第15話 僅かに見える掴まない希望 5
グレゴール視点
「いいのですか?」
「ああ、いいんだ」
ロストとすれ違いざまに入ってきたギルド職員のエリサの言葉を肯定する。
そして窓に移動し空を見つめた。
「そもそも一人でシリウスの闇、その全てを追い切れる奴を自由にする方が問題はある」
「しょうがないという割には嬉しそうですが?」
背後にいるエリサが俺の顔を見える筈はないと不思議に思ったが、ガラス製の窓に自分の顔が写っていた事で納得した。
そして確かに窓に写る自分の顔には笑みが浮かんでいた。
「当然だろう。あいつの活き活きとした表情を見たのは久しぶりだ」
「まったく、ベンさんもギルド長も贔屓のし過ぎですよ。まぁギルド内でもギルド長を除いて迷いの森、その森番という特殊な職を持っているのはわかりますが」
「贔屓などしてない。それにロストが森番になったのはギルドに入る前だ」
呆れたような声で「はいはい」と後ろのエリサが答える。
右側に目を動かしエリサを意識しながら話をしていたがどうやら彼女は大きな勘違をしている。
俺はロスト・シルヴァフォックスという男に贔屓などしていない。
むしろしたかったが、だが領主に止められた。
「兄さん、お願いだから手出しをしないでくれ。あの子の今を俺は領主として確認しなければいけない」
珍しく兄呼びをされてしまったから聞いたのではない。
俺もそれに同調し、だからロストがギルドで迫害されていたとしても助けなかった。
本当は助けたかった。
そもそもギルド試験の合格を決める話し合いの際に、他のギルド職員の反対すら聞かずにあの子の合格に判を押したのは俺だ。
その日の晩はベンを誘って飲みに行き。
「はは、お前が喜ぶことが数日中に起こるぞ」
「なんだよグレゴールさん、自慢か?」
「ああ、自慢だ。そしてお前は俺に感謝しつつ、嫉妬の籠もった目を向けるだろう」
目を細め下手に回っていたベンの顔をツマミにしつつ、彼の持つジョッキ目掛け一口酒を飲む毎にぶつけ、乾杯をしていた。
そして案の定ベンは数日後に俺を居酒屋に誘い。
「ふざけんなグレゴール、やってくれたな」
「だろ」
肩を強引に組んだベンを宥めつつ、その日は奢ってやった。
ベンは嬉しかっただろう。
なんせ自分の命を昔救ってくれた憧れの人間と同じ職場で働くのだから。
これではしゃがない人間がいたら、そいつは感情がないゴーレムか何かだろう。
「すいません」
エリサとの会話の最中扉がノックされる。
その声は普段から聞き馴れた人物の声であり、俺自身歓迎するものだが今回は意識を緩めない。
作戦前の緊張感に、頭を抱えたくなる人物の暴走、流石に気は緩められない。
シルヴィアという少女が攫われた事に対しては予想範囲内であったので問題はない。
「ああ、入っていいぞ」
出来るだけ低くそして威厳ある声を意識。
そして咳払いの後に入室の許可を出す。
「失礼します」
「あらステラ、どうかしたんですか?」
「ロストが先程ギルド長室に入っていったと聞いたんですが……もういないんですね」
部屋に入って来たのは最愛の義理娘ステラだ。
踏み入れた途端、首を左右に振り目当ての誰かを探しているようだ。
一通り部屋を見て彼がいない事を知るとステラはぐったりと肩を落とした。
そんな愛娘の様子を見て微笑みながら俺は彼女が大事そうに抱えている茶封筒に目を向ける。
「もうステラ、ギルド長以外がいる時はピシットしなさい」
「すいません、エリサ先輩」
肩を落としたステラをエリサは睨みつけながらきつい口調で注意した。
ステラはすぐに背中を伸ばし、腰を曲げ頭を下げる。
ステラは今頭を下げている、よって足元以外は全て死角だ。
エリサは笑みを浮かべ「しょうがないわね、全く」とステラに聞こえないように言った。
エリサはステラの教育係だった。
一時はステラの事を認め口を出さないようにしていたが、ステラが4月に王都の学園に入るという事実を景気に教育係の熱が再燃したようだ。
「気をつけるように、でその封筒はなによ」
エリサは目でステラが両手で抱え込んでいる茶封筒に目を付けた。
その封筒をステラは急いで背中に隠すが、エリサは目を細めステラに近づき両肩を掴んだ。
「見せなさいよ中を」
悪役のような顔でステラの顔を間近で見つめるエリサ。
ステラも信頼している先輩であっても見せたくないもののようで、涙目になりつつ首を横に振る。
そして俺の方を向くと目で助けを求めてきた。
愛娘のお願いだと、胸を右手で叩く。
そしてエリサの肩を掴み。
「おいエリサ、それくらいで勘弁してやれ」
「わかりましたよ。ギルド長」
そしてステラの肩からエリサが手を離してすぐのことだった。
「おとう、ゴッホン、ギルド長私はこれで」
「ああ」
ステラはすぐさま扉を開けると、逃げるようにギルド長室から退出した。
俺は軽く手を振り、エリサは無言でステラの背中を見つめ続ける。
先程の気軽い姿ですらエリサは苦言を呈した。
礼儀もなっていなステラの態度にエリサは不機嫌になるとも思うだろう、だがこのエリサという女はそんな殊勝な人間じゃない。
エリサは下を向いて肩を震わせている。
そして手はお腹にそして顔を上げると。
「見ましたギルド長、可愛いですね。ははは。それにしてもなるほどね。あれが例の合宿の参加用紙か」
「中身を知っててその態度は、流石に質が悪いぞエリサ」
「しょうがないですよギルド長。これがプロの仕事って胸を張った結果、感情の波を何一つ見せない鉄仮面を作り出し、担当の冒険者に苦手意識を植え付けた受付嬢ですよ。そりゃぁ、ロストくんだって嫌われてると勘違いしますよ。それにステラはステラで完璧に出来ましたと胸を張って私にいつも自慢してくるんですよ。からかわないのは人生の損失です」
背中を丸め涙目になりつつ、俺の肩を叩き続けるエリサを見て。
(礼儀がなっていないのはどっちだよ)
心の中でツッコミつつ、頭を抱えた、
エリサと言う女は人間関係のこじれを楽しむ事が人生の生き甲斐と言い切る女だ、招魂が悪いのはしょうがない。
それでもフォローはするし、こじれた人間関係の解消には積極的に手を貸す。
だからといっても人間関係性にヒビを入れようとするのは問題だが。
「はぁ。程々にしてやってくれ」
「でも本当にいいんですか?」
「何がだ?」
溜息を吐きつつ、仕事の続きをする為にデスクに戻り書類に目を通していると、机をエリサは叩いた。
「今回の件、ギルドが作戦に使う冒険者は皆余所者ばかりじゃないですか?」
余所者それはギルド間を股にかけ活動する者の俗称。
冒険者は支部ごとで個人契約している。
その為他所の支部で仕事する際はその都度その地区で冒険者試験を受けねばならない。
これを回避する方法は2つ、王都にある本部と契約するか、それかBランク以上の高位冒険者になるか。
もちろん裏道はなくもないが。
老眼故に掛けていた眼鏡を右手で外し、可動式の椅子を90°動かす、そしてエリサに顔を向け。
「大丈夫さ、ロストが本気なら」
「確かにあの子の容赦のなさはえげつないですからね、暗殺者も顔負け」
そう微笑んだ。
エリサは顎に手を置き、納得したように何度も頷く。
ただ俺はそれを見て少し悲しくなってしまった。
何気もないエリサの一言。
ただそれに心が締め付けられる。
この思いを一番感じているのはベンの馬鹿だろう。
「そうか、もう知っている者も少ないのだな」
「? ギルド長」
「いや、何でもない。ロストが参加したことは確実性が増したくらいに考えておこう」
俺は席を立ち窓から空を見上げながそう言って会話を切り上げた。
かつて悪童と呼ばれた忘れ去られた彼の過去を憂いながら。
*
シルヴィア視点
冷たい地面、鼻が曲がるような不衛生な匂い。
懐かしさを感じる場所だが脳と心はこの場所がどこか理解するのを拒否した。
だから思い出したのは直前の出来事、ロストという冒険者に依頼を断られた事だ。
「確か彼に断られて」
「起きましたか」
「ッ」
声を耳にした途端体が固まった。
不機嫌そうな男の声、つい先日まで毎日聞いていた私達の管理者の声だ。
声は頭の上から聞こえる。
少し顔を上げればきっと見えるはずだ、管理者がいつも吐いている黒い靴が。
息を整え歯を食いしばり顔を上げた。
本当は怖くてたまらない、男の顔なんて見たくない。
でも私は学んでいた。
奴隷などの非日常、そんな生活の中で痛みや恐怖を許容すればそれに呑まれてしまう。
私が私であろうと限り、仲間達を救うこの志を忘れない為に、この男から目を逸らす事は許されない。
「クロード」
顔を上げると仮面の男が私の前に立っていた。
「まったく、あなたが保護されたせいで大変な事になるところでしたよ」
管理者クロードは仮面をしているから表情はわからない。
いつものように不機嫌そうに私達を見下している。
暗闇に目が慣れると、この部屋に本来あるべきものがないのに気付き周囲を探す。
「みんなは? まさか」
数日前まで私達が入れられていた筈の檻がない。
つまり仲間はもうこの場所にはもういない。
もしかして売られてしまったのかと心臓が早鐘を打つ。
「ここは元拠点と言った所ですよ。今シリウスは大変領兵の目が厳しい。贄も用意したのその隙にお仲間に合せてあげますよ。さて」
「っく」
「逃げ出さないように立場を分からせないとですね」
クロードは近づいて来ると私を立たせようと髪を引っ張った。
薬を吸わされた影響だろうか、手足に力が入らず立てなかった私は床にしゃがみ込み四つん這いになる。
「っち」
俯くと目から涙がこぼれ落ちる。
だが視界の端を動く黒い靴を見て顔を上げた。
せめてもの抵抗の意思を表し、己を鼓舞する為に顔を上げクロードを睨みつけようとするが、顔を上げるとクロードは私から少し離れその場で軽くジャンプしていた。
あれはクロードが部下に罰を与える時にする準備運動だ。
助走を付けたクロードはこちらに走り込む。
そこで動けぬ私は目を瞑り、脇腹に来るはずの衝撃に備えるために歯を食いしばった。
「え」
しかしいつまで経っても来るはずの蹴りは来ず、その変わりにため息が聞こえた。
目を開けると、脇腹のすぐそこにクロードの足がある。
蹴るつもりであったのは確実だが、この男の気まぐれで私は助かった。
そう思うと体全身の力が抜けその場に倒れる。
「はぁ、まあいいです。あなたの躾は部下に任せます」
だがクロードは倒れている私に一切の興味を持たずロウソクを持って部屋を出ていった。
「また戻ってきちゃった」
唯一の光源を失った部屋は真っ暗だ。
それが否応なしに1人ボッチだということを実感させる。
外に出ても助けを呼ぶことも出来ずにこの場所に連れ戻されてしまった。
再び心を覆う無力感をなんとか抑えながら、静かになった部屋で私は声だけは決して上げないように涙を流した。
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