第8話 そして僕はこの道を選んだ 5

 翌日の朝、その目覚めは最悪だった。


 当然だ。

 痛みで恐怖を忘れる、それが救いだなんて呼べない、呼びたくない……でも。


 朝布団から起き、やけにスッキリとした頭で、1階の洗面所に向かい鏡を見る。

 顔を見ると、目元にあった隈が少し薄れていることに気づいた。


 鏡に顔を近づけて調べたのだ、間違いないだろう。


「はは、まじかよ」


 腰が落ち床に座り込むと、両手を見つめ続けた。


 只の勘違い誤差だと思い込んだ、思ってしまいたかった。

 でも、裏路地での出来事が、その結果を生んだことは否定出来なかった。


 よろけながら立ち上がると、洗面台の上に手を乗せ寄り掛かる。

 鏡に映る、笑みを浮かべた自分の顔。

 その顔は何度かギルドの依頼で見た、麻薬中毒者がしていた笑み似ていた。


「クッソ、クソ、クソ」


 洗面台の端を強く握り首を大きく振るう。

 そして、洗面台に着いている鏡に向かって額をぶつけた。


 割れた破片が額と頬を切り裂き、床にまで血が飛び散る。

 洗面台に残った所々欠けた鏡には、目を見開き、鏡に写った己を睨む姿が見て取れた。


 洗面台の端を握りつつ、膝を曲げ中腰の状態で涙を流す。


 痛みで恐怖を忘れる方法の欠点は、朝起きた時死にたくなるほど惨めな気持ちになる事だ。


「あ〜〜あ、大嫌いだ」


 もう自分の顔なんて見たくない、あんな方法に縋る情けない自分の姿など……本当に何もかも壊したくなる。



 時間になりギルドに向かう。

 そして現在、顔の傷の手当に手間取り、遅刻の危機に瀕している。

 流石に額の傷はごまかせないと考え、ハチマキ代わりのタオルを巻いて隠していが、頬の傷は軟膏に肌色の塗料を混ぜ、それを頬に塗った。

 

 通勤路の人混みにぶつかりながらも走り、ギルド近くの公園、その時計に目をやる。


(よかった、時間に余裕はあるか)

 

 走りを歩きに変えギルドに向かう。

 だが公園とギルドは、通りを一つ挟んだ程度の距離だ。

 だから気付いてしまった、ギルドの前に立つレティシアの姿に。


 レティシアはギルド前で、人が目の前を通る度に首を動かしている。

 冒険者試験の当日程ではないが、人を見るたび一喜一憂をしており緊張しているようだった。

 そして僕がギルドに近付くと、彼女は固い表情を緩め頬を染めながら笑みを浮かべた。

 

 こちらは軽く手を振りながら近づき、ギルドの入口前でレティシアと相対した。


 謝る機会は確かに欲しかった。

 この状況を見るにそれが出来る絶好の機会、その反面なんで今日なんだと、この世界を守護する女神様を憎む。


 惨めだ、そして逆恨みであるが、その原因の一端を担っているのが目の前の少女。

 正直彼女が恩人でなければ、口を聞かずギルドの中に入っただろう。


 これらの感情が、彼女に抱いている思いの全てではない。

 だけど、心から漏れ出した弱さが彼女を責め立てがっていた。


「ロスト、ちょっといい」

「いいけど珍しいね、レティシアが僕を待っているなんて」


 ギルドの入口で足を止め、白々しく頭を傾げる。


「それはロストが……何でもない」

「ごめん……僕が悪いのは分かってるんだ」


 レティシアは目を下げ途中まで口にした言葉を切る。

 だが続きはわかっている。


 それはロストが私を避けるから。


 きっと彼女はそう言いたかった筈だ。

 

 その言葉を首を振り否定。

 そして一呼吸してから頭を下げた。

 腰を曲げ許して貰うまで顔を上げるつもりはない。


 そこで頭が簡単に下げれた事で気付いた。

 僕はレティシアを憎んでいる所も確かにある、でも彼女は、それとは比べ物にならないほど大切な友人だ。

 それが理解できたら、今朝までの憂鬱な気持ちが吹き飛び、顔の表情が少し動かし易くなった気がする。

 

 肩を掴み顔を上げさせようとしたレティシアだが、僕の穏やかな笑みを見て、鼻をひくつかせ目を潤ませていた。

 まだ涙になっていない水分を人差し指で目から吐き出させるレティシア、そして深呼吸し。


「そんなことーー」

「ちょっといいか?」


 彼女の心からの否定と関係の再生、その希望は横から入ってきた黒髪の女性に打ち払われた。

 

 その女は無遠慮にレティシアの前に立ちこちらを見る。

 彼女の目には多少の焦りがあり、そして常に後ろのレティシアを気にしている。

 一方レティシアは女性の背後を睨みつけていた。


「ちょっとアイリーンさん」

「会話の途中割り込んですまないが、レティシアより君にこの事を話した方が早いと思ったんだ。二人きりにしてくれないか?」

「でも……」


 アイリーンと呼ばれた黒髪の女性は観察するような目を僕に向けていた。

 顔や手、足と、そして最後に冷たい目で見下しす。

 それもあくまで、背後にいるレティシアに気付かれないように。


 レティシアは根に持つタイプだ。

 それになのに彼女はアイリーンに溜息を吐き、何も言わない。

 こういう時はだいたい、レティシア自身の事が関係している時だ。


「レティシア話してくる」

「わかった、でも私はロストと一緒に冒険者がしたくて誘ったの、それだけは本当だから」


 頷くとレティシアはギルドに入っていった。

 その時何度か後ろを向き、心配そうにこちらを見てくるので、右手を上げ応えた。


 そして眼の前にはアイリーン1人。

 溜息を吐いたあと頭をかく。

 

 アイリーンには笑顔を作らず、目を細め皮肉げに口元を歪めた、投げやりな表情を見せる。


「説得しろって話ですよね、レティシアの王都行きを」

「ああ、だがこちらも一つ謝ろう。無能ではないな、役立たずな冒険者くん」


 アイリーンは背筋を伸ばし無表情で言い放った。


(お前程度なら努力すれば確実に追いつける)


 口を開け、その言葉が喉から出かけるが、アイリーンからの目線を横に逸らし呑み込んだ。

 そして拳を固く握る。


 それにしてもこのアイリーンという女は、気遣いというものを持ち合わせないのか?


 顔も端正、手足も長い、髪は艷やかで美しい、褒める所はそれくらいだ。

 これほどお近づきになりたくない美女も中々いない。


 疑問なのだが、言葉を包まない、他人を馬鹿にした態度を取る性格最悪で根性が捻じ曲がったクズなのに、どうして強ければ他人に許され尊敬されるのだろうか? 

 

 それに、一々罵倒を入れてくる意味もわからない。

 興味がないのならほっとけばいい、お願い事があるのなら心象は良いほうが聞いてくれる可能性があるだろう。


 自分が無能に頭を下げる、その事実に耐えられないのか? 何故他人にそれほど傲慢なのだろうこの女は。

 

 はきっり言おう、僕はこの女が嫌いだ、他人を見下ろす所から始めるのが特に。

 

 彼女は王都から応援に来た冒険者だ。

 だから誰も文句は言えず、アイリーンがギルドにいると、僕とは違う意味でギルド内の雰囲気が悪くなる。    

 

 本来ならこの女の話など無視してギルドの中で仕事をする所だが、彼女が僕に頼む理由、それは僕の不甲斐なさが原因でもある。

 

 レティシアは天才としてギルドの皆に認められている。

 それは、この王都から来たアイリーンも同じく認めている事だ。

 

 この女はレティシアが自分と同格の存在になると信じ、王都でパーティーを組みたいと思っている。

 そしてゆくゆくは、自分が認めた者達とパーティーを組み、王都最強の冒険者の地位を得たいと企んでいる。

 そんな野心は嫌いじゃない、だがレティシアを口説き落としたいなら勝手にやれ。

 これが僕の本心だ。


「断る、自分で説得しろ」


 彼女の横を通りギルドに向け足を動かす。

 その際、アイリーンに組み伏せられ位は覚悟はしていた。

 ま、抵抗する気はなかったが。

 

 組み伏せられたのなら組み伏せられたで、このシリウス支部にアイリーンは居られなくなる。

 他者から来た冒険者がシリウスの人間を傷つけるのを、ギルド支部長のグレゴールは許さない。

 

 ま、それもあくまで僕を除いてだが。


「君がレティシアをこのギルドに繋ぎ止めていると言ったらどうする」


 警戒していたが、アイリーンは暴力で訴える事はなかった。

 代わりに彼女はは1人で話し出す。


 その言葉を聞き足を止めた。

 結果アイリーンと互いに背を向けあった状態になる。

 

 何故足を止めたのか? その言葉を聞くのは僕に取っての義務だからだ。


 アイリーンは笑みを浮かべているのだろう。

 顔は見えないが、彼女の声その音程が上がった。


 始めからわかっていた、彼女が僕に何を言うかなど。

 でもそれは、僕が聞かなけれないけないことだ。

 向き合わなければいけない。

 己が潰しているレティシアの才能、その客観的な評価を。


「あの才能を君のような凡夫が潰そうとしている、私はそれが許されざる事に感じる。君は役立たずだ、でも無能ではない。言い方が悪いのは自覚しているが、そこは私も評価している。だから理解しているだろう? レティシアがこのギルドに入ってから一度も本気を出していない事に。私からは以上だ、後は君の好きにするがいい」


 拳を固く握りながら、アイリーンの言葉をそうだ、そうだと心の中で相槌を打つ。

 そして彼女の足音は遠ざかる。


「最後に一つ」


 右側に顔を向け、街中に歩いていこうとする彼女を呼び止めた。


「グレゴールは許可したのか」


 正面を向きつつ足元を見ながらアイリーンに聞く。


 最後の最後、誰かにレティシアが王都に移籍をする話を、止めて欲しかったのかもしれない。

 

 僕は元々止める気はない。

 いや、レティシアには王都の冒険者になって欲しかった。

 彼女は今の僕には眩しすぎた。                  

 だから優秀な冒険者がいなくなって困る、シリウスのギルド長にレティシアの王都への移籍、その選択権を委ねたのだろう。

 

「許可したよ、レティシアは君と王都に一緒に行きたがっていたんだけどね。私も最初は君を連れて行く程度で彼女が王都に来てくれるなら喜んで君を連れて行ったさ、でも、君の移籍をグレゴールに相談したのだがね、君に関してはだめだと。俺も許可はしないし領主もなと」

「そうか……手間を掛けたな」

「期待してるよ。それと酷い事を言ってしまったね。君の努力が実ることを心から願っている。足掻く辛さは私も理解しているから」


 その言葉を僕ら2人は同時に鼻で笑う。


 こんどこそアイリーンを止めない、彼女は街中に僕はギルドの中にそれぞれ進んでいく。

 

 足音だけが、互いが遠ざかるのを教えてくれる。

 それでもギルドの入口、その扉を掴んだ時、思わず後ろを向いてしまった。


 彼女のピント伸びた背中を見つめて、僕はアイリーンが羨ましいんだと気付いた。


 彼女にも悩みはあるのだろう。

 でも程よい挫折と素質、それらが揃った彼女は、上達する喜びを存分に浴びながらこれからも歩いていく。


 焦りしかない、僕とは違う。

 首を振りドアの取っ手を掴み中に入る。


(ああ、惨めだ)


 ギルドに入るとロビーでレティシアが待っていた。

 だが、その顔は満面の笑みではない。

 落ち着いた笑みが、僕の言う次の言葉を理解していると語っている。


 その笑みを見た途端、唇の内側の肉を噛み切る。


 おかしくなりそうだ。

 これかする事を考えると、情なくて情けなく。

 

 口の中で生臭い、独特の癖がある味が広がる。

 だがちょうどよかった、今僕を慰められるものは血の味だけだったから。



「レティシア話がある」

「何でしょうか?」


 ギルドのロビーでレティシアに話しかける。

 彼女は口元だけは笑みを作っているが、眉は寄り、手を軽く握って身構えている。


 それでも言葉を待っていてくれるのは、僕を冒険者にしてしまった責任からか? 

 彼女の理由はわからない、でも僕の答えは決まっていた。


 レティシア見つめ「王都に行くべきだ」この言葉を告げるだけなのに口を閉じてしまう。

 未練を理解した時、目を見開き歯を食いしばった。


 そして聞こえるのだ、心の奥底から「本当にいいのか?」と言う声が。

 

(いいのさ)


 顎の力を緩め息を吐き出す、そしてレティシアと目を合せながら。

 

「君は王都に行くべきだ」

「ロストと一緒ならいいですよ」


 彼女は一切表情を変えずに言った。

 少しくらい悩んでくれよと笑みを浮かべだが、こうなる気もしていた。


「いや、僕はいけない」

「なら、私も」


 首を横に振り、いけないと示すがレティシアも即答する。

 瞬きもせず、こちらの目を見続ける彼女に押され、ほんの僅かに重心が後ろに下がる。


(なるほど、これはアイリーンの奴も付け入る隙がないな)


 思わず腹を抱えて笑ってしまった僕を、レティシアは表情を変えず真剣に見つめている。


 そして笑いが収まり、少し皮肉げに微笑むと己の役割を理解した。


「レティシア、君のお母さんの足はどうするんだい? できるだけ早いほうがいいだろ」

「それは……」

「弟もできるんだろ」

「……」


 目を緩め、語り掛けるように、彼女の抱えている物を言葉で突き立てる。

 

 レティシアはこの会話で初めて目を下に逸らす。

 徐々に頭も下がっていき、腰近くの拳が徐々に固く握られていく。


「今度生まれる弟が、ママを連れて自由に遊び回るのが私の夢だって言ってただろ」

「うるさい!!」


 そしてレティシアは顔を勢いよく上げ叫んだ。

 ギルドのロビーに響き渡る程の声量。


 元々この会話はギルド中の人間に見られていた。

 そんな中でレティシアがここまで感情的になるとは思っていなかった。


 そしてそれ以上に驚いたのはレティシアが泣いていた事だ。

 

 目を見開き、涙を拭くこともせず僕を睨みつけていた。

 そしてこちらに近づき、胸元を掴む彼女は再び下を向いた。


「私にとってはロストと一緒に冒険者として行動するのも夢だったの。あの裏路地で助けられてから。ずっと惹かれてって、でも話しかけてもずっと無視されて、ようやく仲良くなれて、武器しか興味を示さない君をようやく外に引っ張り出せた、それなのに……」


 レティシアは僕の服をさらに強く掴み「離れるなんて嫌だよ」と僕にしか聞こえない小さな声で言う。

 彼女の言葉を聞き、目を瞑りながら天を仰いだ。


 そして耳元でこえる、この場にいない筈のアイリーンの言葉。


「あの才能を君のような凡夫が潰そうとしている」

 

 ようやく迷いは晴れた。

 目を見開き彼女を見つめる。


 レティシア、ありがとう。

 君のおかげで僕は救われた。

 確かに苦しい冒険者生活だったけど、きっと師匠が死んで無気力なまま部屋に籠もっているよりはましだったと思う。


 僕の為に君の人生を無駄にするわけにはいかない。


 王都に、そしてもっと遠くに羽ばたける力がある君を、こんな辺境の都市で終わらせるわけにはいかない。


 震わせながら空気を吐き出す。


 本当はこの場で彼女に抱きつき、これからも一緒にやろうと、そう言う選択肢もあるのだろう。

 でもそれは彼女を犠牲にする行為だから。


 これから言うことは叶わぬ約束だから、己を最低な人間だと認めないと言えない言葉だ。

 そして、聡明な彼女の背中を嘘で押すために心を殺して笑みを作る。


「なら約束、僕が頑張って王都の本部に移れるほどの冒険者になるから、その時また一緒に冒険者として活動しよう」

「本当に約束できるの?」

「知ってるだろ僕は義理堅いんだ、約束は守るって」


 前を向いておれず、腕を組みながら体を半分横に向けレティシアから隠す。


 レティシアは溜息を吐いた後「負けたよ」と笑みを浮かべ小指を突き出した。

 頭を傾げる僕にレティシアは頬を赤めながら。


「指切りよ、指切り」

「ああ、はいはい」

「はいは一回」

「了解」

 

 震える指を感づかれないか、息を呑みながら小指を伸ばす。

 そして柔らかい彼女の指を意識する反面、体の奥の何かが壊れたような音がした。


 それを隠す為に頬や口角を限界まで上げることを意識する。

 その効果もあってか。


「そんなに私としばらく会えない事が嬉しいんだ」

「違う違う」


 レティシアは口を尖らせ言う。

 そんな彼女に首を振っていたが、目は自然と繋いでいる小指に向かう。


「うん、約束」

 

 小さくレティシアは頷き、僕と彼女は指を離した。


「ありがとう、みんな私は王都に行ってくるよ」


 そして彼女は背後を向き、手を大きく振りながらロビーにいる冒険者達に宣言する。

 レティシアもこの会話に皆が注目していたのは気づいていた。


「おお、シリウスから栄転者が出たぞ」

「流石だといっても早すぎだな」


 周囲の冒険者が手を叩き彼女を称える。

 王都にある、この国の冒険者本部に移籍することは名誉あることだ。

 だから、周りの人間は彼女を称賛し夢想でもするのだろう、これからの彼女の活躍を。


 レティシアの周りに人が集まり、彼女を揉みくちゃにする。

 そんな彼女を背に僕はギルドの入口に向った。

 

 その際レティシアは冒険者生活の中で、ずっと僕を探していた事を思い出した。


 冒険者見習いの山下りの際も、ギルドの昼食時も。

 だから手を上げ、サムズアップを作りながらギルドの外に出た。


 こうすれば心が通じ合っていると勘違いしてくれる事を願って。


 そしてギルドを出るとそのまま家に帰った。

 

 流石に仕事をする気にならない。

 今すぐ自分を痛め付けないとおかしくなりそうだったからだ。


「クッソ、クッソ」


 家に帰ると靴も脱がずに洗面所に向う。

 割れた鏡で顔を見ると、満面の笑みをした自分の顔があった。


 眉を寄せようとしても少ししか寄らず、口と頬は自分意思じゃ動かない。

 そして洗面台を出てすぐにある、自分の背の成長、それを線として刻んでいる壁に向かって頭を打ち付けた。


 壁と言っても柱の部分だ。

 今朝閉じた額の傷を削り、血が再び溢れる。

 

 そしてある程度血を撒き散らしたら再び洗面台に向う。

 だが、貼り付いた笑顔は未だ消えない。

 再び柱の下に向かい、頭を打ち付け戻るの繰り返し。

 それをしていく毎に本音が漏れ出す。


「そうだよ、そうだよ、僕はレティシアから逃げたんだよ」


 柱を両腕を掴み、首を大きく後ろに引き振りかぶる。

 今までよりも多くの血が落ち、足元に血溜まりが出来るが構わない。

 痺れる頭を柱に密着させかつて自分の一部であった、こびりついた血を睨みつける。


 彼女が王都に移籍する。

 それを聞いた時、これでやっと彼女と比べられ続ける地獄が終わる、そう思ってしまった。

 色々な人からの辛い八つ当たりが終わるかもしれない、そう希望を持った。

 だから、レティシアが王都に行く事を止めようとすら思わなかった、心から王都に行ってくれと心底願った。


「情けない、情けない」


 あの時レティシアを説得した時、心から変な音がした。

 鳴らせてはいけない音だ、ボキというありふれた音ではない。

 ただ自分の内側から何かが心を腐らせる。

 心地が良い分、麻薬などの方がいくらかましだ。

 体と心を動かす燃料が希望だとするなら、僕はそれを自分で砕いたのだ。

 期待していた、自分ならもっと出来るって、でなきゃ必死になって今まで努力しない、頑張ったりしない。

 

「ああ、ああああああああ」


 その後気を失うまで柱に頭を打ち続けた。

 

 少しでも今の汚らわしい自分を外に吐き出すために。

 

 一度気絶したくらいでは気が済まない。

 目を覚ました後、すぐに柱を睨みつけ、何度も何度も。

 この日、僕の自尊心は完全に打ち壊された。

 


 翌日レティシアは王都に旅立って行った。

 流石に早すぎだろうと思ったが、決めたら即行行動、それもまた彼女の美点だ。

 

 駅前でレティシアと握手し笑顔で見送る。


 駅のホームにはいかない。

 そこにはシリウスの冒険者達が彼女を出迎える為、待ち構えている。


「約束だよロスト」

「うん、約束」

 

 レティシアは駅に歩いていくが、その都度こちらを振り返る。


「頑張れよー、僕もすぐに行くから」

「待ってる」


 笑顔でレティシアに手を振るう。

 すると彼女は、先程までの未練に捕らわれた悲しい表情をやめ、目から涙を流しながら、満面の笑みで僕に手を振っていた。

 そしてレティシアは駅の方を見ると、袖で涙を拭き、頬を叩いて駅の中に足を踏み入れた。


 レティシアの姿が見えなくなると、心に封じていた悪意が心をかき乱す。


 レティシアをシリウスから追い出した人間が白々しい。

 それらの悪意を顔に出さず、笑顔で駅を見続ける。


「やっぱり旅立ちを見送るのは笑顔でないとね」


 2度目の見送り。

 僕の大切な人は、皆王都に旅立ってしまう。

 テオ兄さん、そしてレティシアも。


「僕も王都に行けば変われるのか?」


 首を振りそれを否定する。

 そして列車が出発する汽笛が鳴る。


 駅の外にまで聞こえるその音に、目を閉じ耳を澄ませる。

 

 しばらくその場で立ち尽くしていると、見知った冒険者の声が隣を通り過ぎ、その度にレティシアは行ったのだと実感する。


「行ったかレティシアは……頑張れよ」

「頑張るのはお前もだろ」


 目を瞑りながら呟くと肩を叩かれる。

 だが姿は見ない。

 声だけでそれが誰かを判断する。

 

「ベンさん」

「お前も頑張らないとな。王都に行くんだろ」


 ベンさんには何も言わず、駅から背を向けギルドに向かって歩き始める。

 

 本人も出来ると思わない約束だ、どんな顔をしたらいいかわからない。

 

「大丈夫かロスト」

「何が?」

「お前いや、何でもない」


 すると彼は僕を追い抜き、顔を覗き込む。

 だが僕は足を止めず前を向いて歩き続けた。


 今までとは違う、少しゆっくりとした喋り方をすると、ベンさんは目を下げ、横ではなく僕の後ろを歩き出す。


 喋り方を変えた理由は簡単だ。

 己を出さず、より上手く本心を隠すため為に。

 

「本部所属の冒険者になるには色々足りないからね。まずは体力作りから始めないと」


 顔を上げ空を見ながら言う。

 先程のゆっくりとした喋り方じゃない。

 普段のはっきりとした口調で。


 心が折れても、僕は自身の可能性を信じたいみたいだ。


 なら足掻くしか無い。

 唯一の利点はまだ僕に時間があること。

 同年代よりもスタートが早いことだ。

 だから、ゆっくり焦らず、一歩ずつ力を育み身につけていく。

 嘘として吐いた約束を本当にするために。

 

「努力する時間はまだあるから、ねぇベンさん」

「はは、お前なら出来るさ」


 拳を握り前を歩く。

 ベンさんが僕の背中を手で叩き、前面に押し出された影響で頭から地面に転んでしまう。


「悪りぃやりすぎた」


 両膝と手が擦り切れ、ジンジン痛む。

 手で体を支え、左足から順に体を動かし立ち上がる。


 なんて事はない当たり前の行動、だけど立ち上がるという行為が何故か心地良かった。

 心配そうに近づいてきたベンさんの脛を蹴り上げ、前方に駆け出す。


「そ、それはやりすぎだろう」

「ははは」


 背後からベンさんの声。

 右脛を両手で抱える姿を想像しながら前に向かって走り出した。

 

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