ユイシスとキジール

 アルファⅡはガンレットから円環型の装置を取り外して、蝶番を開き、キジールの手に乗せた。

 金属製の首輪のようにも見えるその金属の冷たさに反応してか、キジールの翡翠色の瞳に一瞬暗い光が過ぎった。何か遠い過去を忌むかのような。

 しかし、「これは?」と問いかけたときには、もうその不安そうな瞳の動きは消えていた。


「非侵襲式簡易人工脳髄の、ホワイト・ロムだ。私はこれを不死病患者に取り付けるだけで、その肉体の制御を奪える。スチーム・ヘッド……君のような再誕者には、もちろんそう簡単には通じないので、安心して欲しい。ただ、本来の機能を使わずとも、ある種の通信機の代用ににすることが可能だ。その装置を首に装着すると、電磁場が形成され、君の人工脳髄と、私の人工脳髄の間に、簡易なネットワークが生まれる。そうなると、私が演算しているユイシスのアバターを、君の脳髄と共有することが出来るわけだ」


「……存じております。ネットワークですね」

 キジールは明るい表情で頷いた。

「通信機? ということですね。私とそのユイシスという方が触れあうための」


「そういう認識で問題無い」


 ユイシスは、観念したのか、アルファⅡの意図するところに理解を示したのか、もどかしそうな手つきで二人に触れようとしていたが、触れることは出来ない。

 突き詰めて言えば、どれ程精巧に作られた存在でもその本体は棺型の蒸気機関にあり、この世には存在していないからだ。


 キジールは首輪と、己の首とに交互に触れて、少し迷ったようだった。

 最後にはアルファⅡをちらと見て、金色の穂波のような髪をかき上げて、行進聖詠服の襟にある固定具を外して開き、真っ白な首元を露出させた。

 装置を首に嵌めるとアジャスターが作動し、少女の首にぴったりと張り付いた。

 凍てついた金属の冷たさに少女が息を吐いた。


「……これで良いのでしょうか?」


「ユイシス?」


『う、うう……非侵襲式簡易人工脳髄、正常稼働中です』


 不承不承と言った調子で、幻想の金髪の少女がアナウンスする。

 逃げたいし隠れたいといった感情がありありと見て取れたが、最終決定権はアルファⅡの側にある。

 ユイシスはアバターを非表示化するためのコマンドを連打していたが、アルファⅡが全てブロックしていた。


『ブリッジモード、本当に起動しますか?』


「起動だ」


『準備はよろしいですか? 当機は良くないです』


「設定を忘れていた。物理演算最大レベル、接触可能設定で起動だ。電力は惜しまなくて良いぞ」


『何をさせる気なんですか?! ……要請を受諾! 起動します!』


 ガントレットから同期のための電波が放射され、首輪型の人工脳髄に電波を届けた。


「……あっ」


 キジールが驚嘆の声を上げた。

 頭部に埋め込まれた造花の形をした人工脳髄が、アルファⅡの隣で気まずそうに視線を彷徨わせている己とそっくりな姿をした少女を、実像として捉えたのだろう。


「私が、もう一人……?」


「ユイシス、自己紹介を」


 最大限の正確さで存在を演算され、キジールの前に姿を暴かれてしまったユイシスは、引きつる顔でどうにかこうにか笑顔を作って、挨拶した。


「当機はアルファ型スチーム・ヘッド試作二号機モナルキアの統合支援AI、ユイシスです。あはは、初めましてキジールさん。当機としては初めましてでは無いのですが……あはは、は……」


「声は私と……少しだけですが、違うのですね」


「あ、あはは、体格に合わせてミックスしていますが、声だけは、わた……当機の固有のものでして……」


 普段の淡々としたアナウンス、あるいは余裕綽々な態度からは想像も付かない、しどろもどろな言動だった。

 プシュケ・メディアが過熱していたが、度外視する。

 演算能力を尽くして投影された幻影は、じゃらじゃらと取り付けられた装飾から、光源に対する影の発生に至るまで精密で実体が無いという点を除いて全く現実と遜色ない。


「初めまして。私は聖歌隊の再誕者にして、大主教リリウムの使徒、キジールです。不思議、本当にそこにいるように見えます……私の幽霊みたいに……昔の私の、願い事の幽霊みたいに見えます……」


 キジールは目をきらきらと輝かせながらユイシスに歩み寄った。

 そして冷や汗のエフェクトを浮かべたユイシスに熱心に視線を注ぎ、髪の匂いを嗅いだりした。

 緩い癖の付いた髪が、指先でさらさらと流れるのに、キジールは、ほぅ、と感嘆の息を漏らした。


「触ることも出来るのですね?」


「何故当機にさわれるのですか!?」


「服の着脱まで可能な限り再現したモードだ。キジール。信用の話になるが、これは通常は使用しないので安心してほしい。ただし、今は君の納得と許可を得る必要がある。気になるところは全部調べてくれて構わない」


「あ、あの、当機としても、い、いくら何でも服は……」


 言葉とは裏腹にユイシスが抵抗を示さないのは、アルファⅡに行動を悉くキャンセルされているためだ。アバター変更の申請も即キャンセルしている。


「ユイシスさん、個人的に確認したいことがあるのです。服を脱がせてもよろしいですか?」


 問いかけるキジールに、挙動を制限されたユイシスは「はい……」と返事をすることしか出来ない。


 キジールはぱちり、ぱちりと留め具を外して、ユイシスの仮想の装甲服を雪原に落とした。


 曇り一つ無い、均整の取れた美しい肢体が、雪原の白銀の上に暴き出された。


「き、キジール……さん」

 ユイシスは顔を真っ赤にしながらキジールに問うた。

 情報処理速度は大幅に低下し、いつもの小憎たらしい言葉遣いは出てこないようだ。

「このアバターは貴女の写し身なのですが……当機の、ええと、アルファⅡに見られるのに、抵抗はないのですか……?」


「ああ……お嫌でしたか? 抵抗などというものはございません。何故ならば、これは、私の肉体では無いからです。あなたの肉体です。最初はそっくりに見えました。けれど、違うんですね……」

 息がかかるほどの距離に密着し、顔を寄せて、睫毛の数までも数えるように視線を注ぐ。

「あなたは、今の私とは、違う人間です……ああ、お嫌でしたら、すぐにでも服を戻します」


「大丈夫だ。私は彼女にとって小間使いのようなもので裸を見られてもどうということも無いらしいから気にしなくて良い。本人の弁だから間違いない」


 ユイシスは「き、貴官という人は……!」と弱々しい唸り声を上げたが、キジールに触れられた途端、息を殺し、口を噤んだ。


 キジールは親猫が子猫を舐め回すような、親密な熱心さでユイシスを探った。

 ユイシスは赤らめた顔でアルファⅡに抗議の視線を送ってきたが、アルファⅡとしてはキジールを静止する理由を全く思いつかなかったので無視した。

 アバターの破却を命じられなかった分だけ温情があるぐらいだ。

 少しは一方的に良いようにされる人間の感情を理解して懲りろ。そんな囁き声も聞こえる。


 キジールは己の分身を検分して、満足したようだった。

 自分と同じ色艶の頬を撫でて、ユイシスに熱っぽい視線を向けた。

 そして細やかな両手でユイシスの顔を包んだ。

 同じ顔だというの、やはり二人は全く似ていない。


 アルファⅡの主観による理解だが、意外なことに、この局面においては、ユイシスの方がより純真で無垢なように見えた。

 キジールの面相に幽かに浮かぶ退廃の色香がそれだけ強いとも言えた。


 頰に手を添えられているため、ユイシスには視線を逸らすこともままならない。それどころか、自分と同じ色の、ただ旅をしてきた年月が違うだけの翡翠の目に魅了されたようで、二人して見つめ合い、存在しない虚構の身体で、息を熱くしている。


 キジールは何でも無いことでもするかのようにユイシスに口づけをした。

 びくり、と身体を震わせたユイシスの背に腕を回し、髪を撫でながら、キジールはしばらくの間、接吻を続けた。

 唇を離した。


 ユイシスはがくりとその場に崩れ落ちて、仮想の裸身を仮想の装甲服で隠し、肩で息をしながらしばし呆然としていた。


「やはり、そうなのですね」


 キジールには照れた様子も無い。

 懐かしむように、羨むように翡翠色の目を伏せて、外観にそぐわない仇っぽい笑みを浮かべた。


「あなたは、やはり私ではありません。似ているだけで、全く違う存在です。こんなことぐらいで心を動かしてしまうなんて……羨ましい。私の写し身を使うというのであれば、私はあなたを祝福します。あなたは……きっと、昔々にあの暗がりで見た、私の夢そのものなのでしょう」


「どういうことだ? 君とユイシスは、どう違う?」


 キジールには自嘲するような、諦観した笑みが浮かんでいる。


「リーンズィ、真なる献身を示したあなたと、そしてその同胞であるユイシスだからこそ、話しておきます。私は何十年も前、ルーマニアのブカレスト、その下水道の街に暮らしていました。暮らしていた、というのは、違うかも知れません。首輪を嵌められ、鎖で繋がれ、足の腱を切られて……」言い淀む。「……誰かが金銭をやり取りするための商品として扱われていました。不死となって浄化された肉体からは想像も付かないかも知れませんが、体のいたるところが壊れていました。下水道はいつでも糞尿の匂いがしていて、薬物の煙がずっと充満していて、噎せ返るような汗の臭いが渦巻いていました。神の火の届かないソドムの市でした。私は何も知りませんでした。他の人生を知りませんでした。

 ですが、時折夢想することがありました。傷一つ無い肉体で、下水道の外で暮らしたい。どこか知らない明るい空の下を気ままに歩いていきたい……その夢は繰り返し繰り返し、毎夜意識を失う前、男に蹴り飛ばされて首輪を引かれているとき、私の燃え尽きそうな苦痛の魂に不意に去来して……心が腐り果てるのを救いました。それも聖父スヴィトスラーフの救いを受けてからは、消え失せてしまいましたが」


 キジールはユイシスを助け起こした。

 そして熱く、熱く抱擁した。

 再会した生き別れの姉妹、あるいは娘に対してするように、強く抱きしめた。


「ユイシス。あなたを知って、確信しました。あなたは穢れを知らない。さもなければ、忘れてしまっている。あの頃の、もう一人の私です。二本の脚でどこまでも歩いて行ける、私の夢の結晶です……私はあなたを赦します。自由に、自由に生きて下さい。私の憧れた空の下で……」



 もう一度軽く接吻して、キジールはユイシスから離れた。

 そしてアルファⅡに問いかけた。


「……私は、奇跡を目の当たりにしました。かつて夢見た私が、献身の勇士であるあなたと共にある。これほどに神の存在を身近に感じたのは、我が仔と再会したとき以来です。しかし、あなたがたは、どこへ行くというのですか? 世界から争いを根絶する、と仰っていました。不死の祝福が満ちたこの世界で、何のために?」


「……当面の目的としては、まともに意思疎通が出来る機関と情報交換がしたい。まずは世界保健機関だな。どこかの事務局が生きているという噂は聞いたことは?」


「存じません。お力になれず……」


「謝罪は不要だ。とりあえずは何でも良い、どの組織とでも良い、協力関係を結びたいと考えている。君たちが黙契の獣と呼んでいる存在も気がかりだ。あれはどれほど拡散しているのだろう」


「大半は聖歌隊の娘たちが海岸へ連れて行きました。伝令の再誕者が、塔を打ち立てて獣たちを鎮めたのを、写真で見せてくれました」


「大半を鎮めた。つまり、全部では無いということだ。事態は予想より遥かに深刻化している。出来ることはあまり残されていないだろう。だが悪性変異体の増殖だけはどうしても阻止しなければならない。彼らを野放しにしておけば必ずや連鎖的な悪性変異が発生する。そうなれば地球上の全てが魂無きものどもの血と肉で埋め尽くされて、不可逆的な災禍を呼ぶだろう。だから、地の果てまでも歩き続けて、可能性の萌芽を確実に潰していくつもりだ」


「では、それが終わったら、あなたはどこへ行くのですか?」


「ポイント・オメガへ行く」


「どこにあるのですか?」


 砲金色のヘルメットの兵士は、押し黙り、首を振った。


「……分からない」


 

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