第9話 僕が信じた現実 1
体を揺らす不意の振動で目を覚ます。
霞む視界、心地よい振動、それでも目を覚ませたのは鼻をくすぐる白い髪のおかげだろう。
手は目の前の誰かの首に回され、お尻の下には腕が通り抱えられている。
この少しタバコ臭くて酒臭い、それを誤魔かす為に派手に付けられたミントの匂い。
先程の連中が傷を負わせすぎたから医者に連れて行く? そんな殊勝な人達だという可能性は万に1つもない。
もしそうだったとしても背中におぶられ、心穏やかになるだろうか?
残る可能性は1つ、己を痛めつける、その愚かさを理解しつつ僕を見損なわない心の広い人物。
「気は済んだか」
「うん、ありがとうベンさん」
背中で僕の動きを感じたのだろう。
まっすぐ前を見ながらベンさんは僕に言った。
感謝を述べつつ、彼の背中に頬を擦り付ける。
彼の大きくて温かな背中は、目を瞑ればいつまでも浸りたくなる安らぎを与えてくれる。
「どうしてとは聞かないのか?」
「ああ、僕を背負っている理由? 偶然でしょ?」
顔を上げると先程よりも
多分僕の後を着けてきた事を気にしているのだろう? でも、彼が着いてきていた事は気づいていた。
ベンさんは僕が自宅に戻った後の変化に気づき、こっそり着いてきていた。
だから撒いたのだ。
撒こうとしている事に気付かれぬよう、気まぐれに何度も裏道と大通りを利用した。
僕がこんな情けない方法で、恐怖を忘れようとしているとは知られたくなかったから。
(でもバレちゃったか)
きっとベンさんの日頃の行いがいいから、神様が味方をしてくれたのだろう。
彼の背面にある服を握り口を固く結ぶ、そして目を大きく広げ、眼球を押し込むように只管耐える。
それでも数滴、目から雫が落ちた。
気付かれれば見限られ、また僕のそばから人が居なくなってしまうと思った。
そう、思うと怖かった、それにやり直す時間は、もうないのだから。
首を振り恐怖を払うと空を見上げた。
何か意味があるわけじゃない。
ただ、今いるのが裏路地だ。
左右に建物があり、狭い空間故の圧迫感に息苦しさを覚えた。
だから広い場所に目を向けたかった。
鋭く息を吐き、強引に空気を変えるため、大げさなほど明るい声で話しかける。
「どうしてここがわかったの? 誰もいない裏路地を選んだはずなのに」
「やっぱり確信犯だったか、どうせこの前の騒動も狙っただろ」
「失礼だね、回避しなかっただけだよ」
「そのせいで依頼人の心象を悪くしてどうする」
右腕を頭に置き「へへ」と笑って誤魔化す。
そして「おい」と僕を背負っているベンさんは大きな溜息を吐くが、少し背中が伸び、お尻を押さえている腕がほんの少し上がる。
(わかってるんだ、わかってる)
ベンさんに見えないよう悲しげに微笑む。
自業自得、そんなことはわかっている。
だけどこれをしないと前に進もうという心が腐ってしまうのだ。
恐怖に足を引かれ、一歩すら踏み出せない。
「でも、でもさ、痛みでしか忘れられないものもあると思うんだ」
痛みで恐怖を忘れても、本心を話すという、僅かな一歩を踏みしめるだけで精一杯。
体が震え、笑い飛ばせず、左頬だけがぎこちなく上がる。
「もう少し、いや、もっと自分を大切にしろ」
「大事にしてるよ。昔よりは」
「一般的にだ、一般的に」
ベンさんの力強い声。
穏やかな心で目を瞑りその声に耳を澄ませた。
「でも、僕にはやらないといけない事がある、例え痛みを負ったとしても」
ベンさんにすら聞こえぬ声で呟く。
そして空に向けて手を伸ばした。
やらないといけない事があると言ったが、決して届かぬその月が僕の現状。
変わらないのではない、変われない。
努力をしても壁ばかり出てくる。
昔からそうだ。
教会の祝福を受けた時は女神様から拒絶され、孤児院に居たときも中々友人は出来なかった。
こんな嫌な思いをしているのだ諦めてもいいはずだ。
(それでも約束があるんだ。ベンさんみたいに期待してくれる人がいるんだ)
伸ばした腕を胸元に持っていき拳を固く握る。
だがその数秒後、自らの意思で拳を開き腕を垂らす。
自分の限界を知っているのに惨めに縋り付く。
師匠が死に、兄弟子が王都に行った。
自分を連れ出してくれた少女は自らの手で追い出した。
人恋しい僕は1人になるのが怖い。
期待を裏切るのが怖い。
誰とも繋がらず、誰にも惜しまれず、惨めに死ぬのが怖い。
だから、諦めれられない僕に出来ることは現実逃避のみだ。
現実の厳しさを知っているから、幸せな夢だと幻だと気付いてしまう。
だから優しく、できるだけ温かい悪夢が僕には必要だった。
だから愚かで、惨めくらいが丁度いいのだ。
憐れまれるくらいで丁度いいのだ。
見放されないくらいが丁度いいのだ。
彼の後ろ姿を見ながら僕は思う。
ベンさんはいい人だ。
事情を話せばよき理解者になってくれる。
そして、その上で怒ってくれるのだ。
それじゃ駄目だと、拳をキツく握りしめ、まるで自分の事みたいに。
でも、僕は心を曝け出す事ができない。
嫌われてしまう、そんな1%未満の可能性に怯えてしまう。
「ねぇ、ベンさん」
「なんだよ」
ベンさんは顔を一切動かさず返答した。
その時の声色が先程よりも2段低い。
怒ってくれているのだ。
それが嬉しくて僕は彼の背中を見ながら微笑んだ。
「僕頑張ったよね」
「今回の依頼の事か? たいしたもんだ」
「違うよ」
息を途切れさせながら僕は空を見る。
聞いてくれる人を見ながら、弱音が言えるほど僕は強くない。
そしてさらに2回、しつこいくらいに息を吐いた。
徐々に小さく鋭く。
そして体を強張らせ声を出す。
「僕は努力したつもりだよ。魔法の本も何百冊も読んだし、戦闘訓練も、教官相手に何度も叩き潰されても教官が根を上げるまで挑み続けた。そして出来たのが、まともな魔法は使えない、体術もマシ程度の中堅に上がったばかりの冒険者にすら負ける半端者だよ。ねぇ、ベンさん僕は本当に努力したのかな? もっと努力をすれば変われるかな? もっと頑張ればアイツに追いつけるかな?」
「大丈夫だ」
こちらに顔を向けずベンさんは即答した。
彼が心の底からそう言ってくれるのは理解できる。
ベンさんの体が強張り、足を踏みしめる力強さが振動と共に伝わり違うと教えてくれる。
嬉しいさ。
でも彼がそう言うのはわかっていた。
「ベンさんならそういうよね」
胸を押さえながら歯を食いしばった。
ベンさんは優しい人で僕と近しくなりすぎてしまった。
だから僕が今一番欲しい無責任な言葉を彼は僕に与えることはできない。
彼の言葉1つ1つには気遣いがあり、だからこそ辛い現実と向き合い続けた僕には、それが本心だと素直に認められない。
そんな事は嘘だ、易い同情だと意地になって否定してしまう。
自分でも面倒くさい奴だと思う。
でも優しさじゃ僕は救えない。
頭を振ってから笑顔を作ると彼の背中から飛び降りる。
「ありがとうベンさんもう歩けるから」
「わかった気をつけろよ……おい、大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫、ベンさんもこんな小僧一人に気を使いすぎだよ」
ベンさんの背中から飛び降りた時、上手く踏ん張れず、ふらつき壁に寄り掛かる。
(こんなんじゃ駄目だな)
壁に手を着き、腕の力で起き上がると、目を細め皮肉げに笑みを浮かべた。
「ま、まともな初級魔法も使えない半端者じゃあ心配するのも当然か」
両手を広げやれやれと前を歩く。
だが、顔は歯を食いしばり、目を吊り上げる、まるで鬼のような形相だ。
自らの不甲斐なさへの怒りが一瞬顔をに出ていたが、すぐに笑みを作るが頭は下を向いていた。
そんな時ベンさんは僕の左肩を叩く。
「まともな魔法を使えないって言ってもお前の代償魔法はたいしたもんだ。誰にも真似できない、探し物ならギルドにいたどんな連中も勝てない優れたもんだ。体術にしてもそうだ、グレイの奴が褒めてたぞ」
「自信がないや」
口を尖らせ不貞腐れながらその言葉を聞く。
ベンさんはいつも優しく僕を肯定してくれる。
彼では僕を救えないと考えているが、僕は心のどこかで心配されたいとは思ってしまう。
もしかして、心配するような言葉が聞きたくて、完全に行動を隠していないだけかもしれない。
今気づいたが、痛みで恐怖を忘れるとその後心が酷く落ち込む。
そんな時、誰かから心配されると心地よいのだ、憂鬱な心にすっと入る温かさが染みると言っていい。
ごめなさいベンさん、僕はあなたの優しさを否定しつつも利用する姑息な男だ。
ベンさんは僕の前に立ち膝を曲げる、そして両肩を掴むとまっすぐ目を見て。
「お前は十分努力している。そして自己管理も大切な事だ。この前ギルドで倒れた事は聞いている。焦る気持ちがあるのもしょうがない。でもお前はまだ若い、これから身長も伸びれば自然とできることも増えてくる。お前ならわかるはずだ、備える事の重要さを、自分を追い込みすぎるな、今お前に必要な事は休むことだ」
「わかったよ」
そういいつつ首を横に振る。
肩に乗った手を右手で振り払い、ベンさんの横を抜け前を歩いた。
前を歩くいていると後ろからため息が聞こえてくる。
「若さゆえか」
それを聞いた時足こそ止めなかったが、全力で目を見開き、拳だけじゃない、全身に力を入れた。
ベンさんは若さゆえに意地を張り、周りに耳を貸せる柔軟さがないと思っているのだろう。
やはり彼の言葉では僕を救えない。
なぜなら彼は知らないから。
僕を本当に追い詰めている物が何かを。
才能なんて努力すればいいと思っていた。
出来ないなら出来るまで、応用が出来ないなら基礎で圧倒すればいいだけど。
だけど努力、その前提がすでに崩壊していればどうだろうか?
【僕はもう生きていられる時間が少ない】
この事実を知っていればベンさんが先程僕に掛けた言葉のいくらかの内容は変わっているだろう。
だが、この事実を親しい人に伝える事は出来ない。
それは師匠のある姿を見ていたからだ。
僕の養父にして鍛冶師の師匠であるハイゼンは、死ぬ直前まで剣を打ちたがっていた。
だが、周りは病が治るようにと病院に送りつけ、結果師匠は最後鉄を打つことなく死んだ。
親しさと優しさは敵になることをその時僕は知った。
この事実を冒険者である僕に置き換えるとどうだろうか?
皆僕を冒険者家業から遠ざけるだろう。
そして病院のベットの上で、優しいお決まりの言葉で慰める。
大丈夫絶対良くなると。
そしてベットの上で笑いながら僕はこう言うのだ。
「ありがとう」
固く握った拳を布団の中に隠しながら。
だから夜、1人になると考える。
このちっぽけな。
そろそろ11となる短い人生で何が出来ただろう?
愛情は敵だ、優しさも、慈愛の心も、でもそれが僕は欲しかった。
だから、親しい人には伝えられない。
どんなに辛く1人で歩くことが苦痛であっても、最後まで隠し通す。
それらを敵にしないように、死ぬ最後まで味方でいてくれるように。
粗くなった呼吸を抑える為何度も息を吐く。
背を伸ばし、後ろからは何事もないと見せかけながら。
そんな時、頭を撫でられる。
「大丈夫さ、ゆっくり変わればいい」
わかるのは大きな手と触り方を間違えば壊れると思っている程繊細な接触、髪の毛の表面しか触れていない不格好な触れ方に自然と笑みが出た。
僕が苦しんでいる本当の理由は知らないだろう。
変わる時間がない、つまり何も変わる気はない、それも感づかれている。
だけど、ほんの少し前を向いて。
「……やりずら」
「お前がわかりやすすぎるだけさ」
ベンさんは僕の背中を押してくれた。
この人はやりづらい。
僕以上に僕を認め。
僕以上に僕を知るこの人が大好きで。
嫌いになれそうもないから。
それからベンさんは何も言わなかった。
その無言の優しさが心地良い。
目を瞑り整理する時間があることが嬉しい。
この裏路地で、初めて彼の顔を見て感謝の言葉を言った。
「ありがとう、ベンさん」
「諦めるな。しがみつけ、あの世でハイゼンさんに笑われるぞ」
今度はベンさんはこちらを向かず、前を向いて言った。
お前が行く道はこっちだと示すように。
「うん、ありがとう、でも師匠の名を出さないで。色々と複雑だからさ」
ベンさんだから許されるその物言いに僕の心が少し染みた。
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