


「いや、だから俺は、いよいよ世界が危ないと聞いて、アイスランドの防疫局から来たばかりだ。知らんが世界が終わって百年は経ってないだろ」


「アイスランドの! へー、熱核ミサイルが落ちてとっくに消滅した土地からどうやってだ!」


『こいつ本当にエージェントなのか?』と支援AIに呼びかけると『肯定。未登録のエージェントですが、酩酊状態のような高精細で冗長なエミュレートは、防疫局でしか実現されていなかったものと考えられます』とそっけない回答が来た。


「実際はどっかの監視基地がパワーダウンして、そこから逃げ出してきたんだろ? シグマ型ネフィリムだか何だか知らないけど、そんな廃材みたいな装備でエージェントを送り出すなんてあり得ないね」

 またぐびぐびと汚水を煽る。

「シベリアに行きたいってのも正気の沙汰じゃ無いよ」


「シベリアじゃなくて、モスクワな。モスクワに行きたいんだ」


「どっちも変わらない! どうせ、あっちもよく分からん連中に制圧されて何十年か音沙汰ないし……とっくに滅びてると思うけど。まぁ補給が必要なら好きなだけ持って行って良いよ。そのための集積場だからね」


レコード000021/終了



「俺の旅はずっとそんな調子だった。いるはずのない部隊や、敵対しているはずの連中と一緒にここまでやってきた。アルファⅡ、お前がどの程度やる気でいるのか分からないが……とにかく『時の欠片に触れた者』をなんとかしないと先には進めないぜ」


「そうか。ただ、疑問点が一つある」


「レコードを読んでも分からないことがあるのか? 俺もさ、なんていうか、折角の機会だし、バッテリーが切れないうちにやっときたいことがあるんだが……」


「私の身体で何をする気ですか」

『当機としても見過ごせません』

 同じ顔の少女が不機嫌そうに言うので「そうかっかするなよ、健全な趣味さ」とシィーが言い訳をした。


 アルファⅡは二人もしくは三人が言い争いをやめるのを待って、疑問を口にした。


「そもそもシグマ型ネフィリムとは何なんだ?」


「だから、アルファⅠサベリウスのだいぶしょっぱい後継機で……」


「複数メディア搭載仕様の、拡張性を重視した量産機、というコンセプトは理解した。だが私の記録にそんな機体の生産が計画された記録は、やはり存在しない。調停防疫局の機体は試作機が一機、研究用・実証用の二機と、アルファⅠサベリウス、アルファⅡモナルキアの二機。合計五機だけだ」


「あ……?」少女は首を傾げた。「そりゃ、お前が起動プロセスに入った段階では計画が無かったかもしれないが……」


「君の記録では、アルファⅡモナルキアの筐体が完成した段階でもうネフィリムの構想自体は存在していたのだろう。だが私の記録にはそんな情報は一切無い。君は、私の歴史に存在していない」


「……俺が知ってるアルファⅡモナルキアじゃないのか?」少女は腕を組んだ。「歴史のすりあわせをしたい。何が世界秩序を崩壊させたか覚えてるか?」


「スヴィストスラーフ聖歌隊によるロシア衛生帝国の基地占領と、無差別な大陸間弾道ミサイルの発射だ。それに反応して、各国の軍や北米の全自動戦争装置が、迎撃のために大量の核ミサイルを即座に打ち上げた。彼らはまだカルト教団や調停防疫局による大規模攻撃だと理解していなかった。想像する猶予など残されていなかった」


「その辺りまでは、俺の歴史とだいたい同じで安心したよ。調停防疫局が一枚噛んでるってところまで含めて。……迎撃は大方上手くいった。聖歌隊の奪取したミサイルも、迎撃のためのミサイルも、大半は衛星軌道上で爆発した。各陣営が一列に並んで、不死病を利用した益体もない陰謀を一切にスタートさせたわけだ」


 メディアを頭に突き刺されている金髪の少女が頷くと、傷口から目元にまで血が垂れてきた。

 拭う。そのそばからまた血が流れてきた。

 目元をごしごしと鬱陶しそうに擦りながら、「くそっ」と毒づいた。


「血が止まらん。もう治ってもいい頃だろ。……これ、俺のメディアはどう挿してあるんだ? ちょっと吐き気がするし、割とこう、異物感があるぞ。まさか頭蓋骨にねじ込んだわけじゃあないよな。くそったれ……」


「ちょっと。シィーだっけ? あたしの口で汚い言葉を使わないでくれない?」と同じ口で叱りつけたのはミラーズの意識だ。


 少女はまごついて、謝る先を探して視線を彷徨わせた。

 最後にはアルファⅡのバイザーの黒い鏡面を通して、自分自身の肉体に対して頭を下げることになった。

 アルファⅡは少女の肉体を舞台にして繰り広げられる不条理演劇のようなやり取りに全く何の感慨も示さず、ただ次の言葉を待った。


「……人工脳髄の挿し方の話はもうやめとこう。続けるぞ。それで、何発かは地上に落ちたが、被害は限定的で、大昔恐れられていたみたいに、世界を終わらせるほどじゃなかった。死の灰が降り注ぐこともなかったわけだが……電磁パルス攪乱が世界を襲った。情報網は破壊され、生活インフラは根こそぎになり、未対策の産業設備は沈黙し、大勢の病人が死んで、そして不死病の感染者として蘇った。不死の兵士たちも人工脳髄を焼かれてお陀仏だ。それで、何故こんなことが起きたのか、どこの国の核弾頭が自国の電子機器をぶっ壊したのかもよく分からないまま、各国が戦争状態に突入した。これが最後の大戦だよな?」


「私の記録では、大凡そうだ」


「事態は混迷を極めた。全世界の市民の生活は一瞬で崩壊し、人間らしい生活と言うものが紙の上にしか存在しなくなった。全部リセットされたわけだ」


「リセットとは言わないだろう。破局したものは、元に戻せない」

 アルファⅡは黒く歪んだ世界が映るバイザーを揺らした。

「北米の組んだ全自動戦争装置も国家運営の継続を断念した。残存していた複数の軍産複合体と保守系の宗教組織を取り込む形で人類文化継承連帯を設立して、侵攻と同化を始めた。国際連合は無闇に混沌とした情勢の中で、殆ど世界全部に救援を向けながら自分自身以外の全てと戦っていたわけだが、継承連帯の登場で全部ひっくり返されてしまった。片っ端から瓦解し、吸収されていった。世界保健機関も、もはや事態を収集できないと見て、いよいよ活動を縮小した」


「そして武装した外部組織であるところの調停防疫局だけが残された、と。戦前から開発が進められていた高級クソヘルメット眠り姫であるところのお前さんは、そこでグリーンランドのチューレ空軍基地に運び込まれたわけだ。誰の手にも渡らないようにな」


「高級クソヘルメット眠り姫」アルファⅡは復唱した。「ミラーズ、今のは良いのか?」


「何も間違ってないし良いんじゃない?」


『ミラーズに同意します。何も間違っていません。貴官は高級クソヘルメット眠り姫です』


「……疎外感を感じるな。また一つ感情を獲得してしまった。とにかく、私に入力されている記憶ではそこまでしかない。そこからどうなったんだ? 全世界が継承連帯に征服されるまであと数ヶ月という状況だったようだが」


「ああ。想定外に想定外が重なったらしい。らしいというのは何が起きてるのか全く分からなくなったからだが。防疫局には、どうしようもなかったはずだ。最後まで足掻きはしたが、俺の最初の装備みたいな色んな国のスチーム・ヘッドの端材を寄せ集めたギアを組んで、人格記録媒体アイ・メディアを載せて、適度なエージェントをでっち上げて、支援がない前提で送り出してたんだ。レコード通りだ。絶望的な旅路だよ」


「大まかな部分では、やはり乖離はない。しかし明らかに違うようだ」


「ああ。俺とお前、どっちか少なくとも片方は、基底世界の出身じゃない。たぶん『再配置』の影響だろう」


「混乱しそうだ。再配置とはそこまで決定的なものなのか?」


「心構えを幾つか伝えとくか」少女は神妙な顔で首を振った。「例えばロンドン。お前の記憶だとロンドンはどうなってる?」


「ロンドンはかなり早い段階で悪性変異の連鎖によって崩壊している。今となっては活性化した感染者と異形の変異体が跋扈する危険地帯のはずだ」


「俺の記憶と一緒だな。あそこは本物のゾンビ映画みたいになってるはずだった。だがガンマ型の部隊と一緒にロンドンをのぞきに行ったら、悪性変異体がいないんだよ。感染者もいなくて……代わりにちょっとした軍隊が居着いて、継承連帯に抵抗している。おまけに俺を受け入れてくれるわけだ。で、案外世界は大丈夫なもんだな、と思って一週間ばかしかけて次の街に行くと、そっちは普通に滅びてる。そうしてロンドンに引き返すと……今度は聞いたことも見たこともないような悪性変異体が暴れ回ってて、それと継承連帯が戦ってるんだ。一週間前のロンドンとは丸きり別物だよ。そして街の周囲をぐるっと囲むようにして、城壁みたいな隔離障壁が建造されつつある。一週間ではとても造れないような壁がよ……」


「支離滅裂なことを言っている自覚はあるか?」


「だが事実なんだ。もっと混乱させるのが、継承連帯の連中が、調停防疫局のことなんて丸きり知らない、敵対していた過去も無い、という様子で接してくることなんだよ。旗を見て、驚いたな! WHOかどこかの生き残りか? なんて抜かしやがるわけだ。そいつらの認識だと、世界保健機関はとっくの昔に継承連帯の翼賛団体として合流を済ましてて、防疫局なんてものが存在していた瞬間は、無いんだと……」


「つまり、それがこの世界の有様と言うことか? 何もかも筋が通らない……無数の歴史がパッチワークされて、無意味化している」


「無限に繰り返される上に、意味がない。果てが無い。なお悪いのは、『再配置』されるのはどうやら不死病が世界的に蔓延した後の土地ばかりらしいってことだ。地震が起こっていたり、異常気象に襲われていたり、感染者が皆ぐずぐずに腐ってたり、悪化することはあるみたいなんだが、逆は無い」

 うんざりした顔で少女は頷いた。

「本当に辿り着きたい場所には永久に向えない。そもそもこの地方から出られん。『時の欠片に触れた者』をどうにかしない限り何もかも徒労だ。どうにかしたって、お前の望みぐらいになると、叶いそうに無いが……俺は、そうだな、最後に良い思いをさせてもらったよ。キジールにも、変な形になるが、もう一度会えた。こっちのミチューシャはどうしたんだ?」


「あの子は、一足先に旅立ちました。リーンズィが導いてくれたのです。今は神の腕の中で安らいでいるでしょう。あたしは変なのに掴まっちゃったけどね……」


「そうか……リーンズィってのは、アルファⅡのことか? ロシア語でレンズだったか。連想で渾名付ける癖はどこのキジールでも変わらないんだな」


「ミチューシャというのは、ヴァータのことか?」


 アルファⅡは丘で交戦した悪性変異体の核となっていた誰かを想起した。


「そうよ。スチームヘッドになってからのあの子は、いつもスチーム・ギアの中にいました。あなた着ぐるみみたいになってしまったのね、ということで、着ぐるみの中身、綿ヴァータです」


『可愛い名前ですね、ミラーズ』


「私には家族とかそういうのが全然分からないのだが、実の子供に綿という愛称を与えるのは普通の感性なのか?」


「いや普通じゃねえよ」


「じゃあキジールは聖歌隊の中でもやはり普通ではなかったのか……道理で話が通じなかった……」


「キジールは名付けのセンス以外は割とまともな方だったぜ。見た目はあどけないくせに思いの外しっかりしてて反応が良かった。達者なものだったぜ、上の口も下の口も……痛っ痛い痛い痛いあああああああ! やめろ! やめろミラーズ! 冗談だって!」


「あなたたちがその別の世界の私に何をしたのかは、この際問いません。でも人の口で下の口とか言うのはやめなさい」


『人格記録を焼きますか? 焼きませんか? 焼くのを強く推奨。冗談では済まされない事案です』

 

「悪かった、悪かったって! しかし、そのリアクションだと、いつも通り、やっぱり何にも覚えてないんだな……。分かった、分かった、あんたは今までに遭ったどのキジールとも違う。大人しく認めるよ」


 キジールに関する記録に粗方目を通して、アルファⅡが問いかけた。


「君たちは彼女に何か乱暴を働いたのか」


「俺は違う。だが、初めてキジールと遭った回廊では、聖歌隊と継承連帯がめちゃくちゃに揉めてたな。俺は……継承連帯側についてた。理解してくれとは言わないが、散々っぱら味方を潰されて、何回も何回も違う時間の中で行く手を阻まれたら、ぶちのめしたあと、憂さ晴らしぐらいしたくなるだろ」


「最っ低……」


 青ざめた顔でミラーズが呟き、己の体を庇うように抱きしめた。

 ユイシスが語勢を荒げて追従する。


『リーンズィ、問答は尽くしました。もう回路をオーバーロードさせて焼いてしまいましょう!』


「とにかくそういう問題ですらも、何百回かあった出会いの中の一つにすぎないってぐらい、因縁が深い相手なんだよ、あんたらは! ドミトリィ二世……ヴァータのやつが結構色々なバリエーションのギアを奪取しててな……ジャガーノートとコンカッションホイールを同時に動かしてたときは絶望したね。何でパペットを一個の肉体で二個も動かせるんだよ。安定した勝ちパターンも結局組めなかったし。だが話してみれば意外と話の分かる連中だった。後半戦は上手いこと付き合えてたと思うがね」


 ミラーズの肉体を借りたシィーは金色の髪を興味深そうに掻き上げて、「何も変わらん、滑らかでふわふわの髪だ。だがお前は俺のこと覚えてないんだよなぁ……」と呟いた。


「あなたからの親愛の感情は、伝わりました。ですがそれ以上私の身体を弄ぶようなら、このメディアを引き抜いて井戸に落とします」


 シィーはまるで聞いていない様子だった。

 溜息を吐き、アルファⅡを手招きして近寄らせた。

 ヘルメットの兵士の首に腕を回して、黒い鏡面に映る不可解そうな顔をした少女に、嘆くようにして語りかけた。


「……しかしキジール、あんた本当にろくでもないやつに捕まってしまったぜ。アルファⅡは人間が人間として滅びることを否定する機械だ。こいつに関わったやつは選択を強要され。神になるか悪魔になるか、獣に堕ちるか機械と化すか……どんな形でかは、分からん。でもあんた、これは確実に言えるぜ。あんたは人間じゃなくなる……」


「とっくにただのエコーヘッドよ。人間じゃ無いわ」


「どうしたキジール、飲み込みが悪いじゃないか。俺の知ってはあんたは、どいつも託宣者みたいに賢しらげだったのによ」


「ん。ひとを急に誉めて何をするつもり……」


 鏡越しに睦言のような言葉を交わす二人を、意外にもユイシスは難しい顔をするだけで、黙って様子を見守っていたが、首に手を回されて鏡代わりに使われているアルファⅡの視線は全く違う方向を向いていた。

 空だ。

 太陽の沈まない空。

 白夜の如く終わらない永遠の昼間……。


「すまないシィー。バッテリーが切れるまではキジールの肉体を使わせて君の意思を尊重する気でいたのだが、少し気になることがある……再配置の兆しというのはどんな形で現われる?」


「ん? ああ……くそっ、なんか変な感じがすると思ってたらお前ら身体感覚と報酬系を弄ってたのか! 無い体の性欲を高めるのやめろ!」


「う……そういうこと。何となく変な気分になってきたと思ったら人のセンシティブな部分をそんな気軽に。抗議しますよ!」


 シィーはばつが悪そうに身を離し、居住まいを正した。

 髪を慌てた様子で整えているのがどちらの意識による仕草なのか、外からは判別がつかない。

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