墓標の如き兵士の残骸②
「了解を得た。では処置を開始する」
アルファⅡはミラーズの豊かな髪を掻き分け、小さな頭蓋骨をガントレットで掴んで固定した。
そのまま不朽結晶連続体製のメディアを頭部に押し当てたが、「痛い痛い!」とミラーズが嫌がるばかりだった。
一瞬だけミラーズの認知機能を低下させ、オーバードライブを発動し、タクティカルジャケットからナイフを抜いて、頭部を高速で浅く切開した。
そして認知機能が戻る前にメディアを頭蓋骨の内側、脳髄へと突き刺した。
「……いったいっ、えええ! えっ?! どうやって頭に刺したの?! あれっなんかさっきナイフとか持ってなかった?! まさか頭ナイフで斬ったの?!」
「ナイフなんて持っていない。もう戻した」
「だから、斬ったんでしょ?! 非道な真似はしないとかどうとかいうのは……はぁ、ううっ……うっ、いたい……きもちわるい……」
苦鳴を漏らす少女の頭にプシュケ・メディアを押し込んでいく。ミラーズの肉体がびくりびくりと痙攣を起こしたが、そもそも抵抗しないことを当然のドグマとして刷り込まれている少女は全く抵抗しない。
アルファⅡはろくに意思確認もせず「起動させる」とだけ言ってメディアを起動した。
「待って待って、待ちなさい、心の準備がががががががががががが」
悲鳴を上げ、ミラーズはその場に仰向けに倒れ伏せた。
目を見開いて涙を流し、大きく痙攣したあと、停止した。
次に瞬きをしたときには雰囲気が一変していた。
「……ん?」と訝しげに言いながら空に手を伸ばし、行進聖詠服の黒い袖を片方の手で撫でて、掴み、手のひらを開けたり開いたりした。
緑色の眼球の焦点は定まっていない。
くらやみを見ていた。
「……再起動……したのか……? 破壊された? 誰がやったんだ? 何だこの肉体は。頼りないな……腕が細い……握力も弱い。子供か? 俺の人格記録と規格が全然あってねぇじゃねえか。くそっ、眼筋まで上手いこと動かない……っていうかこの声、聞いた覚えがあるな……ごほん、『私はスヴィトスラーフ聖歌隊です』」
そのプシュケ・メディアの主は悲鳴を上げた。
「まさか……聖歌隊のキジールの肉体か?! 何でだ?! 何で俺があいつの身体に入ってる?!」
「目が覚めたか、不明なスチーム・ヘッド」
「んん? だ、誰だ?」と声がした方に怪訝そうな顔を向けつつ、違和感を覚えたのか、喉に手を当てる。
そのとき首輪の冷たい感触に気付いたのだろう。
ぺたぺたと荒っぽい手つきで触り、「隷属化デバイスか……」と絶望したような声を漏らした。
「君の人格は成人男性なのか? ならば身体の動作に違和感があるだろう。すまない、空いてる身体がこれしかなかった」
「リーンズィ、あたしの身体をこれ呼ばわりしないで。それに、自由に使って良いというわけでもないわよ! 空いてないです! もうちょっと優しくして! これ、見た目より大分痛いわよ!」と他人のプシュケ・メディアを挿されたミラーズの肉体が抗弁した。
頭に無骨な機械が突き刺さっている状態はどう控えめに見ても大した負傷であり、ごく当たり前に痛そうに見えた。
「ユイシスはあんなに優しいのに、どうしてあなたという人は……こほん。私の頭に刺さっている方、大丈夫ですか? 今、眼球運動を適応させます」
現在のミラーズには擬似的な支援AIとしての機能が付与されている。
己自身の肉体なのだから動作の支援を行うのも可能であろう、という実験的な処置だ。
ミラーズは誰ともしれぬ男性の口調で少女そのもの声を発した。
「あ、ああ……。間違いないな。お前さん、スヴィトスラーフ聖歌隊のキジールだな。間違いなく自分の口から、お前さんの声がしてる。普通ならメディアの相乗りなんて出来ないから、やっぱりそうだな。悲しいな、お前さん、隷属化されてしまったのか。記憶の幻影しか残っていない奴隷というわけだ……」
自分の肉体から言葉が途切れるのを待って、ミラーズが応える。
「どこのどなたか存じませんが、奴隷扱いはされていませんよ。現在は調停防疫局のエージェントです、ミラーズと名乗っております」
「調停防疫局だ? くそっ、この期に及んで、調停防衛局だって? どいつだ? 一体誰がこんなことを? キジールはこんな目に遭うべきじゃないのに……いや……いや、いや、いや、そんな馬鹿な……でも、だってお前、隷属化デバイスが搭載されている機体なんざ、あいつしか……。いや嘘だ。あり得ない。あり得ないんだよ、それは……」
ヘルメットの兵士、アルファⅡは、猟銃をミラーズの頭に向けたまま問いかけた。
「改めて、おはよう、と言うべきか、エージェント? 君の名前はローニンで良いのか? そろそろ眼筋の運動が安定してきた頃だろう。私が見えるか? 君を起動させたのは、私だ。調停防疫局所属のスチーム・ヘッド、アルファⅡモナルキア。そのエージェントであるアルファⅡだ」
黒いバイザーの下で黄色く輝く二連二対の不朽結晶のレンズは、兵士と言うよりは、どこか血と殺戮が支配する異邦の地から流れ着いた、得体の知れない何かのようだった。
「ああ、嘘だ。嘘だ、嘘だ! 嘘に違いない。悪い夢だ……」
「夢だと思うなら、一度メディアを抜こうか。次に起動したときには嫌でも現実と分かるだろう」
不明な人格を生体脳で演算する少女は、薄い唇を戦慄かせた。
混乱と絶望の視線がアルファⅡの外面を滑っていく。
黒い鏡のごとき特殊な光透過機能を持つバイザー。
砲金色のヘルメット。
左腕全体を覆う装飾過多のガントレット。
そして棺のような巨大な重外燃機関。
「間違いない、お前はアルファⅡモナルキアだ……」
「肯定する。それは私であり、この機体の名だ」
「なんてこった、起動実験が成功したのか? このパターンは初めてだ……。絶対に収束しない可能性だと思い込んでたが……。はっ?! キジールがここにいるってことは、まさか、スヴィトスラーフ聖歌隊がお前を奪取したのか?! その上で起動に成功させたのかよ。じゃあコントールしてるのは、あいつか。だとしたら最悪だ。いや最悪なんて言葉じゃ足りない!」
同じ口でミラーズが反論する。「どちらかというと奪取されたのはあたしよ。無理やり再誕させられたのよ」
「誤解だ。形式上の同意は得ている」
「はいはい、そうね。まぁ、さっきも言ったけど、今はキジールじゃ無くてミラーズって名乗ってる。エコーヘッド? っていうのにされたのよ」
「
「何よ……。さっきから随分と馴れ馴れしいですね? 私は知り合いだとは思わないのですが」
不快感を隠そうともしないミラーズに、肉体を共有する男は、家財の一切を打ち壊した後のような自暴自棄の笑みを浮かべた。
「昔の客かも知れねぇよ」
「……そんなの、生きているはず無い。掃討作戦で彼らは大方死にましたからね」
「ああ。そうだろうよ。俺もそう聞いている。お前さんの口からな。いや、お前さんは、知らないだろうが、俺たち、結構長い付き合いなんだぜ、キジール」
「初対面よ。どこのキジールと間違えてるの」
「どこのだろうなぁ。冷静になってみりゃ……聖歌隊やら継承連帯が、本格的にアルファⅡモナルキアを運用したのなら、俺なんかをわざわざ再起動させる必要がない。つまり何か目的のある連中に奪取されたわけじゃない、と。そしてお前さんは自律活動しているのに、本格的な稼働は開始していない。すると、想定とはかなり違う動きをしているわけだ、アルファⅡモナルキア。俺はな、構想の段階からお前を知ってるんだぜ……信じられん、まさかお前と話す機会があるだなんて……」
アルファⅡはこれらの発言を余さず記録した。
「それで、そういう君は何だ? 調停防疫局のエージェントであることは間違いないな? だというのに、我々のデータベースに君は登録されていない。どこで何をして、何故ここで破壊された」
「ああ、確かに俺も調停防疫局のエージェントだ。正確には過去形だが。まぁギア自体はご覧の有様だ。改造しまくってるが、シグマ型ネフィリムの五番機、ケルビム仕様……って言っても分からないよな。後発だし。設計としてはアルファⅠの系譜だよ」
少女の肉体に演算された男は咳払いした。
「名乗るのが遅れた、個体識別名は『シィー』だ。ちょっと言いにくいよな? シイでもCでも好きに呼んでくれ。しっかし、まさか再起動して最初に見るのが、アルファⅡだなんてな……」
「エージェント・シィー。私が起動しているのがそんなに不思議か?」
「ああ。
「継承連帯に参加したのか。調停防疫局が滅んだというのなら、責めはしないが……しかし、随分私の記憶と違うな。他にそんなにエージェントがいたのか? 私を含めてアルファモデルに連なる機体は五機しかいなかったはず。量産計画など聞いたこともない。それに、先ほど語られた経歴が、現状に即しているとも思わない」
「いくらでも説明は出来る。だが長くなるぜ。全部教えようとしたら、その前にバッテリーが切れそうだ。相当年月が経過してるみたいだからな。聞きたいことがあるなら、そっちから話を振ってくれ」
「そういうものか? では教えてくれ、この国はいったいどうなってる。滅びたのか?」
「ああ。滅びたよ。もうどうしようもない。疫病にやられたのさ」
「それは了解している。しかし、今やノルウェーは聖歌隊の勢力圏のようだ。まともな継承連帯の機体は一度も確認できていない。私の記憶では、継承連帯がこの地で圧倒的に優勢だったはずだし、聖歌隊が継承連帯に勝てる理由もない。何故こんなことになってる? 何もかも、私の知っている世界と食い違っている」
美しい少女の顔で、その男は、泣き笑いのような表情で言葉を絞り出した。
「それはそうだ、全部おかしくなっちまったんだからな。
男は、黒い鏡に映る少女の顔に向けて、首を振る。
「ああ、キジール。お前さんのその眼差しを、柔らかな金の髪を見ているだけで、頭がどうにかなりそうだ。懐かしすぎて苦しくなる。泣けるもんなら泣いてるぐらいだ。嘘みたいだろ、俺たち仲間だったこともあるんだぜ。肩寄せ合ってさ……。でもお前さんは覚えてない。お前さんは、全然違う誰かだ。それどころか、エコーヘッドだもんな。なんでこんなことに。本当に馬鹿げた話だ。馬鹿げた話なんだよ……。俺自身悪夢であってくれって思うんだ」
ミラーズが割り込んだ。
「息を整えて。心を穏やかにしてください。ここは安全です。我々が責任を持って保護します」
「我々、だって?! キジール! くそっ、俺たちみたいな言い方をしないでくれ、キジール! 俺たちみたいな……そんな、俺たちみたいな……」
「エージェント・シィー。落ち着いてほしい。さぁ、何があった?」
「何もかもだ! 何もかもが、起こった。どうにかしようと戦ったさ。使命を果たそうとしたんだ。だが、全部無駄だった。どうにもならなかった……最後には運命に追いつかれて……このざまだ」
少女は震える両手をじっと見つめ、深呼吸した。
「それでもよ、この国ぐらいは、ちゃんと救うぐらいの働きはしたと思うぜ……何十回も……何百回もな」
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