第22 苦難の入口 5
「おい、ロスト大丈夫か」
誰かの声が聞こえる。
低い男性の声、知っているような気がするし、そうでもなかった気がする。
実際理性は彼の言う事を聞けと囁いているが、とてもじゃないがそんな気分にはなれない。
肩を激しく揺すられるが、床に寝かされているべんさんから目が吸い付いたように離れない。
彼の体のあちこちは斬られ、その体には今も矢が刺さったままだ。
また火の魔法でも受けたのか、皮膚が軽く焼けている。
呼吸の浅いベンさんを見ると、あの言葉が無性に聞きたくなる。
「なぁ飯食いに行かないか?」
しつこいくらい聞いた言葉にして、僕を一人にしてくれない魔法の言葉。
ギルドの入った当初は、彼の存在が鬱陶しくてしょうがなかった。
あれは外の練武場で走り込みをしていた時だったか。
ランニングの途中から現れた彼は、何が面白いのか、僕の走る姿をじっと見つめている。
時間が経つほどベンさんの姿勢は崩れていき、最終的には砂場に寝転がり「飯に行こう」と野次とも言えぬ言葉を飛ばす。
「おい聞けよ、飯行こうぜ」
ランニングにより乱れた息を、膝に手を置きながら整える。
肺が上手く膨らまず、口から吐き出した透明な唾は血の味がする。
そんな中でもベンさんは声を掛けてくる。
息が整っていない状態での会話。
喋る中で挟まざるを得ない荒んだ息、休めず喋らねばならぬ状況に、休憩場所を間違えたと少しだけ後悔した。
最初は、ただ休みたくて口にした言葉だった。
「ベンさん、はぁはぁ、お誘いは嬉しいけど、はぁはぁ、僕に構うのやめて下さいよ」
「どうしてだ?」
ベンさんは足元を見つめ、一瞬考えるような素振りを見せるただけで、顔を上げ僕に問うてきた。
「ベンさんはシリウス支部のベテランで、教え子もいっぱいいる。そんな人が1人だけを特別扱いしたら、嫉妬を向けてくる奴がいるんですよ」
嘘ではない。
レティシアが王都に向かって一ヶ月、僕への迫害は確実に減ったが無くならなかった。
理由が無くなったら新しい理由を見つけるまで、今度は嫉妬という感情でこちらを襲ってきたのだ。
「わかったそいつの事を教えろ。根性叩き直してくる」
ベンさんは拳を鳴らしながらこちらに近づき、笑顔で肩を掴む。
「やめてくださいよ。たっく、逆恨みされても困るし」
大きな溜息を吐いた後、頭をかく。
ベンさんの顔は確かに笑っていた、しかしその目は、緩む眉とは対象的に大きく開かれ、また瞳孔も完全に開いていた。
「はぁ、わかりました、わかりましたよ。一緒に御飯行きましょ」
口に出してしまった以上無かった事には出来ない。
ここで問題なのはベンさんが、がさつという点だ。
ギルドの依頼ではそんな兆候はないのだが、人間関係ではそれが如実に現れる。
彼に取っての叱るとは、頭に拳骨を落とし、声を荒げ怒鳴りつける事だ。
そんな彼に実行者の名前を告げれば、さらに事態がややこしくなりかねない。
雑に解決されるくらいなら、この場を誤魔化しやり過ごした方がマシだ。
そう考え、僕にしか出来ない誤魔化し、ご飯を食べに行こうという、彼が口酸っぱく言っていた提案を、投げやりに、そして叫ぶよに了承する。
「そうこなくっちゃな。店は俺が決めるがいいな」
「はい、酔っぱらいほど穴場に詳しいと思うので、よろしくお願いします」
先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、目の奥が緩み僕の肩から手を離す。
そして室内練武場の近くにある、裏門へ向かってベンさんは歩いていく。
「おーい、早く来い。出ないとランチが品切れになるかもしれないだろ」
少し離れたその背中に、駆け出し、追いつき、その横を並び歩く。
そして場所は大通りを抜けた小道を進み、地面に置かれた看板しか店の存在を示さない、地元客御用達の料理屋、その扉の前に移る。
店の中に入り、ベンさんは鼻歌混じりに紙に書かれたメニューを手に取る。
機嫌を良さそうな彼を見ていると、ギルドで密かに呼ばれている彼の渾名、鬼教官というのが嘘に思える。
どんな厳しい人でも、常に気を張っているわけではないのはわかっている。
でも、だからこそ聞きたくなってしまうのだ。
何故彼は、僕といる時は基本笑顔で、厳しい様子を見せないのだろうかと。
「なんですか? いやらしい笑みを浮かべて」
「そう言えばロストに、文句を言われる事はあっても、食事を断られる事はなかったなって」
ただ正面切って言えるわけでもなく、少し捻くれた形で質問をすると、はぐらかされた返答が返ってくる。
「何回目ですかその話?」
「そっくりそのままお返しするよ」
口を尖らせながら聞くが、間髪入れずに返して来る。
彼が言う通り、この会話は既に何回もしている。
ほぼ毎日、食事に連れていかれると考えると、2日に1回のペースで同じ質問をしている気がする。
繰り返し、繰り返し、互いに嫌な顔はせず、そしてベンさんは煙に撒く。
そして最後は呆れるような笑みを僕が浮かべるのだ。
その笑みの中には何が籠もっているのだろう?
普段は温厚だが怒ると怖い。
仲間を大切にする一面に、豊富な経験で若い冒険者を何数十人も育てた面倒見の良さ、そして命を厭わず尻拭いをする献身さ。
ギルドでも、支部長の次に尊敬されている人を1人占めできている事実に、地の底まで下がっていた自尊心がほんの少しだけ回復する。
今思えば、タイロン先輩が絡んで来るまでは、ギルドで僕と積極的に関わってくれたのはベンさんだけだった。
彼の誘いを断らなかったのは、結局の所人恋しかっただけなのかも知れない。
「グレアムさんベンさんの事よろしくおねがいします。それとこれ、ルシアさんから貰ったポーションです、飲ませて下さい」
「ああ」
ルシアさんから貰った回復薬をグレアムさんに手渡し、壁の外に出る。
既に体全身が熱い。
心も思考も、正直全てを投げ出しm高座にいるクソ野郎を怒りのままに殴り飛ばしたい。
だが感情のままに行動する、それは僕のスタイルとはかけ離れている。
個人の感情は捨てろ、必要なのは気を晴らす事ではない。
もう二度と暗闇の中を歩けないよう、恐怖を植え付け、自身のやった行いを相手に後悔させる。
首に着けている鈴に右手を伸ばし弾く。
鈴の音が響き渡り、暗闇の中でも変わらず周囲の情報を伝えてくれる。
この謁見の間にいるゴブリンの数は、25匹。
杖を持っているのが3、弓が6、盾が3、槍が4、剣が9匹、これが内訳。
追記する情報として、迷いの森のゴブリンは思考の同調が可能。
詳しいゴブリンの能力は、視界の共有、脳の並列処理、後は視点と呼ばれる特殊個体がいる位だ。
視点、それはゴブリン達の同調された思考のなかで、上位権限を持っている者を表す言葉だ。
それがいるからゴブリン達は、思考がバラけず、感情にも流されない。
まずはそれを仕留めなければ有利は掴めないだろう。
矛盾する考え方かもしれないが、数の不利は確かにあるが、相手はゴブリンだ。
油断するつもりはない、だが唯一自信を持って勝てるといい切れる相手だ、固くなりすぎず。
「気楽にやろう」
「は、無駄だ」
踏み出そうとした直前、暗闇の中から矢が、顔目掛け飛んでくる。
それを右にステップし、床を回転、少々大げさに回避をする。
回避に使った距離はおよそ3メートル半。
弓を持ったゴブリン達は、暗闇で視界が潰れているはずなのに、照準をこちらに張り付けている。
今のは確認だ。
本当にこの暗闇の中で、ゴブリン達がこちらを視認しているかのかを。
耳が異常に良い特殊個体が紛れ込んでいる線も考えていたが、張り付くような照準に、探知魔法で調べた限り、ゴブリンの眼球の動きも僕の回避に付随していた
「さてと」
左手を右肩に持っていき揉む。
この一連の動作の中に、左の腰袋から抜いた、投げナイフを投擲するモーションを隠す。
ナイフは高座の隣にいる、杖を持ったゴブリンに向かって飛んでいくが、盾を持ったゴブリンが射線上に飛び出し防がれた。
さて全て必要な情報は揃った。
ゴブリン達を束ね、同調した思考を安定させる役割を持つ、視点の位置はわかった。
視点の位置は、高座隣にいる杖を持ったゴブリンだ。
なんとなく狙ったのだが、前線にいた全てのゴブリン達が後衛に戻り、各々の武器を伸ばしナイフを防ごうとしていた。
ここまで大げさにされれば嫌でもわかる。
「さて、やるか」
ベルトに掛けていた剣を右手に持ち、そして抜く。
僕が選ぶのは接近戦。
視界を奪う、ダークネスの魔法の中で、何を考えているのかと思うかもしれないが、問題ない。
僕には探知魔法があるので、敵の位置は判断出来ている。
ただ、意図した訳では無いが。
「運が良い。彼が味わった恐怖を、そのままお返し出来るんだから」
眉間を寄せ、左頬だけを上げた不器用な笑みを浮かべる。
そして高座にいる男に向かって、真っ直ぐ歩いていくのだ。
ゴブリン達は今、高座の方に集まっている。
投げナイフを対処しようとした際、前線にいたゴブリン達は視点を守ろうと下がった、その判断が今回の勝負を決めた。
僕は左の腰袋から煙玉を取り出す。
(ああ、本当に感情が制御できない)
左手に持った煙玉の数は5つ。
今は室内だ、煙を風に飛ばされる心配も無いため、1つで十分。
室外でも1度に煙玉を持って2つだ、多ければ良いという物ではない。
着火出来なかったらどうする? そう心の中の冷静な自分が叫んでいるか知ったことか。
腕をめいいっぱい振り上げ、ゴブリン達に向かって煙玉を投擲する。
案の定、3つの煙玉は正常に着火せず、床に転がる。
だが2つには火が突き、彼らを煙が包みこんだ。
魔法で光を奪われていれば、この白煙はそれほど意味をなさない。
だが、魔法の効果外にいた者は白煙によって視界を奪われる。
先ほどの、意図した訳ではないの意味がこれだ。
視界を潰しベンさんを苦しめた彼らが、今度は同じように視界を潰され命を散らす、丁度いいやり返しじゃないか。
「ぎゃ」
「ふん、だが条件が五分になっただけだ。数はこちらが多い、勝負は決まっているような物だがね」
高座の肘置きに寄り掛かり、男は体を傾けている。
その危機感の無さに思わず溜息が出る。
ああ、そうか。
この状況をまずは、正しく理解させないと行けないようだ。
それにはゴブリン達の能力、同調に含まれているある能力を利用させてもらおう。
白煙の中、正面にいたゴブリンの首を剣の一振りで切り落とす。
その際自身の情報を残すように、鈴の音を一度だけ鳴らした。
頭の中が繋がっていれば、見えていなくても味方が死んだのがわかる。
ゴブリン達は音を頼りに、その地点を中心に集まり出すが、視界が利かぬ中で集まれば肩がぶつかり、先程までの高度な連携、その成功体験が足を引っ張りだす。
結果、起こるのが同士討ち。
探知魔法で彼らの包囲、その隙を見つけ出し、大回りで盾持ちのゴブリンの下に向う。
そして背後から剣を振るい首を落とす。
「お前ら、何をしている」
高座に座っている男は立ち上がり、その場で見えもしないゴブリン達に指を刺す。
その声が効いたおかげではないが、ゴブリン達の同士討ちは止まった。
実際は頭の中が繋がっているのだ、仲間を斬れば、頭の中を通じてそれを教えられる。
次に起こるのは剣を振るう躊躇。
そこを狙い、僕は進行方向にいるゴブリンの首を、通り過ぎ間際に斬り落とし続ける、勿論鈴の音を残しながら。
「怖いだろ、お前はゴブリンが1人1人死ぬのが理解できるからな」
「何故それを!!」
ゴブリンの首を斬り落としながら、汗のかき方、呼吸の乱れ、瞳孔の動き方、探知魔法で把握した男の動揺を加速させる為に話しかける。
「お前の魔法、ダークネスがゴブリン達に効果がない、その種を理解していると言えばわかるか?」
「お、お前。そこのゴブリン俺の後ろに来い」
高座の男は横にいる、杖を持ったゴブリンに指示を出す。
その時、他のゴブリンに指示を出す時とは明確な違いがあった。
彼の右手に付けられている紋章、契約紋が光ると、杖を持ったゴブリンは動き出し高座の後ろに隠れた。
それを見た僕は、この戦いに負ける要素が何1つ残っていない事を、確信した。
視界を奪う魔法、ダークネス。
その効果対象外になる方法はたった1つ、術者になることだ。
契約魔法を使った、視点ゴブリンと術者の、存在の同調。
迷いの森のゴブリンは、頭の中を繋げている関係上、同一存在として世界に見られる事がある。
高座に座っている男は、その特性を使い、ダークネスの魔法効果からゴブリンを除外した。
タネとしてはこんな所か。
そして2体目の盾持ちゴブリンを仕留めた後、最後の盾持ちゴブリンに向かって走り出す。
先ほどと同じく、進行方向にいるゴブリンを蹴散らし、鈴の音を残して。
「お前ら、盾を持ったゴブリンの下にアイツは向かったぞ」
真っ直ぐ走っているからだろう、高座に座っていた男はしっかりその事実を察知してくれた。
「残念、外れだ」
ゴブリンの数もだいぶ減っている。
盾持ちゴブリンへの進行方向上には、殆どゴブリンがいなかった。
だから男は気付かなかった。
僕の狙いは既に、視点ゴブリンだったという事に。
「ひっっ」
「安心しろ、お前は最後だ」
高座の後ろに蹲っている、視点ゴブリンの首を落とした後、囁くように男へと語りかける。
そして今までよりも鈴の音を大きく鳴らし、その場を離れる。
後は掃討の時間だ。
利かぬ視界に、視点という名のゴブリンの死亡。
視点ゴブリンの死亡は、ダークネスの魔法を、ゴブリン達もその身に受ける事を意味している。
ゴブリン達は発狂したかのように白煙に向かって剣を振り回すが、見えている人間にそんな物は当たりはしない。
そして変わらず、一匹仕留める毎に鈴の音を残していく。
「そうか。この鈴の音は俺に数を数えさせる為の」
ゴブリン達の同調から離れたおかげか、ようやく高座の男も気付いたようだ。
彼は今まで気付いていなかった、この戦いがあまりに静か過ぎた事に。
上がるのはゴブリンの悲鳴と鈴の音のみ。
思考を同調しているゴブリンは、脳内だけで会話する。
だから彼らとの戦闘は、いつも静かで、鈴の音がよく響く。
ゴブリンが死んだ時にのみ響く鈴の音。
高座に座っている男は知っている、今生き残っているゴブリンの数を。
そして、後何回鳴れば自分の番になるか、目を瞑り、両手を組みながら、祈るように数え出す。
最後のゴブリンを仕留めた時、高座に座っていた男は右手に持っていた鎖をその場に捨て、背後の扉に向かって走り出した。
「嫌だ、死にたくない」
しかし男は背丈に合わぬ豪華な服を着ていたため、その場で足を取られ、頭から床に着地する。
「どけぇぇぇぇえ」
男が立ち上がった時には、既に僕は先回りをしていた。
それでも男は構わないと、僕の体を押しのけようと突っ込んでくる
床を強く踏みしめ、固めた拳を男の顔面に向かって振り抜く。
小太りの男は一度地面を跳ね、そのまま体が開いた状態で床に倒れ伏す。
倒れた男の背を踏みつけ、後頭部に向かって唾を吐き出す。
「善良な人間に悪さするもんじゃないよ」
彼を生かしたのはベンさんだったらそうするからだ。
彼の仇討ちだ、彼に添った形に留めるのが礼儀だろう。
*
「勝手に死んだことにするな」
「あ、生きてたんだベンさん」
口ではそう言いつつも、笑みを浮かべ弱々しく息を吐き出す。
「おかげさまでな。すごいなこのポーション、腰痛まで治った」
腰を軽く叩くベンさんに呆れた目を送る。
「まったく、礼ならルシアさんに言ってよ。念の為にと押し付けられてよかったよ」
「そうかロスト落ち着いたか?」
彼の目はそう言って、背後に倒れている小太りの男に向けられた。
僕はというと、腕の中で抱きかかえているシルビアに目を移す。
そして意識せず腕に力を込めてしまう。
「まぁ、正直力は抜けたよ」
横抱きで持ち上げているシルヴィアだが、規則正しい呼吸で今は眠っている。
彼女の様態として、顔や体のあちこちに踏み跡、又服にある汚れからひどい扱いを受けていたことがわかる。
それが理解できるからこそ、攫われた原因である自分を責めたくなる。
ただ救えた。
その安心感が、ようやく自身の張り詰めた糸を緩めてくれた。
「正直、なんでシルヴィアがここで人質やってたかの方が疑問だけどね」
「どうやらそこの男が、人質として無断で連れてきたみたいだが」
「部下の勝手な判断か、敵さんには同情するね」
首を左右に振ると「まったくだ」とベンさんが笑う。
「生きててよかった」
目尻に溜まる涙を、瞼を使い引っ込める。
涙に注力していたせいで声が押えられおらず、口から出た声は掠れた物だった。
ベンさんは僕に近寄ると、安心できる、温かな笑みを受けべながら頭を撫でた。
「迷惑掛けたな」
「いつも掛けられてる」
「こいつ」
今までの優しい撫で方ではない。
髪をクシャクシャにするような撫で方だが、それを止めず、受け入れながら小太りの男が最後に逃げようとした扉に目を移す。
「普通に考えるなら、この先に子供達を捕らえてある場所がありそうだけど……」
牢屋にいた人々の話だと、ここに捕らえられているのはシルヴィアだけではない。
彼女の奴隷仲間に、牢屋にいた人々の子供。
(気になるのは、シルヴィアを攫った時の3人組か)
仮面を被った男以外は僕一人でも対処可能だ。
問題は仮面を被った男だが、その人物も、ヒューさんグレアムさんの二人組なら余裕で制圧出来るだろう。
彼ら2人が先程の戦いで手間取ったのは、視界を奪われた事と人質であるシルヴィアの存在が原因だ。
シルヴィアが男の手中にいなければ、普通に勝っていただろう。
「ロスト?」
「グレアムさん、ヒューさんもこっちに来て、現状の説明したいから」
溜息ではない。
大きく、そしてゆっくり息を吸い込み、腹の底を震わせながら息を吐き出す。
そうしてからヒューさんとグレアムさんに声を掛ける。
集まった彼らに現状を説明する。
僕らが捕らえられていた大人達を確保したこと。
子供だけが別の場所に捕らえられており、そしてこの扉の先に、その子供達がいるかも知れないこと。
話しながら、無意識に首の鈴に触れようとしていた。
気付けたのは、唾を呑み込んだその瞬間、顎下に違和感を覚えたからだ。
喉を触っていた右手も、伝わり易いよう行なっていた左手の手振りも辞め、腰近くで拳を握らぬよう、意識して手を開く。
「なるほどな。この嬢ちゃんが此処にいるという事はこの近くに子供達が囚われているってことでいいんだよな」
「はい、グレアムさん達にはこのまま進んでもらって、ベンさんと僕でルシアさんの所に戻ろうと思います。そうだこれを」
腰袋から自身で書いた地図をグレアムさん達に手渡す。
彼らはそれを受け取り、目を通す。
「これはここの地図か?」
「はい、隠し通路も書かれてますから役に立つと思います」
「わかった、ありがとう。ヒューも行くぞ」
「はい、兄貴」
グレアムさんは扉に向う前に、僕の肩に手を置き感謝を述べた。
ヒューさんはサムズアップを右手で作り、グレアムさんの背後で笑みを浮かべている。
そして彼らは謁見の間を出ていくのだが、僕はその背中をじっと見つめ続ける。
彼らなら大丈夫。
僕の話しを聞いていた時、2人は子供が大人達とは別々に隔離されている理由を問うてきた。
わからないと僕は返したが、それと同時に安心できた。
子供達は利用される為に攫われている。
この事が理解できれば、足元で寝ている小太りの男と戦った時のような事は起こらないだろう。
人質の価値というのは本当に難しい。
軽すぎては役に立たないし、重すぎては人質として使えない。
その線を見極めなければいずれ突破される。
ただ対処を迫られる者達は基本後手、その線を把握する前に事態は終わる。
でも彼らはもう大丈夫、相手が優先している物、それを理解したから。
それに今は自分の事を心配しなければいけない。
「ほんとに難しいね人質って」
「なぁロスト……何を焦っている」
「肩の力は抜けたよ」
彼の方を向かず、2人が去っていた扉に注力しながら言葉を返す。
「そうじゃない、それとは別の」
「ベンさん……僕はこいつが起きたら向かうよ、人前では見せられない事もするし」
膝を曲げ鞘に収めた剣で小太りの男、その背中を突く。
その間も鈴を手では触れず、音を発しない魔力の波を鈴から生み出し続け、情報を確認し続ける。
肩を張り詰めさせながらベンさんに手を伸ばし、手首を弾くように上下に振る。
さっさとシルヴィアを連れてルシアさんの下に行け、そういう意図を込めて。
「わかった、シルヴィアは俺が連れていく」
彼はシルヴィアを背中で担ぐと、そのまま謁見の間の外に向かって歩いていく。
「そうだベンさん、礼儀を忘れない事だよ」
「礼儀?」
「そう、ここのスケルトン達は礼儀を忘れなければ攻撃してこない。彼らはこの城を守っていた者の成れの果て、礼儀を知らぬ無礼者が土足で城の中を踏み荒らすのを好まない。スケルトンを見たら一礼、そうすればなんの問題もなくルシアさんの下に行ける」
「ああ、わかった……死ぬなよ」
ベンさんも謁見の間を出て、この場には僕とこの小太りの男だけになった。
(焦り……焦りか本当にやりにくい。でもありがとうベンさん僕自身を見ていてくれて)
彼は理解しているのだろう、ここで僕が死ぬ気だという事を。
僕も死ぬ気はないのだが、時間稼ぎしか出来ない圧倒的な存在が生まれてしまった。
それにしてもルシアさんとグレアムさんには申し訳ないな。
色々言って貰ったのに。
ただ今死ねば、このパーティーにいてくれた人は惜しんでくれるだろう。
なら無駄死にではない、よい死に場所だ。
「起きろ、起きてんのは知ってるぞクラウス」
ようやく顔に張り付けていた笑みを剥がし、優しい眼差しで、うつ伏せで寝そべっている男をひっくり返す。
そして今だ寝た振りをしている小太りの男性、クラウスの腹を鞘の先端で押し込む。
「イテ、イテ、やめろ」
「馬鹿な真似してるからだクラウス」
「クラウス、クラウス、うるさいんだよ。それになんで俺の名を知ってるんだ」
「やっぱりクラウスなんだ。山勘が当たってよかったよ」
「で、なんのようだよ。俺は口を割らないぞ」
上体を起こし、体を震わせるクラウス。
これから拷問をされるとでも思っているのだろうか?
「何を言ってるんだクラウス。お前の口を割るのにそんなもの必要かよ。ただ1つ、スケルトン共の下に投げるぞ。この一言でお前は僕に従うしかない」
「う、ううう」
ゆっくり語りかけるように話している筈だが、クラウスは顔を青くしその場で蹲まってしまった。
「なぁ、受肉したスケルトン。嫌われ者のクラウス。この砦が滅んだ元凶。まだお前を表すのに言葉は必要か?」
「わかった、わかったから。何を聞きたいんだ!!」
クラウスは耐えきれず、蹲りながら声を上げて泣き出してしまう。
このクラウスの正体は広場にいたスケルトンと同じ、昔に死んだ人物がスケルトンとして蘇った、ただそれだけの存在だった筈が、何故か受肉し、こうして人間にしか見えない状態になっている。
クラウス・プロキオン。
こいつは当時のプロキオン伯爵の長男だった男。
魔法の才能が豊かだったコイツを、母である伯爵夫人は甘やかし、結果コイツが犯した過ちが原因で、この城は魔物襲撃に耐えきれず廃城となった。
何をしたかというと、城の中から閉じられていた入口を開けたのだ。
この事が原因で、このクラウスは他のスケルトンから嫌われている。
「お前の価値は計り知れないぞ。お前の存在は疑似的な死者の蘇生にあたる。さて死者蘇生のサンプル、いったいどれだけ高く売れるか?」
彼の背中を擦りながら、あくまで声色は優しく、そしてゆっくりとした言葉で事実を伝える。
次第に彼の鳴き声は止まり、変わりに呼吸が粗くなる。
「ただし条件次第では見逃そう」
「条件?」
顔を上げたクラウスに僕の姿を見せさせる為、少しだけ間を取る。
縋るような目を向ける彼に、優しく微笑み。
「まず結界を張ってくれ。外からの侵入は考えなくていい、内から外に出られないように固めた奴、あと長時間持つやつね」
「待て、俺の事やっぱり拷問する気じゃ」
「いいからやれ。僕を大金持ちにしてくれるの?」
「わかったよ」
探知魔法を使わずとも肌感覚でわかる、結界が張られた。
そして一度鈴をならし結界を解析すると、指示取りの効果を確認、立ち上がると大きく息を吐きだした。
(それにしてもよかった。結界を貼れる人物が死んでもいい、僕の心が傷まない奴で)
シルヴィアが拐われてから、初めて肩の力を抜く。
そしてようやくだ、それが天井から降りてきた。
「なんであれが此処にいるんだよ、原罪魔獣が」
軽い足音と共に着地したのはゴブリンだった。
先程の倒したゴブリン達と装備の質は変わらない。
刀身が折れている錆びた剣に、布を腰に巻いた程度の軽装。
ただ違う所は肌の色。
眼の前のゴブリンは肌は黒く、また肌の上には血管のような線が浮き彫りになり、ゴブリンが呼吸する度に赤く光り脈打つのだ。
違うのは外見だけ。
しかし外見だけが変化した魔物を、僕らは原罪魔獣と言って恐れている。
「自業自得だろ」
「でもゴブリンなら勝てるよな?」
クラウスは僕の腰にしがみつき縋るような言葉を吐くが、その言葉を鼻で笑う。
「は、最下級アンデットの原罪魔獣でも下級竜を殺せるのに? 無理でしょ」
「おい」
どの原罪魔獣も発狂しながら襲いかかってくる。
目的はただ、周囲の物を破壊するのみ、そう言われているが相対したからこそわかる。
あれは明確な目的意識を持っている、だが己を苦しめる呪いが原因で、理性が保てず暴れているだけだ。
発生理由もわからない。
しかし呪い渦巻く地に稀に出現することだけはわかっている。
そしてギルドが規定する原罪魔獣の脅威度は最低でSランク。
だが勝つ方法はあった。
ルシアさん、グレアムさん、ヒューさん、ベンさん、全員で戦う事。
その条件以外だと間違いなく全滅する。
そしてルシアさんがこの場にいない時点で、条件としては最初から破綻していた。
だから行かせた。
グレアムさんとヒューさんはより多くの人を救うために。
だから戻らせた。
ベンさんはより犠牲を減らすために。
だからここに残った。
ここが一番良い、誰かを守って死ぬ、無駄死にじゃない死に方だと思ったから。
「クッソ、クッソ俺は死なない。抗ってやる」
「ま、僕がクラウスを守ってあげるよ。出来たら」
これで最後だ、唯一気に入らないことは、ゴブリンに殺されるってことだけ。
ゴブリンにだけは絶対に勝てる、そんな小さなプライドで冒険者を辛うじて続けていた僕が、最後にゴブリンに殺される。
剣を右手で引き抜くと鞘をその場に投げ捨てる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
(よく考えるとこれも因果応報か)
不思議と心は穏やかだ。
ようやく辛くて苦しい生涯を終われる。
叫び声を上げた黒いゴブリンを見つめる。
最後の戦いだ、と気持ちを盛り上げなければ行けない時、だが心は浮き上がらない、沈んだ面持ちから帰って来れない。
わかっている、時間だけは稼がねばならない。
世界に嫌われた、落ちこぼれの冒険者が、その人生の幕を閉じるときが来た。
ただそれだけの話だ。
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