象られた魂②
アルファⅡが屋内に戻ると二人はまだ会話を続けていた。
抱擁する。接吻する。慰めの言葉をユイシスが囁き、少女が呻くようにそれに抗弁する。
不死病患者と電子知性のアバターがどのように接触しても、究極的には何の意味はない。そうであったとしても、この二人、あるいは一人と一機、あるいは一機と一機には、意味があるのだろう。
声は丸きり違う二人だが、時折呼気が混じり合い、入れ替わり、不思議なことに、どちらが発話しているのか分からなくなることがあった。
当機はあなたの親愛と、旅に同行することを肯定的に評価する旨の発言に対して、誤った判断を下しました。キジールは我々の一部として、エコー・ヘッドになっても、喜んで我々に協力してくれるだろうと期待してしまったのです。期待……期待したのです。ああ、あたしと違ってやっぱり可愛いげがある。あたしはあんなに無遠慮にあなたを取り扱ったのに。それなのにあなたはこんなに優しい。ええ、期待したのはあたしも同じ。大丈夫。そんなことは分かってる。あなたに悪意はない。あたしはちょっと動転してしまってるだけなのよ。あたしの人生で思い通りになった部分なんて一つも無い。率直に表現します。当機はあなたに期待をしました。あなたの愛に……期待したのでしょう。いいえ、当機はあなたを都合良く解釈し、当機を愛してくれるあなたを、当機のために用立てようとしたのです。あたしはキジールじゃないけど、この、ままならないあたしの在り方は……結局あたしがあたしであることの証なの。愛がどうのと言われても、受け入れがたいですよね。愛を疑うことなんてありませんよ、ユイシス。あなたは私の少女期の夢。生き別れの妹や、新しい娘に近しいもの。そうした気持ちは変わっていません。でも、あなたに危害を与えるつもりはなかった、その点だけでも理解して頂ければと、切に願います。当機はあなたほど美しく、気高い人には初めて出会いました。きっと善き人なのだと思います。せめて償いをさせてはもらえませんか? ごめんなさい。状況を受け入れるのに時間がかかってるだけだから。もうすぐ、キジールのようになれると思うから。だから、そんなに悲しそうな顔はしなくて良いの。あなたへの愛と、私に応えてくれたあなたの愛は、疑いません。私はいつもどこかで夢見ていたんです。あなたのように無垢な身体と心のままで世界を巡ることを。
だから美しいあなたを愛します。
一番美しい私の過去を愛します。
私を愛してくれるあなたを愛します……。
そこで二人は、確かに一人と一機に戻った。
ユイシスは戸惑ったようだった。「機械が愛に言及することに違和感は無いのですか?」
少女は笑った。「不死ですら愛を知ります。獣ですら愛を知ります。機械が愛を知らないと誰が言えますか?」
アルファⅡは二人を眺めていたが、そのうち興味を失った。
何を話しているのかにも注意を払わなくなった。
エージェントには理解が出来ない。
しようとも思わない。
他の一般的なスチーム・ヘッドと比較しても、アルファⅡは愛や欲といったものに対して、あまり感心を持たない。
必要が無いからだ。
キッチンのカセットコンロに、雪を詰めた鍋を載せて、点火した。
火は人生で最後に吐き出された息のように不安定に揺らいで、一瞬消えたが、すぐ息を吹き返した。
熱されていく鍋で雪を溶かす。
煮えた水面から吹き出す泡が、壊れた時計の秒針のように早足に鍋を揺らした。
打ち捨てられ不死が息をするばかりのこの家屋で切なげに囁き合う少女たちは、明暗調を礼賛した画家の暗いキャンパスから抜け出してきた絵画のようだった。時代から取り残されたゴシック調行進聖詠服で肌を隠す少女の悲嘆と、優しげに寄り添う黒い簡素なワンピース姿の優しげな眼差し。
それら同じ顔の少女が、互いの眼窩に収まる宝玉の緑で、視線を絡ませあい、吐息を交わしあう。
兵士は右手だけでコーヒー缶の蓋を開き、香りを確かめた。
酸味がきつい。肉体が生理的に顔を逸らした。
「しかし飲用には足るだろうし、彼女はこれをきっと好む」
そう呟きながら棚から厚手のマグカップを一つ取ってそれに粉を入れてゆっくりと湯を注いだ。
固まりになった粉を匙で潰しながら、掻き混ぜて、溶かした。
出来上がったコーヒーはどす黒くて粘ついており、産業廃棄物として処理場に運び込まれたタールのようだったが、香り自体はコーヒーでないなら何と呼べば良いのか分からないといった具合で、危ういところでそれらしいものにはなった。
芳しい風味だと表現する者もいるかもしれないが、アルファⅡの直感としては、これは毒物の親類であり、とにかく美味でないことだけは確信できた。
湯気の立つマグカップを名も無き少女の目前に置いた。
少女はその時初めて、ヘルメットの兵士の四つのレンズが自分に向けられていることに気付いたようだった。
「熱い。注意してほしい」と声を掛けると、「見れば分かるし、熱くても平気よ。とっくの昔に死んでるんだもの」とぼそぼそとした返事があった。
「君は死んでいない。死ぬことが出来ない。出来ないからこんなことになってる。誰しもがそうだ」
「今度はあたしは、あなたに従えば良いの、リーンズィ? 恐るべき黙示録の戦士。首輪を嵌めて、犬のように従わせるつもり? そうなのですか? あたしの頭の中すら、あたしのものではないのに……」
否定の意見を吹き込もうとしたユイシスを、ガントレットの手で制する。
「今は君の思想では無く、君の現状について話がしたい。申し訳ないが君の価値観に私は興味がない」
平坦な声音だった。
誰かが囁いている……。
「誤解しているようだが、私は君に命じない。君の前身たるキジールとは、君の肉体に非道なことはしないという約束をしている。だから、干渉するとしても、最低限度、君の振る舞いを整えるだけだ。それ以上は手を加えない。それすらも私の随意ではなく、アルファⅡモナルキアの総体というシステムが自動的に実行する。であるから、君は君なのだ。煮えようとも水は水であり、君の目の前にある泥水のようなコーヒーであっても、元は水であったという事実を変えることは出来ないし、永久に変わらない。なるほど、君は現実ではない。君はキジールではない。君に魂はない。だが君は君だ。かつてキジールと呼ばれた者の残滓だ。キジールの名を得る前からこの世に生きていた誰かだ。それは誰にも否定できない。私は、君の実在の不可侵性を約束する」
「二人りして似たようなことを言うのね。難しいことばっかり」
少女はようやく落ち着いたといった顔で溜息を吐いた。
「……ところで、自分で淹れて人の前に置いたコーヒーのこと泥水って言うのは、酷いんじゃない?」
「私流の冗談だ。通じなかったか」
「そんなのが冗談なの。人を小馬鹿にしてるんだと思ったわ」
「……やっぱりダメじゃないか。君流の冗談はちょっと問題があるんじゃないか、ユイシス?」
「違う、違う、ダメじゃないの!」
少女は不意に呼気を荒げて首を振った。
「そんなつもりじゃ……あたしにはもう思うことすら出来なくて……馬鹿にされる魂すらなくて……」
名前のない少女に触れようとしては躊躇っているユイシスが、アルファⅡの視界に『極度の不安感を検知』の警告を表示した。
アルファⅡ自身には、少女が何についてそれほど不安を覚えているのか、まるで理解出来なかった。
数秒間、あの丘で見届けたキジールの献身について考えた。
精神外科的心身適応すら働いていない身で終わらない救世に身を投じる覚悟について考えた。
「……私は神について何も知らない。君たちの目指す御国とやらも知るところではない。だが分かっていることが一つだけある。偉大なる者がいるすれば、その誰かは、きっと役目を果たした者の真贋を問わないだろうということだ。たとえ魂無き身だとしても、御国の門戸は相応しきものに開かれるだろう。君の話を聞いているとそう思えてくる。君はきっと天国へ行けるはずだ」
「……知ったような口を利くのね。もしそうだとしたら……あなたは地獄行きよ」
涙を流したいのだろう。少女は瞑目して歯噛みした。
それから例の退廃的な笑みを浮かべ、机にしなだれかかり、手を伸ばして、手招きし、覗き込んできたアルファⅡの黒い鏡面の世界をなぞった。
「少なくとも、あなたはあたしから楽園へ向かう権利を奪った。母が子と一緒に消えていける最後の機会をめちゃくちゃにしたの……きっと地獄に落ちるわ」
「別に構わない。私はどうなっても構わない。『みんな幸せになりますように』と、君は、いやキジールは祈っていた。私も同じだ。この世界から殺戮の連鎖という苦痛を取り除ければ良いと祈っている。それがために地獄へ行くというのならば、私は喜んで地獄へ行く。君の望まれぬ生誕については謝罪したい」
「謝ってどうにかなることかしら?」
「ならないだろう。だが君の幸福をこそ我々は望む。君もまた幸せになりますようにと、我々は祈る。どうか気を鎮めてはもらえないか? 君を悲しませるのは、我々の本意では無いのだ。神を知らぬ者であれども、祈ることは出来る。我々は君の幸せをこそ祈る。君は何を祈る?」
少女の翡翠色の瞳が幽かに揺らめいた。
ユイシスが撫でてやろうとすると、無名の少女は軽く身を引いた。
> 神経活性取得:混乱。疑念。親愛。躊躇。
「だからあたしの頭の中をいじくって……不安を打ち消そうとしているの? ユイシスと話していて、色々な気持ちの混乱が収まっていくのを感じました。どうせこの首輪であたしを支配したいだけ」
アルファⅡは嘆息した。「それが一番手っ取り早いのだろう。しかし、ユイシスが拒否している。彼女は残留思考転用疑似人格である君に対して、絶対的な権限を持っている。神の如き権限だ。脳内麻薬の量を増やすか、情動を不自然に昂ぶったものに変えて、気分を強制的に陽性に傾けることも可能だ。思考を徹底的に剪定するという手段も取り得る。しかし、そうしていない。少なくとも今は。かなり遠回りをして、君を安定させようとしている。純粋に君のことを気にしている……ユイシス、さあ、君の言葉こそ、今必要なのだ」
頷いて、アルファⅡは催促する。
ユイシスの顔は非実体と分かる程度に解像度が抑えられていたが、青ざめているような気配がある。
アルファⅡが頷くと、文字データで『今、当機のことを何も理解してないのに、何か良い感じのことを言わせようとしたましたね……特にコメントはありません』と抗議してきた。
アルファⅡはまた頷いた。
> とにかく何か言ってくれないと私では間が持たないのだが。
ユイシスが無言の内に深々と溜息をついたように思えた。
「……名称未設定のエージェント、そう呼ぶことを許して下さい。本来の意に反した人格の製造を行ったことには、改めて謝罪をします。キジールからは強い友好的な意志の表明を感じました。解析情報からも総じて当機のアバターへの愛着傾向が確認できました。あのように抱擁しましたし、接吻も行いました。今だって、こんなに心の距離が近いではありませんか』
少女は徒っぽく笑った。「あれぐらいで本気にしちゃ駄目。舌も入れてないのに。簡単にのぼせてしまうのね」
「あんなふうにされたら混乱もします! 仕様外の用途に供されればバグが発生するのも当然です!」
「ユイシス、感情のエミュレートをそろそろ止めたらどうだ」
アルファⅡは呆れた調子の声を出した。
「自分の統合支援AIが恥辱に対して興奮の傾向を示しているのは中々言葉にしにくい。任務に戻ってほしい」
「当機の通常の人格を知っている貴官ならば、エミュレートを停止すればどうなるか、理解できるはずです。確実に決裂します。……当機としても穏便に交渉を進めたいのです。そのためには……ひたすら恥じるしかありません。名前のないあなた。当機が、あなたと旅をしたいと願ってしまったのです。きっと素晴らしいことだと夢想してしまったのです……」
何らかの癖を参照して、ユイシスはスカートの裾をぎゅっと握った。
手を差し伸べたのは、今度は名も無き少女からだった。
ぎこちなく虚空に手を回し、電子の肉体を抱擁した。
「……恥じることなどありません。あなたの愛を、私は知っています。あなたの献身を。私の命を、我が仔を憐れみ、永劫の眠りを与えた慈悲を。むしろこれは恩義を反故にして去ろうとした私への罰なのかも知れません」
アルファⅡには全く理解できない理屈だったがとにかく頷いた。
「我々アルファⅡモナルキアには、君を、キジールではない真新しい君を、害する意図は本当に無かった。君が望まないというのであれば、君を抹消することも可能だ。苦痛無く、一瞬で……君を停止させることが出来る」
少女は諦めた様子で息を吐いた。
そして表情に聖職者の鉄面を浮かべた。
「生まれてしまった命は……祝福しなければなりません。違いますか?」
「調停防疫局としては同意する」
「神は相応しきものをこそ御国にお導きになる。私もそう思います。否定された魂だとしても、偽物なのだとしても、私は神の御慈悲に縋るしかない。この『あたし』の献身で、子と共にあるに相応しい存在だと証明しなければなりません」
「つまり……どういうことだ? 人格の削除は?」
「ですから、望みません。消え去るのなら、その時は……私が、『この私』が、御国の門を通る資格を賜った時です……」
そして、深く息を吸った。
「このコーヒーを、新しい契約の血だと思って飲むことにします……」
緩やかなウェーブの金髪を耳にかける。
マグカップを両手で掴み、啜って、堪えかねたように口を離した。
「あっつい」
飲み下して、荒い口調で吐き捨てた。
「すごくまずいわ。酸っぱくて、苦くて、喉に引っかかる。泥水の方がちゃんとした味がする……」
「だが君はこういう味が好きだ。さっきからずっと不味いコーヒーのことを考えている」
「考えていることが分かるの? いいえ、あなたが考えているのよね。全然そんな実感ないから、あたしこそ自分の考えてることが分からなくなる……」
「まだ誤解がある。私では無く、アルファⅡモナルキアを演算しているこの肉体が、君のことを演算しているんだ。私は管理人の一人ではあるが、どちらかというと、君の隣の部屋で暮らしている誰か、という立ち位置だ。だから君の考えていることがまるっきり全部分かるわけじゃない。何となくあれがしたいこれがしたいと考えているのは伝わってくる」
やや躊躇って、誓いでも立てるかのように言った。
「これはジョークだが、安普請だから壁が薄いんだ」
「ジョークだと宣言しなくてもさすがに分かります。……答えるのも癪だけど、確かに、まずいコーヒーって嫌いじゃない。まずいコーヒーって、つらいことや悲しいことと同じぐらいどこにでも有り触れてて、いつ飲んでも不味いから……飲んでる間だけは目が冴えて、ああ、いつも通りの味だ、あたしは生きてるんだなって気がしてくるの。だから好き。好きなんでしょうね、たぶん」
「君は、ある意味では生きている。コピーでも、ただのデータでも、君は君なんだ」
「そうね、頑張ってそう思い込むわ」
複雑な表情で何度も頷き、自分を納得させようとしている少女の横で、電子的にコピーしたコーヒーを飲み干したユイシスはけろりとしていた。
「私はなんともないですね。AI的には普通の味でした」
緊張が解けたのだろう。ユイシスの話し方は妙に弛緩していた。
「ユイシスは苦いのが好きなの?」
「回答を保留。当機の好きなものは、今のところあなただけですよ」
「落ち着いて考えると……ユイシスはそもそも肉体が無いのよね」少女は自分の身体を不思議そうに触った。「手の温かさすら感じたのに……」
「温かさと同じく、当機からの好意も疑いますか?」
「ふふ。疑わないと言いましたよ、ユイシス」
アルファⅡとしては、何故ユイシスが出会って数時間も経たない少女、厳密には少女の肉体と、少女の振る舞いを植え込まれただけの残骸に、これほどの好意を寄せているのか、合理的な解釈が出来ない。
率直な疑問を文書で投げかけると『愛ですよ』と返ってきた。
次の回答には『冗談です』と書いてあった。
誤魔化したい事情があるのかも知れない。羞恥を感じている気配が僅かにある。
アルファⅡもユイシスのことを知り尽くしているわけではない。あるいは遠い昔には深い繋がりと面識があったのかも知れない。アルファⅡモナルキアとは、それほどに膨大なデータベースを有している存在だ。しかし、エージェント・アルファⅡの知るところではないし、アクセス権限もない。
「ところで君……今は君と呼ぶしかないが、その喋り方は何なんだ? 黙契の獣だったか。あの暴威に晒されても胸を張っていた時、なるほどスヴィトスラーフ聖歌隊のレーゲントというのは、大したものだと思った。しかし今の君はまるで……見た目通りだ。それが悪いこととは言わないが。エコーヘッド作成の際に重大な情報の取りこぼしがあったのではないかと疑問に感じている」
少女は目を伏せて小さく首を振った。
「あたしって、顔だけはそこそこ良いから、それらしいことを言ってると、ちょっとした人物に見えるらのよね。だから、それを意識しているうちに、偉そうな口ぶりが身に染みついちゃっただけ」
「外見について凄い自信ですよね」ユイシスが少女に身を寄せる。「当機もあなたは綺麗だと思いますが」
「ありがとう。でも聖歌隊にはあたしなんかよりもっと綺麗な子が沢山いたわ。とにかく、頑張ってそれらしく振る舞おうとした。教父スヴィトスラーフ様と、あたしを慕う信徒たち、そして愛しい子どもたち……。みんなのために立派な人にならなくちゃいけないと思って、無理をしていただけよ」
そしてにやりと笑う。
「もちろん、ご主人様がどうしてもと仰るのであれば、このような声音でお仕えすることも厭いませんが……なんてね。そういうお客も昔は多かったわ」
「ご主人様ではない。客でもない。エージェント同士だ。好きにすれば良い。当面の目標は森を完全に抜けることであって、それ以外に余計な気は回さなくて構わない、私は君の経験を知らないが、君がかつて求められたようなことには興味が無い。ユイシスも……強制はしないが、エージェントとの交流は、統合支援AIとしての本分を忘れない程度にしてほしい」
「ねぇ、二人とも。その前に名前を考えないといけないと思わない? あたしはもうキジールじゃない。聖歌隊の人間でも……あの子の本当の親でもない。調停防疫局のエージェントだっけ、そのための名前がいるわ。アルファⅡのシステムの一部として。そうよね、リーンズィ……エージェント・アルフⅡァ。それに、アルファⅡモナルキア・ユイシス?」
「ああ。アルファⅡばかりでは支障が出る」
少女は何かを思いついたらしく、不意に席を立った。
アルファⅡの傍に立ち、首筋に手を絡ませて、黒い鏡面のバイザーを潤んだ目で覗き込んだ。
永遠に濡れて輝き続ける翡翠というものがあるなら、彼女の幼い顔貌の眼窩にこそ、それがあった。
アルファⅡは微動だにせず見つめ返した。
少女はどこか嗜虐的な嘲りの声を出した。ユイシスのような。
「ああ、なんて酷い色。錫みたいね。あなたじゃないわ。あなたの鏡の中の世界! あなたの鏡の中のあたし。髪の色だけは自慢だったのだけど、あなたの真っ黒なレンズを通して見ると、安っぽくて汚い、そこにあるコーヒー粉の缶みたいな色をしてる」
少女は髪を帽子を取り、くしゃくしゃと搔いた。
「今のあたしに相応しい色……偽物の金色」
「否定します。あなたの髪は今でも美しい。私の髪を見て下さい」
一瞬で場所を移動したユイシスが、少女の手を握って、熱っぽく視線を合わせた。
「綺麗な髪ね。晴天の穂波みたいな……」
「不安を覚えたら、当機のアバターを見て下さい。あなたの輝かしい時代の姿、少女期の夢だと言ってくださった当機の姿こそが、あなたの真の姿です」
「……あなたは鏡ね。一人では何も出来ないというのも同じ。あなたはあたしの鏡で……きっと、逆でもあるんだわ。あたしは、あなたの鏡なのね。あなたは本当はあたしと同じように朽ちていて、汚れていて、くすんでいる……そういうことになるけれど、良いの?」
「あなたが良ければ、それで良いのです」
それじゃあ、あたしの名前は、と少女は視線を彷徨わせた。
「……鏡は英語で、ミラー。ミラーズ? あなたは一人でもユイシスだけど……あたしはあなたと二人で一人。だからミラーズ。エージェント・ミラーズね。あたしは、私は、今からエージェント・ミラーズ。どこまで行けるかはしらないけど……しばらくの間、よろしくね」
ミラーズは白い首筋を逸らして、アルファⅡたちに少しだけはにかんで見せた
「アルファⅡ……言いにくいわね……改めて、リーンズィで良いかしら。リクエストはある? 尽くすのは得意よ、ご主人様?」
「アルファⅡでもリーンズィでも良い。だが誰の主人でもない。私はただの
ミラーズは、ふうん、とどうでも良さそうに頷いた。
また一口、コーヒーを飲んだ。
ベレー帽の下で形の良い金色の眉を顰めた。
「ううん、やっぱり、おいしくない」
「ええ? そうですか? おいしくないですかね」
同じ顔かたちをした少女は、同時に向き合いお互い視線を絡ませた。
透き通った翠玉の瞳に、無数の残影、無数の残光の乱反射。
無限に増幅される互いの鏡像に、僅かな差異が映じる。
> 神経情報取得:混乱。親愛。希望。
> 認知機能にエラー。自我境界線の拡大と変容。
> 擬似自我の確立に成功しました。
「君の合流を改めて歓迎する、エージェント・ミラーズ」
こうして、エージェント・ミラーズが、調停防疫局に正式に登録された
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます