発狂した世界②

「き、キジールが二人……? あり得ない、回廊世界に、一人の存在は同時に複数共存できないはず……」


 アルファⅡがレコードを再生している間にもシィーは息を飲み、身体を起こしてユイシスに触れようとしていたが、窮屈な行進聖詠服に動きを阻害されて適わない。

 だが、すぐに相手が非実体だと気付いたようだった。


 現在のアバターは省電力設定での簡易出力だ。

 特徴的な愛らしいくせっ毛は、溜息を吐く動作と同時に揺れることはなく、軽蔑したような表情で首を傾げても、ベレー帽は頭から落ちない。


『この姿は当機、統合支援AIユイシスのアバターです』と金髪の少女の細い体を抱きしめて、何もかも知っているという表情で体の線を浮かせて見せた。『どのような嗜好の持ち主かは存じませんが、接触はご遠慮頂ければと』


「ちょっと、駄目よユイシス。そんなはしたないポーズを……」


「あいつ、姿までもアルファⅡモナルキアに取られたのか。ただ消え去るのとどっちが良いのかね……」


 バイザーに映じる、やりきれないと言った様子の少女に、アルファⅡは関心を示さない。

 シィーから収集したレコードを検分しつつ、屋根を伝い落ちる雫を眺めるように、土塊を這う虫を観察するように、つまり人間的感情を伴わないある種のメカニズムによって、その表情の変化を眺めていた。


「それで、ユニ子とは誰だ? 仲間がいるのか」


「……防疫局のエージェントはみんな制御用の人工知能を積んでるだろ。そいつ、ユイシスと同じだ。ユニ子は俺の支援AIだよ。フルネームはユニコーンだった。だからユニ子」


「何がどう『だから』なのだ……」


 アルファⅡが曖昧な声を出した。


「俺の文化圏の古い伝統だと、女の名前にはナンタラ子っていうのが多くてな。キリコとかアヤコとかだ。古くは貴人の名で、ショートクタイコや、ソガノウマコなどの貴人も多かった。その流れでユニ子だ」


『予想を提示。もしかすると最初はユニ公と呼んでいたのでは?』


「おお、よく分かったな。お前みたいにペラペラ喋るやつじゃなかったが、ユニ公って呼ぶと怒りだしてな……。懐かしいもんだ。今は……たぶん、もういないが」


 キジールの緑色の瞳で、破壊されたスチームヘッドの残骸を見た。


「俺の本体と一緒に壊されちまったと思う」


『それは残念です。同系機と交流を持てる良い機会だったのですが』


「同系機って言ったって、そっちはオリジナルのUモデルだろ。ユニ子みたいな劣化複製品から得られるものは何も無かっただろうと思うがね……」


『ともかくとして、プシュケ・メディアの規格が同じならば、当機が貴官の記憶を抽出することが可能かと思われます。記憶は人を欺きますが、記録は何者をも裏切りません。貴官は現在、スヴィトスラーフ聖歌隊による思考汚染を疑われています。検証及び情報取得のためにメディア内のレコードを開示して下さい』


「説明の手間が省けて助かるが、俺のこの人格は、バックアップから再生されたやつだろ。レコードの大半は断片的なイメージでしか保存してない。補正をかけるのはそっちの仕事になると思うぞ。それでも構わないか?」


『問題ありません。許可を得たと判断してレコードの取得を開始します』


 ユイシスはミラーズの傍に寄り添って肩を抱きしめ、頭に突き刺さった人工脳髄に触れながら、ミラーズの耳元に囁きかけた。


『……遡及的に同意があったものと見做して、当機の活動情報を開示します。貴官のレコードの解析は、貴官が起動した直後から、人格の再生と平行して進行中です。……ローニンはキジールがつけた渾名なのですね?』


「俺が返事する前から解析を初めてたのか!? もうキジール周りの記憶を調べたのか!」


 少女は頭に突き刺さった人工脳髄を庇うようにして手を頭にやった。


『肯定します。事後的な手続きになりますが、承諾をお願いします』


「承諾も何もないじゃねえか、お前ら本当に節操がないな!」


「私は調停防疫局の全権代理人エージェントであるからして、本来は局員に対し許諾を得る必要すらないのだ。これが誠意だと分かって貰いたい」


「これを誠意だと感じるやつは一人もいねぇよ!」

 半ば罵るような言葉を吐き出した口から、今度はどこか諦めたような声が零れる。

「……リーンズィもユイシスも、相手の人生のどこかのタイミングで一回でも同意が取れたら、それでもう過去も未来も全部赦されると思っていそうなのよね……あたしも時々蔑ろにされてる気がするし」


『ミラーズ、私はあなたを愛しています。本当に愛しているからこそ、その身の継続を望んだのですよ? 蔑ろにされているような気持ちにさせたのならば、謝罪します』


「分かってる、ユイシス。あたしもあなたのことは愛してる。ちょっと愚痴が出ただけ。……キスでもして本当の気持ちを伝えたいけど、今はこの男の人格が邪魔ね。ユイシスの唇は汚させたくない」


「あとなんでお前らはイチャイチャしてるんだ?!」シィーは混乱していた。


『外野は黙ってください。とにかく承諾をお願いします』


「承諾する、でもレコードだけだ! 他には触るんじゃないぞ! 改変もコピーも全部認めない! 俺を本格的に端末化しようとか考えるなよ! っていうか俺キジールの肉体の上で再生されてるんだよな!? むしろ内野じゃねえかな!」


「了解した。予定を変更し、貴官の意思を尊重しよう」


「くそっ、こっちはこっちで官僚どもより事務的と来ていやがる! こういうめちゃくちゃな何でもありの機体に仕上がるだろうって言う話は局長から訊かされてたが、これじゃまるきり山賊だぜ!」


「局長……」


> 局長

UYSYSよりアルファⅡへ。要請を受諾しました。

検索:『局長』

該当:3件

選択:最古のレコード

……エラー。記録日時が不正です。記録日時を確認できません。

再生/レコード000003:


 切れかけた蛍光灯を背にして立つその姿は、戦士や兵士と言うよりは紐の切れてしまった道化師のマリオネットに似ていた。

 操り主を無くしてしまい崩れ落ちることも踊り続けることも出来ず観客を探して不安げに舞台を見渡しているといった有様だった。


 四肢や背骨に沿って伸びる外骨格の照り返す人工の光は眠たげに瞬きをしており、気を抜けばその瞬間に一切合切が瞼を降ろし、不滅の真っ暗な闇の中に落ちてしまいそうな錯覚があった。

 罅割れた姿見に、グローブを嵌めただけの手を当てる。

 人工脳髄が収められた、東洋の戦士の鉢金のようなヘッドギア。

 多機能視界拡張装置とは名ばかりの簡素なゴーグルが目元を隠す。

 生気の無い虚ろな目が、選択的遮光性を備えた特殊ガラスの中で不安げに揺れている。


 パワー・アシスト用の外骨格に装甲を何枚か貼り付けただけの貧相な蒸気甲冑だった。発電用の蒸気機関だけが出力の割に小型で先進的だったが全体の印象としては高高度核戦争勃発以前に普及していた軽作業用スーツに近い。

 機銃陣地の前に立てば装着者は数秒で挽肉にされてしまうだろう。単独での戦闘に求められるスペックには到底達していない。仮運用中の支援AIが網膜に投影する『解析:不朽結晶連続体』の文字が虚しさを一層際立たせる。

 姿見から目を離し、暗いデスクに肘をついている男に問いかけた。


「つまり、局長、こう言いたいんですか。この継ぎ接ぎだらけの、でっち上げのスチーム・ギアで、継承連帯の陣地に突っ込んで来いって? 支援無しで。他の当地機関がまだ稼動していないか確認してこいと?」


「そうだ」と局長は目を伏せたまま頷いた。「無理な頼みをしているのは分かっている。だが我々に出来ることと言えばもうこれぐらいだ。残存スタッフにも不死病に感染した者が増えてきた。……ライノウィルス変異型は、進行こそ遅いが、不死病化しているからな。文字通り命を落とすまで治癒せず、悪化し続ける」


「おまけに感染力が高い。言っちまえば、風邪だからな」


「そうだ」


 局長は激しく咳き込んだ。額に浮かぶ大粒の汗を拭うこともしない。椅子に座ったままなのは立ち上がる体力も無いからだろう。泣き出しそうな顔で、懇願するようにこちらを見上げてくる。

 セットアップ未完了の支援AIがリアルタイムで身体情報を解析していた。

 数日で死亡するという予測を取得しているだけで、有益な情報は何も無い。


「死んで蘇って尚、作業用のスチーム・ヘッドとなって、尽力してくれている者も、確かにいる。だが限界だ。蒸気機関もバッテリーも払底している。基地の原子炉からの給電だけが頼りで、それも骨董品を無理矢理動かしているだけだ……遠からず設備は停止して給電も追いつかなくなる」局長は首を振った。「文字通り、調停防疫局は最後だ。もう組織として存続できない。よって、これが不死病の蔓延に対する最後の抵抗になる」


 シィーは痩せこけて皮と骨ばかりが目立つようになった老人の面相をじっと見つめていた。


「それで、どうしようもなくなって、最後にやることが、末世まで保管すると約束していた人格記録媒体アイ・メディアを人工脳髄に叩き込んで、他人の肉体で勝手に起動させることだって? それは違うぜ、局長。俺はそんな約束でスチーム・ヘッドになったんじゃない」


「恨み節があるのは分かる。だがここで腐って……」咳をする。「我々と永久に眠るよりは良いだろう。それに、君は適任だった。アジア経済共同体で古い武術を修め、初期型のスチーム・ヘッドとして、数え切れない作戦に従事していた君が……」


「おい、他人事みたいに言うんじゃねえよ。俺にあれやこれやと仕事をさせてたのは、お前だろうが、ええ? 歳のせいで全部忘れたか? 今は局長か。随分偉くなったな? 偉くなって、ついでに仁義まで忘れちまったか!」


「君の技術が活かせるはずだ」


「安い人事の連中みたいなことを! 俺に出来るのはクソ硬い剣を振り回して、猿みたいに走り回ることだけだ。時代遅れもいいところだよ、何が出来るって言うんだ」


「感染者に対して最も有効な処置は切断だ」


 フラッシュバック/星の無い夜、感染爆発の兆候が見られた高層住宅に踏み込む。暗視スコープに赤い影が……刀を振るう、刀を振るう……やめてくれ、まだ人間だ! まだ人間だ! 刀を振るう、刀を振るう……なんでこんなことをするんだ、助けてくれ! 刀を振る、刀を振る、刀を振る……肩から脇腹までを一太刀で押し切る……骨まで断たれた不死病患者が崩れ落ち、断面から伸びた肉の触手が絡み合い繋ぎ止める。しかしその肉体にもはや魂は無く……奥の居室から飛び出してきた人狼のような悪性変異体の腕を切り落とし首を切り落とし脚を刻んで、刻んで刻んで……血まみれの暗視ゴーグルに、凍結して物言いたげな顔のまま硬直した感染者の顔。こうなる前に殺さないといけないんだよ、こうなる前に。部屋の奥から誰かが覗いている。小さな子供が。体温が異常に高い。『感染』の文字が視界に映じる。くそ、くそ、くそ……怨嗟は響かない、押し殺して、飲み干して、それだから言葉が肺腑で棘のように……くそ! くそ! くそ! 人殺しめ、この、薄汚い人殺しめ! 刀を……。


「……そんなことは分かってるんだよ!」

 シィーは声を荒げた。

「首やら胴やら叩っ切れば暴走した感染者だってしばらくは止まるだろうさ、だがそれだけだ! 封じ込めもクソもない、もう十や二十を殺して、強制的に自己凍結者に仕上げるだけじゃ、何ともならん状況なんだろ?! おまけに継承連帯だか何だか……北米経済共同体のアーキテクトが連携して創った全自動戦争装置なんて、俺の手には負えんよ。山をノミで削り切って見せろってか? だいたい先行して出発したスチーム・ヘッドはどうした? 連絡は? ベータ型だとかガンマ型までは、援軍としてこの際期待しない。あれも高コストすぎて生産が危ぶまれていたからな。だが、他にもシグマ型ネフィリムはいるんだろ? 百機かそこらは作ったって言ってただろうがよ」


「一機からも連絡はない。最初期に出発したアルファⅠサリベリウスを含めて、沈黙したままだ。もっとも、衛星も何もかも機能していないこのご時世に、報告を寄越せと言う方が酷ではある……」


「アルファⅠサベリウスが沈黙?!」

 絶句してしまう。

「最高戦力がくたばったってんなら、尚更どうしようもないじゃねえか! あれでどうしようもないなら、他から連絡なんてあるもんかよ、シグマ型の装備ってのは、要するにこれだ!」


 シィーは己の貧相な外骨格を局長に晒した。

 戦闘には到底耐えられない形ばかりの装備を。


「十分な支援と戦闘経験の蓄積を前提とした量産機。聞こえは良いよな。だが、ゴミだ! 何の役にもたたん! 不朽結晶で全身固めた連中やら、悪性変異体とやりあっても、発狂するまで嬲り殺しにされて終わりだ! 世代が違うんだよ!」


 がち、がち、がちと歯噛みする。

 奥歯が割れた。吐き気を催す花の香り。すぐに再生する。

 シグマ型ネフィリムは計画されていたスチーム・ヘッドの中では最も拡張性が高い――現時点ではまともな装備が施されていない、という事実を最大限好意的に言い換えればそうなるだろう。

 本人の適性に合わせて順次改修していくという建前で設計された、不死病が蔓延した未来という最悪の結末を見据えた欠陥品だ。


「何回も何回も、無駄に殺して殺されて、そんなことをしたくて、ここに来たわけじゃ無い。こんな身体になったわけじゃない! 何のために聖歌隊の連中と協調して、アジア経済共同体の原潜に乗り込んで、ミサイルを撃ち返したと思ってる?! 俺と娘を助けてやると約束したのはあんただ、あんただ局長! 散々人を殺させて、その果てがこれか!」


 声が木霊する、声が木霊する、実を結ばないことは分かりきっている……一度始まったものを止めることは出来ない。望まぬ再生でも、起動したからには壊れるまで止まることが出来ない……。

 使命を受けて地平を駆けて、人気の無い荒野、錆び果てた都市の片隅で己の蒸気機関を墓とする。

 それがスチーム・ヘッドになったものの宿命だ。


「すまない。申し訳ないとは思っている。だが適任が君しかいないのだ」


 咳の音にシィーは苛立った。


「……アルファⅡモナルキアはどこだ。出来上がってるんだろ。あいつにやらせればいい。決戦兵器だ。ここで使わないで何時使う」


「事情が変わった。あの機体はもう、使わない。起動してはならない、本当に世界が終わってしまう……」


「起動出来るんならやりゃいいだろう!」


「出来ない。起動させてはいけない。そちらの方がまだマシだ……。残されたものが、出来ることをやるしかない。重ねて言う、本当にすまないことをした。ここで私を殺してくれても構わない。だが共に夢を見た者として、どうか最後まで我々に力を貸して欲しいのだ……」


「くそっ。くそっ、くそっ……ああ、逆らえないんだろうな、そうとも、分かってるさ、俺は逆らえない!」


「作戦目標は二つだけだ。世界保健機関の安否確認、そして戦闘への介入と調停……」


「御託は良い。やりゃ良いんだろ、やりゃあ。おい、そうだ……俺の娘はどうした……まさかあいつもネフィリムにして送り出したのか」


「彼女は、ここにはいない。我々の手から離れた……」


「てめぇ! おい、このジャガイモ頭、くたばりぞこない! どこまで約束を違えれば気が済む! 俺を目覚めさせるのはまだ良い、だがなんであいつを……」


「いいや、どこまで遡れば良いのか……また、君に謝らなければならない。我々は君の娘の確保に失敗したのだよ……」


「何だと!」


 振り下ろした腕がデスクと己自身の拳を粉砕した。

 骨が飛び出して血肉が飛び散り局長の顔を赤く濡らした。その血もすぐに蒸発する……。


「何を言ってるのか分かってるか?」


「言い訳のしようが無い。君のメディアが局に収容された直後だ。アジアの経済共同体に君の動向を察知されてしまった。君の娘のスチーム・ヘッド化には成功したが、身柄は技術供与の名目で、現地当局に確保されてしまった。実際は我々への報復措置だ。彼女はそのまま現地部隊に接収され……東方軍のスチーム・ヘッドのプロトタイプとして……」


「……俺の娘を何型のスチーム・ヘッドにしたんだ」


「シグマ型ネフィリムの試作機だ……」


「くそおっ!」


 またデスクに拳を打ち付ける。

 手指がもげる感触すらフェイクだ。

 数秒で繋がって跡形も無く癒える。

 自壊の音だけが狭いデスクに響き、肉体のあらゆる損傷が元通りとなる。


「親子揃って使い捨てのゴミにしたのかよ?! ……くそっ、くそっ! ちっとは笑える冗談を言え! じゃあお前、見殺しにしたのか! ええ?! どうなんだよ!」


「見殺しにした……。高高度核戦争勃発の直後だ、とても回収できなかった……今では経済共同体も荒廃しきっているだろう。首都は感染者で溢れているはずだ」


「何で、そこで俺を起こさなかった!? そのときこそ俺を起こす時だっただろうが! こんな、何もかも終わったあとじゃなく……!」


「君だけでも助けようとしたのだ!」血を吐きながら局長は怒鳴り返した。「我々はプルートー……いや、エージェント・ドミトリィ救出の段階で、一度失敗していた! せめて君だけでもと……!」


「なら、なら俺も、いっそ目覚めさせるな! こんな世界は、俺には存在しないのと同じだ。俺を破壊すれば良かった! くそおぉ……畜生! 畜生……!」


「落ち着け、落ち着くんだ。……君を再起動させたのには、実はその点に理由がある」


「何だって? ふざけたことを抜かしたら、今度こそその腹ぶち破って、臓物ぶちまけるぞ」


「君の娘からコンタクトがあったのだ」咳をする……。「つい先日のことだ」


「……は!?」

 シィーは予想外の言葉に瞠目した。

「バケモノが跳ね回るようになって、スチーム・ヘッド同士で殺し合うようになって、何年だよ。まだ……生きてるのか?! まだ稼動してるのか、あいつから作ったスチーム・ヘッドは!」


「俺の娘には天賦の才があると、君はかねがね言っていた。。病気で、体が弱いから、殺し合いをしないで済むと。皮肉なことにな。……今の君と同じか、それ以上に貧相な機体で生き抜いていたらしい。ご丁寧にどこかの量子通信施設を復旧させて、こちらに通信を入れてきた……」


 所長は骨董品のテープレコーダーを取り出して、通話の録音を流し始めた。


『(咳の音)失礼した。私が調停防疫局の代表者だ。君の通信を歓迎する』


『お父さんは死んだ?』


 茫洋とした少女の声がした。


『……君は誰だ?』


『誰? ヒナ。シィーの娘。お父さん、そこに……いない? お父さん』


 辿々しい東アジア共通語には聞き覚えがある。

 黎明の灯が揺れるような、朧気な声……。


『いるとしたらどうするんだ』


『殺す。首、刎ねて殺す』


 変わらぬ調子で少女は言った。


『殺すだって? 何故……』『それだけのことを、した……皆に? だから殺す』『……今どこにいる?』『ホンコン。だと思う? 分からない。タイリクまで来てる。殺しに来た』『他に生き残りは?』『いる……いた……。殺したからもういない』『そちらの経済共同体はまだ無事なのか?』『みんなヨミガエリになったから、そうした。でもヒナはまだ死んでない』『……我々と手を組まないか? 貴重な残存勢力同士、出来ることを一緒に探そうじゃないか』『うん。分からない。殺す。でもお父さんを殺させてくれるなら考える……』『シィーを、では、今から君の父親をそちらに向かわせる。ロシアのモスクワで合流するように手配する。……モスクワは無事か?』『知らない。死んでないなら、みんな殺す。だから知る必要ないよ』『待ってくれ、ヒナ。さっきから、何故だ? 何故そんなことをしている? 亜細亜経済共同体でも人類救済を諦めたのか?』『殺さないと、可哀相。カイブツになる前に殺す。それがヒナたちの目標。モスクワ。分かった、お父さん殺しに行くから』


 通話は切れた。

 テープレコーダーの空転する音が静かに室内に響いた。


「……俺の娘に何があった」


「おそらく日本経済区独自の治安部隊から発展した『葬兵』になったのだと思う。相手は基本的に悪性変異体だったと聞いている」


「このためか」唸り声を上げる。「このために俺を差し出すと。実の娘に殺させるために。それで僅かばかりでも、他の組織とのコネクションを回復させたいって腹なわけだ」


「半分は、そうだ」

 局長は俯いた。

「適任と言うだけなら、実際には、他の人格記録もいた。だが今回は君の娘との接触が最大の争点なのだ。もちろん無視しても良かったが……君を選任しなければ嘘だと思った」


「お前は不死病に関わる前から人でなしだったが、いよいよ本物のクソになったな」


「感染して死んで、何も考えない肉塊になって、ようやくマシになれるわけだ。一抜けさせてもらうようで申し訳ない。最後に最大限の助力はする。まだ受信から一週間ほどしか経っていない。スチーム・ヘッドの脚で走り続ければ……運が良ければ一ヶ月ほどで娘と会える。君の望む形じゃないだろうが……」


「誠意が無いぜ、謝り方によ……。それで装備は何がある?」シィーは溜息を吐いた。「ああクソ。その気になっちまって……親ってのは単純なもんだな。嫌になるぜ」


「以前使っていた不朽結晶の刀を一式残している。あれはアルファシリーズのために作成した連続体の端材だが、現行のスチーム・ヘッドにも十二分に有効なはずだ」


「余ってる資材があるならせめてギアをカスタムしてくれ。ヘルメットは陣笠、顔には武士みたいな防弾面が欲しい。浪人の真似事でもしないと、とても生きていけねぇし……格好も付かねぇ」


「善処する……。正直な、他の任務はどうでもいいんだ。どうせ通信は途絶する。量子通信設備は、もうこちらのほうがダウン寸前だ。原子炉が持たないんだからな……。だから、シィー、君の好きなようにやってくれていい。これが私に出来る最後の償いだ」


「償って償いきれるものじゃないぜ」


 シィーは背を向けて、局長室の扉へ歩き出した。

 そして最後に肩越しに振り返った。


「積もる話は地獄でやろうや。お互い、死ねたらの話だが……」



レコード000003:終了




「山賊ではない。我々は常に交渉相手の意思を尊重している」


 ミラーズの首輪がチカチカと点滅した。


「俺としては『山賊』でもまだ優しい言い方だと思うがね」


「アルファⅡって考え方が変なのよね。昨日今日にした『はい、分かりました』っていう返事を、赤ん坊の頃まで遡って当てはめて、さらには棺桶に入るまで遵守させる。そんな取引は悪魔のやり方よ、ちょっとは悪びれたらどう?」


「赤ん坊の頃までは遡らない。聖歌隊風に言うならば、スチーム・ヘッドと言うのは人生という幹から分岐した一本の枝だ。私はその枝の一本に対して誠実に交渉を行っている。そして、枝の真ん中に問うたことを、改めて根元や末端にまで尋ねる必要はない」


「聖書を曲解するな!」少女が怒鳴った。「う。品の無い声が出た……」と動揺するミラーズに、「めちゃくちゃ改変した教典使ってる聖歌隊がそういうこと言うか……?」とシィーが怪訝そうな顔をした。


『補足すると当機に関してはあらゆる条約や法規の適用が予め除外されており、永世無罪です』とミラーズと同じ顔をしたアバターがしれっと付け加えた。『エージェントは別ですが。手を回した時にはまだ存在しなかったためです』


 アルファⅡは猟銃を降ろし、腰を落として、シィーと、少女の肉に閉じ込められた兵士と目線を合わせた。


「レコードを解析してもまだ分からない。世界が……『再配置グラフト』だったか、何らかの大規模な干渉を受けているらしいということは、信じがたいが、理解したことにしよう。だが何者が、そんな大それたことをしている。そんなことが可能なのか?」


「実際やってるんだから、可能なんだろ。正体は分からん。おそらく悪性変異体の一種だ。あんなやつは他では見たことないけどよ。聖歌隊だとあいつは『御遣い04』と呼ばれていた。北米の『吊るされた十三人の男たち』とか……(生体管制より通達。ログを削除しました)とか、あの辺りの、常軌を逸した力を持つ個体の一種だ」


「具体的に何をしている? どう変異しているんだ」


「やつはどうにも世界の在り方、というか組み合わせ方を変えられるらしい。自由自在かは怪しいが」


「世界は一つしか無いだろう」


「俺もそう思ってたんだが、どうにもそうじゃないみたいだ。アルファⅡって元々はそっち関係の研究成果だろ、代替世界だとか平行世界だとか……お前のメディアにそういう知識は入ってないか? この世界は一つじゃない、観測できないだけで似た世界や違う世界が山ほどある、そんな考え方だ。そしてそれがどうやら本当で、やつはそれらを裁断して並べて畳んで適当に繋げて、ツギハギだらけの襤褸切れみたいに変えちまうみたいなんだな。付け足して並び替えて『起こったこと』を無かったことに変え、『無かったこと』を起こったことにすり替える。さらには全然違う歴史で無理矢理塗り替え、一繋ぎに仕立て直す。世界を果ての見えない『回廊』に変えちまうわけだ」


「だから『回廊世界』か。いったい何が目的で……」


「そこまでは掴めなかった。ただ、恒常性を回帰させるための力が、おそらく時間軸の方に働いたんだろうなっていうのは分かった。なんて言うか……悪性変異体っていうのは苦しい状況から何とか逃れようとした感染者の成れの果てだろ。あいつはそれの行き着く先だと思う。時間をいじれば世界を変えられると思ってるんだろ」


「その存在に名前はあるのか?」


「俺たちは『時の欠片に触れた者』と呼んでいた」



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