第7話 そして僕はこの道を選んだ 4
図書館で魔法の本を読み漁っていると、誰かが隣の椅子を引き、ガタという音と共に座った。
顔を向けず依然本に目を向けていると、誰かがこちらの右肩を大げさに叩き始める。
「そろそろ腹減っただろう、メシを食いに行こうぜ」
「ベンさんだったけ? もの好きだね貴方も。僕のような落ちこぼれより、レティシアのような大型新人の元に行けばいいのに」
「いい大人ってのは大穴を狙いに行くんだよ」
溜息を吐き、目を隣にいる人物に向ける。
そには、左肘で頬杖を着いた白髪交じりの冒険者がいた。
彼の名前はベン、練武場でレティシアに負けた後、通路でぶつかってしまった男性だ。
目線を本に戻そうとした時、机に置いていた本が右側に突如動いた。
動いた方向を睨みつけると、ベンさんが左手で本を持っている。
「返してよ、今良い所なんだ」
「食うのも仕事だぞ若いの」
豪快に笑いながら読みかけの本を閉じ机の上に置く。
「あのさべんさん」
「ん? 何だよ」
溜息を再びを吐きつつ、机に置かれた本に目をやる。
彼はそんな目をしている理由がわからないようで、頭を傾げた。
「ご飯に行くのは別に構わないけど、せめて、読みかけの本を閉じるときは栞くらい挟もうか」
「あ、ちょっと待て、今探してるから」
ベンさんは机に置かれた本に手を伸ばし、前傾姿勢で本を閉じる前のページを探す。
一枚一枚、内容を見るように探っているが、それでは彼が本を読んでいるのと変わらない。
(そもそも、どこまで読んだか知らないだろベンさんは)
椅子から立ち上がり本の上部分を掴み、取り上げる。
その際ベンさんは「待て、もう少し」と呟き、それに僅かな笑みが漏れる。
それを本で隠しながら183ページに、持っていた栞を挟んだ。
「行こう、奢ってくれんでしょ」
「いや、もう少し嬉しそうに言ってくれよ」
本を鞄に入れ無表情でベンさんに言うと、彼は少し口を尖らせながら、席を立ち僕の肩に腕を回す。
そして、いつもどおりにお姉さんが居ない夜の店に連れて行かれる。
夜の通りを歩く。
先程とは違い、肩を組んでいないのでベンさんの後ろ姿が目に入る
後ろ髪を紐で纏め(といっても肩に髪が着くほど長い訳じゃない)一本の髪が地面を踏みしめる振動で、跳ね、それを只管目で追いかけ続ける。
後ろから見る彼は、機嫌良さそうに目を緩め、左右の足を踏みしめる度に肩を大きく沈ませる、独特なな歩きを方をしていた。
そんな彼をひとしきり目に収めた後、俯いた。
ベンさんは冒険者ギルドでも最年長の人物で、歳も今年で64になる。
シリウスで活動する冒険者の殆どは、彼に一度はお世話になっていると言われる程のベテランだ。
そんなベンさんが目を掛けている……ように見える冒険者に非道な真似をすれば、恩人に恨まれる。
そう思うとギルドにいる冒険者は、僕にちょっかいを出すどころか近づきたくもなくなるわけだ。
おかげで僕に関わろうとする冒険者の数はだいぶ減り、彼のお陰でようやくまともな冒険者生活を送れるようになった。
まぁこれにも余程の馬鹿以外は、という追加事項もあるが。
さらに夜の10:00を超えると、毎日図書館に現れ僕をご飯に誘ってくる。
そしてお酒の飲めるお店に連れて行かれ、お酌をさせられるのだ。
「ベンさん本当にありがとう」
「何がだ?」
顎を下げながらベンさんにお礼を言う。
彼は足を止め頭を傾げていたが、僕は足を止めず前を見ながら彼を追い抜く。
「ベンさんのおかげで僕は……冒険者として活動ができてる」
「あいつらがおかしいだけだ、気にする事じゃない」
「それでも、ありがとう」
足並みを合せてくれたベンさんは首を振ったが、今度は彼の顔を向き会釈程度に頭を下げた。
「礼はお酒を注いでくれればいい。女将も悪くないんだが、やっぱり自分の孫と同じくらいの子供に注いでもらう酒もまた美味いんだ」
恥ずかしそうに頭をかいたベンさんは、少し口を尖らせつつ。手で丸を作りグラスを真似る。
そしてそれを何度も口元に持っていき、まるで飲んでいるかのような手振りをする。
僕は笑いながらベンさんの前に出て振り返ると。
「ベンさん、孫いたっけ?」
「いや、一人息子がまだ独身」
「ありがたく注がせて貰いますよ」
腕を頭の後ろに組み空を見上げる。
「頼むぜ」と背中をベンさんに叩かれ、態勢を崩すものの笑みは崩さない。
バレないよう、横目でベンさんを見つつある事を思い出した。
それは僕がまだ冒険者見習いだった頃の話だ。
ベンさんは知り合いの冒険者に、室内練武場の観客席、その隅に呼び出されていた。
その現場に何故僕が居たかと言うと。
彼らの話し合いの直前、僕はたまたま廊下を通り過ぎる彼らと出会った。
ベンさんはこちらに軽い挨拶をしてくれたが、ベンさんの隣にいた冒険者はこちらを鼻で笑い、 一瞬隣のベンさんに目を向けた。
当時僕は、何かと構ってくるベンさんを怪しんでおり、心の中では信用させてから裏切り、そこで心を折るつもりではないかと、密かに疑っていたものだ。
不信に思った事もあり、彼らの跡をこっそりと着いていった。
今思うと疑心暗鬼が過ぎると反省したが、その御蔭で僕はベンさんを心から信用できた。
「ベンさん、アイツに関わるのをやめてくださいよ」
「何でだ? お前が虐められないからか?」
そんな会話が、体を丸め観客席にある座席の影に隠れていた僕の耳に届く。
ベンさんの知り合いの冒険者は、床を強く踏みベンさんに圧を掛けるようにそういった。
その後聞こえたのは、大きな溜息と苛つくような小刻みの足踏み。
「そんな訳ないです。俺はズルして入ったあのガキを懲らしめようと……」
「恥を知れ、アイツの倍以上の歳生きててやっていることがそれか!! それになロストは優秀だ。礼儀もしっかりしているし、お前がギルドに入った時より何倍も強い」
「でも、ギルド長も何も言わないですし」
冒険者は言い訳をするように、小さな声でベンさんに言ったようだが、それを受けさらに大きく息を吸う声が耳に届く。
「だからなんだ、お前のやっている事を知ったら職人街の親方衆がお前を殺しに行くぞ」
「そんな〜〜」
「一度胸の中でしっかり考えてみろ。お前がどれだけ人道に外れた事をしているか。他のやつにも言っとけ、いや俺が直接言っておく」
「はい」
ベンさんは大声を上げ、冒険者の男性を然り上げた。
それを聞き、さらに元気を失くした冒険者の男性は、重い足取りで練武場から去っていた。
ベンさんも彼が練武場から出たのを確認する、と観客席を出て外に向かう。
そして、誰もいなくなった練武場の観客席で、体を小さく丸めたまま、声を出さずに僕は泣いてしまった。
嬉しかった、僕の為に本気で怒ってくれた事が。
ベンさんからしたら、当たり前の事だったのかもしれない、でも僕はとても嬉しかった。
だって僕の周りには、その当たり前をしてくれる大人がもういなかったから。
*
それから更に3ヶ月、僕の生活は少しは好転したとは思いたい。
相変わらず年齢の若い冒険者との関係は壊滅状態だが、40後半くらいの冒険者からは話し掛けられ、ベンさん以外からもご飯に連れて行って貰える関係にはなれた。
その1人が今一緒にいるグレイさんだ。
「頑張ってるな」
「頑張ってるのかな?」
「ああ、若いのにしっかりしている。今日も稽古を付けてやる、後で練武場に来い」
「お、お願いします」
彼の発言に、自信のない僕は頭を傾げ聞き返す。
グレイさんは溜息を吐いた後、僕の頭を掴み撫で回す。
気遣いのない、頭をがっしりと掴んだ撫で方に目を回していると。
「うぁぁぁぁぁ、また、ハンクさんがいない」
そんな声がギルドのロビーに響き渡る。
だが、ギルドに依頼に来ていたお客さんは、声の主である受付嬢を驚いた目で見ているが、冒険者に、彼女の同僚であるギルドの職員、それに食堂のおばさん達は彼女の叫び声に、またかと同情の目を送っている。
「あれは、はぁ。またアイツか」
「事情だけ聞いてきますよ」
グレイさんは顔を手で覆い溜息を吐く。
僕はグレイさんに軽く手を振った後、頭を抱えている受付嬢に向けて歩き出した。
「頼む、先に言っているぞ」
グレイさんの言葉を背に受け、そして頭を抱えていた受付嬢がいるカウンターに着いたのだが、その時の受付嬢は既に、生気の無い目で上を見ていた。
「ははは、もう終わりだ」
そんな受付嬢の隣で座っている同僚は、僕の姿を目にすると小さな声で。
「お願いします」
「わかりました」
駆け寄ろうとした彼女は僕の了承を受け取ると、その場で頭を下げ、隣の自身が管理するカウンターに戻っていった。
生気のない受付嬢のカウンターに座ると、バン、と少し強めに机を叩く。
その音に気付いた受付嬢はゆっくりと下に目を向け、僕を目にした途端、仕切りがある事を忘れこちらに飛びかかる。
「ああ、あああああ」
「落ち着いて」
当然仕切りがあるので頭をぶつけ、机の上で蹲る受付嬢だが、おでこを擦りながらもすぐに顔を上げ、目を輝かせながら僕を見る。
「ロストさん、ちょっといいですか?」
「はい、何でしょう」
依然仕切りに顔を押し付けている受付嬢。
一瞬隣の職員さんに目を送ると、目線を受け取った職員さんは大きく頷き、仕切りに貼り付いていた受付嬢の肩を掴み、そのまま席に座らせた。
そこでようやく落ち着いたのだろう。
僕の正面に座っている受付嬢は深呼吸をした後、少し顔を赤くしながら話出した。
「すいません。私の担当する冒険者が、配分依頼を中々行なわず溜まっていまして。依頼主様からも早くしてくれと、せっつかれてまして、私もその冒険者に、魔物の討伐よりも配分依頼を今は優先してくれと何度かお願いをしたんですが、次第に避けられてしまって……それで……あの……」
手を弄りながら受付嬢は上目遣いで僕を見る。
右手で顎を触りつつ、左手の人差し指で机をつく。
トントンという音、を受け喉を鳴らす受付嬢。
冷静に周りを見渡すと、他のギルド職員もこちらを見ていて、中には手を組み祈っている者もいる。
「わかりました、僕が代わりにやるので書類をステラさんに送って下さい」
「そもそも断るつもりはないって」と小さく呟き、溜息を吐く。
その瞬間周囲の高まった緊張感が少し和らいだ気がした。
両手で肘掛けを掴み、体を持ち上げ座り直す。
そして、微笑みながら正面の受付嬢に了承した。
「すいません、こちらも今後気をつけます。書類の件も今すぐ作りますので……失礼します」
先程の動揺していた様子とは打って変わり、背筋を伸ばし受付嬢は立ち上がると、急ぎギルドの奥に走っていった。
そして僕も立ち上がり、グレイさんが待っている練武場に向かうため、ロビー右の扉を開け通路を進む。
通路を歩いていると、僕の担当受付嬢のステラさんとすれ違う。
彼女は僕を睨みつけながら、通り過ぎる際に。
「ありがとうございます」
と小さく口にした。
その言葉を聞き僕は振り返るが、ステラさんは何事もなかったかのように、腰まである亜麻色の髪をたなびかせロビーに入っていった。
「そう言えば、あの受付嬢とステラさんって同期だったけ?」
頭をかきつつ、配分依頼と受付嬢の関係を思い出す。
配分依頼とは、ギルドが冒険者に課す月毎の強制依頼の事だ。
ギルドが不人気な依頼を溜めさせない為に作った制度なのだが、件の冒険者は、この配分依頼の重要性に気づかず放置しているようだ。
配分依頼をこなさない、それはギルドの顔を潰す行為そのものだ。
ギルドは様々な依頼が舞い込む場所、当然ギルド内部では、受けて欲しい依頼とそうではない依頼の区別が存在する。
ギルドの本心としては、魔獣を倒す冒険者より、この土地により受け入れられる為に、住民が出す依頼を積極的にこなしてくれる者の方がありがたい。
冒険者には明かされていないが、受付嬢は自身が担当する冒険者の配分依頼達成率が、昇進にも大きく響いてくる。
あまりに配分依頼をこなさない冒険者の担当になった受付嬢が、自分で未消化分の配分依頼をやり始めたという話は有名だ。
つまりだ、ギルドの職員と仲良くなりたいなら、配分依頼をこなすのが一番という事になる。
よりその和を広めたいなら、月が始まって14日から17日付近のお昼で、ギルドカウンターの中で、慌てるか、顔が青ざめている受付嬢に話しかければいい。
「配分依頼が溜まっているならお手伝いしましょうか?」そう聞くと大抵は、「いいんですか?」と縋るような目でこちらを見てくる。
配分依頼はそれほど難しくはない。
強いて言うなら体力を使う仕事ばかりであるが、レガリアを使える冒険者なら問題なくこなせる。
だから僕は体力作りも兼ねて、徹底的に他人の配分依頼を受けまくっている。
そしてこれが今ある環境を変えようと、僕が選んだ抵抗だ。
無能が点数稼ぎをしていると、陰口を叩かれる事も多い。
確かに点数稼ぎのために他人の配分依頼をやってはいる。
それでも希望だけは捨てたくなかった、例え胸を張れていなくても、自分自身の可能性を諦めたくはなかったんだ。
通路を歩きながら両頬を叩き、気合を入れる。
レティシアに追いつく、それを僕は諦めていないから。
*
「え、体重が減ってる」
翌朝、目をこすりながら洗面台に向かい体重計に乗る。
頭を揺らしながら針の止まる音を聞き、目を開けると先月と比べ5キロ体重が減っていた。
目を細め、何度も体重計を乗り降りし測り直すが、結果は変わらない。
体重計を降り、右手で左腕の二の腕部分を触る。
先月触ったときよりは確実に腕が固くなっており、筋肉が着いている。
そして、洗面台を出てすぐの壁を見る。
そこには複数の横線があり、それは毎月着けている背丈の成長表だ。
頭を壁に着け手に持ったナイフで今月の印を刻んだが、先月より高い位置に印は着く。
それを見て、その場で膝をつき頭を両手で抱えた。
僕は毎日、グレイさんの元で彼が根を上げるまで挑み続け、ベンさんや先輩方に、ご飯を奢られる時間まで必死に図書室で魔法の本を読み漁っている。
「おら、もっと食え。出ないと大きく馴れないぞ」
「入らないんだけど」
「押し込んで、胃をおっきくするんだ」
「う〜〜わかりましたよ。やればいいんでしょ」
逃げられないように肩を掴まれながら、机の上が埋まる程の料理の数を見せられ、すぐにはスプーンが進まなかった。
だが、隣で僕が料理を食べるのを笑顔で見守っているベンさんを見て、完食する覚悟決めたのは、まだ記憶に新しい。
彼らの奢ってくれるご飯の量はかなり多く、普通の人が毎日食べたら肥満になってしまう程の量だ。
その量の栄養を消費するため、日中必死に動いている面もある。
そんな生活をしているのだ、重くなるならわかる。
筋肉も、そして骨格だって大きくなっているのだ成長期の僕ならむしろ正常だ。
でも体重が減るのは違う、異常だ。
未知の恐怖が体を震わせる。
両手で体を抱き震えを抑えようとするが無理だった。
「どうして、師匠、テオ兄さん」
これが今月だけならこうはならない。
先月、先々月、さらにその前、冒険者になってから少しずつ体重が減り続け、また一ヶ月の体重、その増減量も増えてきた。
膝を抱え、その場で落ち着くまで何度も深呼吸をし続ける。
中々落ち着かない心、ギルドに行く時間も迫る中で、ついつい愛する家族の名を呼び縋ってしまった。
誰かに言いたかったのだろう、信頼できる誰かに。
でも彼らはもうここにはいない。
一人恐怖に耐えながら生きるしかないのだ。
体の震えを誰にも悟られないように、その日は自分の行動1つ1つに神経を尖らせる。
「どうかしましたか?」
「いえ何も」
ステラさんが頭を傾げ、僕に言ってきた。
笑みを彼女に返しながら、服の内側では全力で体を強張らせる。
「そうだステラさん。貰ってきた配分依頼も多いみたいだし依頼書を多めに頂戴。何度もギルドに戻るのも手間だからさ」
「わかりました」
破裂しそうな心臓を左手で押さえながら、右人差指を伸ばしながらそう言った。
ステラさんは下を向き書類を纏め終えると僕に手渡す。
「わ、見事に肉体労働ばっかだ。うん? どうしたのステラさん?」
その時だ、何故か彼女の眉がいつもより寄っており、機嫌が悪そうな顔をしていたが。流石に今は気にしている余裕はない。
依頼書を受け取り、急ぎ鞄の中に丸め入れるとギルドを駆け足で出た。
そして公園まで走り、その場でそっと胸を撫で下ろす。
その日は、いつもの2倍以上の依頼をこなした。
ただ恐怖を忘れたくてがむしゃらに、いつも以上に動いた筈だが、その日の晩は一睡もできなかった。
後日、ベンさんの息子である、ダムジンさんが経営する診療所に足を向けた。
患者の状況次第では、偽の診断書も書いてくれるグレー寄りの場所だ。
大通りから裏路地に進み、2本入り組んだ道を進む。
多分、地元の人間であったとしても口頭の説明ではたどり着けないだろう。
上着の裾を両手で掴み、胸元当たりまで上げると、ダムジンさんはお腹を聴診器で触れた。
そこで何度か深呼吸をしろと要求され、背後を向き同様に行う。
そこからも色々な検査を行い出た結果が。
「異常はない」
「本当に? 何か病気で手術をしなくちゃいけないとか?」
書類を手に持ち、目を通しながらそう話すダムジンさんの肩を掴み訴える。
彼は特に怒った様子もなく書類を太ももに置いた後、肩を掴む僕の手を優しく掴み僕の膝に置く。
「ないな、ただ」
「ただ?」
ダムジンさんは僕の右腕を掴むと、腕の内側を親指で押し手首から肘の裏側まで揉んでいく。
右腕を触られていると、痛みが奔り思わず眉を動かす。
顔をじっと見つめていたダムジンさんは、表情の変化を見て頷き、机に向き直ると、何かを紙に書き始めた。
「体の内側があちこちが爛れている、何か毒でも飲んだが?」
「そんな事はないと思う。というか、この痛みは筋肉痛とか痣が原因であって、関係ないと思う」
そう首を振って否定したが。
「とにかく薬も出す。あと嘘の診断書出してやるからそれをギルドに出せ。そして約束だ、週に一回ここに来い、嘘をつかせるんだから責任を取らせろ」
ダムジンさんはこちらに背を向けながら言った。
「ありがとうございます。あの……それとベンさんには言わないで下さい。恩もあるし……心配してくれるから」
下を向き、手を弄りながらお願いする。
「当然だ、個人情報を明かせるか」
ダムジンさんは頭をかき、こちらに振り返ると何かを手に握らせてきた。
手を開くとその中にはヘビの玩具があった。
「もう少し、検査の結果が出るには時間が掛かる、これで遊んで時間を潰してろ」
胴体が収納出来たり、音がなるなどのギミックわない。
ただ、中に詰物が入っているだけのヘビのぬいぐるみ。
その玩具に何故か癒やされつつ、ダムジンさんの作業が終わるまで手の中で遊ばせ続けた。
診療所を出ると頭の中にダムジンさんが言った、毒でも飲んだか? という言葉がグルグルと周り続ける。
最近の食事は、殆どが先輩からの奢りで成立している。
一緒の物を食べているのなら、僕だけじゃなく先輩達にも異常が出ていてもおかしくない。
それに、ご飯を奢ってくれる先輩の殆どが、初老という域に入っているのだ。
間違いなく内臓という意味では僕の方が健康で強いだろう。
そんな中で一番早く僕に症状が出るなんてあり得るのか?
「ダメだ、ダメだ、ダメだ」
蹲り頭を抱えながら首を左右に振る。
頭に過るのは死という言葉、その結論に至るのは早すぎる筈だ。
でも頭に過ぎってしまう。
考えられる摂取経路はよく掛けられる熱いスープ、それに毒が混ぜられているのか? 考えだしたら止まらない。
不安を抱えていると。
「おい、ガキか、まぁいい金出せ」
「嫌だけーー」
裏路地で蹲っていると、突如1人のチンピラが現れた。
立ち上がり、拒否の言葉を言い切るに前に、チンピラは既に拳を振りかぶっていた。
拳が左頬に直撃、数歩下がるだけで勢いを押さえ、唾を地面に吐き出す。
そしてすぐに顔を上げ拳を握って脇を締める。
(あんな素人に負けてたまるか)
チンピラは何もなっていない。
足の開き方も、体の向き、拳の握り方、肘の使い方。
だからなのだろう。
この数ヶ月間積み上げた続けた物が、目の前のチンピラを否定していたがっていた。
息を吐きだし、チンピラに接近。
チンピラの拳を足捌きで全て空振りさせ懐に入る。
そして腹部へと右の一撃を放つ。
男の腹に拳があたる直前、確かに僕は笑っていた。
昨日から止まらなかった震えが止まっている、それに気付くと、右の拳はチンピラの腹の前で止まっていた。
「は、ビビリが」
チンピラは止まった拳を鼻で笑い、右拳で再び僕の顔面を殴った。
再び数歩後退するがその時、僕の目は大きく見開かれていた。
右拳を開き手の中を見つめる。
(やっぱり、震えてない)
そしてあることに、気付いてしまった。
チンピラの拳を顔面に受けた時、心が軽かった。
その場で立ち尽くしている事、先程の拳を止めた事から、反撃がないとチンピラは理解し、拳を連続で顔面に叩き込んでくる。
その度に後退、次第に壁に追い込まれる。
「倒れろや」
殴られ、その勢いで頭部を、背後にある壁にぶつけた。
その時、足がもつれてしまい地面に倒れる。
チンピラは、仰向けで倒れた僕の上に飛び乗ると、マウントポジションで殴り始めた。
そこまで行くとチンピラに理性はなく、顔面、胸と体の中心線を沿って拳で殴り続ける。
その時の僕の心境は、恐ろしいほど穏やかだった。
頭に浮かんだのはある心理。
痛みで恐怖は忘れられるという考え。
昨日からずっと起こっていた体の震えは今はもうない。
冷静に男の顔を見つつ、体の状態を確認する。
出来ている。
最近の訓練の課題だった、最後まで相手の攻撃を見続ける事が。
あれだけ訓練で出来なかった事がやれてしまえている。
あまりに都合の良いことが起こりすぎて、それに縋ってしまいそうだ。
「はぁはぁはぁ、こんなもんでいいだろ。金はいいか、ガキだし大した金額は持ってないだろ」
顔や胸が痛い。
チンピラは立上がった時に、一瞬僕の右ポケットに目をやるが、すぐに鼻をならして逸らす。
最後に腹部を蹴りつけ、唾を僕の顔に掛けると、チンピラはその場を立ち去った。
「見つけた、見つけた。これでもう怖くない」
男が去り、僕は1人路地に取り残される。
男が完全に立ち去ったのを、寝転がったまま首だけで再度確認し、口の中にある血を地面に吐き出す。
そして右手で顔を覆い、鳴き声に似た笑い声を上げた。
気付いてはいけないと心の中で誰かが叫ぶ、だがそれに縋るしかなかった。
傷つけられる事で一瞬起こる苦しみからの開放。
現に、落ちこぼれと蔑まれ削れる自尊心、努力し超えても簡単に現れ続ける壁、大切な人を蔑ろにする不義に、それを責め続ける自責の念、体の不調に怯え未来に絶望し続ける心、そして、心の底から這い出てくる諦めの心を抑え続ける為に、作り出さないといけない仮初の希望。
それら全てを殴られていた一瞬忘れる事が出来た。
間違っている方法なのは理解している、だけどもう耐えられなかった。
もう、限界だった僕に取ってはこの方法のみが救いだった。
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