第4話 そして僕はこの道を選んだ 1
あれは2年程前の話だ。
そもそも僕が冒険者になると決めた理由は、養父である師匠が死んだからだ。
「師匠が死んだ?」
「ああ、お前の邪魔をするなと言われたから今まで言わなかったが」
先程出来た剣を抱え、師匠の病室に向かった僕は信じられない物を目にする。
ベットの上で安らかに微笑んだ師匠の寝顔、いや死に顔か。
「お前が剣を打つことを禁ずる」
師匠のその言葉を撤回させたくて、必死になって鉄を打った。
僕が、唯一師匠の言いつけを破ったことでもある。
だって師匠を認めさせ、その言葉を撤回させるに、は彼を唸らせる剣を作るしかなかったから。
それに、だいそれた事を望んだわけじゃない。
ただもう一度師匠と、一緒に剣を作りたかっただけなんだ。
それに出来たんだ、師匠を納得させられる一振りが、それなのにどうして。
「ふざけるな、僕にとって師匠は師匠は唯一の家族だ、それを……なんで……」
剣をその場に落とし、兄弟子であるテオ兄さんに飛びかかる。
そして彼の腹部に抱きつくと、彼を力なく叩き始める。
「すまん」
身長さで自然と見を上げる形となり、結果彼の顔がよく見える。
歯を食いしばり、不細工に鼻の穴を大きくあけ、涙を堪えた大切な家族の顔が。
師匠の死に目に会いに行かなかった事を、弟子見習い達に何を言われようが心には響かない。
でも……大切なもう一人の家族であるテオ兄さんに、師匠の死を背負い込んだ顔をさせたくはなかった。
「ごめんな、師匠を引き止められなくてごめんな」
テオ兄さんの顔を見ておれず彼の服に顔を埋める。
そして耳元に入る兄弟子の鳴き声と、頭に落ちる雫。
笑顔で「テオ兄さんのせいじゃない」とその場で言えれば、彼の心をどれだけ救えたのだろう?
でも、僕に出来たのは彼の服に涙を染み込ませる事だけ。
今も目をつぶれば呪いのように頭の中を木霊する、彼の鳴き声が。
*
師匠が死んで1ヶ月、亡くなったのは2月の半ば頃だ。
確か、僕の9才の誕生日が過ぎてすぐだったと思う。
師匠は凄い人だ。
僕が住んでいるアトラディア王国内では比肩するものがおらず、大陸3本の指に入る、鬼才と呼ばれた鍛冶師だった。
そして僕はそんな凄い人に養子として引き取られた。
運が良いことに、僕は子供でありながら成人男性と同じくらいの力があった。
そのおかげで鉄が打て、師匠から技術を受け継ぐことができた。
間違いなく鍛冶は師匠との絆だ。
だからこれだけは失いたくなかった、その果てが師匠の死に目に会わない愚か者の完成だ。
「師匠は許してくれるかな?」
僕は師匠が死ぬ寸前まで鉄を打っていた。
とても調子がよく、誰かが力を貸してくれている、そう勘違いしそうなほどに。
燃える体、鉄を叩けば不思議と剣の完成形が頭に浮かぶ。
きっとこの剣は最高傑作になる、師匠に認められる剣になるはずだった。
だけど師匠はこの剣を見る前に亡くなった。
今だからわかる。
僕は、師匠の命を使って鉄を打っていた。
不出来な弟子に、最後の道を示すように、師匠は命を差し出しあの剣が作られた。
道を示されたのだから、鉄は打たねばならない。
手を止めてはならない筈なのに、鍛冶をすると師匠の思い出が隣に現れる。
今手に持つっている槌も師匠がくれた物だ。
最初に鉄を打とうとした時は、どう叩けば良いか分からなかった。
そんな僕を見かねて師匠は、一度だけ、僕の手の上から槌を握り、鉄の叩き方を教えてくれた。
その時の大きな手の感触は今も覚えており、槌を握り鉄を打とうとする度に、その感触が手の甲に現れる。
師匠が死んでから見る夢がある。
病室のベットで師匠が目を瞑り、その近くで兄弟子が俯いている。
そんな中、僕が病室の扉を開け中に入るのだ。
ここまでは師匠が死んだ時の焼き直しだ。
その次の瞬間、死んでいた師匠と兄弟子がこちらを睨みつけ、「何故病室に来なかったのか」「お前は鉄を二度と打つなと言ったはずだ」と責め立てる。
師匠との思い出が生活の中に現れる度に、その夢が頭の中で存在感を増す。
そして僕は、謝りながらその場で吐くのだ。
ごめんなさい、ごめんなさいと。
だから槌を手放し決めた。
もう鉄を打たない、だがそれは僕にとっての生きがいの喪失と同義であった。
支えを失った体は次第に動かなくなった。
心の中に、ぽっかり空いた穴から生まれた喪失感も、慣れと共に存在感を消し、一日数度、意識を取り戻す生活が始まった。
師匠が死んで1ヶ月、どうやって生きてきたか覚えていない。
ご飯は何を食べただろう? 水は? トイレは? ああトイレは何度か床に漏らして片付けたっけ。
何も考えず、覚えず、ただ流れゆく日々を目に写す。
立ち止まったのは僕だけだ。
見習い達は各々故郷に帰り、店を開き始めたと聞いた。
テオ兄さんは自らの価値を示す為に、王都に向かって羽ばたいた。
今思い出すと、彼の背中を玄関で見送ってから、意識が朦朧とし始めた気がする。
「行ってくる。お前もサボらず腕を磨けよ」
テオ兄さんは僕の頭に手を置き撫でた。
それを、片目を瞑りながら受け入れつつ彼の顔をじっと見つめた。
彼の顔は心配そうに眉が下がっていたが、それでも前を向き、目には熱があった。
テオ兄さんが玄関から出ていく時の背中は、とても眩しく思わず目を細めたが、笑顔で見送る事ができたと思う。
そして彼が王都に旅経ち役割を終えた人形は、広い家で動かず、佇み、生涯を終えるその筈だった。
「ロスト、いる?」
そんな明るい声が、活気の失くなった我が家に響き渡る。
その足音は遠慮を知らず、力強く僕の目の前まで歩いてきた。
赤髪の綺麗な少女は僕の前に立つと、軽く手を振りこちらの反応を確認する。
「大丈夫? ごはん食べられる?」
「ありがとうレティシア、でも今はいい」
「駄目、ちゃんと食べないと大きくなれないよ」
そうだ、僕が一ヶ月間餓死せずに生きられたのは、友人のレティシアが世話を焼いてくれたからだ。
そして彼女はニコニコしながら鞄からコッペパンを取り出し、僕の口に突っ込んできた。
口が塞がれる圧迫感に、何度も彼女の肩を叩くが気付いてもらえない。
「え、もっと? しょうがないな」
むしろ、さらに喉の奥に押し込もうとする。
だが、パンを少し喉に押し込まれたお陰かげで、僅かに彼女の体が僕に近づき。両肩を掴む事が出来た。
彼女の肩を強く押し突き飛ばす。
その勢いで喉に突き刺さっていたパンは抜け、両手を床に着きその場で大きく息を吸う。
「はぁはぁ、自分で食べるから。あと、せめてちぎって、死んじゃう」
「よし、少しは元気が出た?」
「出たから」
レティシアは突き飛ばされた事に怒っていないようで、腰に手を当て笑みを浮かべていたが、あの目を細めた嫌らしい笑みからして、喉にパンを突っ込んだのはわざとか。
ただそれも僕を思っての事。
生きる意思のない僕に強めの発破をかけた、それくらいに考えている。
現にレティシアは喉にパンが詰まった影響で、少し吐いてしまった僕の胃液と唾液が混じった吐瀉物を、手に持ったハンカチで拭いてくれている。
僕が嫌いならそんな事は出来ないだろう。
レティシアは僕の友人だ。
だが幼馴染という訳では無い。
初めて会ったのは教会の学校でだったか? 忘れ物を届けに来てくれた彼女が、僕の家にある剣に興味を持ち、そこからお仕掛けてくるようになったのが、仲良くなったきっかけだったか。
正直そこまで深く覚えていない。
そして僕に積極的に関わってくれるのは、もはや彼女だけだ。
彼女に迷惑を掛けている、その申し訳無さだけが今僕を動かす心の燃料だ。
何度か、断ろうかとも思ったが。それもやめた。
彼女のお節介がないと、今の僕は生きられない。
そう、生きている限り、明日は来るのだから。
レティシアからパンを受け取り、小さく千切り口に放り込む。
レティシアにも、ちぎったパンを差し出し「食べる?」と聞いてみたのだが、彼女は一度目を瞑って顔を差し出のだが、すぐに頭を振り顔を真赤にさせながら俯いた。
彼女のその様子に手を引っ込めると「あ」という漏れ出た声と、名残惜しそうな目を、レティシアは僕が握っているパンの切れ端に送っていた。
そしてパンを半分程食べた頃だったか、レティシアに聞いてみることにした。
「毎日いいのに、おばさんも大変でしょ」
レティシアのお母さんは事故の影響で両足が動かない。
だから普段は車椅子で生活している。
レティシアの実家は家政婦が雇える程裕福だが、貴重な娘さんという労働力を取り上げて申し訳ない気持ちになる。
「ロスト、頼むからママの前でおばさんはやめて、本当に機嫌が悪くなるから。それにママは大丈夫。パパもいるし、それに私達からしたらこれも日常だから」
「そっか、必要のない事を聞いた」
ドンと胸を叩き、笑みを浮かべたレティシアを見ながら、パンを口に入れ言葉を噛み締め頬を緩める。
「そうだ、今日はロストに提案が合ってきたんだ」
「提案?」
提案? と頭を傾げていると、レティシアはカバンから一枚の紙を取り出した。
紙の上両端を両手で掴み、こちらに見せるように彼女は広げる。
そこには、冒険者試験案内と書かれた一枚の紙があった。
「そう、私と一緒に冒険者になろうよ」
「いや僕はか……何でもない」
思わず拳を握りしめ、僕は鍛冶師だと反論したかった。
だが、喉から声が出てくれない。
そこで気付いた。
僕はもう鍛冶師じゃないと。
師匠が死に、鉄を打つ理由はもうない。
ならばこんな所で燻っているより、冒険者になったほうがよっぽどいいのではないか?
それにこの考えは甘えではあるが、今ならレティシアに手を引っ張ってもらえる。
1人ではなく2人で歩み出せる道、これほど人間らしく立ち直れる機会が他にあるだろうか?
鍛冶師をやめる、その事を考える度に、奔る胸の痛みを笑ってごまかし、レティシアの提案に乗ることにした。
「いいよ、一緒になろうよ冒険者」
「やった、これでいつでも一緒ですね」
「そんな事はないとは思うけどな」
レティシアが伸ばした手を掴み立ち上がる。
引っ張られ、家の外に出るが一瞬だけ家の中を振り返る。
今も鍛冶師に未練がないわけではない。
でも、思い出に苦しめられ、槌すら握れないなら一度離れるしかない。
それにこの家にはもう誰もいない。
師匠も、テオ兄さんも、騒がしい弟子見習い達も。
1人では広すぎるこの家の静寂は、寂しがり屋の僕には耐えられない。
*
「で冒険者の試験っていつなの?」
「えっと、確か……いつだっけ?」
外に出ると木剣を手に取り、レティシアと模擬戦をしていた時、ふと気になった。
先程の紙には冒険者募集とは書かれていたが、それ以上の詳しい事は何も書かれていなかった。
レティシアが持つ剣を弾き飛ばし、試験がいつやるのか? 応募期限がいつなのかを聞いてみたが、彼女は頭を傾げ何故か僕に問うてきた。
「はぁ」
「ごめんね」
「いいよ別に」
肩を落とし溜息を吐くと、レティシアは両手を合せ上目遣いで謝ってくる。
彼女に貸していた木剣を受け取り玄関に置くと、その手を引っ張り無言で歩き出した。
「ふふ、助かるな。しっかり者と一緒だと」
鼻息を荒げ、力強く足を踏みしめながら冒険者ギルドに向かう。
レティシアは強引に手を引かれている筈なのに、抵抗どころか非難もしない。
逆に僕が知る中で一番機嫌がよかった。
そんな鼻歌混じりに歩く彼女を見て、今までとは違う感情が心の中で生まれた。
そう、僕がしっかりしなきゃという義務感が。
*
そしてギルドの受付で受験要項を聞く。
子供2人が受付に現れたときは受付のお姉さんも驚いただろう。
受付のお姉さんの第一声は「君たち迷子?」だったので、間違いなくそう思ったことだろう。
「いえ、私達は冒険者試験の日時が知りたいんです」
「そう、じゃぁ説明するからこっちに来て」
両手で拳を握り女性に訴えるレティシア。
受付の女性は近くの職員に声を掛け、僕らを別の机に案内した。
冒険者になりたいという熱意が、レティシア負けていると自覚していた僕は。一歩離れ聞き手に回るつもりだったのだが、移動する際にレティシアに背中を押され、受付の女性、その真正面に座らされる。
僕が眉を緩め困り顔をすると、受付の女性もそれに合せて同じく困り顔をする。
そして椅子を引きずり、レティシアが僕の隣に座った。
「ごほん、では基本事項からね」
二人共何をしているの? と言いたげに僕らを交互に見るレティシアに対して受付の女性は咳払いをして話しだした。
纏められた内容はこれだ。
ギルドの試験は月初めに1度行われる。
例外は4月と1月のみで。
4月は2日から。
1月は行われない。
そして受験条件は、今年度で10才になる人物。
僕らにとって重要なのはこれだけだ。
後は犯罪歴がある者や、シリウスの住人ではない人間への注意事項が殆どで、そこは受付のお姉さんが省略し、書いてあるから後で見てくれと2本の冊子を机の仕切り、その下部分にある隙間から差し出された。
「そうだ、そこの女の子。それ」
僕らに説明をしている女性が不意に片目を閉じた。
背後から聞こえる足音、夢中になり前を向いているレティシアは気付かない、そんな彼女の変わりに背後を向く。
接近に気付かれた事に、後ろから近づいて来ていたギルド職員の女性は目を見開いたが、手に持ったボールをレティシアに向かって下投げをする。
声に反応したレティシアは椅子に座ったまま振り返るとボールを難なく捕まえる。
受付の女性とボールを投げた女性は、それを見て拍手するが、レティシアは頭を傾げながら席から立ち、ボールを投げてきた女性の元に近づき返した。
「貴方はきっと冒険者になれるよ」
ボールを受け取った直後、職員さんがレティシアの頭を撫でながら太鼓判を押す。
戻ってきたレティシアは頬を少し赤らめ、恥ずかしそうに頭をかく。
その光景を僕らが見つめている事に気付くと、さらにレティシアは顔を赤くしその場で俯いてしまった。
職員さんから筆記試験の過去問を受け取りギルドから出ようとした時、レティシアは無言で手を差し出す。
「ん」
「そこまで気をつかわなくて良いよ」
「ん、ん」
ギルドのロビーで手を伸ばすレティシアに気恥ずかしいので最初は抵抗した。
でも彼女は「ん」としか喋らず、その強情な姿に呆れの混じった笑みを浮かべる。
ただ、その決して離れないという強い意思に、心がほんの少し救われた。
(しょうがないな)
そして彼女の手を掴もうとした時だった、背後にいる職員の女性が、ボソリと言葉を漏らした。
「落ち込まないでね」
誰にも聞かせるつもりは無かったのだろう。
レティシアの顔を覗いて見たが、不思議そうに瞬きをするだけ。
もし、レティシアが先程の呟きを聞いていれば、頬を膨らませ、受付の女性に突っかかっていた筈だ。
僕もこれが、レティシアに向けられていた言葉なら、文句の1つを言ったかもしれない。
でもその言葉は僕に向けられた物だ、なら問題を起こしてもしょうがないと胸の内にしまい込む。
「ロスト?」
「なんでもないよレティシア」
首を横に振った後、彼女の手を取りギルド入口に引っ張っていく。
扉をを開ける一瞬、後ろにいる受付の女性に意識を向け。
(絶対受かってやる)
心の中で宣戦布告をした。
*
職員さんの言葉、その意図がわからないまま2日が経った。
その言葉を聞いた当初は反骨心が顕に出て、それ以上は深くは考えなかった。
立ち止まって考えてみると、受付の女性が言った言葉に、悪意は無かったかように感じる。
言葉にするなら制度が許さない。
そう言っていたようにも今なら思える。
あれから僕はレティシアの家に出入りする機会が増えた。
それは受付の人から貰った問題集で勉強をする為だ。
僕は9歳、レティシアは12歳だ。
読めない字も出てくるだろうとの判断で、大人がいるレティシアの家で勉強会は行われた。
「ふふ♪」
眼の前では鼻歌混じりに過去問を解くレティシアの姿。
僕はその対面で頭を抱え、こちらから見て右側に積まれた資料に手を伸ばす。
辞書のページを捲るが、そこに見える無数の文字を見た途端、限界が来た。
「う〜〜トイレ行ってくる」
トイレに行くと嘘をつき、部屋の外に駆け出した。
バンと力強く扉を締め、部屋のすぐ近くの壁に背中を預け溜息を吐く。
自分でも気づいていなかったが、僕は字を大人しくが読むことが苦手だったらしい。
過去問に目を通す度に、意味のわからない単語を辞書で引き、にらめっこしながら解いていく。
それが少しならまだいい。
長文を見ると平均10個近くは出てくるのだ。
1枚2枚と紙を捲っていく毎に眉間にシワがより、気が滅入りそうになった僕は逃げ出した。
部屋に戻る時間を少しでも伸ばしたくて、2階ではなく1階のトイレに向う。
最初は数分、いや10分だけでもいい、時間を潰せばいいかと考えながら階段から降りると、正面にある玄関が目に入った。
玄関から差し込まれる光、それに吸い込まれるように足が近づく、そこで僕の意識は途絶えた。
「ロスト、ロスト」
誰かが肩を叩いている。
体に置きている外的変化に思考なく目を向けると、涙目になりながら頬を膨らませたレティシアがいた。
彼女の顔を見て数度瞬きをする。
そして周囲に首を動かし確認すると、そこは僕の家にある自分の鍛冶場だった。
「探したんだから」
「ご、ごべん」
言い訳をしようとしたが、レティシアに両頬を掴まれ上手く喋れない。
彼女にに10分近く頬を掴まれ、それを罰として受け入れていたが、右手に握っていた物に気付いた。
レティシアに頬を掴まれているため下は向けない。
でも持っている物は感覚でわかる。
手によく馴染み、先端部分に偏った重量を感じる比重。
それは槌、僕がずっと使っていた、鉄を打つ時に使っていた槌だ。
(そうか、僕がここに来てしまったのは未練故か)
「今日の勉強会はここまでね。大丈夫、私がしっかりと対策を考えておくから」
レティシアは頬から手を離すと立ち上がり、槌を無言で見続ける僕の頭を撫で返ってしまった。
彼女が部屋から出る姿を目で無思考に追っていたわけだが、扉が締められる音で意識を取り戻した。
今回の出来事は流石にないと反省し、謝ろうと後を追う。
「さて、ロストがどうやったら勉強に集中できるか考えないと。過去問を見れば、どこで躓いてたかわかるかな?」
レティシアが腕を大きく広げて言った言葉に足を止める。
彼女は後ろにいた僕には気付かず、扉を締め、荒っぽい足音と共に僕の家から離れた。
レティシアはもう玄関にいない、だけど僕はじっとそこを見つめ続けた。
日が落ち、辺りが暗くなるまで、ずっと
一度鍛冶場に戻り大きな鞄を取り出す。
勉強は確かに苦しかったが、家に戻って来てしまったのはそれが理由ではない。
鍛冶師への未練から来る、冒険者になることの拒否感、それが原因だ。
鞄を手に持ち庭に向かった。
倉庫から取り出したシャベルで穴を掘る。
深さにして3メートルから4メートルの中間位だろう。
鍛冶場から持ってきた鞄に牛革と、その上から布を何重にも巻き付けてから縄で縛り穴の中に落とす。
そしてシャベルで土を掬い穴を埋めるのだが、シャベルで土をたった一回落としただけで、手が止まってしまう。
「嫌だ、嫌だ」
シャベルを地面に突き刺し、それを支えに首を横に振りながら蹲り、地面に吐瀉物を吐き出す。
蹲って数分後、シャベルを支えに立ち上がると、体に力を込めて掬った土を穴に落とす。
何回も何回も、吐き、蹲り、泣きながら。
それでも前に進む為に僕は、師匠から貰った鍛冶道具に土掛ける。
手に届けば、また戻ろうとしてしまう。
鉄は打たないのに。
剣を作る意味なんてもうないのに。
体が後退を選んでしまう。
「今だけだから」
そう言い訳しながら、一晩掛けて僕は家族との絆を土に埋めた。
それから僕はレティシアの家から意識なく帰る事はなくなった。
*
そしてギルド試験当日。
「あ」
「はい、僕の勝ち」
「う〜〜、これで350敗目」
その日の朝、僕らは模擬戦をしていた。
レティシアが上段に剣を構える直前、その握りの甘さをつき、右からの横薙ぎで剣を弾き飛ばす。
宙に浮いた剣が、レティシアの背後にカンという音と共に落ち、僕の勝利を示す。
「剣を握る手が甘いよ」
剣で肩をトントンと叩きつつレティシアに言う。
彼女は吹き飛ばされた剣を拾いに行くが、悔しさも、挑発に対する怒りも、何も表さない。
そして剣を拾って戻ってくる時、彼女の顔が見えるのだが、レティシアの表情はガチガチに固かった。
眉は寄り、唇は一本の線。
彼女は自分の両手をみながら。
「ロスト……私、めちゃくちゃ緊張してるよ」
剣を脇に挟み、震える両手をこちらに差し出しそう言った。
(知ってた)
そして空を見ながら思い出す。
玄関で空を見つめると言う、日課をこなしていた時の話しだ。
レティシアは緊張から早く目が覚めてしまったらしく、朝の6時に僕の家にやってきた。
髪を揺らし、汗だくの姿でやってきたレティシアの姿を見て、あの時は何があったかと一瞬緊張が奔ったが、彼女はすぐに地面に寝転がり笑い出した。
その姿を見て胸を撫で下ろしたものだ、それと同時に。
「紛らわしいことするな」
と玄関に置いていた木剣をレティシアに投げつける。
そして緊張を解すための模擬戦が始まった訳だが、それもさしたる効果はなかった。
再び剣を構えるレティシアだが、その剣先は震えている。
ちなみに僕は一度もレティシアとの模擬戦で、勝ちを落としたことはない。
これはささやかな自慢である。
「緊張を解せなかったか〜〜」と、腕を組み、次はどうしようかと考えながら、胸のポケットから取り出した懐中時計で時間を見る
時刻は朝の7時半だ。
本来の予定では、朝の9時頃にレティシアの家に集まり、そこから一緒にギルドに行く筈だった。
それも彼女が僕の家にいる時点で崩壊しているが。
レティシアが素振りをしている姿を見ながら考える。
何かをするには微妙な時間帯、これからどうしようかと考えていた時レティシアは自分の指を絡ませ、体を縮め、上目遣いで提案をしてきた。
「ねぇロスト朝ごはん食べに来ない?」
「突然だね……それにレティシアのお母さんだって大変じゃない?」
「いや、その、ね、誘って来いって言われちゃって……ね」
「わかった、準備してくる」
「うん」
頭を傾け迷惑かどうか聞くと、レティシアは下げ小さな声で母親に誘ってこいとの指示があった事を白状した。
その時だ、僕のお腹が突如鳴った。
都合の良いお腹だなと、軽く腹部を手で叩きレティシアの提案を頷く。
僕の了承を聞くとレティシアは笑みを浮かべながら「剣を片付けに行く」と言い、大げさなほど全力で走りこの場を去っていった。
家に入ると昨日から準備していたカバンから必要な書類とお金を確認、レティシアの待つ玄関に足を向ける。
すでに戻ってきた彼女と合流すると、レティシアの家に向かって歩き出した。
*
「いや〜〜ロストさん、お久しぶりです」
そんな堅苦しく、へりくだった態度をしているのはレティシアの父アベルだ。
僕は椅子に座り朝食を待っているが、アベルは質の良いコートを着込んで立っている。
そしてアベルは、僕に向かって会話の切れ目毎に小刻みに頭を下げる。
父の態度にレティシアは疑問を持っているようで、お皿を運びながら頭を傾げアベルに聞いていた。
「お父さんはどうしてそんな変な言い方をしているの?」
「レティシア、お父さんのあの変な喋り方はお仕事が関係しているからそっとしておいて上げて」
「わかった、お母さん何か手伝う事はある?」
キッチンから聞こえる母の声に、元気よく答えるレティシアを見つめる。
最近レティシアが友人の1人にパパ、ママ呼びしている事を突っ込まれ、両親の前ではやめた事を僕は知っている。
ここだけの話、アベルが夜遅くに僕の家に突如やってきて、レティシアの呼び方が変わったと泣きついてきた時は、ドワーフの師匠すら感嘆させる、上手なお酒の酔わせ方を匠に使い撃退したものだ。
そんな事を考えながらレティシアを見ていると、鋭い視線が返って来た。
彼女の目は僕が何を考えているかはわかっている、ただし口には出すなよと無言の圧力が込められていた。
「何よ?」
「わかった」
「年下なのに生意気」
その圧力に頷くと、レティシアは机に皿を置き、鼻を鳴らしてキッチンに向かっていった。
(あ〜〜 なんかムズムズする)
正直僕もお邪魔するだけでは悪いので何度か手伝いを申しでたのだが、その度に座っていればいいと言われてしまい、実は少しイジケている。
お皿だけでも並べようと、机に置かれている食器に手を伸ばそうとした時、アベルが僕の椅子の横に立ち大きく頭を下げた。
「ではロストさん、レティシアの事お願いします。ルイーダすまないがもう出るよ、家の事を頼む。後で来るリズさんにもよろしく伝えてくれ」
「わかりました、では」
「ああ」
そういってアベルは仕切りを超え、キッチンへと向かった。
ちなみにルイーダとはレティシアの母の名前、リズとは家政婦さんの名前だ。
そしてレティシアはアベルと入れ替わりに戻ってきたがその顔は赤い。
アベルとルイーダさんの2人が奥で何をしているかはわかるが、覗くのは野暮だろう。
「もう、いやになっちゃう」
そう言いつつレティシアはキッチンの方に顔を向け笑みを浮かべていた。
「羨ましいな」
僕も彼女に習いキッチを見ながらそう小さく呟く。
家族との絆。
もう手が届かなくなったその光景が只管に眩しかった。
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