エンカウント・フォール・アウト①

 滅亡した街が視界から消え去った頃には、アルファⅡのプシュケ・メディア人格記録媒体群は、人工脳髄の演算能力を別の事象について割き始めていた。


「海岸に塔はいくつあった?」


『百五十二基を確認しました』


「多すぎる。おそらく計画的に悪性変異体を海岸に追いやり、塔への封印を施していったのだろうが、例えば、さっき通り過ぎた街の戦力で、そんな真似が出来るだろうか。私は不可能だと思う」


『同意します。極めて秩序だった、数千のスチーム・ヘッドを擁する軍事組織によってのみ可能な、大規模な封じ込め処置です。この地に残留しているかは不明ですが、規模だけを勘案するならば、やはり人類文化継承連帯の関与が有力です。……飛行を継続します。塔からの退避は十分とは言えません。現時点では、海岸以南に劇的な異変は起こっていない様子ですが、この規模の汚染地帯の近隣に着陸するのは、推奨されません。飛行に集中して下さい』


「反論はしない。しかし……そろそろはっきりさせておこうか」


 アルファⅡは意を決した。


「飛行を継続というか……我々は、着陸というものが出来ないんじゃないかな?」


 自壊を始めてもおかしくないレベルの異音を上げているコックピットのフレームを見渡した。


「実際問題として……段々分かってきたが……今こうやって飛んでいるのが奇跡なのではないか。この機体は軽量化のために部品を取り除きすぎたせいで、着陸出来なくなってしまっている。違うか? ユイシス、どう思う? 私が忘れているだけだろうか」


『ブリーフィングでは詳しく説明しませんでしたが、そうですね』


「ふむん。このまま飛び続けるとして、私がやるべきことと言うのは、本当に何かあるか」


『報告。貴官に出来ることは、特にないです』


 出来の悪い生徒にお前には雑用すらないのだということを申しつける教師のような、冷淡で素っ気ない声だった。


「……では、飛行に集中しろと言ったのは、何だ?」


『貴官に出来ることはない、という情報に、最低限の社会性を付与した言葉ですので、真に受けなくても問題ありません。前を見ていて下されば十分です』


「そうか。……操縦も必要ない?」


『不可能なので、不必要です。存在しない操縦桿を掴めるならどうぞ』


「そうだろうとは思った」


『操縦は当機がリモートで実行中です。燃料計を確認する程度は推奨されますが、如何しますか?』


「とりあえず確認させてほしい」


『了解しました。耳栓は必要ですか?』


「挿すための耳が露出していない」


 アルファⅡは砲金色のヘルメットを指で叩いた。


『ユーモアレベルの上昇を確認。……燃料計、オンライン』


 途端、けたたましいビープ音がアルファⅡの聴覚を掻き乱した。


「これは?」


『燃料切れが近いという警告音です。もうすぐ燃料が切れます』


「燃料が切れたらどうなる」


『着陸します』


「燃料が切れたら、着陸するのか? いや、それは違う。燃料が切れると、着陸できないのでは? ヘリというものは、プロペラとか……テイルローターとか……そういったものを精妙に回しながら、慎重に着陸するものだと記憶している」


『問題ありません。幸い海を渡ることには成功していますので、後は着陸地点を決定するだけです。単に上陸と呼びましょうか。接地、緊急着陸、様々な言い方がありますので、好ましい表現を適当に選んで下さい』


「なるほど。これは、よくないのでは?」


『肯定。良くはないです』


「我々は墜落するわけだ」


 墜落、という単語にアルファⅡは語気を籠めたが、事実を確認するといった調子で、恐怖も困惑もそこには含まれていない。


「初フライトが墜落で終わる。これが残念という感情か……」


『肯定します。致命的事態ですので、混乱を避けるために避けていた表現ですが……墜落を、何でもないことのように仰いますね』


「何かあるのか?」

 心底不思議そうな声だった。

「墜落する。ただそれだけだろう?」


『確認します。この速度で墜落した場合、衝撃は凄まじいものになるでしょう。身体部位の切断、骨格の粉砕、胴体の断裂、内臓破裂、重度の裂傷、大量出血などの深刻なダメージが予想されます。相当の苦痛を伴うと思われますが、恐怖は感じませんか?』


「全く感じない。何も感じない、というのが、アルファⅡという『私』の正常な動作だ」


『肯定。貴官は精神外科的心身適応によって、あらゆるストレスを感じないよう調整されています』


「うん。だから、墜落という言葉を避ける必要性は存在しない。どうでもいいことだからだ。いかなる苦痛も私自身には何の影響も及ぼさないはずだから。私にとっても、君にとっても、精神外科的サイコサージカル・心身適合アジャストが正常稼働しているのを確かめるための一つの機会に過ぎない。むしろ望ましいことかもしれない」


『素晴らしいです、アルファⅡ。理想的な反応と言えます。いたく感心しましたので、意識活動復帰テストを終了しました。テスト結果が不良なら自己破壊をもう一度行う予定でした』


「知らないところで怖いことを進めるのはやめてほしい」


『冗談です。あはは』

 とても冗談とは思えないような空疎な声だ。

『アルファⅡ、どうやら暇を持てあましていますね? では、より具体的な提案を行いましょう。ノルウェー全域は現在、人類文化継承連帯の支配下にあると予想されます。これらの勢力と遭遇した場合、極めて高い確率で戦闘に発展するでしょう。我々は――世界保健機関と国際連合軍、そして世界平和を希求した愚か者どもの私生児たる我々は、彼らと良好な関係を築けていませんでしたので』


「私は戦闘を終わらせるために遣わされたんだ。戦闘をするつもりはない……だが、一方的に先制攻撃されるのは良くないな。そうか、被害軽減のために、より一層の索敵が必要ということか?」


『肯定します。そもそも当機は、離陸する以前から索敵を含む探索の実行を推奨し、貴官はそれを実行していました。その最中に低体温症が深刻なレベルに達したのです』


「まるで覚えていない。行動ログを呼び出してくれ」

 アルファⅡは自身が離陸してから九回目の死を迎えるまでの状況を確認した。

「……前を向いていたということしか分からないな」


『しかしながら必要な行動です。当機も貴官の肉体の情報処理に相乗りしているに過ぎません。貴官が視覚的に取得していない情報は、当機でも取得できません。墜落するまで、可能な限り情報収集を行って下さい』


「……やはりただ前を見ていることぐらいしか出来ないように思うが」


『肯定。とりあえず前を向いていて下さればそれで良いのです』


「それは何もしていないのと同じでは?」


『肯定。現時点での貴官は、百億ドルの費用を投じられた、ただの案山子です』


 アルファⅡはしばし沈黙した。


「私はもしかして、普通に自分が何をしていたのか忘れたんじゃないか? やっていることが……あまりにも無意味だから」


『その可能性は否定できません。まるで変わらない景色と、命を脅かすレベルの低温。現実から意識が外れるには十分なストレスです。停戦と調停に関する自動放送を常に行っておりますので、突然攻撃されるリスクは低くなっています。よって、貴官が覚醒しても気絶していても、どちらでも良いと言えば良いのですが』


「……それで? 人類文化継承連帯のスチームヘッドで、一番遭遇する可能性が高そうな機種は?」


大型蒸気甲冑スチーム・パペット。<デュラハン>、<アラクネ>、<コンカッションホイール>、<ジャガーノート>等です』


 アルファⅡの視覚野に、首のない大型蒸気甲冑や、腕の生えたホイール・バイクが投影された。

 いずれも悪性変異体に勝るとも劣らない異形であり、装着する感染者の身体特性を無視するという方向で、共通の意匠を持っている。


『どの機種も3mを超える巨体です。最大で10m規模。視認できれば即座にそれと分かると予想されます』


 丘稜地帯に出ると、ヘリは速度を落とした。

 墜落が近い。

 衝撃を下げるために丘を掠める限界まで高度を落とす。

 渡る風の漣が、雪原を揺らす様が手に取るように分かった。


「地図情報が完全には間違っていないなら、この先にはおそらく森林地帯がある。機体を突っ込ませれば緩衝剤として利用出来るだろう」


『森林地帯は墜落するには最良かと思われます。幸い、燃料はその辺りで切れそうです』


「幸いではないが……」


『墜落は平気なのでしょう?』


「平気だが、良いか悪いかで言えばやはり悪いとは思う」


『同意します。世の中、良いか悪いかで言えば全部悪いです』


 ふむん、とアルファⅡは頷いた。


「底抜けに暢気かと思えば、意外と悲観的なことも言うらしい」


『AIだからこそ見えるものもあるのですよ。すごい知性なので。幽霊とか。未来とかです』


「冗談か?」


『冗談です』

 ユイシスは繰り返した。

『当機にとっては、あらゆるものが、そうです』


 外気温は相変わらず零下を下回っていたが、呼吸を妨げるほど過酷な環境ではなくなっていた。適応を遂げた肉体には何のダメージにもならない。

 アルファⅡはヘルメット内部のレンズを広角モードに切り替えて敵を探した。


「遭遇して即座に戦闘になる可能性はどの程度ある?」


『人類文化継承連帯と接触した場合、100%です』


「このヘリに武装は?」


『スチーム・ヘッドが一機』


「つまり私だけか」


 丘のあちこちに人影を見つけた。

 感染者だろう。郵便配達人を待つ牧羊民といった風情で、ヘリには反応しなかった。

 凄惨な破滅の痕跡はどこにもなかった。

 背の低い草が生い茂り、淡く積もった雪が陽光に煌めている。

 ヘリの起こす風に巻き上げられて蒲公英の綿毛のように散っていく。

 アルファⅡは溜息のように言葉を吐き出す。


「……戦争は、もしかすると、もう終わっているのではないかな。まだそれほど内地に入り込めているわけではないが、活動している軍事組織がここまで全く見当たらないというのは、異常だ。さすがに、どこかの部隊から警告の無線が飛んできてもいい頃合いだろう」


『終わっているというのは、事実です。戦争ではなく不死病によってですが』

 ユイシスは応えた。

『仮に三十年の時間が経過しているならば、統計学的な見地から、我々は完膚なきまでに病に敗北しています。地上に未感染の人間は残されていないはずです。我々がノルウェーから最初に撤退した段階で、世界人口の七割以上が感染していたのですから』


「それはそうだが……戦争はそれぐらいでは終わらない。高高度核戦争で地上の大半の電子機器が破壊されても終わらなかったんだ。どの組織も山ほどスチーム・ヘッドを生産して、伝令代わりに走らせることまでしていた。人間が死ななくなっただけで、戦争がそう簡単に終わるはずがない。しかし、終わったとして、どこが、どう終わらせたんだ……?」


 牧歌的な風景に溶け込むようにして、突然にその集団は現われた。

 幾つかの丘を越えた場所、前方のかなり遠い地点、一際高い丘の上に、方陣を敷いている。

 アルファⅡは声ならぬ声で命じた。


> 生命管制、コンバットモードを起動。


『コンバットモード、レディ。起動します』

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