第19話 苦難の入口 2
ルシア視点
「ロストくん、あなたは何か病気を患っていますね、それも命に関わるような」
彼はその場で後ろに飛びその勢いを利用し背中で扉を押し開ける。
私が廊下に出た時にはさらに距離を取っており、部屋の入口から5メートルの位置に陣取っていた。
互いに向き会うその中でロストは腰を落とし臨戦態勢を取る。
だがその直後彼は短い息を吐き出した後、膝を伸ばし背筋を正す。
その様子を見て私はより警戒心を強める。
何故なら腰を落とした時点で彼は両手を背中に着けている腰袋に触れさせていたからだ。
そしてロストがほんの少し表情を緩めた時、私の俄然に6本の投げナイフがあった。
内心焦りはした。
なんせ予備動作はなく眼の前に来るまで一切気付かなかったからだ。
「劇薬だったか」
拳を握りしめ小さく呟く。
奇襲を決められた筈なのに冷静に努められたのはある人の忠告があったからだ。
「恐らく、あの子の闇を突けば戦闘になる」
それはシリウスのギルド長、グレゴールさんから前もって伝えられていた。
私が今回シリウスで果たさなければいけない目的は2つ。
1つはギルドの依頼。
最近アトラディア王国では人攫いが横行していた。
それを主導している組織の拠点がここシリウスにあるという情報をギルドが掴み、それを壊滅させる為の応援としてここにいる。
些細なことからも知れないが前述の目的は後付の物だ。
私がシリウスに来て2日後、ギルドの受付を通して受けさせられた依頼だ。
そして2つ目。
シリウス支部に所属する1人の冒険者、その容態を調べて欲しいという物だった。
これがシリウスに来た本当の理由。
依頼者は支部長のグレゴールさん。
彼は冒険者の中でも特別な人物であり、それを断るという選択肢はない。
緊張した面持ちで支部長室に入ると彼は私を出迎え数枚の書類を机の上に置いた。
ソファーに座り、その書類に目を通しながらグレゴールさんの話しに耳を傾ける。
「シリウスに所属している冒険者が書類を偽造している」
「言い切りますね。つまり捕まえて罰則を与えると?」
苦笑しながらグレゴールさんの顔を見ると、彼は無表情で首を横に振った。
「無理だ。あいつは森番、シリウスにいる限りは誰も罰する事は出来ない、それこそ領主以外は。例え民間組織の内輪問題であったとしても揉み消されたしまうだろう。領主は過去の出来事でアイツに同情している。領地を脅かさない限りは敵に回る事は決してないだろうし、俺も罰する事は望んじゃいない」
「私にどしろと?」
書類を目の前の机に投げ置き頭を傾げながらグレゴールさんを見る。
彼はソファーから立ち上がると私に向かって頭を深々と下げた。
「内密に体の状態を見てくれないか」
「頭を下げるのはやめてください。この状況を他の冒険者に見られたら私の沽券に関わるので。はぁ、診断をするにも本人が協力してくれないと無理ですよ……それになんですかこの書類は?」
内心焦りながらもグレゴールさんの顔を上げさせ、先程椅子に投げ捨てた書類に目をやりながら質問をする。
先程の資料の中身は冒険者ロストシルヴァフォックスの身体測定やその他諸々の検査の資料だった。
どの資料もギルドが頼んでいる医療機関の物ではなくどれも個人の診療所で行われていた物だ。
内容は問題ない、問題ないのだが……個人の診療所に頼んで作られた資料は中身が完璧でも殆どの場合偽装がされている。
そしてグレゴールさんはもう一束机に書類を置く。
「これは?」
「そっちは偽装される前の物だ。ダムジンっていう一応ギルド関係者ともいえる奴から送られてきたものだ。知っての通り診断書を偽装するにしても専門家の証明はいる。そしてダムジンは偽装書類を書いてくれる数少ない男だ。ま俺の子飼いだがな」
「はは、それは」
思わず乾いた笑いが出た。
偽装書類を作る人間が少ない理由はメリットがないからだ。
ギルドは仮にも国と繋がっている。
なので嘘の診断を書くような者の医師免許書を剥奪させるようギルドが国に働き掛ける事もできるのだ。
そんな中でも偽装をやる人間は一体何が目的なのだろう、偽善か金か果たして。
だが苦労して見つけた偽装人がギルドの支部長と繋がっいているとは。
「ギルドの情報網、その一端を見た気がします」
「ま、ダムジンが俺に協力する理由は患者のためだな。人はそれぞれ事情はある、そんな患者が困らぬように俺に情報を流し先手を打たせる。普段はダムジンから情報を貰っていても積極的にその情報を使って表からは干渉せず、裏で手を回すだけだがな。アイツとはあくまで患者のための協力関係だ」
その気持はよく分かる。
私もギルドの依頼をこなしていた時や軍医をしていた時、正攻法だけでは救えない人々は沢山いた。
人にはそれぞれ都合がある。
そして私は眼の前に置かれたもう一つの書類を見て目を潜める。
内側の爛れ、そして身長に対しての体重。
書類の中に書いてあるロスト・シルヴァフォックスの体重は軽すぎる、それこそ彼の骨格を考えれば、彼の体重は餓死寸前の人間と変わらない程に。
書類を机に置き目の前に立っているグレゴールさんに向く。
「で私に見て欲しいと?」
「ああ、ダムジンが今回のロストの症状は完全にお手上げだと嘆いていたよ。症状自体は毒に似ているみたいなんだが、その毒を取り込んでいる経路が一切わからないらしい。曰く自ら毒を作り出しているようにも見えるそうだ。それに日に日に衰萎弱しているロストを見て俺に表から手を回してくれと頼み込んできたほどだ。ダムジンの話では今すぐ冒険者をやめさせ静養をしていて欲しいとロストにそれとなく伝えたらしいが、アイツは何かを成し遂げてから死にたいと断ったらしい。その話を聞いて俺は無理に拘束するのは危険と判断した」
「どっちにしても一度しっかりと見てみる必要があるんですけどね」
「悪いがこちらから機会を作ることは出来ない。まぁ本人を気絶させてから勝手に調べるのは良い方法かもな」
「わかりましたこれで」
「そうだ戦うなら注意しろ」
腕を大きく伸ばし体を解す。
そして部屋の入口に向かって足を伸ばすのだが、その時背中から緊迫感の宿った声を掛けられる。
「何がですか? グレゴールさんの秘蔵っ子とはえEランク冒険者相手に手間取りませんよ。それに私の本番はそこから、戦闘で苦戦してたら話になりません。これでも戦医と伊達に呼ばれていませんよ」
傷を負わせず無力化する、確かに難しい事だが相手はEランク冒険者。
奢りではないが手加減の方が難しだろう。
腕をめくり上げ、ない力瘤を背中越しに見せる。
そしてトアノブを掴み部屋を出る。
「それでもだ。戦うなら短時間で勝負を決めろ、さもなくば良くて相打ちだぞ」
扉を締める際に似たような事を再び言われ、その時は「しつこいなぁ」と軽く考えていたのだが、今は彼の発言が正しかったのではないかと考え直し始めていた。
事実、私の左脇と右首筋には投げナイフが刺さっている。
(タイミングを間違ったかな?)
そもそも今は依頼中だ。
味方同士であっても戦闘になる爆弾発言をする時ではない。
それは理解している。
それでも私がこのような話をしたのは性分故にだ。
一秒遅れれば人は死ぬ、その傷は体と心どちらも変わらない。
極端な話、一秒早く病気の事を知れたら、知らなかった時よりも一秒早く特効薬が作れるかも知れない。
そうすれば苦しむ時間が1秒減る。
更に極端な話をすれば、病気の苦しみに耐えられず自殺を図る人の事を理解出来てればその自殺を止めることが出来るかも知れない。
その時の対処は薬で眠らせ続けるか、まぁ動けぬように拘束するか。
私がせっかちなだけと言えばそれまでだが、救われるには救われる側の準備も必要だ。
その準備は真正面から向き合う事が一番効果的だと私は考える。
それも人によるというのは理解しているが、ただロストくんは自分から準備をしない人間だと思ったから今回は多少強引な手段でいこうと決めた。
「風の魔法も併用して防いだと思ったんだけど」
籠手と魔法の併用。
同時に放たれ急所に幅広く投げられた6本のナイフを防ぎ切るには人間にある2つの手では足りない。
なら回避すれば良いと考えるかも知れないが、違和感を感じさせない抜きと投擲、互いの存在を認知している中では完璧な奇襲を決められてしまえば回避の選択は存在しなかった。
拳の甲で4本防ぎ、最後は風の結界で弾き飛ばす。
その筈だったのだが、最後の2本を吹き飛ばした時に気付いた、風の結界、その外に2本の短剣があることに。
私が勘違いしていたのは飛んできた短剣が6本だと思ったこと。
実際の数は8本、ナイフを障害物に使った潜まされた凶器、何より慢心を突かれ私は手傷を追った。
しかもナイフが刺さった場所も完璧だ。
左脇と右首筋、どこも血管が多く通っている人体の急所の1つ。
普通なら出血多量で私の負けだ。
「悪いね、私の持ち味は粘り強さだからさ」
首の短剣を右手で、脇を左手でそれぞれ抜くと傷口から血が吹き出す。
だが数秒後、傷口は完全に閉じそれを目で確認した後私はにっこりとした笑みを彼に向ける。
(それにしてもやりにくい)
呼吸以外の全ての行動が読めない。
彼の目線は下を向いていており、剣こそ握っているがその腕はだらりと下げられている。
そして彼のオリジナル魔法だろうか?
同行中に何度か使っていたが、鈴の音を媒介に周囲の状況を把握する情報収集系の魔法だろう。
今も等間隔で鈴の音が耳に届いている。
地面を踏みしめ前に出ようとするフェイントを何度か試しているが一切引っかかる様子はない。
優れた認知能力を持つ相手にこれ以上の小細工は無駄か。
息を大きく吐き出し右足を踏み出す。
今回はフェイントのつもりはない。
勝負を決めきるつもりで踏み出したが、それを察知したロストは投げナイフを再び8本投擲。
投げられたナイフの感覚は全て計算されている。
彼の意図は足止め、それと様子見か?
それを受け私の腹は完全に決まった。
捨て身だ。
拳を固く握りしめ投げナイフ正面から体に捉える。
「遅い」
大きく息を吸い込むと体の底から力が湧き出る。
次第にその力は体を飛び出し緑色のオーラとなって私を包む。
この技の名は気功術。
身体能力を強化し、そしてこのオーラは軽い投擲物程度なら防げる。
ナイフは纏うオーラによって全て防がれ地面に落ちる。
それを見て下を向く事で表情を隠していたロストは顔を上げ目を見開いた。
そして背を向け私から逃げ出した。
気功術によって強化された私と魔力制御のみで肉体を強化した彼とでは身体能力の差は明白。
彼が2歩地面を踏みしめる間に私はその背中に追いつき、そして地面を強く踏みつけ正拳突きを放つ。
そして勝負が決まる筈だった。
「え?」
その時踏み込んだ筈の右足に浮遊感が生まれた。
急ぎ目をやると、右足が踏み込んだ筈の床が一切の抵抗感なく抜け、私の体は斜めに沈み始めた。
私に出来ることは左足で踏ん張ることだけだ。
(唯一の救いは彼が背を向け逃げている事か)
そう呑気に考えながら顔を上げると、目に一切の光を宿さず剣を上段に構えるロストの姿があった。
全身から脳へと危険信号が奔る。
背中からは汗が流れ、体が死を思い出し硬直する。
リラックス出来ているロストの姿勢、それはチャンスが突如現れ急いで掴もうとする人間の姿ではない。
そこで私はこれらが仕組まれた罠だった事に気付いた。
恐らく先程の魔法で周囲の地形を把握していたのだろう。
そして背中を見せる小芝居を挟む事で私の中から警戒心を解かせ、勝利の際に生まれる油断を引きずり出した。
恐らく鈴の音も罠の一部なのだろう。
普段の行動から、鈴を鳴らす=魔法の発動、と思い込ませる事で魔法の発動には鈴の音が必要だと私に刷り込んだ。
本当は鈴の音である必要はない、それこそ足音でも。
背後を確認する様子を見せず、鈴の音も出さない事で追うことの安心感を生み出した。
私は完璧に罠に嵌めれてしまった。
「ハッ!!」
この状況を脱する為に私がしたこと、それは技や技術などの知性ではない。
右に沈み込む体を左足で踏ん張ると右足を床ごと蹴り上げる。
浮かび上がる破片に反応したロストはすぐさま後退、瓦礫が周囲に散らばる頃には既に私から5メートル程の距離を取っていた。
「はぁはぁはぁ」
死んでたまるかという生命かながらの抵抗。
正直A級冒険者としてのプライドは既にズタズタだ。
もう油断など出来ようはずはない。
罠に完全に嵌められ、それ以上に彼が上段から剣を振り下ろそうとした時の目を見ていれば。
(あの目は何?)
魔眼などの目に見える変化が合ったわけではない。
ただ剣を振り下ろそうとした時の彼の目からはグレゴールが言い淀む異質さを感じた。
言葉にするならそれは命への無関心さ。
普通は誰かの命を断つ時は強烈な拒否感を感じる。
慣れた者は徐々に拒否感の自制を覚え、外道は愉悦を覚えるだろう。
仕事とする者は拒否感を殺すか、後に後悔を覚え己を肯定する。
無知な者でも心の奥に小骨位は刺さる。
自分と姿形が似たものを殺すのであれば何かしら心は動くものだ。
だが彼は違う、断言してもいい。
彼は人の悲しみを理解できる人間だが人を斬る事に躊躇することは決してない。
純粋であるが無知ではなく、彼の戦闘から見て取れる躊躇の無さとはまた違う異端。
未知ゆえの恐れか? 気付けば拳を握る手がほんの僅かに震えていた。
先程と同じ、ロストは腰を落とした直後、腕を振る一連の動作で投げナイフを複数投擲する。
だが今度は私も戦い方を変える。
腰に着けているレガリアが輝き出すと私の頭部が僅かに動く、何事かとロストは私の頭部を注視したようだがその間に魔法を発動させる。
私の両肩の上辺りに風で作った渦のような物が現れそこから砲弾が放たれる。
砲弾が床に接触すると風の衝撃波が周囲の物体を吹き飛ばした。
投擲された投げナイフの幾つかは、床に着弾した風の砲弾によって弾き飛ばされ、数の減った投げナイフを手で払いのける。
そして息を鋭く吐き、彼に向かって走り出した。
風の砲弾、この魔法には2つの意味がある。
1つは彼の情報系魔法を阻害すること。
振動や波、音が触媒であるなら、その触媒を風の砲弾が作り出した衝撃波で打ち消す、又は効果を阻害することが出来ると踏んだからだ。
2つ目は罠の警戒。
先程のような足を取られる罠を防ぐため、あらかじめ風の砲弾の衝撃でその薄い床の位置を炙り出し壊してしまおうという作戦だ。
現に彼は顔を歪ませ、先ほどとは違い足を止め剣を構えた。
近接に拘ったのには理由がある。
勿論武器が篭手な時点で接近戦しかないだろうと言われればそれまでだが、ロストの最も自信のある魔法はあの情報収集系の魔法だ。
この魔法にここまで苦労させられたのだ、一矢報いたい。
それに情報系魔法は近接戦闘には向かない。
高速で攻め方が変わる接近戦において、情報を受け取り、理解し、その後脳からの命令を体に送るまでには時間が必要だ。
そしてそれだけの時間があれば、接近戦において人を無力化するには十分だからだ。
ロストの懐にすり足で飛び込む。
そのままの体の勢いを使い彼の顔面目掛けて拳を振るった。
すり足を選択したのは、踏み込みを嫌ったから。
対策はしているがそれでも先ほどの床が崩れる罠を嫌ってのことだ。
「まいりました、降参です」
「ちょ、止まって」
意識が少しずつ薄れ、攻撃に吸い取られる。
最高の集中状態で放たれた一撃、だが突如目の前のロストは両手を上げ降参を申し出た。
私の集中はその瞬間切れたがもう拳は止まらない。
そして完璧なフォームで放たれた右ストレートを受けロストの体は吹き飛ぶ。
計2回、地面から体が跳ね上がりようやく彼の体は止まった。
「えっと大丈夫ですか?」
ピクリとも動かない彼の元に向うと意識を失っていた。
すぐに顔や身体の状態を見てみたが気絶しているだけで外傷は殆どない。
拳の感触から自ら後ろに飛び衝撃を逃がしていた事は知っている。
それでもあの一撃は完璧に決まりすぎていたので心配だった。
「心変わりされても困るので」
唾を呑み込み彼のシャツをを腹からめくり耳をつける。
その時の事で一番印象的だったのは彼の匂い。
なんとも言えない物だが、何故か懐かしい匂いがした。
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