第3話 中編2

それから数ヶ月後のある日。

紗夜は、自室で小説を読んでいた。

清隆は仕事に行っていて、今は家に一人だ。

紗夜が星屑病に罹ってからは、リモートワークなどで出来るだけ紗夜の傍に居てくれていたが、どうしても出勤しなければならない日もあるそうだ。

(……星屑病、か)

別に泣かなければ痛いことも辛いことも何もないので、罹ったことにそこまで絶望はしていない。

むしろ、清隆は妙に気にしすぎているとすら思っている。

(……そんなずっと居てくれなくても、急に泣き出してまた過呼吸起こしたりなんてしないのに)

いつまで経っても迷惑をかけるわけにはいかないのだから。


ピンポーン

インターホンの音に、紗夜は本から顔を上げた。

「……誰かな」

しばらくして、もう一度インターホンが鳴った。

(……出た方が良いよね?)

きっと、話せるようになったし大丈夫。

紗夜が『普通』になれば、清隆も喜ぶだろう。

そう思って、紗夜は本を閉じて自室を飛び出した。

(……大丈夫、大丈夫)

軽く息を吸って、紗夜はドアノブを捻った。

「……ど、どちら様ですか……?」

言葉尻は消え掛かってしまったが、ちゃんと話せたと思う。

恐る恐る見上げると、黒スーツを身に纏った男達が玄関の周りを取り囲んでいた。

「えと……あの……?」

「五十嵐紗夜か?」

そう問われ紗夜は頷いた。

(……お父さんの知り合いかな)

今までずっと引きこもりだった紗夜は、危機感知能力がとてつもなく低かった。

ずっと、清隆に護られていたのも大きいだろう。

だから。

「……お父さんの、知り合いですか?」

「……あぁ。君を職場に連れて来いと言われたんだ」

「……?わかりました」

紗夜は知らなかったのだ。

人の非情さも、星屑病の可能性も、母がなぜ行方不明になったのかも。

全て、清隆が紗夜から遠ざけていたから。

紗夜は、男が招くままに黒いバンに乗ってしまった。



紗夜は、とある研究所に連れてこられた。

「あ、の……お父さんの職場って……ここなんですか?」

「……あぁ」

(……お父さんって、研究員だったんだ……)

男に導かれるまま、紗夜は研究所に入り──

「ここで待っているように、だそうだ」

「はい‼︎」

小さな個室へと案内された。

紗夜は何の警戒心もなく、簡素なベッドの上に座る。

扉を閉める男の憐れむような表情の意味を、紗夜はまだ理解していなかった。



「溝呂木先生、知ってます?新しい素材が入ったみたいですよ」

部下──太田和也──に言われ、溝呂木透はカルテをめくる手を止めた。

「……新しい素材?何の?」

「それはもちろん、『星屑病』の、です」

透はしばらく固まっていたが、ややあって尋ねた。

「……そんなポンポン手に入るものなのか?」

「はい。何でも、五十嵐美由紀の娘らしいですよ。8年間ずっと引きこもっていたとかで、もしかしたらと思って誘拐したら、案の定星屑病患者だったそうです」

「……そうか」

そう返して透は再びカルテを読み始めた。

「えー、なんか反応薄くないですか?五十嵐美由紀から涙を搾り取っていたサディストは先生でしょ?気にならないんすか」

「……」

そう。五十嵐美由紀に苦痛を与えて、強制的に涙を流させていたのは透だった。まあ、その担当になったのは今から3年前の話だが。

「……せめてもう少しオブラートに包んだ言い方をしないか?」

「すんません」

悪気の無さそうな顔で謝られ、透はため息をついた。

「……そもそも奇病っていうのは近しい者に感染しやすいっていう話がある。特に星屑病は……な。ま、科学的根拠はないけどな」

「……なるほど。だから、五十嵐美由紀の娘が罹ってても不思議じゃないってことですね」

「そういうことだ」

そう首肯して、透はカルテを閉じた。

そこで和也が首を傾げる。

「……先生って、前からブレスレットなんてしてましたっけ?」

和也が指差したブレスレットは、明るい光を放つ赤みがかった宝石を連ねた代物だった。

「……してたけど」

「え〜、嘘だぁ。そんな綺麗なの付けてたら普通気付きますもん」

「お前の目は節穴だからな。普通じゃない」

「え、酷くないすか?」

「事実だろ」

不毛な言い争いをしながら透は席を立った。

「溝呂木先生?どうしました?」

「休憩。少しくらい良いだろ。どうせ、しばらくしたら拷問の仕事が来るんだから、それまで休ませろ」

「あはは、先生も大変っすね」

ヒラヒラ手を振る和也に見送られ、透は診療室から出た。



(あー、どうすっかな)

自販機でコーヒーを買い、透は側のベンチに腰掛けた。

(……どうやって五十嵐紗夜を逃がすか)

自分の右手を彩るブレスレットを、蛍光灯のチープな光にかざしてみる。

(下手なことしたら、死ぬんだけど)

だが、これは五十嵐美由紀との約束だ。


お願い……透君、どうか……紗夜には……


あの時の切ない表情を思い出すと、今でも胸が詰まる。

(……大丈夫です、美由紀さん。貴女の願いは、絶対に叶えますので)

頬に涙が伝っていたのには、気づかないふりをした。



一方その頃。

「──ッ‼︎ッ、ぐ、あッ⁈」

紗夜は、声にならない悲鳴を上げながら、涙を流し続けていた。

「あ、ぁあ!いやだ、いたいっ‼︎」

「黙れっ!お前はただ泣いてりゃ良んだよ!」

身体中を流れる電気が痛い。なんで、こんなこと。

(……お父さんが、いるんじゃなかったの?)

あれは嘘だったのだろうか。

小部屋で待つ紗夜の元を訪れたのは、清隆ではなくスタンガンとロープを持った見知らぬ男だった。

(……誰か、たすけて)

もう辛くて辛くて頭がどうにかなりそうだった。

その時。


「……あー……お前下手過ぎるだろ。そんなんだとその子すぐ死んじゃうんだけど」


呆れたような声と共に、電流が止まった。

だが、紗夜は過呼吸になったまま動けない。

「あぁ⁈誰だお前」

男に怒鳴られても、入ってきた青年は飄々としていた。

紗夜のロープをほどきながら優しく語る。

「……大丈夫か?……ゆっくり息を吸って……吐いて……もう一回吸って……吐いて……」

「あ……ありがとう」

落ち着いた紗夜が強張った笑みを浮かべると、青年も微笑み返した。

蚊帳の外にされた男が、さらに喚き始める。

「おい、お前!誰だか知らんが邪魔をすんな!こいつはな、星屑病なんだ!涙を流させるんだよ!」

青年は、冷めた目で男を睨んだ。

「……お前さ、どこの所属かは知らないけど……少なくとも、俺の方がこういう手合いは慣れてる。何年、星屑病の研究やらされてると思ってんだ」

男から奪ったスタンガンをクルクルと弄ぶ。

その様を見て、男は目を見開いた。

「まさか……!溝呂木透!……先生?」

「そうだけど?」

「す、すみませんでした!」

男は震えながら頭を下げた。

「……邪魔だから消えてくれない?」

「はいぃ‼︎」

そう叫んで男はいそいそと退出した。

青年は冷めた目で男を見送った。

紗夜はビクビクしつつ話しかける。

「……えっと、透、さん?」

「……ん。何?」

圧に怯えながら紗夜は必死に問う。

「……ここは、何なんですか?」

「医療施設兼奇病研究所」

「は、あ……?」

戸惑いながら紗夜は続ける。

「私は……どうなるんですか?」

声が震えそうになるのを必死に耐える。

「……さっきの人が、『大勢の為に死ね』と言ってました。……どういう、ことですか?」

透は軽く目を瞬いた。

「お前……本当に何も知らないんだな。みゆ……五十嵐美由紀が失踪した理由も?」

「……知りません」

「マジか……」

透はベッドに腰掛けるとポンポンと隣を叩いた。座れということらしい。

大人しく座ると透は語り始めた。


星屑病患者の涙は宝石化する。それは、まあ……身に染みて知っているよな?

じゃあ、それを喰えば奇病を除くあらゆる病も怪我も治るっていうのは?

……やっぱり知らないか。

ま、そういうことだよ。

俺らは星屑病患者を捕まえて、涙を採って、それを薬に混ぜて患者達に与えてる。

癌なんかは、いちいち手術して再発や転移を恐れるよりずっと楽だからな。

……お察しの通り、五十嵐美由紀は、8年間ここで生きた薬として監禁されていた。

俺は彼女をずっと……と言ってもせいぜい3年か、見守っていた。彼女に苦痛を与えてきたのも俺だ。そして看取ったのも……。

何か質問は?五十嵐美由紀の娘。


「……透さんが、ママを殺したの?」

「そうだな」

透は淡々と言った。

「私も……殺すの?」

紗夜は返事を待たずに続けた。

「じゃあ、せめて、私で最後にして。いくらでも泣くから、これ以上、私と……ママと同じ目に遭う人を出さないで‼︎」

その叫びに、透は目を見開いた。

「……あの人と、同じこと言うんだな」

無意識だろうか、透は右手のブレスレットに触れていた。

「……心配せずとも、お前は殺さないさ。それがあの人との約束だからな。必ず、五十嵐清隆の元に帰すさ」

「……本当に?」

「あぁ、一週間のうちには」

透は雑に紗夜の頭を撫でた。

「明日、お前を連れて逃げる。今日は寝てろ」

優しい声で言い、透は部屋から出ていった。

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