欠片を再びこの胸に 2
消えてなくなりたかった。
光輝く大通り、その明かりから隠れるように裏道を進んだ。
不法に投げ捨てられたゴミ袋に足を取られ地面に転がる。
袋が破けゴミを頭に被ったがそれを払い除けもせず、覚束ない動きで立ち上がり、夢のような意識の中でただ宛もなく歩いた。
意図したつもりはないが、眼の前に見覚えのある裏路地が現れた。
「ここでイアンに殴られてたんだよね」
口角が片方しか上がらない不格好な笑顔で見つめ、そして無意識に殴られた左頬を撫でた。
痛みで現実を忘れたかった。
先日のイアン率いる3人の暴行は僕が誘導したものだ。
ちょうどいい暗さの時間帯、お酒が入り気が緩んだ所で目障りな奴が裏路地に入っていく。
元々エリート意識が高く、プライドが肥大化した男だ、間違いなく着いてくると思った。
そして誰にも見られないほどの静かで、悪事を働くには完璧なシチュエーションを目の前に提示すれば、彼らはその本性を露わにする。
正直、昼間のギルドで自生が利かなくなるほど彼らを煽っていた事は想定外だったが、僕の都合で行わせた事だ、イアンもまた被害者と言えるだろう。
薄ら笑いを浮かべながら腰に左手を着ける。
そして銃の形を右手で作り、唯一この場を見ているであろうお月様に向かって「バン」と口ずさみ発射の真似事をする。
「何だてめぇ」
「お前こそ。これは俺んだぞ」
遠くから聞こえる声に眉を潜める。
いくらがここが、滅多に人が来ない治安の悪い場所だったとしても、声くらいは届く事はある。
「もっと奥へ」
溶けた意識の中で、何もない静寂を求め再び歩き出す。
今度は声さえ届かぬ場所を目指して。
目を閉じ、音程とリズ厶の狂った鼻歌を歌ながら歩き出したその時だった。
服の裾に引っかかりを覚える。
鋭い目つきで眼の前の虚空を睨みつけ、怒気の孕んだ声を発す。
「誰だ」
「はぁはぁ……間に合った」
肌寒く、心地よい眠気を邪魔した者に、殺意と変わらぬ感情を抱いていたが、背後にいる人物の声を聞いた途端、驚愕にそれらは吹き飛ばされ、思わず振り返った。
そこにいたのはシルヴィアだった。
まず覚えたのは、何故ここにいるという驚きだ。
それも、溶けた頭が正常に働けばすぐに幾つかの推論は固まる。
シルヴィアはギルドから僕の後を追ってきたのだろう。
元々彼女はギルドに保護されていた。
そこから考えれば悩む必要もないほど単純な答えだ。
彼女は僕と目が合うと、服の胸元を左手で握りながら、ほっとしたように笑みを浮かべた。
「え」
裾を掴む彼女の手を振り払い、僕は何事もなかったかのように前に向き直り歩き出す。
「ちょっと待って下さい」
「……」
「話を……」
「……」
「あなたしかいないんです」
「……」
「お願いします」
「いい加減手を離せ、しつこい!!」
再び裾を掴まれるが今度は振り返らない。
先ほどと同じように鼻歌を歌いながら歩くのだが、先ほどよりも夢心地の感触に浸れない。
その原因は背中から送られる振動だ。
その振動がどうやって作られているかは見なくてもわかる。
シルヴィアが僕を押し留めようと足で踏ん張るが、勢いに負け、コケるような態勢になり僕の背中にぶつかる。
諦めを知らない少女が生み出すその振動は、今何よりも目を逸らしたいものだった。
何度も送られるその振動に次第に眉を潜め、心の中で嘆く。
やめてくれ、僕を現実に引き戻さないでくれ。
ようやく気持ちよく終われそうなんだ。
ついに足を止め、裾を掴む彼女の手を掴み大声を上げる。
静かな裏路地に反響する声。
シルヴィアを責めるようなドスの効いた声だが、それは己の心から溢れ出した悲鳴だと知っていた。
知らぬままでいたかった。
だがそれをさらに引き出すような彼女の冷たい手の感触に、次の言葉を淀ませた。
「あ、あなたしかいない……だと、ふざけるな。そういう依頼は冒険者ギルドでしろ。僕以上に優秀な人物がいる場所だ、きっと解決してくれるさ。金銭の問題なら借りろ、冒険者じゃない人間にいちいち縋るな、見苦しい。それにやりたい事があるのに領主は嫌だど手段を選んでんじゃない」
息を荒げながも発し終える。
それを聞いたシルヴィアは俯き体を震わせる。
(とにかくこれで諦めるだろう)
彼女の手を離しその場から立ち去ろうとするが、足の動きが悪かった。
そんな自らの足を、聞き分けが悪い子供を見るような目で呆れつつ、右手で優しく撫でる。
「だって……」
シルヴィアの小さな声を聞き漏らさないのが、最後の義理だと割り切り顔を向ける。
彼女は両手を固く握りしめ、大粒の涙を溢しながら僕に飛びつく。
そして腕を振り僕の胸に小輪(拳の底)を叩きつけた。
「私を救ってくれたのはあなたでしょ。仲間を守るために自分を犠牲にして、守りきって生き残った。私が人質の時、他の人も頑張ってはいたけど、結局事態を解決したのはあなた。私は誰を信用すればいいの? ねぇ教えてよ。私を助けてくれた人以上に、見知らぬ場所で誰を信じればいいの? お願いします、私以外の子がまだ捕まっているんです。お願いします、お願いします」
そんな彼女の訴えを聞いても今更僕は変われない……変われる時は過ぎてしまったんだ。
なのに何故、僕の拳はこんなに固く握られているのだろう。
「離せ」
「きゃ」
右拳に感じる灼熱感から目を背け、僕にしがみつくシルヴィアを引き剥がし地面に叩きつけた。
どう叩きつけたか覚えていない。
ただ力一杯右腕を腕かし、肺を大きく動かし肩で息をする。
「もう……無理なんだ。それに僕は弱い、君が期待するような事は何も出来ないんだ」
両手で頭を抱え込み、焦点の合わない目で地面を見つめる。
そしてようやく吐き出せた本音は小さく枯れた声だった。
「僕なんかに上手く行くはずがない。それにもう冒険者じゃないんだ、だから君の願いを叶えることはできない」
頭から手を離し大げさな身振りで訴える。
言い訳を吐き出す時は楽だった。
だが、その言い訳を目の前のシルヴィアに言っていたつもりはない。
諦めていいんだよと、己を堕落させるために言っていた。
「貴方は強いです、私を見て下さい。何もない、縋ることしかできない」
シルヴィアは地面に叩き着けられた際に頭を強く打ったらしく、頭部から血を流していた。
それでも彼女は強い眼差しで、こちらに這いずりながらも顔を上げた。
息を呑み思わず後ずさる。
シルヴィアのまっすぐ、僕だけを写した瞳に吸い込まれる。
不思議だ。
彼女の目から反射して見えた僕の姿は想像とは違う。
力強くその場で立ち、両目の端から、数滴の涙を流しながら彼女を睨みつけていた。
思わず、自分の頬を触る。
そこには確かに涙の跡があり、目は恐ろしい程強張っていた。
再び彼女の目から反射した自身の姿を見る。
そこでようやくわかった。
僕が睨んでいたのはシルヴィアではない、自分自身だ。
では何に怒っているのか。
彼女に目を向けるとその姿は誰かに似ているように思えた。
乾燥した手、痩せ細った体。
盲目さで心を補強しても隠せない何かに縋るような瞳。
そう、決して得られぬと知っていながら家族という愛に縋り続けていた過去の自分のようだった。
*
僕は昔孤児院にいた。
幼少の頃、1人でシリウスの城壁近くを彷徨いていた所を領兵に保護され孤児院に入った。
そこでの生活を一言で言うと馴染めなかった。
友人1人できず、ずっと部屋の隅にいた。
そんな生活を続けていたが、僕はふとしたきっかけで、孤児院を出ることになった。
そう、とある一家の養子となる事が決まったからだ。
最初は幸せだった。
元々僕は両親の顔を知らない。
だからこそ憧れがあったのだ、義理とは言え父と母のいる生活に。
でも、その幸せは長くは続かなかった。
引き取られて一年もしない内に義理の母が妊娠したからだ。
僕を引き取った理由は、義両親の間で子供が中々出来ず、自力で生むのは諦めたからだ。
もしそんな二人の間に子供が生まれたら僕のことをどう思うか? 資産を奪う泥棒、必要のない他人、その認識で間違っていないだろう。
今思えば義両親は善良な人ではなかったのかもしれない。
それでも僕は、愛という幻想に縋り続けた。
家の家事をすべて行い、時には両親の不満の捌け口に暴力を振るわれる。
空いた時間に小遣いを稼ぎ、稼いだお金は全て義両親に喜んで渡した。
もう一度家族として見てもらいたくて、あの温かみをもう一度得たくて。
ご飯もまともに与えられず、痩せ細り、台所に立っていたため手も荒れていた。
体も洗うことも許されず、今思えば本当に汚い存在だったのだろう。
そして最終的な結末が奴隷として売られそうになった。
シルヴィアは無力でなんの力も持たず、縋り付く事しか出来ない、それは昔の自分によく似ていた。
「安全に住める家、今を生きる分の十分なお金、剣、魔法、心配してくれる人」
気づくと、何もなかったあの頃から、今何を持っているかを指で数えながら口に出していた。
その度に僕の歩んできた道は無駄じゃなかった、そう思えてくる。
「え」
そして腰を下げ、地面に這いつくばっているシルヴィアに手を伸ばしていた。
ゴブリンなら倒せる、そんなちっぽけだけど、自分を支えていた物。
それを失った僕が、新たに支えにしたのは過去との変化だった。
今は辛うじて何かを持っている。
限りなく無力だが完全な無力ではない。
変わらずちっぽけな物を支えにした。
僕の手を取り、シルヴィアは立ち上がったが目を大きくし固まっている。
胸ポケットから取り出した丸い箱に入った血止め薬を、彼女にできた傷へと塗っていた時ようやく我に返った。
「えっと……ありがとうございます?」
シルヴィアは混乱しているようだが、僕は彼女に聞かなければいけない事がある。
「その話、もう少し聞かせてよ」
「その話って?」
「君の仲間の話だよ」
シルヴィアは僕を伺うように目を細め訝しむ。
それを見て僕は自然に笑みが漏れてしまった。
それはそうさ。
先程自分を振り払い拒絶したはずの僕が、さほど時間が経ってない、そして彼女が何もしていないはずなのに協力的になっている。
不審に思っても無理はない。
「どうして急に話を聞く気になったんですか?」
「同情かな……でもそうだね…そうだ」
疑ってもしょうがないと、割り切ったのだろう。
シルヴィアはこちらの目を真っ直ぐ捉え聞いてくる。
僕はというと、気軽い心境を全身に表しながら、今作っている答え、それをそれをかき集めるようにシルヴィアから顔を逸らす。
グレアムさんが言っていた、冒険者として己のやりたいことを見つけろと。
そして死ぬ瀬戸際で思い出した人に感謝される温かみ。
それらは時間が経てば目的として実るかも知れないが、だが、僕には時間がない。
人が変わるには結局己で選択するしかない。
これはグレアムさんの過去の話を聞いて思ったことだ。
僕にとっての必要な選択はこの子を、助ける助けないではない。
もっと根源的な変化だ。
命を慈しみ、縋り、惜しみ、故に腐る、そんな今の自分ではない新しい自分に。
「そう命は使い切るものだから」
顔を上げ彼女の目を見つめながらそう言った。
といっても僕の答えはシルヴィアには伝わっておらず頭をかしげているが。
ようやく言葉にして纏まった気がした。
ギルドで目を覚ましてから、消えたプライドと一緒に探していた物。
そしてシルヴィアの手を掴む理由。
命を使い切るには、なんの為に使うかを明確にしなければならない。
それを僕は、目の前にいる己より弱い者の為に使おうと考えている。
つまり力持たぬ子供のために。
命を掛けられる、同情を始まりにしようとしているのだ。
そして再び手を差し出す。
ここには依頼を受ける用紙も手続きをしてくれる受付嬢もいない。
だからせめて心にだけは残しておきたかった。
「ま、最低命は掛けてやる。それでいいなら手を取ってくれ」
「はい、お願いします……え?」
シルヴィアは涙を流し、嬉しそうに手を取る。
その次の瞬間、頭部が何者かに殴られ僕は前のめりに倒れた。
背後の襲撃者、その予兆は眼の前のシルヴィアがした、目を大きく開いた驚愕の表情しかなかった。
シルヴィアがすぐにしゃがみ込み、僕の肩を揺するが反応出来ない。
(あ、これは落ちるやつだ)
警戒は一切していなかった。
不意の一撃に、後頭部の打撃、肉体が強制的にシャットダウンする中で僕に出来たのは、霞む視界の中で彼女が拐われる光景を目に焼き付けることだけだ。
「ようやく見つけましたよ、またこの少年と一緒にいるとは……急ぎますよ周りの冒険者がすぐに此処に来る」
仮面を被った襲撃者に鼻を布で覆われ、シルヴィアはぐったりと項垂れる。
そして肩に担がれ、この場から連れ去られる訳だが。
シルヴィアは肩に担がれ、意識が朦朧とさせながらも僕に手を伸ばしていたのだ。
抵抗するよりも、心配を優先するように。
だから決めた。
そんな自己犠牲を発揮する無力な馬鹿の為に。
お前もお前の仲間も絶対に救ってやるって。
*
仮面の男はミスをした。
後数分、いや数十秒早ければ何事もなかっただろう。
だが、以前拐った時とは状況が違う。
依頼は結ばれた。
ギルド職員がロストを認めているその理由は、困っている時に何かと融通が聞くからだけではない。
Eランク冒険者、ロスト・シルヴァフォックスの一年半以上の冒険者生活の中で、唯一誇れる数字がある。
それは依頼達成率、数値は脅威の100%を記録していただらだ。
案外この達成率100%を記録している冒険者は多い。
しかし、その殆どが魔物などの討伐系か雑用系の所謂成功する事が前提として出されている依頼だ。
変わってロストがこなしてきた依頼の殆どが、数十年前の探し物などといった、達成できるか確証がない依頼ばかりをギルドは彼に課していた。
そして彼は、そんな依頼を全て達成させてきた。
だから隠れ通すそんな事はできやしない。
このシリウスで彼の目から逃れる手段など端から存在しないのだから。
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