第11話 ドレスとお嬢様の夢
「うおお! お尻がいたい! 酔っちゃうぅ!」
「そのうち慣れるわ、くるみ、大人しくして」
「うええ! お嬢様あ! 降ろしてください!! 私走ります!!」
「なに馬鹿なこと言ってるの。ほら、口紅塗ってあげるから黙ってなさいな」
がたんごとん揺れる馬車の中。
帝都へと向かう道すがら。大騒ぎするくるみを、隣に座った
今日のくるみは絹の着物。普段より落ち着いた橙色を
「この色は
そういう
「私のリボンも貸してあげる。すごくかわいいわ。ほら、足を開かないの。踏ん張らないで」
「ひい、そうはいっても、私はただの古臭い田舎娘ですからあ~!」
クリームを肌に塗りたくられ、香水を吹きかけられ、化粧まで施された。
身体中が自分のものではないようで、くるみは涙目になってしまった。
──帝都にお買い物に行くと、約束していたけれど、女中の休みは盆か正月しかない。すっかり油断していたら、いきなり
くるみの知らぬ間に大旦那さまや
(急すぎるよ~
出かけると知っていれば
(どうか、
けれど、気を揉んでいたくるみも、帝都につき、馬車から降りると、あまりの華やかさに裏山のことは吹き飛んでしまった。
「うわあ、すっごい……人がいっぱいいる……」
計画的に植えられた近代街路樹が新緑を彩り、舗装された道路には馬車鉄道や人力車が闊歩する。石材で作られた
ぽかん、とくるみは口を開けて、圧倒されてしまった。
「春先はまだ冷えるわね。私、ショールを買いたいの。あとレースの日傘も。くるみもなにかいる?」
「……園芸用に、帽子とか軍手が欲しいなと思ってたんですけど、ここにはなさそうです……あ、でも、タマさんに餞別を買いたいかな。嫁入りして辞めちゃうと聞いたので」
「なら、洋菓子店も見ていきましょうか。美味しいチョコレートがあるのよ」
「ちょこれいと?」
勝手知ったる場所なのか、美乃里は平然と店主と談笑しながら、気に入ったものがあれば躊躇なく、くるみに荷物持ちさせた。場違いではないかとそわそわしていたくるみは、付き人としての仕事を任せてもらえて、むしろ安堵する。客層は上流階級ばかりで、店員すらもくるみよりずっと洗練されていた。ショーウィンドウに並んだ品物は、くるみにはとても手の届かないものばかりだったけれど、小瓶の香水も、懐中時計も、チョコレートもキャラメルも、宝石箱のようで見ていて飽きなかった。
「あ、ここ。ここにも寄っていきましょう」
お目当ての買い物を済ませ、餞別も選んだところで、美乃里が足を止めたのは、洋服屋だった。店内に並ぶ革のカバン。
「すごい、ドレスだあ~!」
「ね、素敵よね」
店の奥。マネキンが着ていたロングドレスは宝石や刺繍があしらわれて、目を見張る美しさだった。満開の花を形にしたような衣装。
「夜会で着るのよ。男性のお洋服はたくさんあるけど、女性用はまだ少なくて憧れるわ。じゃ、くるみ、ちょっと試着させてもらいなさい」
「は!? なぜです!?」
「いいからいいから、これは雇い主の命令」
えええ、と喚くくるみは店員に連行された。なんだか分からないうちに店員三人がかりで着つけてもらい、美乃里の前に立つ。絹の着物も肌触りが全然違ったけれど、ドレスに比べればずっと着やすかった。首元が丸出しで、ぴったりとした胸元とくびれのラインがあらわになった衣服は、肌を隠すことが上品とされる着物と全然作りが違う。
「お客様は背丈があって、お胸もありますから、お洋服が似合いますね。異国の洋服は着物より身体の線が出ますから」
店員は大げさに褒め称えてくれた。確かに背も胸も着物であるならむしろ邪魔な要素だけれど、洋服だとしっくりくる。
もっとも、つばの広い帽子で前が見えず、コルセットに絞られて内臓が飛び出すかと呻いていたくるみには洋服を楽しむゆとりもなかったけれど。
「……思った通り、とってもきれい。くるみの素材そのままが映えるみたいだわ」
美乃里はうっとりと目を細めて微笑んだ。
くるみは小首をかしげた。
「お嬢様は着ないんですか?」
「……私は、まだいいわ」
そういって、しばらくじっとくるみの姿を見つめていたが、くるみがそわそわ落ち着かないので、ようやく解放の許可が出た。
「さて、くるみのドレス姿が見れて満足。このドレス頂こうかしら。採寸もあっているようだし」
「い、いいです! 使い道なんかないし! もう脱ぎたいです~」
「そう? よく似合ってるのに。せっかくだから帽子くらい買ってあげましょうか? 欲しいって言ってたわよね?」
ぎょ、とくるみは目をむいた。裏山に日差しが入るようになったので、そのための帽子が欲しいだけで、こんなこじゃれた派手な帽子を被っていったら、芥に笑われる。
「大丈夫です!! ほっかむりで充分なので!!」
店員は目を見開き、美乃里は「もう、くるみったら面白いこと言うのね」と可笑しそうに笑った。くるみは恥ずかしさのあまり真っ赤になった。上流階級のお嬢様には分かるまい。身分不相応なものを身に着ける庶民の気持ちなんて。
「ああ、笑ったらお腹が空いたわ。少し遅くなったけれど、お昼にしましょうか」
「うう、食欲ないよお……」
くるみはもうここまででお腹がいっぱいだった。
****
「おいしー!! 私、洋食って初めてです!!」
カレーライスを前にして、あっさりと食欲を取り戻したくるみを見て、美乃里は苦笑した。最近開店したばかりだという喫茶店に入ると、女給がせわしなく働いていた。仕事内容は女中と対して変わらないというのに、和服に洋風のエプロン姿は妙に可愛らしくて、くるみはそちらにも見入ってしまった。
「ね、和食と全然違うでしょ」
「はい! 舌がぴりぴりしますけど、癖になります」
美乃里は満足そうにポタージュを匙で掬った。二人で洋食に舌鼓を打って、デザートのショートケーキまで頂く。一生分の贅沢かもしれない、とくるみはもぐもぐケーキを噛みしめる。美乃里は女給を呼び止めて、ホットミルクを追加した。
「お嬢様って、牛乳がお好きなんですか? 私、牛の乳っていまだに慣れないんですよねえ。飲みすぎるとお腹壊しちゃうし」
牛乳も開国して広まった新しい飲み物のひとつ。新政府は国民の健康と発育のために牛乳を推奨していたが、田舎では未だに馴染みがない。それに比べ都市では〝ミルクホール〟と呼ばれる牛乳と一緒に軽い軽食が楽しめる店まで存在していて驚いたものだ。
お嬢様だから、飲み物もハイカラなんだなあ、と何の気になしに訊ねただけだったのだが、美乃里の動きがぴしり、と止まる。
え、なにか変なこと聞いただろうか? 紅茶のときもすごい量を入れていたから、気になったのだけれど。「わ、笑わないでね……?」と何故か頬を染め、潤んだ瞳で、美乃里は声を潜めた。
「……牛乳を飲むと、背が大きくなるんですって。夜会に出たとき、ドレスを綺麗に着たいの。ほら、私、小さいでしょう?」
くるみは大きく目を見開いた。もじもじと俯く美乃里をまじまじ見つめる。今日一日。お嬢様との生活の違いに散々困惑したのも相まって、気が緩んで吹いてしまった。
「お嬢様、かわいいですね」
「もう、笑わないでって言ったのに。くるみはいいわよね、胸もおっきくて」
つん、と美乃里がそっぽを向く。
くるみはぎょっとして胸元を抑えた。
「こ、こんなのただの肉の塊ですよ!?」
「持っている人に持たざる人の気持ちは分かんないわ」
「お、お嬢様がそれをいうんですか! 私、外見より中身が大事って言いましたよ! いくら体型が洋服向きだといっても、私のような田舎者がドレスを着たって意味がないです!」
美乃里はくるみに向き直ると、ぱちくりと目を瞬かせた。
「……それもそうね。似合っていたけど、着せられているって感じだったものね」
「えっひど!? 励ましたのに!?」
くるみが喚くと、美乃里は声を立てて笑った。
***
喫茶店から出ると、夕暮れの
「あ、お嬢様、先に馬車に戻っててください。ちょっとあんぱん買ってきます!」
あんぱんを三つ買って馬車に戻る。一つを巾着に入れ、一つは自分用に。最後の一つは向かい合って座る美乃里に差し出した。
「はい、お嬢様、あんぱんどうぞ。お昼はお金だしてもらったから、これは私のおごりです」
ふんす、とくるみが胸を威張らせる。美乃里は少し、無言になった。
「あ、すみません。あんぱん、苦手でしたか?」
「……あんこが少し。私、洋食のほうが好きだから」
「でも、表面はパンですよ。洋風ですよ。美味しいですよ〜」
屁理屈ね、と美乃里はあんぱんを受け取った。あんぱんは庶民にも人気があり、固い西洋のパンが苦手なくるみにも、生地が柔らかくて食べやすかった。
「和風か洋風か、どっちつかずなモノって好きじゃないのだけど……案外美味しいものね。くるみと一緒に食べるからかしら」
馬車が動き出し、過ぎ去る帝都を見つめながら、美乃里はあんぱんを齧った。
「ね、くるみ、この街どうだった? 綺麗で、明るくて、新しくて、素敵だと思わない?」
「え? えっと、はい、いろんなものがあって、いろんな人がいて、面白かったです」
なんだか頭の悪い感想になってしまった、とくるみは焦ったが、美乃里は頬を緩ませた。
「そう、いろんなものがあるし、いろんな職業もあるでしょう? 今日見たものはどれも異国から入ってきたものばかり。着るものも食べ物も、この國にはなかった技術や材料で作られたもの。作り手も担い手も新しくできた職業よ。いろんなものがあるということは、それだけで、いろんな選択肢があるということなの」
「選択肢……」
それはそうかもしれない。田舎はほとんどが農家の知り合いばかり。同じ仕事。同じ生活。都会はいろんな人がいる。田舎と都会の最大の違いはそれだ。
「狭い田舎の常識なんて、馬鹿らしくなるでしょう? くるみはドレスを着る機会なんてないって言ったけれど、そんなの誰にも分からないわ。自分で可能性を狭めてはだめよ」
真剣な美乃里の眼差しに、くるみはあんぱんを食べるのをやめて、本音を口に出した。
「……ドレスは、私にはあまりピンと来なかったけど、喫茶店の給仕さんはいいなあって思いました。ご飯を作ったり運んだり洗い物をしたり。女中と似てるのに、あんなに華やかなお仕事もあるんですね」
「ええそうよ。なろうと思えばくるみだってなれるわ。それだって、知らなければそんな選択肢も思い浮かばないでしょうけど」
美乃里は横に置いた下女のタマへの餞別を眺めた。
「……タマだって、あんなに料理がうまいのだから、料理人としての道もあるって言ったのに。両親と夫の家が嫌がるだろうからって諦めてしまうの。私はそれがイヤだわ。くるみもタマも素敵な女性なのに、嫁入りしてつまらない人生歩んでほしくないの」
つまらないと決まったわけでは、とくるみは反論しようとしたが、うまく言葉にできなかった。それくらい都会の街は煌びやかで新しくて眩しかったから。
「だから、私はもっとこの國に新しいモノを輸入したい。家具や雑貨だけでなくて、文学も技術も風習もたくさん。そうしていけば、いつか、たくさんの選択肢があるって気づいてもらえると思うから」
美乃里はあんぱんを食べきると、くるみを見つめた。
「今日は付き合ってくれて、ありがとう。本当は私も諦めていたのだけど、くるみが外見より中身が大事だって言ってくれたから、少し考えが変わったわ。いつかドレスが本当の意味で似合うように頑張る。それまでは我慢ね」
もちろん背も伸びるといいわね、と美乃里が茶化して笑う。くるみは今度は笑うことができなかった。お嬢様に庶民の気持ちは分からないとそう思っていたことが恥ずかしくて。
「……そんな、お礼を言われることはなにもしてないです。本当に月並みな言葉しか思い浮かばなくて」
「ええ。でも、誰かにそう言ってほしかったの私。当たり前で月並みな言葉を」
そのときの美乃里は今まで一番、凛として、精錬で、美しく見えた。豊かさの意味を芯から知っている生粋のお嬢様。だから、心からの賛辞が口から出た。
「お嬢様の夢は素敵ですね。私、応援します。ずっとずっとお嬢様の味方です」
ありがとう、と美乃里はにっこり微笑んだ。
「私、これからもっと頑張るわ。ドレスが似合うように、もっとこの國に新しいモノをたくさん広められるように」
馬車の中から、再び美乃里は外に目を向ける。ガス灯の明るい光。張り巡らされた電線には、びっしりとカラスの群れがとまっていた。光が灯されるからこそ、闇を凝縮したようなカラスの姿が際立って見えた。
カラスの群れを、美乃里は鋭く睨み、冷たい微笑を浮かべた。
「そのためには、もっともっと、この國の古臭い価値観も、文化も、常識も、迷信も、信仰も──たくさん捨てないとね?」
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