聖歌隊の不死者たち①

 墜落の間際。

 斜面に激突したヘリの、骨組みだけのコックピットで、アルファⅡは極めて切迫した状態に置かれていた。


 胴体を座席に固定するワイヤー・ロープが、死刑執行人の振り下ろした斧のように肉を断ち切りつつある。

 脳内麻薬によって加速された時間の中で、心臓は月のない夜に鳴り響く大聖堂の鐘のごとくわななき、傷口から生命そのものである炎、煮えるように熱い血が零れ落ちていくのを感じた。


『即座の離脱を強く推奨します。ワイヤー・ロープを切断して下さい』

 他人事のようにユイシスが通告してきた。

『脱出するタイミングがあまりにも遅いので何か策があるのかと静観していたのですが』


 ロープを放置していても、衝撃で座席ごと機外に放り出されるだろうという楽観があったのだが、予想外にもコックピット周辺が壊れる気配は微塵もなかった。

 基幹部位だけが準不朽素材で補強されているという可能性を考慮していなかったのだ。

 もはや言われずともユイシスの推奨するような処置を取る他ない。

 既に筋肉層にまでワイヤー・ロープが斬り込んできているのが感覚出来た。

 いずれ臓器に到達し、さらには背骨までも両断するだろう。


 感染者、特にスチーム・ヘッドにとっては、腕や脚が肉体から脱落した程度ならば、損害としては軽微である。

 部品が回収可能なら傷口同士を押し当てるだけで各部の組織が融合を始め簡単に再生する。

 回収出来ないとしても、欠損した部位が新たに造り出されるまでの間、多少の不便があるだけだ。

 だが胴体を、複数の組織と臓器を丸ごと真っ二つにされるような極端なダメージは別だ。そのような異常な死を何十回も体験していなければ適応できない。再生に時間が掛かる。

 敵地で長時間行動不能になるリスクは可能な限り避けたかった。

 

 聖歌隊の少女がローターに巻き込まれた頃には、アルファⅡはもうタクティカルベストのナイフに手を伸ばそうとしていた。

 しかし、思考したとおりに体が動かない。

 脳内麻薬の増加によって、知覚速度はスチーム・ヘッド同士の戦闘にも対応できる域に達していたが、身体操縦はまだ通常状態のままだ。


> 破壊的抗戦機動オーバードライブ制限解除レディ


 アルファⅡは思考を紡いだ。


『オーバードライブ、スタンバイ。準備はよろしいですか?』


> 起動!


 命令を受諾したユイシスが、重外燃機関からガントレットへと働きかけた。


 全神経に対して電子パルスが発せられて、筋出力のリミッターが破壊された。

 アルファⅡは筋組織が断裂し、骨が砕けていく、その音ならざる音を聞く。

 肉体の活動が思考速度に追いついた。


 ついにタクティカルベストの胸から不朽結晶連続体で構築されたナイフを抜き、ステンレスが編み込まれたワイヤー・ロープに刃を入れた。

 己の腹部の肉ごとロープの何束かを切断し、ようやく拘束が緩んだ頃に、ヘリのローター・ブレードに叩き潰されて両断された少女の下半身が飛来し、無遠慮にアルファⅡにぶつかってきた。

 血が視界を汚す。

 大した質量ではなかった。

 加速度を無視しても、この程度ならば、オーバードライブを発動しているスチーム・ヘッドにとっては、鳥の羽が飛んできたようなものだ。


 しかしアルファⅡはナイフを取り落とした。

 衝撃によるものではない。コンマ数秒にも満たない思考で、ナイフを捨てることを決断したのだ。

 アルファⅡ、調停防衛局の最後のエージェントが極限下で出力した思考は一つだけだ。


「この感染者を保護しなければならない」


 耐ショック姿勢を選ぶ余裕はない。

 水平方向への自由落下という奇妙な形で飛び込んでくる、断面から臓物を花の枝のように無造作に投げ出した未成熟な人体の下半身を、左腕のガントレットで受けて、抱き留めた。


 そうしているうちに機体が地形に乗り上げてバウンドした。

 今度こそアルファⅡは機外へと投げ出された。

 雪月花の輝く丘の頂を越えて勾配の斜面を跳ね、離断された下半身を抱えたまま、ごろごろと無様に転がった。

 そのすぐ上を、ヘリの残骸の群れが通り過ぎて、地表に落着して雪原を荒々しく抉り、土塊を撒き散らしながら転がっていった。


 転げているうちに、心棒が失われたかの如く、当然にアルファⅡの両方の腕から感覚が喪失した。

 少女の下半身は勢いのまま腕の中から擦り抜けて放り出され、雪に血の赤をぶちまけながら転がっていき、埋もれていた岩にでも引っかかったのか、膝立ちの状態でつんのめって停止した。

 何か冒涜的なオブジェのようでもあり、異星から漂着した種から芽吹いた花のようでもあった。

 滑らかな肌を曝け出した下半身だけの肉体。

 アスベストを織り込んだ準不朽素材の下着と、軍隊調のブーツが、無毛の脚に映えている。鼠径部のゆるやかな起伏は断面から垂れ落ちる血でいっそ艶めかしい陰影を描き、雪の抑圧的な反射光の中で呪われた陰影画のようにも見えた。

 胴体の断面からは臓器のことごとく露出させているばかりから、腸管等の雑多な外側に臓物を散らけているその肉体は、あるいは踏みにじられた果実にも似ていたが、そのように感じるのは実際に甘やかな香りを発しているからだろう。

 感染者は、多少の差はあるものの、基本的に甘い香りをしている。


 アルファⅡはと言えば、オーバードライブを発動させた反動もあり、受け身すら取れないまま、転がっていくしかなかった。

 ユイシスがアルファⅡの背負う重外燃機関に設けられた長筒型の蒸気噴射機を作動させて、圧縮蒸気で姿勢を安定させなければ、うつ伏せた状態で倒れ、背負った機械の重量に潰されて長時間動けなくなっていたことだろう。

 胴体の切断や四肢の離断はなかったが、仰向けに倒れたまま、体を動かせなくなっていた。


「やはり……なんてことなかったな。墜落か。良くはないが、悪くも無い」


 仰向けになりながらアルファⅡ。

 バイザーには、地上で起きる有耶無耶へ無関心を貫く、超越的な青空が広がっている。

 周囲の雪が体温を奪っていくのが朧気に分かった。

 咳き込む。呼気は血の味をしている。

 喀血はヘルメットの排出孔からすぐに流れ落ちた。


 そのまましばらく待った。依然として全く身動きが取れない。

 再生が進んでいる感覚もないのが奇妙ではあった。


「……聖歌隊のスチームヘッドも、あの様子では暫く再帰出来まい。デッド・カウントが三桁に達していても、下半身喪失を再生するのにはかなり時間がかかる……半日ぐらいか? こちらは五体無事だ。私の方が有利だな」


 ユイシスは呆れたようだった。


『有利だな、ではありません。警告します。脊柱の複数箇所が粉砕骨折しています。四肢が動かせないことを確認して下さい』


「動かせない?」

 

 左腕のガントレットで右肩を掴み、防御姿勢を取ろうとしたが、腕そのものが存在しないかのように全く反応しない。

 ガントレットを自由に動かせないなら、アルファⅡは超高純度不朽結晶連続体の蒸気甲冑というこの世界で最高の守りを失っているに等しい。

 この状態では無防備が過ぎる。

 心臓への連続射撃を受ければ、そのまま肉体を地面に縫い止められかねない。


「確かに動かないな。再生まで何秒かかる?」


『再生の完全な終了まで、推定九〇秒』


「分かった。それまで安静にしていよう」


『いいえ、貴官は理解していません。安静にしている猶予はありません。音紋解析の結果、我々がやってきた方角、丘の向こう側に展開する聖歌隊指揮のラジオ・ヘッドが、現在も自律稼働していることが判明しました。二十秒後には丘の稜線から出て、こちらを銃撃してくると予想されます。残数は七名です』


 アルファⅡは辛うじて動かせる首から上だけを使って、指摘された方角に視線を向けた。

 ユイシスの知覚拡張処理により、丘の稜線を透かすようにして、こちらへ近づいてくる七人の不死の兵士の姿が、視覚上に構築された。

 足先の感覚だけを頼りにして歩く盲人のような不確かな足取りだったが、着実に接近しつつあり、手には銃をぶら下げている。


聖歌指揮者レーゲント、つまり指揮官がダウンしたのに、彼らはまだ動いているのか」


『インプラント式の自律式簡易人工脳髄を搭載している可能性があります。バッテリー残量の1%をEMP放射に使用することを提案します』


 アルファⅡが実行を促すと、左腕のガントレットの掌に設けられた発振器から高出力の電磁波が無差別にまき散らされた。

 不朽結晶を利用しない簡易な人工脳髄は、多くの場合、生体脳に無骨な金属のプラグを直接差し込むという時代錯誤な侵襲的加工に頼っている。

 無線で操縦されているにせよ、内蔵されている行動ロジックで自律行動しているにせよ、大抵のラジオヘッドは、高出力電磁波の直撃を受ければ、人工脳髄自体がショートを起こし、生身の脳を焼き切られ、機能を停止する。

 概して簡易な不死の兵士は電子攻撃に対して脆弱性を持ち、この欠陥が高高度核戦争の勃発を招いた。


 だが、ユイシスが情報を解析している限りでは、聖歌隊の不死者たちは、電磁波の嵐の中でも問題なく移動を続けていた。


『EMP放射終了。効果を確認できませんでした』


「人工脳髄を使っていないのか? 聖歌指揮者は遠ざけた。もう原初の聖句も聞こえていないはず。そうだな? では何故動く」


『推測。感染者たちの個々の脳髄の記憶領域に、自律行動を支援する言語命令がインストールされている可能性があります。高位のレーゲントがしばしば利用する【構造化された聖句】です。入力が途絶えている以上、いずれ情報的に揮発するものと考えられますが、我々に危害を加えるには十分な猶予です』


「物理的に排除するしか止める手段はないな。肉体の復帰は?」


『脊柱に関しては、応急処置完了まで三〇秒です』


「間に合わない。オーバーライドの準備を」


『非推奨。悪性変異が急速に進行する危険性があります。現在の適応度における変異率上昇は回避すべきです。安全域を確保してください』


「この状況で三〇秒は長すぎる。私たちのような存在は……常に先手を取った側が優位に立つ。意思決定主体の優越権を行使して、オーバーライドの実行を命じる」


『受諾しました。視聴覚からのリアルタイムフィードバックスタンバイ。疑似固有受容感覚形成完了。非常用電源回路閉鎖。プシュケ・メディア、電磁遮蔽を検証。チェック項目省略。オーバーライド、スタンバイ。準備はよろしいですか?』


「オーバーライド、起動」


 左腕部のガントレット型のスチームギアから、大出力の電気パルスが放射された。

 今度の目標は、丘に白い息を吐く不死病患者たちではない。

 倒れ伏せた自分自身だ。

 アルファⅡの左腕、甲冑の内側にある電極が筋肉を焼き焦がし、引攣らせる。

 電流に破壊された心臓が細動を起こし、アルファⅡの視界が明滅する。


 もはや脊柱の損傷など問題にならなかった。

 電気パルスは雷のように経路上の肉を裂き、血液を容赦なく沸騰させて、目標の筋組織自体を極めて直接的に、野蛮に刺激した。

 腹直筋や外腹斜筋、腹横筋等が破壊的に収縮させられた。

 アルファⅡの肉体が、螺旋仕掛けの人形のような異様な仕草でがばりと起き上がる。

 末期の低酸素脳症のように全身が痙攣した。

 僧帽筋周辺が弛緩しているせいで首の位置が安定せず、痙攣に合わせて砲金色のヘルメットが激しく揺れた。


 右腕が、関節の可動域を半ば無視して、タクティカルベストの胸から拳銃を無理矢理引き抜いた。

 そしてクリック式の関節を持つ人形のような角張った動きで、稜線から現われた無表情な兵士の額へと銃口を向けた。

 殺人的な電気パルスによる筋組織の収縮に操られる姿は、未熟なオペレーターの出鱈目な運指に翻弄される壊れかけの人形に似ている。

 皮下で焼損した筋肉が再生を開始し、蚯蚓のように蠢く。そして再生する傍から破壊されていく。


『火器管制装置オンライン。カウンターガン、レディ。調停防衛局の戦闘規定に基づき、当機は攻撃に対して応戦する形でのみ射撃を行います。観測と指示の入力を』


> アルファⅡ、了解。観測情報を共有。稜線から顔が出た。こちらを見た。首の筋肉が動いている。肩もだ。銃を構える兆候だ……。


『攻撃の意思ありと判断。迎撃を開始します』


 嘲弄するような声で御託を並べながら、アルファⅡの肉体を強制操作するユイシスは、目標の輪郭が稜線から出た瞬間に躊躇無く射撃を開始した。

 感染者制圧用に作成された特別製の大口径拳銃が火を噴くと、射手の耐久性を考慮していない反動がまず最初にアルファⅡの右腕の関節を破壊した。

 弾丸は命中。エナメル質でコーティングされた炸裂弾に撃たれた感染者の顔面に、拳ほどの大きさの穴が空き、雪原へと、記念日に送るカーネーションのような鮮血の花を咲かせた。

 ユイシスはパルスの発信を緩めない。

 のたうち回る腕を無理矢理操作して、拳銃を構え直し、現われた順に、頭を、胸を、正確に撃ち抜いていった。

 発射した全ての弾丸が命中した。


 血と肉の湯気が雪原を濡らし、融かして蒸気を上げている。

 電流に焼かれた肉の焦げた匂いが風に吹き流されていく。


 七回の射撃を行った後には、アルファⅡの右腕の関節は完全に崩壊していたが、筋組織の火傷が再生した後には、すぐに筋組織同士が絡まり合い、軟骨が再掲載され、砕けた骨も接合した。


『全目標の排除を確認しました。オーバーライドを終了します』


 アルファⅡはがっくりと脱力した。

 筋組織の強制的な収縮という不可視の操り糸を失って、背中から倒れ込んだ。

 そして全身の骨格と筋組織が修復されるのを待った。

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