欠片を再びこの胸に 1
目を開けると真っ白の天井があった。
そして背中に感じる柔らかな反発感、それだけでここが何処かわかる。
冒険者ギルドの医務室だ。
天井にある染みの数を覚える程通った場所だ、見間違える筈ない。
「生きてる」
ゆっくりと体を起こした後、シャツを捲りゴブリンに貫かれた筈の腹部に目を向ける。
傷跡は確かに残っていたが、肌色の皮膚が腹部にある。
傷跡の中心部を軽く手で押してみると、腹部を貫くような痛みが返ってくる。
どうやら傷口が塞がっているだけで、中はまだ治りきっていないらしい。
「最後に見られるのはゴブリンの姿だと思っていたんだけどね」
毒から回復したゴブリンは立ち上がり、血の道を追う。
そして高座の後ろで隠れている僕にたどり着くのだ。
目を瞑り、その場で動けなくなった獲物に、下卑た笑みを受けべ腹部を踏みつけながら首を締める。
意識を失っていた獲物も、その苦しさに目を覚まし、最後は苦痛と恐怖を顔に表しながら死に至る。
そこまで想像出来ていた。
だから、今生きている事に現実感を持てない。
肩から力を抜き、眼の前の白い壁をぼーと見つめる。
「生き延びた、でも……今の僕に何が出来るのだろう」
壁を見続けた後、胸に湧き出すのは己の無力感だ。
シーツを握りしめ膝を抱えて蹲る。
僕は冒険者生活でたった1つの事を支えにやってきた、それはゴブリンには負けないというプライド。
その個体が特別強いとかは関係ない、ゴブリンに負けた、その事実は、僕が冒険者としてこれだけは確実にできるという底辺を無くなってしまったことを意味する。
どんな理不尽な目にあっても、向上心を持ち続けられたのは底辺がしっかりとあったからだ。
だがもうそれもない。
「っっクソ」
涙はでない。
右拳を握りベットの上に叩きつける。
ポンという軽い音を最後に拳から力が抜けた。
そして無感情に真っ白のシーツを眺め続けた。
*
少しするとギルド長がやってきた。
ガチャという扉の開く音を聞き力なく扉に目を向ける。
その時の、僕を見たギルド長の目はどうだったか、一瞬だけ驚いたような表情がおかしくて笑ってしまった。
「1週間は絶対安静だ、この部屋から出ることも許さん」
それだけ言うと医務室からグレゴールは出ていった。
行動1つ1つが力強い動作で行われ、扉を出た後の足音もそれは同様だ。
だが、その行動は動揺を隠す為のもののように感じられた。
そしてグレゴールが離れて5分たった頃、僕は布団から出で揃えられた靴を履くと医務室を出た。
「おい、もう起き上がっても大丈夫なのか?」
体に力が入らず半目で通路を歩く。
狭まった視界に、ほんの僅かに暗く感じる世界。
足取りこそしっかりしているが、フワフワとした思考でギルドの中を彷徨っていると、背後から声を掛けられる。
その声に体をピクリとさせ、振り返る前に笑みを作る。
背後には、髪の殆どが白髪の冒険者ベンさんがいた。
彼はいつも通りの明るい表情で僕の肩に腕を絡める。
「まぁ、大丈夫かな。それにしてもに騒がしいね。ベンさんは何か知っている?」
「ああ、何か大きな作戦があるらしい。といってもお前は安静にしてないとダメだからな、ポーションでも治らないレベルの大怪我だったんだ、ルシアがいなきゃ死んでたぞ」
「機会があればお礼は言っとくよ」
「絶対だぞ」
見つめるのは通路の先、ギルドのロビーだ。
先ほど医務室の窓を開いた時は既に夕方だった。
飲食店ならこの混みようも納得できるが、ギルドの受付は17:00時に基本終わる。
緊急であっても冒険者に依頼が送られるのは基本明日になる時間帯、それに騒がしさからして書類仕事の受付が出す騒がしさではない。
となると僕が寝ている間に何かしら事態が動いたかだ。
興味などない。
でも興味を持たなければベンさんは僕の異変に気付いてしまうだろう。
普段は目を輝かせ、何があったのか、べんさんにはよく聞いていたから。
依頼に参加したいと、駄々をこねる事はしなかったけどね。
、
ベンさんは僕の顔を凝視すると頭をかく。
「サンキュウな。お前のお陰で生き残れたよ。後、馬鹿な真似せずさっさと医務室に戻れ」
小さく呟きベンさんは背中越しに手を振りながらギルドのロビーに戻っていく。
その際彼は何度もこちらを振り返る。
彼の顔は穏やかな物ではなく、眉が寄った真剣なものであったが、それら全てを作り笑いで受け流す。
「やっぱりバレてたか」
そしてベンさんの姿が見えなくなったと同時に笑みを消し先程までの半目に戻る。
「やっぱり厄介だよアンタは」
少し前までの僕なら嬉しく思っていただろう。
誰かに見られ、心配されている事に。
そしてこの心境の変化も恐らくベンさんは気付いている。
普段僕の意思を尊重するベンさんは先程医務室に帰れと言い切った。
彼は僕にお願いすることはあっても、強い口調で、こうしろなどの、指示を出すことはない。
「行くか」
ギルドのロビーに背を向け歩き出す、誰もこない場所を目指し彷徨うように。
*
次に足が向いたのはギルドの練武場だった。
室内の練武上に近寄るとカンといった木剣がぶつかるような音が聞こえた。
本当は近付くつもりはなかったが、思い出したのはレティシアとの模擬戦の日々。
吸い寄せられように室内練武場に近づき、入口から顔だけ出して中の様子を伺う。
そこでは、ヒューさんとグレアムさんが模擬戦をしていた。
優勢なのはヒューさんだった。
双剣を叩き込まれる度にグレアムさんが少しずつ後退している。
そもそも、この勝負はヒューさんが有利だ、
ヒューさんは本人の獲物である双剣で挑んでいるのに対して、グレアムさんは片手剣、盾を持たずに戦っている。
グレアムさんの横薙ぎ、そのタイミングでヒューさんは懐に飛び込んだ。
そして左手で持った剣で斬り上げ、グレアムさんが持つ剣を大きく弾く。
離しこそしなかったがグレアムさんの剣を持つ右手は、後頭部近くまで吹き飛ばされている。
あれを引き戻す隙は戦闘にはない。
(決まったな)
ヒューさんは左手で持った剣をその場で捨て、体を捻り一回転、背中を向けている間に右手で持っていた剣を両手に持ち直し、グレアムさんに横一線の斬撃を放つ。
グレアムさんは腹にヒューさんの一撃を受け、尻を床について座り込む。
そんな彼にヒューさんは木剣を右肩に乗せながら、左手を差し出す。
その手を掴みグレアムさんは立ち上がるとヒューさんの肩に腕を掛けた。
「一本取られたな」
「この状態で負けたら俺は兄貴の相棒を降りないとまずいっすから、って」
ヒューさんは剣を持っていない、左手のみで小さくガッツポーズをしていた。
勝ったのは嬉しいが、それを負かせたグレアムさんの前では見せない、そんな小さな可愛げに笑ってしまった。
獣の勘か? ヒューさんの目線が脈絡もなく動き、練武場の入口にいる僕を捕らえた。
目があってしまった僕は手を小さく振る。
気まずそうな顔の僕を見て、ヒューさんは気付いてしまったのだろう、彼がしていた小さなガッツポーズが見られている事に。
ヒューさんは、こちらを睨みつけ威嚇する、腕の中にいるヒューさんがそんな事をしているば、当然グレアムさんも気付く。
「どうしたヒュー?……ロスト起きたのか」
ヒューさんと肩を組みながらグレアムさんがこちらに歩いてくる。
僕の前にやってくると、グレアムさんは何故かヒューさんの背中を押す。
「ホントによかった。な、ヒュー」
ヒューさんは先程の威嚇顔とは違い、下を向き黙っている。
「おい、ロスト……お前は……俺たちを」
体を小さく丸め、途切れ途切れに言葉を話す彼に、何故か無性に苛ついた。
下を向く、彼の顔、その眼球目掛け、親指を立て突く。
「お前、何して?」
ヒューは顔を上げ、親指を回避する。
その行動を勿論ヒューは非難するのだが、そこには怒りよりも困惑が込められている。
僕はイタズラな笑みを困惑するヒューに向けるが、目は真剣に、もはや睨みつけていた。
「違うよ、全員が出来ることを最大限やろうとしたらああなった、それだけさ」
ヒューは謝罪を口に出そうとしていたが言わせてやらない。
あの判断は間違っていなかった、それだけは自信を持って言える。
「そうか…そうか……助かった」
噛みしめるように再び目線を下げるヒューに僕は溜息を吐く。
そしてグレアムさんに目を向け、眼球の動きでヒューさんをどうする? と訴えかけると、グレアムさんはおどけるように頭を傾げた。
「だから違うって、はぁ、もういいや」
ヒューさんの、しんみりとした態度に耐えられず、頭をワシャワシャと大げさにかく。
それを持って話しを変えグレアムさん達に聞く事にした。
「とにかく二人はいいの? ギルド内が忙しそうだけど」
すると彼らは練武場に掛けてある時計に急ぎ目を移し。
「もうそんな時間か、行くぞヒュー、ロストは安静にしてろよ」
「はい兄貴、お前もさっさとベッドに戻れ、ここでの事は内緒にしてやる。」
グレアムさんもヒューさんも、互いに重さが抜けた笑顔を見せギルドのロビーに戻っていた。
その際木剣を練武場入口に置いていったのだが、これは僕が片付けるのか? と思いながらも彼らの背中を目で追う。
そして今で騒がしかった練武場は静寂に包まれる。
誰もいなくなった練武場で、彼らが置いていった木剣を手に取り上段に構え振るう。
腰や肩まで深く落とした2撃知らずの1振り。
音や振動、それらが一切漏れない綺麗な軌跡を描く素振り。
だが心は晴れなかった。
「もう冒険者なんてゴメンだ」
腰を深く落としたまま指先から木剣がこぼれ落ちる。
そして静かな練武場にコットン、という音が響き渡ると同時に練武場から逃げるように離れた。
*
僕は両手にゴミ袋を持ち、ギルドの敷地内にあるゴミ捨て場に向かっていた。
練武場を出て歩いていると片手で1つずつ、ゴミ袋を引きずりながら鼻息粗げている受付嬢を見つけた。
助けるつもりで声を掛けたのは間違いない。
「持ちましょうか?」
「あ、お願いします。では私は別の仕事があるので」
「ちょっと」
受付嬢はゴミ袋をその場に置くと、僕に深々と頭を下げ走り去ってしまう。
声を何度か掛けたが、よくみれば彼女は自身の耳を両手で塞ぎ逃げていた。
彼女を追い1つくらい持たせればよかったかも知れないが、走ろうとす際腹が突っ張ったので辞めた。
「全く、仕事が選べるなんて羨ましいね」
そして塀の外側から入る街頭の光を頼りに、ゴミ袋を両手に携えゴミ捨て場まで歩いていく。
ギルドのゴミ捨て場までは薄暗く狭い。
そして現在は肌寒い季節である1月、好んでここに来る人間はいない。
ゴミを捨てると、冷たい風が吹き荒れる。
腕で体を反射的に抱え体を温めようとするがそこで気付く、手が震えている事に。
右手の震え抑えようと左手を使うのだが、そちらも震えており、二の腕、肩、腹、足と、順に体を確認すると、体で震えていない部位はなかった。
体が上手く動かせないと耳が研ぎ澄まされる、そして耳はある音を聞く。
ポトポトという水滴が落ちる音を。
そこで僕は自身が泣いている事を自覚した。
「あれ」
静かな涙が溢れるだけ、叫ぶ事も、蹲ることもない。
ギルドの中を彷徨っていたのは誰もこない、一人きりで泣ける場所を探していたのだろう。
「僕はもうダメなんだな」
そうボソリと呟き、ゴミ捨で場で蹲った。
僕は普通の冒険者として生きたかった。
信頼できる仲間と難易度が高くもない依頼に挑む。
そして依頼に失敗したら、酒場で互いに傷を舐め合うのだ。
その際、俺はこんなものじゃないと酔い暴れてもいいし、逆に宥める方でもいい。
ただ普通の人が吐き捨てる、当たり前の日常が欲しかった。
ふらつく体を押し医務室に戻りそこで一枚の書き置きを残す。
アトラディア王国シリウス支部ギルド長グレゴール様へ。
今日限りで冒険者を辞めます。
今までありがとうございました。
子供の約束ごとじゃないんだからと皮肉げな笑みを受かべながら、医務室の窓から外に飛び出す。
冒険者ロストは今日をもって引退だ。
僕は諦めを初めて許容した。
ギルドの敷地外に出ると、早足で街の中を歩く。
そしてギルドから100メートル程離れると、一度だけ振り返り軽く手を振る。
「じゃぁな冒険者ギルド。苦しかったけど、それでも今までありがとう」
そして整備された大通りではなく裏道に入る。
心の底で、もうこの場所に居たくないと言う思いが強くあった。
だから、注意散漫だった、なので、気付かなかった。
僕が医務室をから出てすぐに、同じように窓から飛び出した人間がいることを。
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