狂える青い花樹の下②

「ありがとうございます。普段は信徒たちの手を借りているのですが、彼らは既に任を解かれた身です。私にはもう、命令が出来ません」


「これぐらいは安い任務だ」


 ちらりと青薔薇の樹木を見遣る。

 兵士たちは、少女のことなど一度も見たことがないといった様子で、一心不乱に祈り続けている。


「お互いに無事で良かった。そちらの人員が失われてしまったのはこちらの力不足だ。申し訳ない」


「彼らは失われたのでは無く、神の息吹を受けた獣の肉へと、その在り方を変えただけです。この地からは一つの命も失われていません。ところで、あなたは黙契の獣とは何かご存知ですか? 彼らのその真の使命を?」


「いや、私はその手の知識には疎……」


 金髪の少女は翠の宝玉の瞳を輝かせて、さっとアルファⅡの右手を握った。

 兵士の肉体は温かい肌の滑らかな感触に敏感に反応し、無意識に息を飲む。

 兵士の意識はただ相手が予想外に素早い動きを見せたのでただただ虚を突かれた。

 アルファⅡの右手を両手で包み込んで握りしめながら、少女は頬を上気させて語った。


「黙示録にはこうあります。一七章八節、『あなたの見る獣は、かつてあり、人の国にはおらず、忘れ去られた神との契約により目覚めて、やがて神の王国の礎を築くものである』。つまりどのようにおぞましい姿をしていようとも、獣とは神の御名において作られた存在であることが預言されているのです。また、こうもあります。一七章一二節、『獣たちに憩うべき場所はない。しかし、一時だけ殺戮の王として地上をほしいままにすることを許される』。これは獣の成す痛ましい殺戮さえもが肯定されるもの、主の御慈悲によるものだと示しています。獣を恐れることは神の力を恐れることであり、つまり信仰無き者に信仰を与えるという計らいなのです。一七章一四節も忘れてはなりません。『獣の軍勢は仔羊をも傷つけようとするが、仔羊は、主の中の主、王の中の王にして、最初に再び誕生した者である。仔羊は獣に打ち勝つことで御国の証を示す。また、仔羊と共にいる、使命を授けられた忠実な者、即ち不死のともがらたちも、その証に名を刻まれてある』。お分かり頂けますか。獣とは呪わしい存在です。しかし憎んではなりません。彼らは血と悲嘆の体現者であり、信仰無き世界の苦痛を代弁する者なのです。彼らは暗黙裏に代弁者として主たる神と契約を結んでいるのですよ。そして主たる神は、黙契の獣は最後には打ち倒されることまで織り込まれている。信仰が最後まで芽吹かなくとも、獣と戦うための軍勢に加われば、神の傍に立つことが出来るのです。真なる献身者が、何者なのか、もうお分かりですね。獣の身となり、呪いを一身に受けて歩き続ける獣自身なのです……。しかし、その黙契の獣も安息の眠りの中にあります。素晴らしいことです」


「そうか。素晴らしいのは、良いことだな」


 アルファⅡは曖昧に頷いた。

 彼女が何を言っているのか全く分からなかった。

 スヴィトスラーフ聖歌隊が悪性変異体のことを『黙契の獣』と呼んでいるらしいのは理解できた。 


 怯んでいるアルファⅡに、ユイシスが警告した。


『注意して下さい。黙示録にそのように明記された箇所はありません。これは彼らスヴィトスラーフ聖歌隊独自の解釈です』


「あのようにして戒めの塔を生み出すことは、常なる者には叶わぬことです。どこのどなたかは存じませんが、やはりあなたは神の遣わした未知の再誕者なのでしょう……」


『辞書登録:再誕者/スチーム・ヘッド』の表示が視界を流れていった。


「もしかすると、もう一度名乗った方が良いだろうか。私は調停防疫局のスチーム・ヘッド、アルファⅡモナルキア。エージェント・アルファⅡだ。君にはリーンズィとも呼ばれたか」


「調停防疫……?」

 キジールは小さく首を傾げた。

「失礼します、存じません。アルファⅡというお名前は聞いておりますが……。リーンズィというのは、失礼をしました、見た目の連想で呼び名を決めるのが、私の癖なのです。お気に障っていなければ良いのですが」


「その呼び方のことは構わない。だが、調停防疫局を知らないというのは? そうだな……あの青い薔薇のような変異体は見たことがあるだろう? あれの素体を最初に確保した組織だ。世界保健機関はさすがに分かるだろう?」


「世界保健機関……? ええ、スヴィトスラーフ聖歌隊をかつて支援してくださっていた組織ですよね」


「違う。そんな事実は無い。何の話をしているんだ? 聖歌隊はまだロシアを脱出していなかったし支援の余裕など……」


「リーンズィは不思議ですね。起こっていないことを、まるで起こったかのように仰る。それこそが神の御遣いたる証なのでしょう。私は、あのような花の塔などは、初めて目にしましたよ」


「初めて目にした? あり得ない。不滅の青い薔薇ブルー・ローズだぞ。人為的な改良は施されているが、原型は最初期に甚大な被害を出した悪性変異の一つだ。世界的なニュースだったんだ。あれのせいで都市が丸ごと閉鎖された。何万人が行方不明になったか。あれを知らない人間がいるはずがない。それこそ連日連夜、どこの国でも、テレビでもラジオでも、ネットでも、タブロイド誌までもが、決して滅びることのないあの青い花のことを……」


「ごめんなさい。やはり、存じません」


 キジールは戸惑ったようだった。


「ユイシス、どういうことだろう」


『不明です。スヴィトスラーフ聖歌隊の間では知名度が無いのかも知れません』


「詳しいことは、お聞きしません。あなたはおそらく、尊い御方なのでしょう。我が身が崩れることも厭わず黙契の獣と戦い、最初に銃を向けた私を救おうとし、最後には私の愛しい仔を鎮めてくださいました」


 少女は表情を整え、儚げな笑みを浮かべた。


「私の旅は、これでようやく終わります。長い、長い旅でした。海岸にはたどり着けず……ここで審判が真に来る日を待っていましたが、図らずも神の御心は、あなたをこの地に遣わしてくださいました。これでようやく、いつわりの魂を、この体から解き放つことが出来ます」


 アルファⅡは、キジールからまともに情報を引き出すことは難しいと判断した。

 会話が表層上でしか成り立っていないからだ。

 キジールは見た目こそ整っていたが、どうにも言葉の節々から崩壊の兆候が見受けられる。

 機能停止が近いスチーム・ヘッドの精神性は、脆い。


「……君はずっと、あの悪性変異体、獣を鎮めるために旅をしていた。そういうことなのか?」


「はい。多くの聖歌隊の信徒と共に、不死の祝福を世界に広め、授かりし力で黙契の獣を鎮めることこそが私たちの使命でした。……あの、お聞きしても? ええと、あなたの他に、ここに、この、上の方の空間に」

 キジールは両手を挙げて少し背伸びをした。

「どなたかおられるのですか? ヘルメットの中に、無線機? などがあるのでしょうか」


『ご機嫌はいかかですか? 歌う人。私は蒸気機関の守護天使、ユイシスです』


 アバターが嘲るようにキジールに名乗ったが、当然ながら電子的に交わっているところの無いキジールには聞こえない。

 ユイシスの余裕に満ちあふれた笑みと、キジールのどこか狂気じみたところのある微笑。

 穢れたところの無い、同じ造りをした美しい顔の二人だったが、見比べてみると見間違える要素が全くない。

 たとえ同レベルの情報密度を持っていたとしても、性格が悪そうに見える方がユイシスだ。

 アルファⅡは黙考して、キジールに説明した。


「私のスチーム・ギアには支援AI……いわゆる人工知能が積まれている。名前をユイシスという。それと話をしているんだ」


「なるほど。えーあい、ですか。存じています」

 無意識の動きだろう、キジールはマウスを動かすようなジェスチャをした。

「ぱそこんの……すごいやつですね」


『澄ました顔をしていますが、存じていないやつですねこれは』


「そう、彼女はパソコンのすごいやつだ』


『抗議します! 当機はパソコンではありません!』

 ユイシスは幻影の手を振り回して抗議した。パソコン呼ばわりへの抗議プログラムでも組まれているのかもしれない。

『ぼ、わた……当機はパソコンじゃないよ!!』


「とにかくユイシスは、パソコンのすごいやつなので、人間のように話すし、笑う。独自の姿は無いみたいなのだが、見聞きした者の姿を自由に写し取ることが出来る。今は……君と同じ姿をしている」


「やはりあなたは尊いお人なのでしょう、そのような御業があるなんて……」

 キジールの目に好奇心が瞬いた。

「しかし、私と同じ姿……ですか?」


「気になるだろう? ユイシスは、君のことをいたく気に入ったらしくて、君の姿を借りたんだ」


『エージェント・アルファⅡ! 余計なことを言わないで下さい!』


「そうなのですね。嬉しく思います」


 予想外の返答に、アルファⅡは居住まいを正した。


「勿論、無断で姿を写し取って仮想人格の外装に使用することは、倫理的に不適当だ。まずはその点を謝罪させて欲しい。我々は君に対して不法行為を働いている」


「いいえ、私もまたかりそめの魂に過ぎません」

 キジールは瞑目して首を振った。

「この真なる肉体の持ち主は、きっとあなた方を赦すでしょう。何故ならば、真なる肉体の持ち主と私とは、同じように考えて、語るはずだからです」


「本人由来のプシュケ・メディアなら、そうだろうな。だが、無許可で写像を作成したのは事実だ。我々としても、無許可で作ったアバターを今後も使うのは避けたい。もしも我々の非を寛大にも許してくれるというのならば、君にはアバターをチェックして、改めて許可を与えてほしいと思う」


『け……警告します!』

 ユイシスのアバターがあからさまに慌てた仕草を見せた。

『アルファⅡ、何を企んでいるのですか? ぼ、わた、……当機の体をチェックさせる? 当機の誤認識でしょうか?』


「そのアバターは君ではないし、君の真の姿でも無い」

 アルファⅡは小声で言った。

「そして誤認識でも無い」


 そして暗黙のうちに、ヘルメットの内側の脳髄が、統合支援AIへと情動解析の命令を送る。


> 今回の提案の本来的な目標は、聖歌隊の指揮官クラス、それも原初の聖句を操れる存在との間に信頼関係を築く事にある。


 アルファⅡとしては、キジールの扱うそれがさして脅威となる力だとは感じていなかったが、こちらの戦力として使えるならば、いくらか有用だという印象もあった。

 出来れば親睦を深めるという形で敵味方の境を取り払ってもおきたい。


> 観察した限りでは君と彼女は……精神的にというのか、同性だろうし、同性同士だからこそ深まる仲もあるだろう、君の犠牲は忘れない。

 

 とアルファⅡが思考すると、非常に容量の大きい抗議文がユイシスから帰ってきた。

 データを開かず全て消去した。


「しかし、私には見ることも聞くことも出来ません。何か方法が……?」

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