レコード000122【キジール】
規格の互換性をチェック…
接続を確立しました。
シグマ型ネフィリム……エラー。機体種別を確認できません。
人格記録媒体への平行アクセスを開始します。
非侵襲式簡易人工脳髄、ブリッジモード。
エージェント・ミラーズ、生体脳を仮想人工脳髄モードへ移行。
人格データをマウントします。
本メディアは解析中も通常動作が可能です。
対象:
原初の聖句による思考汚染の可能性:高
検索:『キジール』
該当:821121件
選択:無作為
再生/レコード000122:
燃え落ちた街ばかりが美しく見える。
首のない鋼の巨人の行進。旗を掲げている。
率いられた不死の面相、色とりどりの瞳に宿る終末の虚無、群れを成し瓦礫の狭間を歩いていく。
角を曲がる、また角を曲がる、また次の角を曲がる……。
砕かれて欠けた八角形の道路標識には三色、一つには褪せるばかりのペンキの赤、一つには黒く濁った血潮の赤、もう一つには幾千の驟雨が過ぎた赤錆の赤。
不滅にして不可逆の赤。
この時代の赤……。
白く切り抜かれた『
魂のない祈りの歌ばかりが響く。
裁き主を崇める……。
歌に操られた群衆の後に土埃が舞う。
小さな廃屋の片隅。
椅子に腰掛けて、修道者のように瞑目していた金色の髪の少女が、少しだけ咳き込んだ。長く伸びた髪は翼に似ている。死んだ天使の……。
理髪店だった。傷んだ革張りのサロン・チェアは大人用で、抱きしめれば折れてしまいそうな少女の小さな身体には不釣り合いに大きい。
爆撃で破壊された屋根に、黒い煙が立ち上っている。
床には不発弾の突き抜けた後がある。爆弾がある。作動していないだけの……。塔を食らう業火、地均しをする冒涜の火薬、人間も宝石も区別なく粉微塵にして暴風で吹き散らす猛威の化身が、足下に埋まっている。火花の一つで起爆するかも知れない……。
しかし少女に怯懦の影はない。神の成すままを信じている。
あるいはそう振る舞うことに慣れきっている……。
永遠に朽ちぬことを約束された黒い服。麗らかな日差しの絡みつく肢体。立ち上るのは微睡む天使の残り香。古い時代の勲章を出鱈目にぶら下げたドレスの薄い生地からは儚い肉体の輪郭が透けていて、ゴシック調の飾り布がさらにそれを覆う。膝の上で子猫の髭のように揺れるベレー帽の羽根飾り。小麦の穂波を想起させる香り立つ豊かな金髪の癖毛が低い背もたれの後ろへ春風に膨らむベールのように垂れ下がる。
鏡に映る姿に乱れはなく、打ち捨てられた理髪店の椅子は、忘れ去られた時代/打ち捨てられた都市/忘れ去られた小国の玉座のよう。
滅ぼされた王国の……。
「お姫様みたいだな」
男の声がした。
背負った蒸気機関からは絶えず黒い煙が吐き出され細く棚引く。
理髪店の廃墟の待合室に置かれていた皺だらけの雑誌を片っ端からかき集めて燃焼室に入れた直後だった。視界には発電量とバッテリー充電率を示す数値が揺れている。蒸気甲冑のあちこちで稼動状態を視覚・聴覚で確認するための歯車がガチン、ガチンと音を立てて噛み合っている。
「急に何? ローニン」
前髪を揺らしながら少女は気怠げに問うた。
目を開く。
緑色の瞳が瞬く。
額の片側には花水木の造花、いつわりの魂の眠る……。
「綺麗だって誉めてるんだよ。キジール。立派な椅子に座ってよ、お姫様みたいだぜ」
手にした櫛で少女の金色の髪を梳く。
穢れない白の首筋に髪が流れていく。
髪に軽く鋏を入れながら鏡を見る。
怪物が少女の傍にいる、怪物が少女の傍にいる、見慣れた装備の不滅のともがら……。
陣笠型のヘルメットに不朽結晶連続体の黒い仮面。
怪物のようだ。怪物のようだ。怪物のようだ。血の海を渡る……。
己自身が見返している……。
蒸気甲冑の頭の先から爪先まで、赤く染まっていない場所は一つもない。
全身至る所から、感染した血が揮発するときの蒸気が立ち上っている。
呪われた異類異形か悪鬼の羅刹、さもなければ数え切れない死を経験した不滅の兵士。
ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし……。遠い記憶から響くノイズ。告発している。意識の狭間に泡のように浮いて弾ける。この不滅の時代に……。
ありとあらゆる場所に刀剣とそのホルダーを装着した奇怪な出で立ちのその兵士は、侍従のように背後に回り、慣れた手つきで少女の身繕いをしている。
鼻先を掠める花の香りは、あまねく不死病患者に与えられた警告の芳香。
猛毒の棘は人を死ではなく不死へと導く。
「お姫様ね。ふうん? お姫様。そうね……ここは主の御国、救い主こそがこの国の王です。キング・オブ・キングズ、ロード・オブ・ローズ……」
少女は楽しげに聖譚曲の一説を口ずさむ。
翠玉の瞳が鏡越しにこちらに注がれる。
歌う口の端に蠱惑の微笑を浮かべる……。
「ハレルヤハ。お姫様。お姫様ですか。私は王に娶られし者、神の花嫁の一人です。それだから、お姫様と言えば、そうなのかもしれませんね。ですが、どんなに誉めたって、我らが王から花嫁を奪うことは出来ませんよ」
「おいおい、冗談じゃないぜ」
鬼面の男は喉を鳴らす。
「やせっぽちのガキに惑わされるかよ。俺だって妻と子供のあった身だし、あいつらのために、死んだ身になってでも、こんな仕事をやってるんだよ。お前をどうにかしようなんてこれっぽっちも思わないね」
『キジール、貴女にこの警告を行うのは三十回目です』
部材を継ぎはぎにされた見窄らしい
『調停防疫局のエージェントにハニートラップは通用しません。判断能力に必要以上の影響を与える要因は、精神外科的心身適応により切除されます。籠絡しようというのは、無駄な足掻きかと』
「失礼な機械。私は惑わしてなどいません。人を褒めそやして絆そうとする、このローニンを教育しようとしているだけ」
「言い忘れてたけど薄汚いサムライのことをローニンって呼ぶわけじゃないぜ」
「そうなの? じゃあ薄汚いサムライって呼んだ方が良い、ローニン?」
戦闘服にこびりついた染みの大半は、返り血の鮮やかな赤。
兵士の身体をしとどに濡らしていた鮮血は急速に蒸発しつつあり、放置していても消え去るが、金髪の少女に触れればその瞬間に揮発する。
数千の生きる屍と数十のスチームヘッドを追い立てて斬り伏せてひとときの死を与えた。血と殺戮の赤。いつわりの赤。
不滅の灰の時代に唯一生きている腥い赤は花の香りがする……。
少女は鏡と向かい合い、人形のような繊細な顔の表情筋を整えるように、頼りない小さな手で己の頬をむにむにと押し上げた。
自分の微笑に心を動かされない人間に不服があるらしかった。
「こんな失礼な人たちに袖にされるのもつまらないわね。シィー、あなたの趣味はショートカット? それともロング? 今日は好きな方を選ばせてあげる」
『キジールは長い髪の方が断然似合います』
「ユニ子さんには聞いていません」
「フォローになるといいんだが、綺麗だと思うのは本当だぜ。やせっぽちに興味が無いのも本当だが」
「それはどうも。それだと、
「ああ、ありゃ美人さんだね。掛け値無しだ」
「手を出したら承知しませんからね」
「仲間の娘に手を出すほど
「あのね、どんなに小さくたって、見た目通りの年齢じゃないのよ? あんまりからかうものではありませんよ。夫がこんな調子では、御国の奥様もさぞやお嘆きでしょう。まぁ減らず口は、あたしも、そうね」
異形の兵士に髪を弄ばれながら、金髪の少女はわずかに照れた様子で溜息を吐いた。
「誉められて悪い気はしないわ。ありがと」
「礼を言うまでが長いんだよなぁ、お前は」
「相変わらず知ったようなことを言うわね」
「いいや。知ってるのさ」
軽やかに鋏が音色を刻む。カチカチカチ、というリズムに合わせて少女が「キング・オブ・キングズ、ロード・オブ・ローズ……」と聖譚歌を口ずさむ。
「いつになく機嫌が良さそうじゃないか?」
「一仕事終えたところだもの。多くの迷える魂をあるべき道へと導きました。喜ばずにいられましょうか。ヴァータの気に入る、新しい鎧も見つかったことだし」
「ややこしい
「あの子そんなふうに呼ばれてたの? 可愛いわね」
「可愛いか? まぁ可愛いか。そうか?」
「いいですか、あの子は神に選ばれた子です。鎧の方があの子に従いたいと欲するのよ。彼らの率いる悪魔の鎧も、彼女にだけは恋をして訴えるのです。あなたをあらゆる不幸から守って差し上げたいと」
「鎧に愛された少女ね。そりゃ難儀だな。たまに男みたいな声を出すが、あれは?」
「……あの子なりの勇猛さのアピールよ」
良くは思わないんだけど、と溜息を一つ。
「あの子の元々の声は綺麗だけどぜんぜん威圧感がないでしょ? それにしたって、あれこれと鎧を変えているのは、ローニン、あなたも同じでしょうに」
「俺のは単なる機能だから大したもんじゃないよ」
「自慢の娘と並べているの。誉めているのだから素直に喜ぶべきですよ」
してやったり、という微笑に肩を竦める。
「そうかい。ありがとよ」
「お互い素直にならないとね。……不服ですが、今回の救済で確信しました。あたしたち、上手くやれそうね。こんなに上手くいくとは思わなかった。何年だってこの試しに挑めると思う」
「髪を二回も三回も切らせておいて今更水くさいじゃないか。俺はもっと前から、俺たちは良いチームだと思ってたぜ」
「ヴァータのことは本当はどう思う?」
「良い子だ。俺だってあいつのことはいつも誉めてるだろ。それが答えだ」
陣笠の兵士は首を傾げた。
「それとも、もっと誉めた方が良いってことか?」
少女は目を細め、鏡の中で頷いた。
「こんな時代だもの。子供は百万の言葉を費やして誉めても、まだ足りない」
「しかし、この災禍は神のもたらした使命なんだろ? 喜んで全うするのが当然じゃないのか?」
「それとこれとは違います。あの子は苦悩している。神はあの子に争いの天分を授けましたが、同時に争いを憎む心をも授けられた。あの日、悪魔の鎧に狂わされた再誕者たちに加えられた責め苦も、まだ心を苛んでいるでしょう。あの子はそういうのになれてないのよ」
「止められなかったのは……すまないと思ってる。だが全部を同時に始末するのは難しかった。手練れも混じってたし」
「今更責めているわけじゃないわ。ただ、あの子自身がうんざりするぐらいに労ってあげても、それでも十分には程遠いってこと。あなたにも子供がいたのでしょう? 少しぐらいは分かるはずよ」
「まぁな。いた、というか。いる、というか。どうなんだろうな。だが与えられるものは全部与えたよ」
「どんなふうに育てていたの? あたしに、どうか聞かせてくれないかしら」
奇妙な節回しの少女の声が、麻薬のように脳髄に浸透する。
視界の片隅に『警告:原初の聖句』の文字が表示される。
不死の病に侵された空の肉体に入り込む、言葉で編まれたいつわりの意識。
> 聖歌隊のエージェントからの思考攻撃を確認しました。ウォッチャーズ、強襲モード、レディ。合図でトリガーします。
支援AIとの協議のログが高速で流れていく。
> 彼女にとっては定石のようですね。前回、前々回もこのパターンで貴官の「娘」という脆弱性を突こうとしました。
> ウォッチャーズを止めろ。二個以上の人格記録媒体でコントロールされたスチームヘッドには、どんな手口で言葉を滑り込ませても効きやしない。無害なもんだ。前のキジールで実証済だ。この程度は無視で良い、原初の聖句が使える仲間は貴重だぜ。
> 肯定します。ウォッチャーズ、強襲モード解除。……問題は、この脆弱性を突かれると、原初の聖句無しでも貴官が陥落してしまう、ということです。
> そう言うなよユニ子。俺はキジールが気に入っているから、円滑にやっていくために効果があったフリをしてやるわけだよ。
> 警告。家族の話をする口実に当機のキジールを利用しないで下さい。彼女はいずれ当機が籠絡する女性です。
鬼のような仮面の下で口元が苦笑の形に歪む。
現実の緩やかな時間の中で、眼前の偽りの聖女へ応えた。
「仕事が仕事だったんで、殆ど会えなかったんだがよ、でも……うんと甘やかしてやった。命だけでも何とかしようと、世界が滅びると分かっていながら、ろくでもない連中に手を貸した。取り返しの付かないことをして……自分自身の命まで質に入れた。それでも幸せには、してやれなかった」
ふと気がついて、鬼面の兵士は鏡を見た。
告解を聞く神父のような穏やかな眼差しで、金の髪をした少女が、続きを促していた。
> こいつも家族の話が聞きたいだけなんじゃないか?
> 否定はしません。しかし留意して下さい、シィー。彼女は最初はロシアの
> 分かってる。逢うたび聖歌隊に入るまでの経緯がめちゃくちゃだ。
> キジールは危険な存在です。常に我々を欺瞞しようとしています。
> だが家族への態度は一貫してる。これも実際は違うのかもしれんが俺はこいつとあの縫いぐるみのやつは親子と呼んで差し支えない関係だと思うね。全部信用しなくても、そこには付き合っても良いだろ。
兵士は嘆息し、訥々と語った。
「俺にも娘がいた。最後に見たのはお前ぐらいの年だった。見た目だけだが。今はどうなってるか分からん。……生まれつき病弱でよ。折角の美人が、病院なんていう殺風景な場所に缶詰だ。人見知りが激しくって、俺や馴染みの看護師以外が髪でもなんでも触ろうとしたら、それだけで青ざめて倒れちまう。だから髪を切ってやる仕事はたびたびに俺に回ってきたわけさ」
「首を切り落とすのも髪を切り落すのも同じというわけ?」
「剣呑なことを言うなよ。とにかく捧げられるものは何でも捧げた。娘まで病のやつに奪われたくなかった。百万の言葉だけじゃない。百万の命だって捧げた。なのに、幸せにはしてやれなかった。俺は本物のろくでなしだよ。ろくでなしだ……地獄があるって言うんなら、プシュケ・メディアごとそこへ行ってやるぜ。だがあいつだけは、どうにかして助けて欲しいもんだ。神様がどんなものか知らないが……あいつだけは幸せにしてやって欲しい」
「……赦してくださいますよ」
少女は鋏を持つ兵士の手に不意に触れた。
そして鋏を取り上げて、手を引き寄せて、そっと己の頬に当てた。
「我らが父は、きっとあなたを赦します。我が子の幸せを願う気持ちを、どうして慈悲深き主が罰しましょうか」
「神か」
兵士は焼損した壁から外を垣間見る。
焼き尽くされた家々。
街路樹に首を吊るされたまま自己凍結を進めている名も知れぬ市民の服は朽ち果てて裸体を晒している。
復活せぬよう壁に釘付けにされた不死病患者は今も藻掻いている。
血に濡れたブーツを意識する。油と血と泥の混合した、粘つく液体の絡む刀剣を意識する。
斬り捨てる瞬間の不快な手触りを思い出す。
「やつは……どこで何をしている」
「見ておられますよ。天使たちが我々を見ています……」
男は無言で鋏を取る。
金色の髪に鋏を淹れる。
カチンカチンと刻む音がする……。
神よ、天使よ、いると言うのならば来るがいい。少女の身を借りて理を説くと言うならば、その手を操って鋏を奪い首を突き刺すが良い……さぁ、やれ、殺せ! 殺せ! 殺してみろ! この不滅の亡者を!
> サイコ・サージカル・アジャストが作動しました。情動を切除します。
首のない鋼の巨人が旗を掲げて歩いている。騎士甲冑のような外殻を震わせて賛美歌を奏でている。率いられた不死の面相、色とりどりの瞳に宿る終末の虚無。群れを成し瓦礫の狭間を歩いていく。
角を曲がる、また角を曲がる、また次の角を曲がる……。
ひしゃげた機械甲冑が崩落したビルに叩き付けられて停止している。両断されたヘルメットを、己の腕を、あるいは脚を、武器を、蒸気機関を抱えさせられた五体満足の不死病患者たちが、呆然とした顔で跪き、通り過ぎる群衆に合わせて聖歌を歌っている。
角を曲がる、また角を曲がる、次の角を曲がる……。
四肢を切断され胴体に不朽結晶の重槍を突き立てられた巨人、その胴体の空洞で人格記録媒体を破壊された亡者が歌っている。打ち砕かれて三日月のようになった巨大な転輪にもたれかかって、ケーブルに繋がれた不死病の患者が唱和している。
虚ろを宿す不死どもは歩き続ける、この地におらず、来るあてもない裁き主を讃えながら、都市を歩き続ける、角を曲がる、また角を曲がる、次の角を、また次の角を曲がる……。
裁き主を崇める。
その鎧の聖歌隊員を頭上から見下ろす影がある。
天使たちだ。
光の失せたビルの壁面に張り付き長大な電磁投射銃を構えて、敵を探している。敵対行動の兆候を探している。
今この理髪店も、彼らによって監視されている。
聖歌隊の母娘を見張っている。
デルタ型ウォッチャー群体。
半自動化された魂なき兵士たちが背負う蒸気機関には赤い竜が一匹。
紋章に躍る文字は『調停監視防衛局』。
得体の知れぬ防疫局の末裔たち……。
銃口の一つは少女に向けられている。
また一つは首のない巨人に向けられている。
銃を向けている。お前は銃を向けている。
お前は銃を向けている!
お前たちは子供に銃口を向けている! お前たちは彼女らに銃口を向けている!
人殺し! 人殺し!
声が木霊する、記憶から泡のように……。
この死を剥奪された時代に。
――爆撃で破壊された理髪店で、異形の兵士は聖なる少女の髪を櫛で梳く。
カチンカチンと鋏で刻む。
落とされた髪が、黄金の羽根のように舞い落ちる……。
その間にも
魂は無いのだろう。祈りは無いのだろう。
さりとて、死と不滅の街に鎮魂の歌は満ちる。
朽ち果てた床屋の玉座に腰掛けた少女の、溜息が出るようなビスクドールじみた繊細な目鼻立ちと、膝丈の裾から覗く生白い脚を眺める。腰も胸元も、成熟していない。人の親とは思えない……。
荒廃した世界が彼女にこの状況を強いた。時代が彼女に選択を迫った。母親を救ったのは血の盟約に従うカルト教団であり――彼女らを人間もどきのスチームヘッドに変えた。
あるいはこれも嘘なのだろう、彼女らは家族ではないのかもしれない、しかしそんな陰惨な虚構を組み立てなければならない世界に、やはり擁護の余地はない。
きっとろくでもない時代だった。こんな少女にまで過酷な運命を押し付ける。
……それでも、と兵士は瞑目する。
「ローニン、何か悩んでいるの? 表にカフェがありましたね。あとでコーヒーを淹れてあげます。とびきり苦いのを。苦いコーヒーには自信があるの……」
少女は細いかんばせに上機嫌な笑みを浮かべ、再び歌を口ずさむ。
視線がちらと屋根を見た。
焼け落ちた屋根の外、剥き出しの空の端、傾いたビルに張り付く狙撃仕様のスチームヘッドを見た。
少女は目を閉じた。歌い続ける。
静かな歌声。聖句ではない賛美歌の一説。
知識の不完全さから来る曖昧な発音。
世の安寧を願う。
裁き主を讃える……。
兵士は手を止める。支援AIからの監視レポートをオフにする。
崩落した天井から蒼穹へと視線を放り投げる。空に雲は無い。爆撃機の姿は無い。電磁波の嵐が全てを破壊し尽した。おそらくは無数の自然災害が眠っている間に通り過ぎた。
もはや地上に病はない。不死の病が全ての病を塗り替えた。
この地に貧富は無く、貴賤は無く、悪徳は無く、血統は無く、悲嘆はなく、搾取はなく、権力機構は崩壊し、法治機構は解散し、監視するものたちは権威を失い、悪徳はなく、殺人はなく、人殺しは人殺しではなく、戦士は戦士でなく、生誕はなく、父は父ではなく、母は母ではなく、子は子ではなく、聖女は聖女でなく、娼婦は娼婦でなく、天使は天使でなく、人間は人間ではなく、悪魔は悪魔ではなく、神は来たりてこの地にはおらず、みな盲いた旅人のように道を彷徨い、剣を振るい、不滅の鉄を打ち鳴らし、地には血が流れ、空に銃声が轟き、魂無き都市には
首無しの騎士の声は高らかに。
『神はとこしえに世を平穏に統治する』と、清浄なる言葉が耳を打つ。
やがては、そうなるのかもしれない。
意思ある祈りすら途絶え、ただ不死の祈祷者だけが、無言で路傍に立つ時代が来るのかも知れない。
しかし今は、燃え落ちた世界ばかりが美しく見える。
死と滅びに満ちていた時代こそが、本当だったと思える……。
「奇跡なんて望むべきじゃなかった。あそこで、あのどうしようもない世界で、みんな幸せになるべきだった……」
魂なき時代に声が響く。
裁き主を崇める……。
終了/レコード000122
UYSYSよりアルファⅡへ:
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