第12話 残りカスとあんぱん

「捨てる……?」

「ええそうよ。新しいモノが入ってくるのなら、古いモノはもういらないでしょう?」


 美乃里みのりの理想に感銘を受けていたくるみは、その答えに困惑した。美乃里みのりは馬車の窓からカラスを睨み続けている。


「あれほどこの國に牛耳っていたお侍様すらいなくなったじゃない。時代にそぐわない者は潔く消えるべきだわ」

「で、でも、文化や信仰まで、捨てたほうがいいんですか?」


 頭によぎるのはやっぱり、裏山に取り残されたあくたのことで。そうでなくても、風習や文化や信仰を全部捨てるというのはいくらなんでも極端すぎないか。

 あら、と美乃里みのりは鼻で笑った。


「現に、この國は捨てたじゃない。ずっとこの國に根付いてきた仏像の首を落として、お寺を焼き払ったじゃない。この國のそういう、変わり身の早さは目を見張るわ。そのくせ古いところはいつまでも古いの。新しいものを取り入れようとする人たちを〝西洋かぶれ〟だとか〝恥知らず〟だとか揶揄したりする。私、そういう矛盾が大嫌いなの」


 美乃里みのりは冷たく微笑む。潔癖を形にしたような美しい笑みで、自分自身の艶やかな長い黒髪を撫でた。


「ざんぎり頭やお洋服は文明開化の象徴。あれほど持て囃されているのに、女性の断髪やお洋服は未だに遅れてる。出家みたいだとか慎みがないとか凝り固まった古い価値観で否定され続けている。古臭いモノが、みっともなく纏わりついてくるようで、たまらなく嫌なの」


 美乃里はくるみに向き直り、柔らかく目を細めた。


「文化や信仰って厄介でね。生活に染みついているものだから、いくら異国の制度や技術が入ってこようと人々の意識が変わらなきゃ受け入れられないものなのよ。くるみ──豊穣邸うちの裏山にあやかしが出るって噂、知っているわよね?」


 ぎくり、とくるみは肩を強張らせた。なんといっていいか分からず、曖昧に頷く。


「お祖父様があの土地一体を買い取ったときなんてね、祟りが起きるって言われたんですって。神様の住まう地を拓くなんてありえないって大騒ぎだったみたい」

「祟りですか……?」

「ええ、なんでも死者や亡者の祟りだとか? 供物を捧げることが条件で、やっと購入できたくらい。まあ、土地の売り買いなんて開国してようやくできるようになったものだから仕方ないけれど、神様とか祟りとか馬鹿らしいと思わない?」


 結局、祟りなんか起きていないけれど、と美乃里は肩をすくめた。


「神様なんてくだらないわ──いえ、神様ですらない、あやかしが留まり続けているなんて噂、鳥肌が立つの。まるで前時代の残りカスね」

「残りカスって……でも、おばあちゃんは神仏やあやかしは大事にしなさいって言ってました……」


 美乃里は哀れげな顔をした。気を悪くしないで、と労りを見せ。


「くるみのおばあさまの時代なら仕方ないわ。この國は閉じこもりっきりで、昔は科学が発達していなかったのだもの。分からないことが多いから、神仏に願うしかない。繁栄や豊穣を願った神頼み、危惧や恐れから作り出されたあやかし。でも、今の時代。これからの時代。神様も仏様も──あやかしも、いずれ必要なくなる」


 美乃里は最後に、もう一度カラスを睨みつけた。


「自分の夢は自分自身で叶えるものよ。神様なんていらないわ」


***


 馬車は豊穣邸ほうじょうていまでたどり着いた。「今日は楽しかったわ。また一緒にお買い物に行きましょうね」とくるみに微笑みかけ、美乃里は湯殿に向かった。くるみは屋敷の中には入らず、ぼんやり立ち尽くしていたが、気がつけば、裏山へ続く裏庭に向かっていた。もやもやとしたものが消えなくて、巾着を握りしめる。


 夕日が落ちきり、夜のとばりが落ちる。夜風が頬を撫で、樹木がざわめく。

 けれども、明るい街灯は昼間のように街を照らし続けている。闇に潜むモノを照らし、人ならざるモノの住処を奪う。あらゆるものが、あらわになる時代。確かに、神様やあやかしが住みにくい時代になったのだろう。

 くるみは裏山を見上げた。あいかわらず、そこだけがぽっかりと文明開化から取り残されたような佇まい。


「あれ、くるみちゃん? おかえり~なにしてんの?」


 勝手口から、下女仲間のタマが顔を覗かせた。


「……ただいまですタマさん。今日のごみ捨て、どうしたかなって……気になって」

「ああ~ごめん、手桶に入れて庭に出しといちゃった。皆、裏山には行きたがらなくて。あたしも今日は手一杯でさあ」


 ほらそこ、とタマは裏庭の壁沿いに置かれた手桶を見せる。特に変わった様子は見受けられない。 


「ありがとうございます。急に行けなくなったときは、こうして置いておいてもらえると──のわ!!」

「んあ~? どした~?」


 タマが振り向くと、くるみの姿はなかった。黒い羽根がはらはら舞う。「あれ? くるみちゃ~ん? かわやかな?」とタマは首を傾げながら勝手口の戸を閉めた。口元を封じられ、くるみは裏山の入り口に引きずりこまれていた。身動きが取れない。真っ黒な影の塊に抱きすくめられている。心臓が止まりかけたが、舞い散る黒い羽根を見て、かろうじてくるみは顔を上げた。


「……くるみ、今日、どうして、来なかったの?」


 闇夜の中。ぽっかり浮かぶ琥珀色こはくいろの目玉がふたつ、くるみを見下ろしていた。聞きなれた声。それなのに、何故か背筋に悪寒が走る。夜の闇に滲んで輪郭がよく見えない。


「あ、あくた? ……だよね?」


 おそるおそる問いかける。返事はなかった。その代わり、鋭い鉤爪かぎづめがくるみの肩に食い込んだ。


「また明日って言ったのに。どうして来ないの?」

「あ、ご、ごめん、急用ができちゃって、」


 くるみは慌てて弁解したが、あくたは聞いていないようだった。指の力が増して、いだだ、とくるみは眉を顰めた。


「どうして、約束を破るの」

「や、破ったわけじゃないよ! 私も急なことで……芥? 怒ってるの?」

「どうして、約束を破るの。どうしてどうしてどうして」


 いつもの無邪気な声色が、今はひどく冷たい。


「僕はちゃんと約束を守ってるのに。供物をくれるなら〝悪さをしない〟って約束、ずっと守ってるのに」

「あ、あくた?」


 芥の肩越しに、たくさんのカラスがこちらを見ていた。騒ぐわけでもなく、威嚇するわけでもなく、ただくるみを凝視していた。その視線すべてから、責められているような気がした。まるで、たくさんの亡霊に囲まれているような、悲しくも恨みがましい眼。


「芥、いたい、くるしいよ」

「こんなに欲しいのに、こんなに会いたいのに、こんなに我慢してるのに」


 くるみを羽交い絞めにしたまま、芥は絞り出すような声を出した。


「──こんなに、寂しいのに。くるみは僕との約束なんて、どうでもいいんだ」

「芥……」

「ああでもそうだ。人間は約束を破るんだ。簡単に破るんだ。日神様にちじんさまのこと、あんなに大事にしてたのに、あんなに慕っていたのに」


 ぽっかり浮かんだ二つの目玉が滲んで歪んだ。


「ある日突然、いらないって言うんだ」


 琥珀色こはくいろの瞳が、憎悪と孤独にまみれる。恐ろしかったが、なぜか同じくらい胸が締め付けられた。芥の背に手を伸ばしかけたとき、突然、どん、と木の幹に押し付けられた。衝撃で手から巾着が滑り落ちた。

 

「じゃあ、僕も大事にする必要なんてないじゃないか」


 妖しい眼が獲物を狙うように光る。くるみは息をのんだ。広がる黒い翼が天蓋てんがいのように視界を覆う。近づいた芥の唇がくるみの瞼の上に落ちる。優しく、柔らかく、丹念になぞり。


「──やはり、目玉をくり抜こう。どこにも行けないように」


 恐ろしい言葉を吐いた。くるみは驚いて、身をよじったが、びくともしない。


「ちょ、ちょっと芥、離してってば!」

「嫌だよ。日神様にちじんさまのときと同じ失敗はしないから。もう離さない。このまま山に連れて帰る」

「ま、待って、話を聞いてよ。お願い!」

「言い訳なんて聞かないよ。どうせ、くるみだって、飽きちゃうんだ。供物を届けるの、嫌になっちゃうに決まってる。そんなの許さない」

「そ、それは一旦置いといて──あんぱん踏んでるんだってば!!!」


「──……は?」


 予想外のくるみの発言に、芥は間抜けな声を出す。その隙に芥の腕から抜け出したくるみは、慌てて地面に落ちた巾着を拾う。この巾着だって借り物だ。青ざめながら「足上げて! 足!」と怒鳴りつけ踏まれた巾着からあんぱんを取り出したが──


「ぺちゃんこだあああ!!!」

「……え?」


 芥に思いっきり踏んづけられたあんぱんは、情けなく平たくなっていた。


「ふわふわだったのにぃ……芥が喜ぶと思って買ってきたのにぃ……踏んづけるなんてひどいよおおお」

「え、え?」


 本気でしょぼくれるくるみを見て、芥は若干気まずくなった。


「……あの、くるみ、僕の話、聞いてた?」

「聞いてた! 聞いてたけれども! だからこそのお詫びのあんぱんだった!」


 謝って、とじろりとくるみが睨む。

 しょんぼりと、芥は眉を下げた。


「え、えっと……ご、ごめんなさい?」


 にこっとくるみは笑顔を見せた。


「うん、私も裏山へ行く約束すっぽかしてごめんね。よし、これで恨みっこなーし!!」


 解決したとばかりに、会話を打ち切るくるみに、芥は唖然とした。わなわなと身体を震わす。


「そっ……そんな勝手に話を終わらせないで! 僕、今日一日中待ってたんだから! お屋敷にもいないし、くるみがどっか行っちゃったと思ってすごく怖かったんだから!」

「そうはいっても、私もお土産のあんぱん、ぺちゃんこにされたのは悲しかったし……」

「そ、それとこれとは違うよ! 一緒にしないでよ!」

「一緒だよ。芥にとったらどうでもいいことでも、私は芥が喜んでくれると思って楽しみにしてたんだから」


 芥は言葉に詰まった。くるみは肩を落として、ぺちゃんこのあんぱんを差し出した。


「だから、私も芥の悲しかった気持ち、〝どうでもいい〟なんて言わないよ。今日、裏山に行けなくてごめんね。お芋を植えるんだって、楽しみにしてたもんね。忘れてたわけじゃないよ」


 芥の瞳が見開かれ、穴が開くほどくるみを見つめたあと、じんわり涙が滲んだ。ぽろぽろと丸い涙が落ちる。先ほどまでの怖気はすっかりどこかに消えて、まるで幼子が癇癪を起して泣いているようだった。たった一度、裏山へのごみ捨てをすっぽかしただけでこの反応。それでも、大げさだ、なんていう気は起きなかった。だって、芥はずっと、人間からしたら、どうでもいいようなことを大事に思っていたから。ただのごみを宝物のように思うようなヒトだから。


「くるみのばかあ~ばかばかあ~! 僕また、置き去りにされたのかと思った~!」

「ごめんて。明日、一緒にお芋を植えようね」

「うん、僕もあんぱん、ごめんなさいぃ~」


 ぺちゃんこでも食べるよ~と芥がぐずる。くるみは苦笑した。

 巾着から手巾ハンカチを取り出して芥の涙をぬぐってやる。


「でも、今日みたいに急に来れなくなることもあるよ。急用ができたり、具合が悪くなったり、天気が悪いときもあるんだから」

「……そうなの? 僕、一日中、くるみに会えることだけが楽しみなのに。一日だって、会えなくなったらつらいよ」

「え~風邪で寝込むと長いからなあ私~それで死んじゃったりしたら、もう二度と会えないよ~」

「ええ、いやだ。くるみ弱っちいね」

「平気で山で寝れるカラスさんとは違うんですう~」


 そうか、そうなんだ、と芥が謎の納得をした。それにしても。


「私と会えることが一番の楽しみって。本当?」

「え……うん。くるみと会えることばっかり考えてる。くるみと一緒にいると楽しいから」


 ぽ、と頬を染めて芥は照れ臭そうにする。くるみは眉を顰めた。


「……よくないねそれは」

「なんで!?」

「芥、さては暇なんでしょ。暇だから、そんな暗いこと考えるんだ」


 ええ、と芥が困惑する。「最近はくるみの言う通り、草を刈ったり土を綺麗にしたりして、ちょっと忙しいよ?」と弁明したが、くるみは顎に手を当てて悩み、「じゃあさ、暇じゃなくなればいいんだ!」と目を輝かせた。


「芥。私に帽子編んで。麦わら帽子」

「帽子? って編めるの?」

「編めるよ。だって麦のわらだもん。トウモロコシとか稲わらでもいいけど。きっと余計な事考えなくなるくらい、大変だからさ」


 にしし、とくるみはほくそ笑み、芥は胡乱げな顔をした。


「それ、ただ単にくるみが帽子欲しいだけだよね? 僕のこと、欲張りだっていうけど、くるみの貧乏根性も結構ひどいよ?」

「うっ、本当のことをそんなはっきり言うな〜! いいじゃん別に~! 芥が麦わら帽子編んでくれたら、楽しみに裏山に通っちゃうな私~!」

「……調子がいいなあ。もう」


 芥は肩をすくめて、喉を鳴らして笑った。


「いいよ。くるみが喜んでくれるなら、僕がんばる」

「やったー! 帽子できたらさ、リボン巻いてさ、そんで芥からもらった羽根もつけようと思うんだ!」

「僕の羽根……?」

「うん、だってせっかく綺麗だし、もったいないでしょ!」


 楽しみだね、とくるみは笑った。

 鬱蒼と茂る木々の中であっても、日差しの下であっても、闇夜であっても。変わらない眩しい笑顔に芥は目を細めた。


「花や実ができない冬の枯草だって、いっぱい使えるんだから。芥が寂しくなくなるくらい忙しくなるよ」


 ──時代にそぐわない者は、潔く消えるべき。


 美乃里の言葉はきっと正しい。新しいモノを広めようとする美乃里の理想を心から尊敬する。今日見た帝都の豊かさは、これから先、もっと波及していくだろう。くるみだって、辟易するこの國の古い価値観はたくさんある。神様やあやかしが必要なのかどうかも、よく分からない。けれど。


(……置き去りにされるのは、きっと寂しい)


 まるで、墓場だ。この山は。


 古きモノ。人ならざるモノ。使われなくなったモノ。壊れたモノ。取り残されたモノ。そういうモノの墓場。芥はその象徴のようだ。誰が見ても、必要ないと捨て置かれた塵芥ちりあくた。でも、くるみにはそうは思えなかった。生ごみも、燃えた灰も、カラスの羽根も。古い信仰も。価値あるモノのように見えて。もったいないと、くるみは拾いあげしまった。──最初にこの裏山に来た、そのときから。


「私は置き去りにはしない。絶対に」


 芥の薬指にはまった透明な輝きが、闇夜の中で、きらりと煌めいた。

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