第10話 僕が信じた現実 2

 ギルドで怪我の手当をした後ベンさんと共に行き付けの居酒屋ダレイオスに来ていた。

 扉を開店内に入るとは席はカウンターとテーブルの2種類だ。

 そしてもう少し店の中に踏み入れると店主の姿が見える。


 髪を短く切り揃えた老齢の男性が厨房に立ち、お客さんの呼吸に合せながら料理を作っていた。

 馴染み深い汗の匂いが店内を充満するが、お肉を焼き、川魚を焼く毎に匂いを塗り替わる。


 僕とベンさんは店の入口から一番近い席に腰を掛けた。


「女将さんまず酒だ……わかってるな流石だ」


 濡れタオルを持ってきた恰幅の良い女性は木のコップに入った水を僕の眼の前に、そして注文する前にジョッキがベンさんの目の前に置かれる。

 互いに飲み物を手に取ると喉に流し込む。


 喉を鳴らし一度に飲み干すと「ぷは」という声が反射で生まれる。

 机の上置かれた紙の注文書を手に取ると、首を通して右肩に腕が回された。


 溜息を吐きつつ右肩に回された腕を掴み振り払うが、今度は左肩を中心に重心を乗せられ、ベッタリと絡みつかれる。


「でロスト、よそ者に泣かされたって」


 ジョッキ片手に顔を緩め、酒臭いが左から右側からは木のコップが頬を叩く。


 ここダレイオスは大人の憩いの場だ。

 良くも悪くも住人同士距離が近く、皆顔見知りだ。


 後ろにいる男性はお酒を飲むと気分が高揚し誰かに悪絡みする癖がある。

 その無遠慮さを知っているので言動一つ一つに不機嫌にはならない。


 左側から顔を近づけチクチクとヒゲを擦り寄せてくる男性の顔を右手で押さえる。


「泣いてはないよ」

「そんなこと言って」


 泣いている、その言葉に内心むっとしていると、今度は右手の人差し指が僕の頬を突き出した。流石に鬱陶しく思っていると。


「おい、内の若いのに難癖付ける気かこっちに来い。おいみんなこのバカと飲み比べをする、好きな方にかけろ」


 ベンさんが彼の肩に腕を回し僕から引き離す。

 そして肩を組みながら店の奥に空いている席に連れていった。


 彼が持つジョッキを机の上にダン、という音と共に置き、店の女将さんに手を上げる。

 すると周りのお客はその席を囲み声を上げ始めた。


「わかったベンに俺はかける」

「ワシも」

「私も」

「おい俺には賭けないのか?」


 ベンさんの対面に座らされた男は困惑混じりにそう言ったが店内の客は揃って。


「「ベンに勝てるわけ無いだろう」」


 それを聞き男性は頭を下げた。

 僕は席を離れるとベンさん達を囲む人混みの和を掻き分け両隣の男性、その腹部辺りの高さから顔を出し。

 

「ベンさん、僕名義だからね。負けちゃだめだよ」


 右手でサムズアップをするとベンさんは胸を強く叩く。


「おう、任せとけ、俺が飲み比べで負けるわけ無いだろ」

 

 たた僕自身も仕返しはしたい。

 どうしようと顎に手を着け考えた。


 そして口に右手を着けメガホンみたいに広げると。


「この勝負に負けたほうが、今日の酒代奢ってくれるって」

「な」

「ちょ、勝手な事を言うな」


 ベンさんと酔っ払い、彼らは突如追加された条件に驚き、撤回させようと人混みの中僕を探しているが、すでに彼らを囲んでいる和の中を離脱していた僕を見つける事は出来ない。


「は、引けなくなったな」

「やってやる、やってやるぞ」


 腕を上げやじを上げる人々から離れ、最初に座っていた入口近くの席に戻り、注文書を眺めていると女将さんが僕の方にやってきた。


「ロスト、悪いけどお父さんから話があるみたいだから相手してあげて」

「わかりました」


 席を離れる際に飲み比べに熱中するベンさんがいる席に目を向ける。


「もっとだ、もっと持って来い」


 ベンさんへの借りは後でお酌でもしてあげれば返せるだろう。

 ただそれとは別に彼の息子であり医者でもあるダムジンさんには報告が必要だと考えながらカウンター席についた。


 カウンター席の椅子は少し高い。

 足がつかず飛び乗るように椅子に座った。

 

 騒がしさとは無縁。

 無口な店主の前に座り触り心地の良い木のカウンターを指でなぞりながら目を瞑った。

 油で何かを揚げる音に包丁が生み出す一定間隔の小気味いいリズム。

 そして鍋の蓋を開ける際に広がる華やかなスープの匂い。

 全て目の前の厨房で生まれた物だ。


 そして目はカウンターの中でも隅の席、一番端から2番目の席に移った。


 この店は僕にとって行きつけの店だ。

 冒険者になる前、師匠が生きていた時からよく連れてきて貰っていた。

 

 兄弟子のテオ兄さんが一番左、そして中央に師匠が座り一番隅の右側の席は僕がいつも陣取っだ。

 

 僕らはこの店に来ても会話をしなかった。

 師匠は無言で酒を楽しみ、テオ兄さんはつまらなそうにいつも背を向けていた。

 僕はというと目の前に出される料理1つ1つに目を輝かせはしゃぎながら食べていた。


 この店ダレイオスは間違いなく僕ら家族の習慣だった。


 目を開けると、料理人のダンさんが僕を見つめていた。


 ダンさんはこの店の元店主。

 今は経営を娘さん譲り、婿を調理場でしごいている。

 

 最近は腕こそ足りないが1人で厨房を任せられるほど上達していると、包丁研ぎの依頼を指名された時に聞いている。


 彼は僕の眼の前に白身魚のフライを置く。

 フォークを使い白身魚に突き刺すと笑顔で齧り付く。


「お前さん、もう鍛冶師には戻る気がないのか?」


 ダンさんは惜しむようにそういった。

 そうそうに一口を胃の中に放り込むとフォークを一度皿の上に置く。


「ないですよ、戻る理由もないんで」

「そうか、道具の手入れを任せられる奴が減るのは残念だ」


 彼の声色は変わらない。

 この話はそもそも初めてではない、すでに数回されている物だ。


 冒険者以外に僕の道があるとしたら鍛冶師だろう。

 僕は孤児だった、そして引き取られたのが鍛冶師の家。

 鍛治は僕にとって家族との絆であり喜ばせる為の手段。

 それ以外にも理由はあるがやめたのはもう必要がないから。

 

 師匠が死んでそろそろ2年だ。


「お前はもう鉄を打たなくていい」

 

 才能の無さ故に失望させ、取り返そうと躍起になって鍛冶に打ち込み師匠の死に目にも会わなかった愚か者が鉄を打つことはもうないだろう。


「それでもハイゼンはお前に鍛冶師でいて欲しいだろうな」


 そんな事ある筈ないと思いながらも顔を上げる。


「どうして?」

「簡単だ、ハイゼンはお前という鍛冶師に生きた意味を見出していた。その証拠にお前は王宮鍛冶師になっただろう?」


 首を振りながら下を向き、フォークで残りの白身魚を何回も突き刺す。


「たまたまだよ。出来の良い武器を師匠が勝手にコンテストに出しただけ。未完成品を勝手に出したことは今でも怒っているけどね。それに王宮鍛冶師と言ってもあれは子供用のコンテスト、王宮鍛冶師の称号なりきりセットみたいな物だからテオ兄さんと違って何の効果もない。胸を張れる実績も理由も僕にはもう何も無い」

「それでも俺はお前は鍛冶師であるべきだと思っている。ハイゼンもそれだけは望んでいる」


 彼は何かパチパチという音を鳴らしながらそう言った。


 正直驚いた。

 ダンさんは僕らの家族の関係性に無干渉を貫いていた。

 だからここまではっきりとした物言いは初めてだった。

 

 数度瞬きをし口元を緩める。


「ダンさんに言われると、違うと言えないね」


 職人街で店を開き長年この街の人々を見続けた。

  今年で90となる経験豊富な方にそれを言われると否定し難く霧散しない強さが言葉に宿っている。

 それと多分嬉しかったんだと思う。

 仮にも人生を掛け真剣にやったことをこうやって評価してくれる人がいることに。


「冒険者をやめて鍛冶師に戻ればいい。グレゴールの不手際で辛い目にあっただろう」

「それとこれとは話が違うので……でも考えてみます」

「奢りだ、好きだろう」


 カウンターに出されたのは白身魚のフライだった。

 師匠と兄弟子のテオ兄さん彼らと良く食べに来た思い出の味。


「好きなのは師匠がですよ。それに二皿目……でもありがとうございます」


 ベンさんに自分を大切にしろとよく言われる。

  うまくいかない事が多くて中々守れないけど、それでも……。

 

 一皿目の魚のフライを頬張る

 先程までは食べても何もなかった筈なのに自然と涙が溢れてきた。


「すいません、なんか不思議と懐かしくて。昔、師匠とテオ兄さん3人で食べに来た時の事を思い出してしまって」

 

 優しくて大好きな思い出の味と共に思い浮かべた一番幸せ立っだ頃の記憶。

 それが胸から溢れてしまった。


「よし、食べるぞ」


 涙を左袖で拭き二皿目に手を付ける。

 思い出を逃さぬようにフライを口の中にかっこむ。


ダンさんの料理は食べると不思議と力が湧いてくる。

それは今も昔も変わらない事だった。


 そしてて食べ終えフォークを皿の上に置く。


「ダンさん、もう少し頑張って見ます」

「そうか」


 今日ダンさんがこれ以上喋る事はない、彼はあくまで見守る人だから。

 


 ダレイオスでベンさんと別れた。

  僕の家は東の職人街、ベンさんの家は西の住宅街であり方角はちょうど反対に当たる。

  飲み屋は疲れた大人の味方、多くの人が働いている職人街に多く店を構えている。

 

 ダレイオスの場所も 東の職人街にある。

 僕の家から歩いて徒歩10分の距離だ、ご近所さんと言ってもいいだろう。


 考え事をしていたらすぐに家についてしまったが家にすぐに入らず玄関前で足を止めた。


 少し歩きたい気分だった。

 この数時間、言葉を掛けられただけだったが。もう一度考え直そうと少し前向きな気持ちになったのだが。


「ふぁ〜〜」


 大きなあくびを手で塞ぐ。

 そもそも前日まで命の危険がある迷いの森で野宿をしていた。

 裏路地での事もあって体の方が限界だった。

 家に入り靴をその場に脱ぎ捨て2階にある自室に向かう。

 その時すでに目は半分閉じており、ふらつきながら布団の中に飛び込んだ。


 うつ伏せに布団に飛び込む。

 飛び込んだ反発で体軽く浮く。

 その刺激でほんの少しだけ目が覚めた。


「服脱がないとシワになる」


 呂律が回らない中で体を翻して仰向けになったその時足元でクシャという音がした。

 シャツを脱ぐことを忘れ紙を足の指で掴むと上半身を起こす。

 何度か下に頭が落ちながらも足を曲げ指先で捕まえた紙を手に取る。


 丸められたような跡があるクシャクシャな紙。

 日付を見ると4日前の新聞、僕が冒険者ギルドであえて殴られた日の朝刊だ。


「この新聞か」


 頭を掻きながら新聞を見るそこにはこう書いてあった。


 若き天才、王都冒険者ギルドの星レティシアと。


  思い出されるのは僕が冒険者となると決めた日。


「やることがないなら私と一緒に冒険者になってよ」


 師匠が死んで、蹲っていた僕に手を伸ばしてくれた子。

  僕より3歳年上の少女で教会で開かれていた学校で知り合った。

 

 だが彼女が僕に与えた道は茨の道だった。


「おい、アイツだぜ」

「ああ、絶対裏でなにかしたよな」


 冒険者の試験には隠されたルールがあった。


 原則12歳未満の子は試験に合格させないという暗黙のルールがあった。

 その理由として冒険者は危険な仕事であり又礼儀なども最低限求められるからだ。  

 

 9歳で受かるとしたら所謂天才。

 どちらかというと化け物に近い圧倒的な将来を期待させる者だけだ。

  

 レティシアの年齢は12才だ、試験に受かるのになんの問題もない。

 問題なのは僕が9才で冒険者試験を受かってしまった事だ。


 そして僕と冒険者達の関係性が最悪な理由の1つにレティシアが関係してくる。


 彼女はすぐに才能を開花させ周囲から認められていった。

 対象的に僕は異質さを示せなかった。


 天才レティシアと同期、尚且つ9歳でギルドに入った筈が才能の欠片も感じさせない無能がいる。

 そして冒険者達は僕をこう思い込んだ。

 

 コネで入った七光りと。


 人は優遇には嫉妬心を持ち、そして止められなければ迫害する。

 僕に起こった悲劇がまさにそれだ。

 

 冷ややかな目で見られまともな会話など起きない。

 物を投げられ良からぬ噂を広げられた。

 

 ベンさんや職人街の親方衆などの理解者はいたが、僕の迫害はレティシアが王都のギルドへ移籍するまで続いた。


「どこで差が着いたのだろうか?」


 腕を下ろし天井を見つめる。


 その答えは出ている。

 

 生まれた時から。


 何せ僕は女神様から嫌われた忌み子だから。



「眠れない」


 目を開け、汗が染み込んだ上着の着心地の悪さを覚える。

 無理をして眠ろうとするが思い出されるのは迫害された過去の記憶ばかり。

 

 このままでは眠れないと諦め体のバネを利用し飛び起きる。

 

 眠れないのも当然だ。

 床に投げすたられた新聞を目にする。


 眠るというのは孤独な作業だ。

 そして孤独の時間は考え込んでしまう物。

 そんな中で日々抑え込んでいる恐怖を思い出させる物を見てしまえば暗闇の中で向き合わねばならなくなる。

 真正面から恐怖に立ち向かう。

 それでは寝るどころではない、もう1人の自分と空想の中で戦うのと同義だ。


「素振りでもしようかな」


 不安を振り切るように部屋を出て一人で住むには大きすぎる家の廊下を歩く。

 足元の埃を踏みしめながら自室、キッチンと自宅の中で常に綺麗な限られた場所、その最後の3つ目に向かう。

 

 手入れを欠かさない場所、それは師匠から与えられた僕専用の鍛冶場だ。

 今も昔も自分のスペースであるが何故か今は堂々と部屋に足を踏み入れたくなかった。

 入り口近くに置いてある練習用の真剣を部屋の中に足を踏み入れぬよう上半身だけ浮かせ手を伸ばす。

 つま先まで伸ばし剣を何とか手に取る事ができた。


「何やってんだろう」


 間抜けにも体を伸ばし意味のない労をする。

 俯瞰してみると本当に馬鹿馬鹿しい。

 

 「いつもどおり部屋に入ればいいのに」


 手に持った剣を見つめながらそう呟く。


 理由はわかっている。

 レティシアの事だ。


 最初レティシアは王都から移籍の打診が来ても返事を渋っていた。

 誰も言わないがわかっていた。

 レティシアは僕を気にして王都の移籍の件を断ろうとしていた事を。

 

 だから彼女の背中を僕は押した。 


 レティシアが冒険者になりたかったのは母の目と足の怪我を治す為の薬を見つけるためだ。

 だから薬の手掛かりを探すなら情報が多く集まる王都で活動したほうが良いと僕が囁いた。

 そして最後の一押しにいずれ僕もそっちに行き一緒にパーティーを組もうと約束をし、守れこないと思いながら僕はレティシアと小指を結んだ。


 

 本心から僕はレティシアに王都へ行って欲しかった。

 彼女と比べられるから僕は迫害を受けている、あの当時は罪悪感を持ちつつも本気でそう思っていた。

 だからレティシアが王都に行った時は心底安堵したと同時に己を心から軽蔑した。 

 

 たしかに彼女がいなくなってから僕がギルドで迫害される事は減った。

 

 でも現状は変わらない。

 無力で心が弱い、むしろ冒険者をやっていく理由がその時薄れた気もした。

 その時自分を大いに恥じ、変わりたいと思った。

 守る気のない約束を本物に変えるようと本気で努力をした。

 だから今も辛うじてしがみつける程度に実力を付ける事ができたのだろう。

 

 僕は鍛冶場の前に立ったのはいいが、結局入らず、振り返り庭に向かった。


 誇れない自分が神聖で大切な思い出の場所に入っていいのか? 

 その答えはなんの高さもないドアの敷居を超えられない結果が表していた。



 夜空を背に剣を振るう。

 そんな凝ったことはできない。

 僕の剣は我流だ、ただし鍛冶師の我流だ。

 剣を識る鍛冶師の我流。

 基礎はしっかりしている。


 剣術の基礎をただ繰り返す。

 唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、左右に薙いで、左右に斬り上げ最後に突く。

 

 我流にこだわっている訳ではない。

 僕も指導者がいたほうがいいと道場に通ったことがあったが残念ながら長続きしなかった。

 

 僕が門を叩いた道場は匠の知り合い、良き剣士が開いた道場だったが道場主は3日立たず僕を破門にした。

 

 理由を聞いたが皆こういった。

 「君ならわかるだろう」

 誰も具体的な事は言わず、僕も頭を捻ったが結局の所感じ取った物は噛み合わなそんな漠然とした感覚、それだけだった。


「ふぅぅ」


 こんな事をやっても無駄だと心がそう叫ぶ。

 剣の性能など時代遅れ、職人技より安定した魔法や工学による量産、そう近年は叫ばれている事も知っている。

 剣の切れ味よりも魔法との親和性。

 炎を纏い、水を纏う、補助魔法の容れ物。

 切れ味などもは必要ない。

 風や水の魔法をエンチャントすればいい。

 武器は魔法の器。

 武器をそう貶める者もいる。


 現代の至宝レガリア、それが全ての元凶だ。

 レガリアが成長することで身体能力が上がり、魔法、武芸の技術をスキルとして再現する道具。

 

 レガリアとの相性が良ければそれだけで大きな差が生まれる。

 適正のない魔法すら使えるようになり戦闘従事者からすれば死ぬほどありがたい物だ。

 剣の技術すらもレガリアで再現すればいい。

 そんな考えが若い冒険者の中で広まっている。

 

 戦闘において最も重要な才能はレガリアとの相性だ。

 そんなふうに言われる時代で僕とレガリアの相性は最悪だった。


「はっぁ、はっっぁ」


 丁寧にこなしていた基礎も今は意味はない。

 息は乱れ、なにも実らせない、完全に基礎が崩れた振りを延々と続ける。

 それでも足を踏み込み永遠と剣を振った。


 辛かった、怖かった、でも頑張っていたら何とかなると闇雲に信じていた。

 誰かと又笑い合える居場所ができると信じていた。

 昔のこの自宅のように。


「ああああああ」


 歯を食いしばり鬼のような形相で剣を振るう。

 相手の姿は自分やレティシア、そして殴らせていた眼鏡の男性。


 その中で勝てるのは眼鏡の男性ぐらいなもので、レティシアに負ける度に彼女との差を突き立てられる。

 自分に負ける度に成長していないと不安を掻き立てられる。


 ダンさんが言っていた。


「冒険者をやめろ」


 その言葉に言い返したかった。


「そんな時間もうないんだよ!!」


 土の寝転がっていた体を起こし、再び幻影に向かって剣を振るう。

 

 今度の相手は自分だ。

 決して勝てない方の自分が現れた。

 彼は剣を抜きつつ笑みを浮かべ僕を見ている。

 そんな自信満々な顔は僕にはできない。


「お前は誰だ!!」


 認められず大声を吐き出し剣を上段から振るうが、次の瞬間体が縦に両断されるイメ゙ージが体に奔り膝を地面に落とす。


「お前みたいに成れれば僕は苦しまずにすむのに」


 両手を地面に着き泣いた。


 新しいことを始める時間はない、だから冒険者というものに僕は縋っている。

 ベンさんにも隠している事実。

 

 多分僕は1年以内に死ぬだろう。


 だから僕の今ただ一つの願いは親しい人に悲しまれぬようにただ腐り果てたい。

 残される辛さはもう知ってる。

 だから……もう希望なんて必要ない、いらない……いらないんだ。

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