<雷雨の夜に惑う者>②

 思考にユイシスが割り込んできた。


『戦術提案。目標がスチーム・ヘッドとしての性質を有しているならば、頭部には埋め込み式の人工脳髄、あるいは人工脳髄に繋がるケーブルが存在すると予想されます。蒸気甲冑は機能を停止していますが、あの状態ならば電磁シールドも不完全な物になっていると期待出来ます。最大出力の電磁波ならば、人工脳髄を通じて、悪性変異体の中枢神経に相当する組織に通電・焼損させられる可能性があります』


「あまり良い賭けでは無いが……」


『代案はあります。――アポカリプス・モード、待機状態です』


「それはよくない」アルファⅡは即断した。「君の提案の通りに、通常の装備で粘ってみよう。他に疑似人格演算と悪性変異抑制に使う分を残して、バッテリー残量を全て電磁波の発生に回し、敵悪性変異体の一時的な機能停止を目指す」


『要請を受諾。コンデンサへのチャージを開始します。世界生命終局時計、致命性放電による相転移焼却形態ヤールングレイプルに移行』


「そんな名前だったのか?」


『本来想定されていない使用法だったため、当機が命名しました』


「いつ?」


『数秒前です』


 アルファⅡは「そういうものなのか」と思った。

 ガントレットに組み込まれた発振器が過熱し、青白い光を放ち始めた。


『悪性変異抑制、最大レベル。機器の使用、およびアルファⅡモナルキア総体保護に伴う余剰電力確保のため、オーバードライブの加速倍率が低下します』


「インパクトの瞬間に首と胴体、この腕が繋がっていれば私の勝ちだ」


『それだと自殺行為かと思われますが』


「死ねれば苦労はしない。誰も死なないからこんなことになってる」


『……報告。周辺より、不明な音声を感知しました。聴覚機能を拡張します』


 加速倍率の低下に伴い、アルファⅡはユイシスのガイドに従って耳を傾けた

 ――穏やかな歌が、熱を帯びた脳髄に染み入った。

 息を飲んだ。


 歌だ。

 教会で歌われるような賛美歌に似ている。

 しかし、文法は崩壊していた。旋律は破綻していた。

 誰もその正統性を認めないだろう。

 だが、確かに祈りの声である。

 賛美歌以外の何かと認識するのは、人間という存在には不可能だ。

 無数の造語によって押韻を無理矢理成立させた奇異な歌は、紛れもなく父なる神へと奉じられた賛美だった。

 神の威光を称えるという機能に特化した、発せられたその瞬間にのみ意味理解を許される異形の言語。

 聖歌隊のスチーム・ヘッドが操る『原初の聖句』だ。

 腐臭の漂う呪われた戦場を慰撫するような、清廉なる少女の声が、確かに聞こえている。


『音声を解析しました。キジールです』


「まだ逃げていなかったのか。たった一人でいったい何を……」


『否定。音源の増加を確認しました』


 調律の狂った純然たる賛美歌の独唱は、何時しか重厚な合唱に変わっていた。

 透き通る女声に付き従うようにして、アルトやテノールの男声が混じりつつある。

 アルファⅡは、丘の上に、逆光を背にして、十三人の影が並ぶのを見た。

 不朽結晶のレンズを望遠モードに切り替えて、その面々を確認する。

 一人はキジール。上手く見つけたのだろう、羽根飾りのベレー帽を被っている。

 そして、残りの十二人は、ヘリを攻撃していたあの兵士たちだった。


 魂を持たないはずの感染者が、神の名の下に命を吹き込まれたかの如く、声を張り上げて、歌ってる。

 絶滅の丘に、混声の聖歌が響いている……。


「原初の聖句を使って、感染者たちに歌わせているのか……?」


 例によって、声楽的な見地からは評価に値しない合唱だ。

 しかし不可思議なほどに胸を震わせる。

 躍動、狂騒と呼ぶに相応しい鼓動の高まりを誘う。そんな熱量があった。

 聖歌隊の男たちは見窄らしく、燃え落ちた要塞から逃げてきた敗残兵のようだった。

 神を讃えるに値しない。

 

 ……さりとて歌は丘に満ちる。

 魂は、そこに無いのだろう。

 祈るべき神は、きっと彼らを見ていない。

 しかし、祈りは、確かにそこにある。

 

 再生を終えつつある<雷雨の夜に惑う者>が、丘の聖歌隊に、あるいは主旋律を奏でる少女の声に、強烈な反応を示した。


「MOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!」


 巨人の全身の腐肉が飛沫を上げながら擦れ合い、母に追いすがる幼子のような悲鳴を上げた。

 回収の終わっていない一部の腐肉を放棄して、雪原に穢れた体液をまき散らし、巨体を四本の金属の腕で支え、酩酊した不信心者のように、あるいは力尽きた巡礼者のように這いずって、キジールのいる丘の上へと近づいていく。


「彼らは囮になるつもりなのか?! 無意味だ、このままだと聖歌隊まで悪性変異の連鎖に巻き込まれる。それだけは何としても阻止しなければならない。ユイシス、チャージを停止して援護を……」


『拙速です』ユイシスが短い言葉でたしなめた。『これは絶好の機会かも知れません。キジールを最初に無力化したときのことを思い出して下さい。聖歌隊の兵士たちは、歌い手を失った後も自律行動していました。原初の聖句には、伝染性とでも言うべき性質があるのでしょう。発話者がそれを意図した場合にのみ、機械にプログラミングするような形で、感染者に行動の指示を保持させることが可能なのです。そして組み込まれた聖句はある種の自己循環参照を開始します。聖句が伝染した感染者は……』


 十三人の影が、キジールを残して一斉に散開した。

 軽機関銃の連射音が木霊する。

 バトルライフルの銃声が小刻みに節を刻む。

 魂無き兵士たちが、己の銃声を伴奏とした聖歌を口ずさむ。

 保身を知らぬ戦士となって、怪物の目前へと躍り出ていく。


『……籠められた聖句によって、自ずから聖句を紡ぎ出し、簡易ながらあのように独立したネットワークを形成し、場合によっては戦闘行動を開始します』


<雷雨の夜に惑う者>は、感知する空気の振動の急激な増加に惑わされて、その動きを鈍化させていた。

 聖歌隊の兵士たちは、悪性変異体の注意を分散させることを意図してか、散発的な銃撃を繰り返した。攻撃では無く撹乱のための発砲だ。キジールの奏でる主旋律の変調と連動して、発声する賛美歌の崩壊した歌詞を適宜修正し、つかず離れずの位置で歌い続けた。


「やはり意味があるとは思えない」


 アルファⅡは通常駆動で走り出した。


「小火器は無効だ。ただの感染者に銃を持たせても悪性変異体は倒せない……」


『意識の連続性に混乱を確認。アルファⅡ、落ち着いて下さい。接近を試みるのは有効な判断です。しかし冷静に思考して下さい。彼らは一度はあの悪性変異体を無力化し、封印していたのです。彼らはただの感染者ではありません。原初の聖句の伝染した、聖句を歌う感染者です』


「歌が歌えるから、何だと言うんだ! どこまでいってもただの感染者だ、我々のように機能を拡張されているわけでもない! 精々が暴徒だ、歌う暴徒に何が出来る!」

 誰かが囁いている……。

「我々が、私が救わねばならない」


『同意します。しかし……当機の認識不足でした。貴官が燃える炎の剣を携えて来たならば、彼らは、ただ歌のみを携えてこの地にやってきたのです』


 ついに不死の聖歌隊を補足した<雷雨の夜に惑う者>が、腐敗液を噴射した。

 聖歌隊の兵士は瞬く間に腐敗し、骨のひとかけらも残さず腐り落ちて、雪原に湯気を立てる腐肉となる……そのように思われた。

 予想されたような惨禍は起こらない。


 液体はあらぬところに飛んでいき、数滴が風に吹き流された。

 射線上の兵士に僅かに付着したに過ぎなかった。

 触れた部位は煙を上げて腐敗していったが、兵士自身の恒常性が勝った。腐食液はすぐに揮発し、肉体は再生した。

 

 腐敗した巨人は、液状の皮肉を蠕動させて、悲鳴のような甲高い音を鳴らした。

 波打つ粘性の赤黒い液面は、兵士たちの位置とは全く関係の無い位置に対して波打っており、聖歌隊の兵士たちの位置を、未だなお正確に捉えられていない様子だった。

 悪性変異体に銃弾は通じない。

 しかし、原初の聖句は、弾丸ではない。

 ただの声であり、歌であり、装甲でも腐肉でも防げない。


『悪性変異体もまた、突き詰めれば、感染者に過ぎません。原初の聖句は、悪性変異体にも有効なのだと思われます』


「では、彼女たちは悪性変異体までも操れるというのか?」


 原初の聖句について、明らかになっている部分は殆どない。

 人間が体系だった言語を獲得する以前に使用されていた、何らかの痕跡器官に訴えかける能力だと考えられている。アルファⅡの記録している限りでは、実際には言語では無く、個々人に備わった特殊能力とする説が有力だった。

 何が作用して非言語の言語が脳髄に働きかけるのか、定説すら無い。単なる機械では再現できず、個々人が発する聖句は歌の形式を取る、という点を除いて、使用者ごと、さらには使用する機会ごとに、単語や文法が丸きり変化しているとされている。

 怪物にも通じるならば、それはまさしく神の吐息と呼ぶに値する力であろう。


 聖歌隊の面々はこのまま腐れた怪物を制圧してしまうかと思われたが、悪性変異体は突如として全身の流動する腐肉を擦り合せて、金属が擦れ合うような異音を発した。

 超音波の域に達した高音に晒されて<雷雨の夜に惑う者>を囲んでいた兵士たちが寸時停止した。

 その次の瞬間には一人が巨腕に殴り潰され、腐り溶かされ取り込まれた。

 主旋律が途切れた。


 丘に立つキジールの声が、腐臭の雪原を貫いてアルファⅡを鼓膜を震わせた。


「リーンズィ。聞こえますか。私の祈りが届くことを期待します。これが私の、私についてきてくれた勇士たちの限界です。私は泣き叫ぶ我が仔の救済を諦め、この地に墓穴はかあなを用意し、埋葬するしかありませんでした。それも多くの犠牲を払ってのことだったのです。二度とは出来ません。抑え込むことは、もう出来ません。ですがこの黙契の獣の行動を惑わせることは、まだ可能です。あなただけが自由です。あなたに何か策があるというのならば、それだけが神の遣わした希望なのです」


 伝えるべきことを伝えたのだろう。

 キジールが再び歌い出すと、兵士たちの詠唱は劇的に変調して再開した。

 しかし<雷雨の夜に惑う者>が聖句による支配から脱しつつあるのは明白だった。蠢く肉片から腐汁を零しながら、飢えた獣の俊敏さで傍にいた兵士に飛びかかり、腐食液で溶解させたあと引き千切ってその永劫に癒えることの無い肉の中に取り込んだ。


『感染者、さらに一名ロスト。目標変異体、アルファⅡの跳躍射程圏内です』


「エンゲージ!」


 脚部の筋出力を解放した。

 アルファⅡのガントレットは、今や雷光を宿した剣の如く暴力的な電光を放っている。

 掌の電磁波発振器の熱が内部機構を突き抜けて装甲の下の腕を沸騰させていた。

 聖歌隊に気を取られている腐肉の巨人の背に、ガントレットの掌を打ち込んで、叫んだ。


「ユイシス、起動しろ!」


 閃光が左腕から迸った。

 電磁波発振器がある種の磁界を形成し、電離ガスの槍を放射した。

 電磁波では無い。予想外の挙動である。

 見開れたアルファⅡの目に、『非推奨:未検証動作/相転移焼却ケルビム』の文字が飛び込んでくる。

 まず最初に焼け焦げたのは、ガントレットの中にあるアルファⅡ自身の左腕だった。

 生身の人間が受ければ消し炭にな灼熱の奔流が、流動する不滅の肉を焦がす。

 仕様外のこの動作は、極短射程の電光の槍衾を不規則に形成し、幾重にも重なって腐肉の巨人を一挙に貫いた。

 さらに余剰エネルギーとして放射された電磁波が白銀の骨格の表面を泡立たせ、死を招く雷撃が<雷雨の夜に惑う者>の全身に突き刺さった。


「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHG!」


 ――効果は、無かった。

 不朽結晶連続体の骨格は、一万度にも達する高熱に晒されても表面の肉が蒸発した以外に損傷が無い。

 相転移焼却は想定された以上の威力で腐肉の巨人を傷つけたが、人工脳髄にも、中枢神経にも、何ら影響を及ぼさなかったようだ。

 液状組織のいくらかは焼け焦げて鱗のように固まっていたが、致命傷には程遠い。


『意識の消失を確認。プシュケ・メディアにノイズが生じています』


 一方のアルファⅡは掌を突き出した姿勢のまま死亡し、気絶していた。


『オーバーライド、起動します』


 腐肉の巨人の巨腕が足掻いて蠢く。

 背後から掌を突き出したまま硬直しているアルファⅡへと次々に打ち出された。

 意識の無いアルファⅡにかわり、ユイシスがその肉体を操作する。

 緊急回避用の動作プログラムを実行して、電気信号で筋肉を刺激して強引に背後へ跳躍させた。

 プシュケ・メディアの安定化と焼損した組織の急速再生、さらなる脳内麻薬の投入によって目を覚ましたアルファⅡは、しかしバイザーに腐肉の巨人を捉えたまま一歩も動くことが出来ない。

 ダメージが深刻だった。


「う、ぐ……」


『意識の連続、回復しました。おはようございます。大変なときに寝ていられるのは大物の証ですね』


「……何だったんだ今のは。プラズマ切断機のように見えた」


『左腕に不明なデバイスが組み込まれていたようですね。バッテリー残量、僅かです」


 決定打こそ与えられなかったにせよ、反撃で力尽きたのか、焼灼された腐肉の巨人の動きは酷く緩慢だ。止まっているとさえ言って良い。

 だが隙とは言えない。じきに活力を取り戻す。不死の肉体とはそういうものだ。プラズマの槍で貫こうが、電撃を浴びせようが、<雷雨の夜に惑う者>に対しては、決定的な一撃にはなっていない。

 中途半端な過負荷を与えたせいで、より強力に変異してしまう可能性さえある。


 アルファⅡはヘルメットの下で歯噛みした。かくなる上は、どうするか。

 ……決定打はある。切り札はある。アポカリプスモードを使わずとも……。

 しかし、やはりそれを叩き込むような時間的余裕は無さそうだった。

 アルファⅡは文字通り焼け付いたガントレットのハンドルに手を掛け、熱で右手が焼けるのにも構わず引いた。

 重外燃蒸気機関が急速発電を開始する。

 炉内へ送り込まれた熱い血が冷媒となって蒸発した。

 緋色の蒸気が排気筒から噴射される。

 血煙を纏いながら、アルファⅡは脱力して膝をついた。

 貧血による一時的な虚脱だ。臓器の幾つかが解体されて血液と酸素の合成に供され、意識の連続はすぐに復帰した。


『バッテリー、充電完了しました。悪性変異進行率上昇中。これ以上の戦闘は危険です。アポカリプスモードを起動しますか?』


「……もはやそれしかないのだろうか」

 アルファⅡは丘の上のキジールを見上げた。

「彼女まで破壊するのは忍びないが」


『ああいう娘が好みでしたか。どうやら肉体の元の性質に誘引されている様子ですね。彼女と同じ姿をした支援AIで我慢できませんか?』


「冗談を言っている場合ではない。君こそ随分と余裕があるな。あの焼却機が、通常使用可能な、最後の隠し球だろう。それがまるで効いていないというのに」


『あはは。貴官にとってはそうかもしれませんね』


 ユイシスは何故か上機嫌だ。

 アルファⅡはその声の調子に聞き覚えがある。

 キジールの肉体をアバターとして取り込んだときと同じ声音だった。


『ですが当機は違います。出来るAIにはさらなる奥の手があるものです。到着まで四、三、二、一……』


 がちゃん、と重々しくも軽快な着地音。


 丘の向こうから、朽ちた金属甲冑の兵士が跳躍してきた。

 古い時代のおとぎ話から、騎士が抜け出してきたかのような光景だった。時代錯誤ではあるだろう。高潔な騎士の屍の上にのみ来たる不死と疫病の時代。まだ騎士の到来と言うよりはドン・キホーテの乱入の方が実態に近い。

 ただし両手に携えた槍は二連装の重機関銃で、風車の竜ごときを射殺するには十分な火力を備えていた。

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