世界は僕に怪物であることを望んだ。

天野マア

第1話 崩れかけの仮面 1

喧騒の中、僕ロスト・シルヴァフォックスは、冒険者ギルドの入口そのロビーに寝転がり、周りを冷静に眺めていた。

 

 正直碌でもない人間が多いと相変わらず思う。

 例えば眼の前の男性だ。

 

 建物に入ってすぐのロビーで突如肩を捕まれ、誰の仕業だと振り返ると目の前に拳あった。 

 そのまま殴り飛ばされ床に叩きつけられると、眼鏡を掛けた男性は馬乗りになり顔を殴り始めた。

 不意の奇襲、警戒はできたが、まさかここまで堂々と殴り始めるとは予想もつかなかった。


 男性は顔を殴る事に飽きたのか、次に胸を拳の底(拳輪)で叩き始める。

 彼の顔は目が血走り呼吸が荒い、そして何かに取り憑かれたような笑みを浮かべていた。


 だが彼の事はまだ好きだ、特に自分で手を汚している所を僕は愛せる。


 だが、お前らはだめだ。


 仰向けでいるので、首を動かさずとも目に入る。

 2階部分で、ワイングラス片手に笑みを浮かべている複数の男女。 

 思わず拳を握りしめるが、それもすぐに力を抜く。


 そして彼らから目線を動かし、殴られながらも表情を一切変えず眼鏡の男性を観察していた。


「?」


 殴られつつも表情を変えない僕を見て、眼鏡の男性は拳の振る速度が遅れる。


「やめてくれ、何だよお前は。どうしてこんな事をするんだ!!」


 この無抵抗はわざとか? そんな男性の疑念を感じ取り、目や口を大きく広げ恐怖に押しつぶされそうな顔を作り出す。

 

 男性は納得したのか笑みを深め、再び拳に力を入れ顔面を殴り出した。


(そう、それでいい)


 顎を殴られ揺れる脳と視界。

 だが、依然意識だけは、冷静にこの場を俯瞰していた。


 知り合いは何人か気付いているだろうか? 

 体を弛緩させ、男の拳を受け入れている事に。

 

 近くにいる、知り合いの冒険者であるベンさんは、顔を手で覆いつつ拳を固く握っている。

 そして、僕の担当受付のステラさんは、僕が殴られ始めた事にいち早くに気付き、他の職員に相談、急ぎ止めようと、練武場にいる元冒険者だった職員を呼びに走っていった。

 

 まぁ、ステラさんに関しては、嫌われていると思っていたので以外な反応だが。 


 ……本当のクズは僕だ。


 そう、これは僕が望んでいた事。

 唯一の誤算は、人の目がある所でこのような強行をさせてしまう程相手の理性を奪っていた事だが、それはそれで別に構わない。


 この身を襲う恐怖から逃れるには、痛みで現実を忘れるしか手段は残されてなかった。

 でないと体が震え、一歩も動けなくなってしまう。

 

 すでに何度か自宅で首を吊りかけ、その度に持っていたナイフで縄を切り裂き生き延びる。

 そんな覚悟なき者には、これくらいの荒行事でなければ効果はない。


 だからこの眼鏡の男性には期待している。

 拳を振るえば音を出し、狙った表情を見せる。

 そんな優れた玩具を、これからも変わらず可愛がって貰えるように、僕も全力で演技をする。


 眼鏡の男性が拳を振い、生まれた一瞬の死角で笑みを浮かべる。


 ただ、この方法の唯一の欠点は、終わった後死にたくなる程惨めな気分になることだけだ。

 

 

 目を覚ますと、僕トール・エルスマンは流行る気持ちで布団から飛び出し、机の上に置いてある貯金箱をハンマーで壊す。

 そして取り出したお金を急ぎ財布の中に突っ込むと、音を立てないように玄関に向かった。


「トール、アンタ今日は休みなのに早起きね。いつもは昼過ぎまで寝ているのに」


 靴を履こうとした時背中から声を掛けられた。

 だが後ろを振り向かない。

 今の強張った顔を見られれば、何をしようとしているか母さんに感づかれてしまうから。


「悪い母さん、朝ご飯はいらない」

「そう気をつけなさいね」


 そういうと母は玄関を去り台所に戻っただろうか?

 後ろは振り返ってはいない、ただ、遠ざかる足音は聞こえた。


「よし、行くか」


 靴を吐き右足の先で軽く地面を突く、そして僕は玄関を開き外に出た。


 家を出ると勿論人がいる。

 朝の時間帯、出勤時の人々とすれ違う。

 

 道いく人と少し目が交わる毎に、相手の姿が見えなくなるまで睨みつける。

 目を細めこちらを不信がる人、怯えすぐに視線を逸らす人、今思えば喧嘩を売っている行為だ、買ってくる人間がいる、そんな状況を考慮しなければいけなかった。


 そうなれば、裏路地に連れて行かれ、拳を使った交渉が始まるかもしれない。

 生憎僕は体を鍛えた事もなければ、友人に一度たりとも喧嘩で勝てた試しはない。

 腕を曲げても、力瘤1つ出来ないほどの貧弱さだ。

 そんな僕が喧嘩をしてしまえば、財布の中身を全て奪われ、願いは断たれていただろう。

 

 だが、それら全ても杞憂だった。

 大きく息を吐き出し眼の前を見る。

 そこには目的地である、冒険者ギルドシリウス支部が合った。

 

 冒険者ギルドシリウス支部は、城塞都市シリウスにおいて2番目に大きい敷地面積を持つ場所だ。


 赤い屋根のギルドを数秒見上げ、左手を胸に当てる。

 財布を持った右手を握りしめ、大きく深呼吸をしてから扉に近づく。

 そして取手を掴み扉を押す。

 だが、扉を押してみたが少し後ろに動くだけで、それ以上は開かない。


「おかしいな。時間を間違ったか?」


 逸る気持ちを抑えられずに周囲を見渡すと、背後に公園があった。

 ギルドは通りに面しており、その対面には公園がある。

 そこなら時計があるかもしれないと走り出す。

 何事か? と前方の人間が僕を見るが、そんな彼らを振り払い公園にある時計を見た。


 時刻は朝の9時、ギルドの受付カウンターは空いている時間帯だ。

 よって扉が施錠されている可能性は低い。


 地面を見ながら重い足取りでギルドの扉に辿り着くと、再び扉を押した。

 僅かに動いた感触を腕に覚えるが、所詮それだけ。


「クソ、なんで明かないんだよ」


 扉の生んだ反発力に押され、滑るように足が下がりそのまま地面に鼻をぶつける。

 

 目の前にある扉が「お前の依頼を受けてくれるものなんていない」そう馬鹿にされているように感じ、飛び上がるように体を起こす。

 そして目を瞑りながら歯を食いしばり、意地になって扉を押した。


 そんな事をしていると誰かに肩を叩かれる。


「お前さん何をやっている? 芸ならお金を落とそうか」

「そういうわけじゃないんだが」


 振り返えると年配の男性がそこにいた。

 誰かに声を掛けられた事で少し落ち着き、今まで自分がやっていた行動が急に恥ずかしい事に思え、頭を抱え込む。

 

 僕の返答は、言葉を発する毎に徐々に小さくなり、最後の方は男性も聞き取れたかは怪しい。

 だが、眼の前の男性は僕の肩を叩きながらも、明るい声を掛け続けてくれた。

 おかげで僕も再び顔を上げることが出来き、男性は安心したように優しく微笑えんだ。

 そして男性は腕を組み、首を傾げて不思議そうな顔をした。 


「ははは、わかってるから安心しろ。だがどうして入らないんだ?」

「なんでってそりゃあ、扉が開かないんだ」


 僕はその疑問に答えるため、先程と同じように扉の取手を掴み押すがやはり開きはしない。

 そして男性に向き直り、両手を広げお手上げだと表す。

 

 僕の様子を見て男性は目を大きく開く、そして数度瞬きをし、腹を両手で抱えて笑い出した。


「なんで笑うんだよ」


 目を細め無愛想な顔で男性を睨みつけたが、彼は変わらぬ態度で僕の肩を叩いた。


「そりゃそうだろうこのドアは引くんだ」


 男性は扉の取手を掴み引くと、今まで固く閉ざされていた扉はあっさりと開いた。

 その光景を見て、僕はさらに顔が赤くなるのを自覚する。

 心拍数が上がり、目線を外す余裕も、間抜けな顔を隠す工夫もできないほどあっけに取られていた。


「ま、よくあることだお客人。こいよ案内してやる」

 

 肩を軽く叩き、男性はこちらに手招きをする。

 思考が定まらない僕は、男性の声に連れられ、ギルドの中に足を踏み入れたのだが。


「で、ここがロビーだが……すまない忘れてくれ」


 ギルドに入ったのはいいが、扉を開けた直後、僕と男性は衝撃的な光景を見て思わず足を止める。

 

 僕を先導した男性は、顔を手で隠し現実逃避をしていた。

 だが、手の隙間から見える男性の顔は穏やかなものではない。

 目元は寄り、手の隙間からその騒ぎの中心にいる人物に哀れみと強い怒りを抱えていた。

 

 僕はというとは単純で、左右の拳を強く握りしめ思わず足踏みをする。


「なんだよ、あれ」


 雑音の中心で行われていたのは文字通り公開処刑。

 

 メガネを掛けた成人済みの男性が、まだ十歳を超えているか怪しい男の子を、馬乗りで殴っていた。

 中心にいる成人済みの男は「ゴブリンしか倒せない無能が、堂々と玄関を歩いているんじゃない」と言っている。

 

 そしてそれ以上の問題は、無抵抗の子供をあざ笑う者がいることだ。

 

 吹き抜け故に、2階から1階が見える構造。

 その2階から、ワイン片手に殴られている子供を見て、笑顔を浮かべる男女が10組近くいる。

 子供を助けようとしているのは、皆同一の制服を来ている者達、恐らくギルドの職員だろう。


「すまないな、いつもはこんなんじゃないんだが」

「いつもで済むか、こんなこと」

 

 隣にいた男性は申し訳無さそうに表情を縮ませているが、僕は家に帰るためにギルドの出口に向かった。

 

 冒険者への失望感を胸に、大げさなほど大きく腕と足を振り歩く。

 そうでもしないと、怒りが収まりきらない。


 委ねてはいけない。

 その道徳観が今体を強く動かしていた。

 そして、ギルドの外に出ようとした時、何者かに左腕を掴まれる。


「まぁ、話だけでも聞くさ。そもそも冒険者にしか出来ないことだから来たんだろ」


 腕を掴んだのは先程の男性だ。

 彼には恩がある、ただ冒険者はもう信じられない。

 当たり前の倫理間を持たない人間に、何を頼めるだろうか? 

 左腕を振り払おうとしたその時、僕は手を止めた。

 

 別に彼を信用したわけでも、冒険者を信頼したわけでもない。

 だが、ここでしかお願いできないと思っていたからギルドに来た、それは紛れもない事実だ。

 

 手を止めた理由は未練、それも大きな理由だ。

 だが、それ以上に僕を掴んだ男性の左腕、それを見た途端体が動かなくなってしまった。


「はい……お願いします」


 僕を掴んでいる男性の腕は、歴戦の戦士の腕だった。

 傷跡が消えずに残り、色が違う皮膚とその境目に否応なしに目を引かれる。

 そしてその腕の主は、目の前の男性ときた。

 どうしても自分を掴む腕と、その主である軽薄な言葉を使っていた男性の姿が重ならない。

 僕の中ではあまりに大きな衝撃に、流されるまま従ってしまった。


 そして彼に連れられギルドに戻る。

 手はすでに離されており、男性の後ろを歩く際も、今だ彼の手に意識を捕らえられている。


「その……知り合いなんですか彼と?」

「ああ、俺の憧れだ」

 

 そして男性の言葉を信じた理由の1つ。

 目の前の男性は、あの子供が殴られているのを見て怒っていたからだ。

 だから気になったのだ。

 何故彼が殴られているのに、歯を食いしばり、あの場で耐えていたのかを。


 僕がいたからという理由もあるだろう。

 だが、あの時の彼の表情は、怒りとは別に、憐れみも混じっていた。

 何か事情がある、そう考えざる終えない。



「で、ステラちゃん頼むぜ」


 そして連れてこられたのはギルドの受付だ。

 ギルドの受付は、机の中心を境に透明な壁に仕切られており、受付嬢とは直接接触できないようになっていた。

 

 それも当然だ、ギルドの受付は皆美人で、危険を防ぐための処置と考えれば納得できる。

 そして目の前のステラと男性に呼ばれた受付嬢もまた、例にもれない綺麗な亜麻色の髪を長く伸ばした美少女だった。

 

「はじめましてステラと言います」

 

 受付嬢のステラは頭を大きく下げる。

 そしてステラが顔を上げた時、その顔が一段と強調された気がした。

 

 丁寧な顔の作りに、人懐っこさを同居させた優しい笑顔、自然と心が踊る。

 周りにいる受付さんと比べても、明らかに頭3つ以上抜けている美少女だ、僕が照れても文句は言われないだろう。

 高揚する心を冷ますため、急いで男性へと顔を向ける。


「えっと、なんでしたっけ?」

 

 男性に話し掛けるため、名前を呼ぼうとした時に今更ながら気づく。

 僕はこの男性の名前さえ知らない。

 新たな気まずさが現れ、僕がとった行動はおどけることだった。

 

 男性と自分を交互に指さすだけで言葉は発しない。

 当然男性は頭を傾げるだけだ。

 本人でも何をしているかわからないパニック状態、男性が何かを理解できるとは思えない。

 

 そんな時に助け舟を出したのは、受付嬢のステラだった。


「ベンさん、こちらの方の名前を知っていますか?」

「あんちゃんだろ」


 彼女はベンと呼ばれた男性の言葉を聞くと、一息という僅かな間僕らに背を向けた。

 肩が少し下がり、かすかに息を吐いた音がその場に流れる。

 そしてステラは向き直り、僕に深々と頭を下げてきた。


「すいません、こちらの冒険者はベンと言うものです。依頼主様のお名前を聞いてもよろしいですか?」

「僕はトールと言うものです」

「あ、そうか自己紹介もしてなかったからな」

 

 彼女の仲立ちもあり、なんとか話しが進められる状況になる。


「すまね、すまね」

「いえ、こちらこそ」

 

 頭を何度も小さく下げる彼と、互いに謝罪をし終わると、僕はついに依頼内容を伝えた。


「迷いの森への依頼なんですが」


 下を向きつつ、申し訳なさげにステラに告げる。

 

 そもそもこの依頼は何度も断り続けられている。

 祖父の時も父の時も、なのでこの依頼が難しいことは理解していた。


 そして予想通りの重苦しい場の空気、だが僕が予想していた展開と違う。

 

 受付のステラが、僕に申し訳無さそうに頭を下げ断られる、それくらいを予想していた。

 だが眼の前ではベンが笑顔でステラを見つめ、対象的にステラはベンに、敵意を持った視線で睨みつける。


 その両者を交互に見比べハラハラしながら状況を見守る。


「だから私なんですね」

「それは勘繰りすぎだ、言ったろ自己紹介もしてないって。偶然、いや神のご意思だ」


 二人にしかわからない会話。

 ベンとステラ、互いの思惑が交差する中で、依頼主の僕が蚊帳の外にいる事に危機感を覚える。

 なので、強引にでも2人の間に割って入り、依頼の話しを進めようとする。


「で、依頼の件なんですが」


 机を叩き希望を込めた目でステラに話しかけた。

 ステラは椅子から立ち上がると、腰までしっかりと曲げ綺麗に頭を下げた。

 同時にそれが返答を弾く拒否であることも理解させられる。


 笑みがその場で固まり「はは、ですよね」そう小さく呟く。

 ステラも頭を上げると椅子に座り。


「申し訳ございません。迷いの森における冒険者の活動は、領主様によって禁止されています。ですので依頼を受けることはできません」

「そう……ですか」


 理由もしっかりとしたものだ。

 譲れない気持ちもあるが、冒険者に無理を言ってどうにかできる話ではない。

 

(諦めるしかないか……ギルドへの依頼もダメ元みたいなものだったし)


 そう自分を誤魔化しつつ、重い足取りで出口に向かう。

 もしかしたら声を掛けてくれるかも知れない、そんなありもしない期待を込めながら。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 手に持った財布が、指から溢れ落ちそうになったその時。


「おい待て」

「おかえり下さい」


 ベンが僕に静止の声を掛ける。

 その一方でステラは変わらず拒絶の声を吐き出すが、先程の冷静さとは違う、焦った印象のある音程の乱れた声だ。

 

 ステラの態度、その異常性を考えるに、まるで何かを守ろうとしているような。


「わかってるだろう。ステラの下にコイツを連れてきた理由はアイツに依頼を受けさせる為だ。このシリウスで唯一、迷いの森での依頼を受けることが許されている冒険者に」


 ベンが鋭い目付きでステラに向き合うが、彼女はそれを無表情で受け止める。


 だが、ようやくわかった。

 ステラは先程からベンに敵意を向けていた、その理由は話に出てきている冒険者に関係しているのだろう。

 そしてその人物はステラに取って特別な意味を持つ冒険者のようだが、依頼を受けて貰える可能性があるのなら、こちらも遠慮はできない。


「その冒険者なら、迷いの森で依頼を受けることができるんですか?」

「いえ、無理です」

「嘘をつくな、ロストなら許可が降りるはずだ」


 僕が再びステラの前に戻ると隣の席にベンが座る。


 規則であるなら、まだ納得ができたかもしれない。

 でも、目の前で何の権限もない人間に握りつぶされる、それでは諦められない。

 

 彼女が駄目ならその冒険者に直接会うしかない。


「どうしても叶えて欲しい依頼なんです、お願いしますその冒険者に取り次いで下さい」

「おい受付嬢お客様にここまで言わせているんだ考えなおせよ」


 机を叩きながら頭を深く下げる。

 だがステラは何も返さない。

 

 ベンが此処まで言っている以上、ステラの独断専行で物事を動かしているのは明らかだ。

 こうなれば他の人に仲介を頼むしか無い。


(最有力候補は)


 思わず横に座るベンに目を向ける。

 その時、今まで無表情を崩さなかったステラの雰囲気が鋭い物に変化した。


「黙って下さい」

「へ」

「黙れ」


 受付嬢という仮面を脱ぎ去った本物の彼女が現れた。

 怒気を纏い、目の奥の冷徹さが現れる。

 美しさと迫力を併せ持つ姿は、一般人とは存在の格が違った。

 

 前のめりだった姿勢も、背中が椅子の背もたれに、完全に張り付いている。


 そしてステラは机を右手で叩き。


「そもそも迷いの森が危険なことくらい依頼をするなら知ってるはずですよね。だから、領主が森を管理するために雇っている森番も、外部からの願いを一切聞かない」


 迷いの森。

 城塞都市シリウスの南部に存在する森で、ここアトラディア王国に存在する、立ち入り許可が必要な危険地域の一つだ。


 そして今まで僕を見ていたステラの目がベンに向く。


「ベンさんもいい加減にして下さい、冒険者がいるってあの子はまだ10歳ですよ」


 その言葉を聞き思わずベンに目を向けた。

 

 ステラが怒る理由もわかった。

 確かにそんな危険地帯へ、10歳の冒険者を向かわせるわけにはいかない。  

 せめてあと10年は待たなくては、そんな危険地帯の依頼の話さえ出してはいけない。

 己の願い故の独善的な判断能力の甘さ、倫理的にもステラがただしい。


(だけど……)


 10年では遅いのだ。

 両肘を机に立て、両手を組み、祈るように額に付ける。


 諦めかけていた僕は、最後の頼みであるベンを横目で見つめる。

 そんな彼は左の肘置きに体重を乗せ、リラックスしていた。


「俺はそうとは思わない。アイツなら出来る、俺はそう信じているからだ」

「もしそれで帰ってこなかったら?」

「俺はアイツの能力を信じている。だから大丈夫だ」

「責任取れるんですか? 取れないでしょう、他人の命なんだから」

「今は命より大切な事がある。アイツに自分は人の為に生きられる、少しは価値のある人間だと思わせないと大変なことになるぞ」


 そして、机を挟んで二人は目を突き合わせた。

 一触即発、互いに机を叩くほどにヒートアップし、周りの受付や冒険者達も、こちらの騒ぎに目を向け始めたその時だった。


「何しているの?」


 僕の横に音もなく少年が現れた。


 彼の姿を見た瞬間2人は争いをやめる。

 ベンは変わらないがステラは先程までとは表情が違う、より冷たく、感情を見せない無愛想なものへと表情と雰囲気を変えた。


 だが僕が感じたのは。


(この少年何処かで見たことがある?)


 そんな既視感だった。


 茶髪に翡翠色の瞳、目線で少年の顔から足先へと全身くまなく観察する。

 それが2巡目に入り、顔にある痣で少年が何者か理解した。

 この少年は先程1回り以上体付き違う、メガネを掛けた男性に暴行を受けていた人物だった。


「君はもしかして」

「あ、さっきの見てました? 正解の記念に飴でも舐めます?」


 黒い手袋を付けたまま、袋とじされた飴を器用に開け手渡される。

 その飴玉を両手で受け取り、そのまま口に入れたのだが。


「げほげほ、あっま」


 口に入れた途端、あまりの甘さに水分が足りずせてしまった。

 思わず飴玉を口から吐き出す、だが、それと同時に自らの行動に顔が青ざめた。


 ギルドの受付嬢とベテラン冒険者が大事にしている若者、そんな人物から貰った飴玉をその場で吐き捨てたのだ。


「ご、ごめんな」

「いえいえ、僕も配慮が足らなかったので」


 少年は首を大きく横に振ると、床に落ちた飴玉をハンカチで包みポケットに入れる。

 そして僕に向かって大きく頭を下げた。


 流石にこれを見れば罪悪感を抱いてしまう。

 椅子から立ち上がり少年に頭を下げていると。


「トール、お前の依頼を受けてくれるのがコイツ、ロスト・シルヴァフォックスだ」

「はぁ……はっぁぁぁ」


 いつの間に立ち上がっていたベンが、ロストと呼ばれた冒険者の肩を叩く。


 だが先程殴られていた様子を僕は見ている。

 正直、ギルドの中ですら己の身を守れない者に、危険地帯で依頼をする許可が与えられているのか? と、強い疑念を抱いた。


 隠しているつもりだが、疑う感情が行動を縛り強制してくる。

 僕は座りながらもロストと呼ばれた少年に対して、目を細め疑いの眼差しを向けてしまう。


 だが、彼はふてぶてしく口角を上る。

 それはまるで、僕の抱いた疑念を吹き飛ばすようだった。

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