第4話 後編
次の日。まだ夜も明けない時分。
「……迎えに来たぞ。五十嵐紗夜」
「ありがとう、透さん」
紗夜にニコリと微笑まれ、透は視線をずらした。
「……早く出ろ」
「うん」
透は囚人服姿の紗夜に白衣を着せて、手を掴んで連れ出した。
黒い軽自動車に乗せられ、研究所を後にする。
一方その頃。
「五十嵐紗夜が逃げたぞ⁈」
「誰が逃した⁈」
「おい、これまさか……!溝呂木先生じゃないか⁈」
「チッ……五十嵐美由紀のせいで情でも湧いたか?追え!何としても五十嵐紗夜を捕まえろ!溝呂木透は殺しても良い!」
「あ、いや……良い考えがありますよ」
とある研究員は優しく笑った。
それから何時間後だろうか。
透は、紗夜と一緒にとあるカフェに入った。
透は渋ったが、紗夜が空腹に耐えられないとごねた為である。
正直、紗夜用の服を買ったり何なりに時間を使ったので、一刻も早く遠くに逃げたかったのだが。
「……おい、あんまりキョロキョロするな」
ガキか、と続けようとして透は口を閉じた。
(……ずっと、引きこもってたんだもんな)
美由紀が行方不明になった時のショックで、家に引きこもるようになったと聞いていた。
きっと、カフェにだって来たのは8年以上ぶりか、下手したら初めてなのかもしれない。
「……好きなの注文しろよ」
「良いの⁈じゃあ、これ!」
そう言って紗夜が指差したのはフルーツ山盛りクリーム山盛りのパフェだった。
しかも店で一番高いやつ。
「……よくこんな見るだけで胸焼けしそうなの食おうと思うな。まぁ良いけど」
運ばれてきたパフェを、紗夜は満面の笑みで口に運んでいた。
「……美味しいか?」
「美味しい!ありがと、透さん」
透は優しい目でそれを見つめていた。
(……こういう日常を、美由紀さんに見せてあげたかったな)
紗夜だって、本当は清隆と美由紀と来たかっただろう。
(……ごめんな)
だが、これで──
「動くな!五十嵐紗夜!溝呂木透!」
透は目を見開いて、咄嗟に紗夜を抱き抱えて逃げようとした。
だが。
「……良いんですか、溝呂木先生。このままだと、五十嵐清隆は死にますよ」
聞き慣れた部下の声に、透は凍りついた。
「太田……」
ヘラリと笑う和也は、左手には後ろ手で縛った清隆、右手にはナイフを持っていた。
その後ろにも、大量の追っ手が待ち構えていた。
「お父さんっ‼︎」
「紗夜……大丈夫だ、逃げろ、父さんは平気だから。──ッ⁈」
和也が、清隆の喉元に薄く傷をつける。
「清隆さーん、余計なことは言わないでくださいよ。僕だって、人殺しの汚名は被りたくないんですからね」
「やめろっ!太田」
透が焦った顔で声を荒げる。
和也は不思議そうに首を傾げる。
「何故ですか、溝呂木先生。先生はよく言ってたじゃないですか」
全てを救うことはできない。
だったら、ごく少数を犠牲にしてでも、多数を救った方がいいに決まってる。
そう言って、淡々と星屑病患者を痛めつける透は、医者仲間からも恐れられていた。
「……そうだったな。最初は、そう思ってたんだよ」
透は泣き笑いのような笑みを浮かべた。
「……なのに、あの人が──」
「……お前は、他の奴らと違って逃げようとしたりしないんだな」
「えぇ。だって、私が犠牲になれば他の誰かが救われるのでしょう?素敵なことよ」
「──あの人が初めてだった。あの人は、本当に優しくて、他人の為に犠牲になろうとする人だった。だから……」
透は微笑みながら右手のブレスレットを外した。連なった宝石を丁寧にバラしていく。
「……俺は、あの人が護りたかったものを、代わりに護ってやりたいと……そう思ったんだよ。それが都合の良い想いだとしても、ね」
そう話しつつ、透は真っ直ぐ紗夜を見つめた。
「……五十嵐紗夜。一つ提案がある。俺の予想が正しければ、お前も、父親も助かる」
「……本当に?」
「あぁ、だから……祈ってくれ」
透はそう言って、明るい光を放つ宝石を紗夜に握らせた。
まるで、太陽のように輝く宝石を。
「……この宝石は?」
「……五十嵐美由紀の涙だ。きっと、彼女が導いてくれる」
透は紗夜の耳元で囁いた。
「神に祈れ。大事な者を護ってくれ、と。きっと応えてくださるはずだ」
紗夜は怖々とその宝石を握りしめ、強く祈った。
神様、どうかお父さんを、助けて。
皆が、その様子を固唾を呑んで見守っていた。
不意に。
紗夜を、暖かな光が包み込み──
「……待って!待ってよ、それが本当なら、次は──!」
甲高い悲鳴のような声と共に、光が弾けた。
紗夜は、滂沱の涙を流し続けている。
「……成功、だな」
透は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
紗夜の涙は、宝石化することなく服にシミを作っていく。
「さ、太田。これで五十嵐紗夜の星屑病は完治した。もう用済みだろう?五十嵐清隆も離してやってくれ」
和也は戸惑った様子で問う。
「……溝呂木先生、今のは……?」
「話は研究所に帰ってからだ。俺は疲れた。もう休ませてくれ」
そこで。
「──透さんっ⁈」
透は意識を失った。
『貴方は、本当に恐ろしい人ですね』
声を掛けられ、透は我に返った。
彼は、一面の銀河の中に、ぼんやりと立ち尽くしていた。
「……誰だ」
『もう予想はついているのでしょう?そうでなくては、あの場で五十嵐紗夜を治すことは不可能でしたから』
「……お前が神か?星屑病を人にもたらした?」
『えぇ、そうですよ』
声の主はクスリと笑った。
『しかし……残念ですね。愛する者の為に流す涙というのは美しいものなのに。これでは、星屑病が次世代に渡らないじゃないですか』
透は眉を顰める。
「そのためにこんなまどろっこしい真似をしたんだ」
『そうでしょうね。恐ろしい人の子よ』
透の視界が、眩しい星の光に塗りつぶされる。
『……既に死んだ愛しい者の為に、自分が病を肩代わりしようなんて、本当に愚かで可愛らしい人です』
最後に、そう聞こえた。
それから一週間ほど後。
紗夜は、自室で赤い宝石を眺めながら物思いにふけっていた。
(あれは……何だったんだろ)
神に祈ったあの瞬間、ほんの一瞬だったはずだが、紗夜の中に、あるイメージが流れ込んできたのだ。
とある少女が、両親を失った悲しみに暮れていた。
しかし、彼女はとある少年に励まされ、その悲しみを乗り越えた。
数年後、彼らは結婚した。
女は幸せだった。
そして畏れた。
もし、愛する夫が死んでしまったらどうするのか、と。
女は神に祈った。
すると神はこう言った。
『ならば、愛する者を守る力を与えましょう』
彼女は、人を癒す涙を流すようになった。
それは酷い苦痛を伴ったが、女は幸せだった。夫を喪うと考える方が、何倍も辛かった。
しかし、数年後。
痛みに疲弊した女の身体は、ボロボロになっていた。
女は、夫を置いて死ぬことを憂いた。
そして神に祈った。
『……なんて傲慢な願いなんでしょう。自分の死後もなお、彼の死を畏れますか』
神は赦した。
『……ならば、貴方の娘に、この力を受け継がせましょう。貴方の大切な人で、貴方の最も愛する者の一番傍にいますからね』
女は幸せなまま息絶えた。
(きっと……これは、初の星屑病患者の記憶だよね)
愛する者の為に、自分も、娘も犠牲にした。
(……これに沿って考えるなら、私の代わりに星屑病に罹ったのは、きっと透さんになる)
だって紗夜は、清隆を護ってくれそうな人を他に知らなかったのだから。
あの後、透がどうなったのかは知らない。
(……ごめんなさい、透さん)
普通になってしまった少女にできることは何もない。
ただ、幸せな日常を生きること以外には。
「溝呂木先生、拷問の時間っすよ〜」
「太田……もう先生じゃないって言ってるだろ」
そう言って、透は囚人のような服を和也に見せつけた。
「慎重にやれよ?せっかくの星屑病患者がすぐ死んだら困る。与える痛みは死なない程度に」
「うわぁ……やられる側に注意されるって変な感じだなぁ……」
ふと、和也は首を傾げた。
「溝呂木先生は、星屑病に罹ったのに何でそんな嬉しそうなんですか?」
透はあの日の美由紀の姿を思い出す。
『お願い……透君。……どうか、紗夜には……私みたいな……私と違う幸せな人生を』
(美由紀さん、貴女の願いは、叶えられたでしょうか)
透は、心からの笑みで言った。
はは、嬉しいに決まってるだろ。
3年間恋焦がれた人と、ようやく同じになれたんだからな。
星屑に祈る脆い幸せ 桜月夜宵 @Capejasmine
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