第2話 崩れかけの仮面 2
ベンはロスト呼ばれた少年の後方に立ち、肩を掴むと誇らしげに押し出した。
確かに暴行を受けていた割に余裕ある雰囲気、読めない期待が募るが。
「でもこの子は10歳なんだろう」
「来月で11だよ」
「どっちにしてもダメだ」
彼の顔は依然笑顔だ。
だがどうしてだろう? 穏やかに緩められた目なのに、品定めをされている気がしてしまう。
それはそれとして、今の返答ではより頼めない。
子供っぽさが見え隠れする独特な雰囲気、測りきれない精神性故に罪悪感は多少ごまかせる。
それでも10歳の少年……やはり諦めるしかない。
その時少年は僕から目を外し、ボソリと言った。
「諦めていい依頼なんだ」
見透かされた言葉に、心臓が飛び跳ねる。
言い返そうとするが、喉が
それを打ち破ったのは彼の目だ。
翡翠色の綺麗な瞳に吸い寄せられると、先程は出なかった、胸に秘めていた感情が口から飛び出す。
「そんなはずないだろ。朝起きてからずっと緊張しっぱなしで、周りにいる連中の視線一つ一つが敵に見えるほど不安で、せめてお前みたいな子供じゃなくて大人ならどれだけ安心できたか」
「でも諦められる?」
口角を上げただけの少年の笑み、それは僕への挑発のようにも見えた。
だが不快ではない、その笑みの裏には、僕の思いに対する理解が隠れているのが直感的にわかった。
「諦めちゃいけないよ、でどうする」
ロストは変わらず、問うてきただけだ。
ただ、目の印象が変わる。
先程までの慈愛を感じさせる瞳ではない。
それは熱く燃えるような瞳、挫折を知りながらも折れたくないという強い意志を宿した瞳、彼はそれを携え無言で迫ってきた。
待つ時間もくれない。
答えを出せと、思いはもう吐き出しただろ、ならどうするのかと。
彼の瞳は既に準備が出来ていると、ただ僕を静かに待つ。
僕に出来たのは、ただ頷く事だけだ。
彼はそれを笑顔で受け取り、背中にある腰袋に手を伸ばす。
そして、袋から取り出した物を僕の右手に握らせる。
手のひらの上、そこには万年筆があった
万年筆の意味それはわからない、ただ、勝手な思い込みは出来る。
僕が考える万年筆与えられた意味、それはきっと、君の依頼を僕は断らないという宣言に思ってしまった。
「お願いします。僕の依頼を受けて下さい」
万年筆を持っている右手を強く握りしめ、お願いをする。
彼に抵抗許されぬまま答えを引きずり出されていた。
「うん、わかった」
彼は笑顔で了承し、前を向く。
そこには冷たいという言葉では生ぬるい、何もない、虚無のような瞳をしているステラがいた。
危険な依頼、倫理の否定。
彼女の僕を見る目に、思わず足が竦み怯んでしまったが、横から飛び出した少年の笑みに、今日初めての安堵を感じた。
「ではステラさん、受付をお願いします」
「……」
「お願いしますよ」
「わかりました」
「ほらお兄さん、ここに名前を」
そしてステラは、仕切りの隙間から一枚の紙が出してきた。
上部には依頼内容の項目が、こちらには先程僕が話した内容が書かれている。
ロストは紙の一番下の部分を指差した。
彼に促されるままに僕は、トール・エディスマンと一枚の紙に署名した。
*
震える手で弓を持つ。
ここは迷いの森にある廃村だ。
そこで僕、ロスト・シルヴァフォックスはゴブリンの集団と対峙する。
冬なのに、頬に汗が流れる。
弓の弦を右手で一度弾き、矢筒から矢を弓にセットした。
戦闘で最も嫌いな瞬間は、奇襲の合否を決める一撃目を放つこの時だ。
この瞬間だけはどうしてもなれない。
仲間と組んだ場合でも、もちろん1人でも。
腹から息を吐き出し弓幹を強く握りしめると、意識が戦闘に切り替わり、手の震えが収まる。
移動していない筈だが、前方にいるゴブリンへ近づいたような錯覚を覚える。
屋根の上で死角に隠れつつ、予備動作として弦を小さく引く。
目標のゴブリンは屋根の上で周囲を見渡している。
あのゴブリンを倒すだけなら、今すぐにでもこの矢を放つだろう。
しかし屋根の上に2匹、地面には10匹以上のゴブリンがいる。
策が必要だ。
作戦の前提として、屋根にいるゴブリン達を地上に落とさず、素早く処理をしなければならない。
距離としては130メートル前後、大切な追加事項として今回は連射をしなければ、いけないという点が上げられる。
目を瞑り耳を研ぎ澄ませる。
風を感覚で読む、この時大事なのはイメージだ。
知り尽くした迷いの森、そこをどう風が通るか? 風の向きを変えうる障害物は?
相手に合わせて弓を射ても確実性は望めない。
大切なのは自分のタイミングで撃つことだ。
狙うのではなくで待つ。
今、今日、明日だっていい。
あくまで自分のタイミングで射る、それが重要なのだ。
だからそれに備える。
体重が軽いゴブリンだが、老朽化が激しい屋根の上で歩けば足音がする。
それを頼りに、死角にいながらもゴブリンの現在位置を把握する。
「……」
そしてタイミングは来た。
頬に感じる風の動きと冷たさ、そこからイメージに近い風が山を降り、森を抜けこの廃村にやってくる。
死角から飛び出すと、弦を強く引き、風に合わせて矢を放つ。
当たり前に放たれた矢は、ゴブリンの眉間に吸い込まれるように突き刺さった。
矢が眉間に突き刺さったゴブリンは、背中から倒れ、壁に寄り掛り座るように腰を下ろす。
仕留めたゴブリンが屋根から落ちていないかを右目のみで確認し、左目は弓で狙いを定めている、もう一匹のゴブリンに向けている。
「ふぅ」
息を吐き出し、そのまま2射3射と淀みない手付きで矢を放つ。
その矢はぶれることを知らず、高所にいるもう一匹のゴブリンの眉間と胸に刺さる。
重要なことはゴブリンが屋根から落ちない事だ。
そもそも、命を刈り取るだけなら初撃の眉間への狙撃で終わっていた。
ゴブリンの胸へと追加で矢を放ったのは、ゴブリンの体を屋根に固定するため。
ゴブリンにこちらの位置を発見させないのが目的だ。
ゴブリンの体を屋根から落とさず仕留められれば、奇襲は成功と言える。
これで混乱が作れる。
「ぎゃぎゃぎゃ」
「ぎぎぎ」
姿は見られていない。
屋根の上にいた見張りのゴブリンを、声を出させず仕留めたはずだが、下にいるゴブリン達は大声を上げ、村の広場に集まり始めた。
迷いの森のゴブリンにはある特性がある。
それは思考の同調だ。
なので、1匹でも群れの中にいるゴブリンを殺せば、襲撃者の存在はバレてしまう。
だがそれは知っていた知識だ。
本来なら見張りが襲撃者の存在を上から探し、その情報を仲間内に伝えるのだが、その見張りはすでに仕留めている。
さらに意識していた、屋根の上からゴブリンを落とさないというのがここで響いてきた。
死体が屋根から落ちれば、大体の敵の攻撃位置を予測することが出来る。
与える情報を絞った結果、ゴブリン達は自分達を狙う襲撃者がいると言う事しか現状わかっていない。
だから、彼らは必死になって一箇所に集まる。
攻撃されたとしても、仲間1人の犠牲で敵の場所が分かれば儲けものだと。
その時僕は、弓を背中に背負い屋根から地面に降りていた。
剣を抜き、気づかれぬようゴブリン達が集まる場所に向け煙玉を投げる。
次の瞬間、ゴブリン達を包み込むように白煙が辺りを覆い、鈴の音が響き渡る。
僕の必殺の状況が整った。
*
ートール視点ー
「トールだっけか、ロストの奴は2日、3日は帰って来ねえぞ」
ギルドに併設されている食堂に足を向けると、ベンは真っ昼間でありながらも、ジョッキを片手に声を掛けてきた。
彼が使っている机には瓶が5つ並べられており、この人はいつから飲んでいるんだと呆れてしまう。
そんな僕だったが、ベンの言葉を受けて顔を見れず、指先をイジる。
「よくわかりましたね、その……」
「ぷっは、まぁ依頼主は少なからず不安に思っても仕方ねぇよ」
「はは、すいません」
首だけを軽く下げつつ、口角を上げ無理やり笑みを作った。
ベンはそんな僕を見ても機嫌を悪くせず、相変わらず美味しそうに、ジョッキを片手に酒を楽しんでいる。
「気にしてしまうのはしょうがないが、信頼してやってくれ。それにすまないな」
ベンは少し上を見ながら薄く微笑む。
「えっとなにがですか?」
僕は頭を傾げベンを見るが、彼は変わらず上を見ていた。
ただ、酒をこまめに口に入れながら、目だけが申し訳無さそうに歪む。
「お前さんが不安になっている理由の1つは、俺とステラ……受付嬢のやり取りをみていたからだろう」
「……その面もありますね」
間違いではないが真正面から言われては否定しにくい。
確かに彼らのいざこざが、不安にさせた要因の1つだ。
それでも、彼に依頼すると決めたのだ。
不安がり信用しない事を責められるべきはベンではない、僕トールなのだ。
「でもな、期待してやってくれ。自信が持てないだけなんだ。アイツは凄いんだ、凄い奴なんだ。今も昔も」
ベンは感情が籠もりコップの取手を砕いてしまう。
そして支えを失ったコッブは彼のズボンの上に転がり、酒で汚れる。
だが、それも知ったことかと、先程とは違う強い眼差しで上を見ていた。
そんな時僕は運命を感じていた。
依頼が完了した所で、僕の本当の思いが報われるかはわからない。
この依頼すら、本人からすれば余計なおせっかいなんじゃないかと、何処かで思っている。
そういう意味では、大切な人と心が通じていないベンとは、似た者同士だと勝手に共通点を見つけていた。
ベンの対面にある椅子に座り、机に置いてある瓶に入ったお酒を1つ手に取る。
そして瓶の先に口を付け、ラッパ飲みで胃に流し込こんだ。
ベンが目を開きようやくこちらを見る。
その時何故か気分がよかったが、ベンが「まじかよ、原液直接いきやがった」と訳の分からぬ言葉の羅列を言っていたが、体が熱くなっている今そんな事は気にしない。
瓶を強く机に叩きつけ。
「ベンさんはロストに自信を着けさせるために、僕の依頼を受けさせようとしたんですね!!」
「そ、そうなるな」
僕を心配そうにベンは見ているが、今はどうでもいい。
この依頼には、色々な人の他者への思いが入っている。
僕自身この依頼は、駄目で元々位に思っていた。
ベンの、ロストに自信を着けさせてやりたいという思い。
僕の無茶振りで、誰かが自信を着けられるのならそれで十分だ。
例え依頼が失敗しても少しは諦めがつく。
だから僕、トールの一番の願いは。
瓶を手元に寄せ、中身の液体の動きを眺める。
「僕がこういうのはなんですけど、無事に帰ってきてくれるのが一番ですね」
「……何か勘違いしてないか?」
「何をですか?」
頭を傾げる。
ベンは僕の依頼を捨て石に、ロストに経験を積ませようとした。
それが先程の謝罪、その本当の意図だと考えたのだが。
ベンは決して聞き逃させないよう、目を据わらせ僕を見つめる。
その突き刺すような威圧感に、冷や汗を背中でかき始める。
「トール、お前さんの依頼の適任者はロストだ、これは間違いない」
ベンは一切迷わず、そう言い切る。
プロとしての確実性を表すために、そう言い切ったのだ。
(ああそうか、結局逃げていたのは僕か)
願いに手が届きそうだから、足踏みをしただけ。
本当の意味で諦めていたのは僕か。
「俺はシリウス支部の冒険者として、このギルド内で、例え迷いの森における許可書の有無を除いてもロストを選ぶ。だから依頼人、安心してくれ。お前さんの依頼は必ず達成される……悪いな頭冷やしてくる」
ベンは椅子から立ち上がると外に向かって歩き出す。
ベンは申し訳なく思っているようだが、彼の出す言葉の重みに正しい意味でロストへの期待感を覚えた、もしかしてと。
「あれれ?}
立ち上がろうとした訳ではない。
突如体が言うことを聞かなくなり、椅子から落ちその場に倒れ込む。
「おい、お前」
痛い筈なのに何も感じない。
体は熱く、目からは不思議な光景が映り込んだ。
そう、駆け寄ってきたベンが2人いるのだ。
だがそこも深くは考えられない。
目を瞑り、意識が遠のく際にとある言葉が聞こえた。
「酔いつぶれてら」
という声が。
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