第8話 太陽と硝子

 日神様にちじんさまのいなくなった廃神社でひとり、ごみを供物と信じて守っているあくたに、なにができるか。


(……どちらにしても、供物ごみをどうにかしないと。この山もダメになる一方だ)


 手入れされていない山林は、草木が生い茂り、日光が届かなくなる。

 木がやせ細り、倒木も増える。

 もともと神社だったころの名残か、裏山の山頂は広い空地になっていて雑草はところどころ生えていたものの、真昼でも薄暗く、あまりいい環境とは言えなかった。


「供物の中にくわとか。すきがあったな、かまもサビを落とせば使えそう……」

「日差しを遮っている葉っぱや蔦を切るだけなら、僕できるよ。雑草もこの辺のカラスに言って一緒に引っこ抜けばいい?」

「そう? なら、供物も種類ごとに分別しておいてくれないかな? 古い農具は使えるかもしれないから、分けておいてくれると助かるよ」


 よく分からないけど分かった、とあくたは頷いた。くるみはあばら家の近くに積み上げられている紙くずを見やり、


「チリ紙とか新聞紙もねえ、細かく刻めば土に返せるから」


 水に濡らして生ごみと一緒に埋めれば、ある程度は分解されるはずだ。

 あくたはしょんぼりと眉を下げた。


「僕の供物、なくなっちゃうってこと?」

「えっ違うよ! 肥料になるんだよ!」


 肥料? と芥が首をかしげる。くるみは持ってきた生ごみを穴に放り投げ、その上から土をかぶせた。これで虫も湧きにくくなる。


「うん、だって、自然から生まれたものだから。壊れたり、使えなくなったら戻すの。その土で野菜とか花を育てようよ。このまま供物を放置してたら、山にも土にも悪くなる一方だからね」

「……壊れたらダメなの? そのままだと価値がなくなっちゃうの?」

「ダメじゃないけど、怪我したり、病気の元になったりして、危ないよ」

「……」


 芥は無言になる。なんといえばいいかと、くるみは頭をひねり、


「ええ~と、つまり、カタチを変えるってこと。供物がなくなるわけじゃないよ」

「……そっか、ならいい」


 芥が素直に頷いたので、くるみはほっとした。もうひとつの手桶に持ってきた薪の灰を木の根元に捲く。


「灰もいい栄養になるからね。太陽が入らなくて、ここの山の木は細くなってかわいそうだねえ」

「……くるみ、なんだか花咲はなさかじいさんみたい。ふふ」


 じいさんとはなんだ、とくるみは芥を肘でつついた。生活の知恵と言ってほしい。ほとんど祖母の受け売りだけど。捨てるというのは本当に最終手段なのだ。

 くるみの故郷の村では皆そうして暮らしていた。食べ残しも、使い古しも。それらはすべて新しく生まれ変わる土壌や材料になる。古布は手ぬぐいや草履に。古傘は包装紙や燃料に。箒はタワシや縄に。カタチを変えて、何度も。


 ああ、とくるみは思い出した。


「一番いいのは下肥しもごえだけどねえ~」

「はっ!? なにを言うのくるみ!」

「え? 一番使える肥料だよ。わざわざ帝都の住人から買い取るくらい必要なんだから。でも、そのまま畑に入れると害だからダメ。ちゃんと発酵させないと。根腐れするし、病気になっちゃうんだよねえ。ね? 処理を間違ると害があるっていうのはそういうことでえ~」


 ひ~と芥は耳をふさいだ。


日神様にちじんさまのおやしろ糞尿ふんにょうなんて撒けないよ!? それって不浄だよ!! 僕やだよ!?」


 なるほど。ごみは供物だけど糞尿は不浄という概念はあるのか。それはよかった。


「安心して、私も絶対やだ。持ってきたくないし」


 くるみは真顔で言い返した。


※※※


 さて、草刈りやごみの分別は芥に任せても大丈夫だろう。あと必要なものといえば。


「水場があればなあ。汚れた布とか陶器とか洗えるんだけどなあ」

「え、あるよ?」

「え、あるの!?」


 うん、と芥はあっけなく答えた。くるみの手を引き、あばら家の裏に回り込む。くずれた岩場から透明な水がちょろちょろと流れていた。流れ落ちた先は砂利になり、そのまままた草木の下に染み込んでいる。おそらく神社の手水舎ちょうずしゃだったのか。人間が手を加えたあとが窺えた。「昔は人間たちがよく水汲みにも来てたよ」と芥は淋しげに言う。水道が整備されて、使われなくなったのだろう。「綺麗な水だね」とくるみが感心すると、芥は途端に自慢気になった。


「僕、ここで毎日水浴びしてるから」

「えっこ、ここで!?」

「うん、カラスの姿になってね」

「あ、そういうこと」


 見てて、と芥が羽ばたくと、あっという間に普通のカラスに早変わりした。外見は野生のカラスと見分けがつかないけど、よく見ると瞳だけが琥珀色こはくいろに輝いている。

 カラス姿の芥は、流れ落ちる湧き水を浴びると、ぶるる、と羽を振るった。


「なるほど、カラスの行水ぎょうずい……」

「ん? なんか言った?」

「いーえ、なんにも! これならお掃除がはかどるな。でも、ここにもいっぱい硝子があるね」


 硝子皿や洋杯コップ、酒瓶。果ては風鈴の残骸まである。芥は再び羽ばたいて人型に戻った。「カラスのほうが楽だけど、おしゃべりは人型のほうがしゃべりやすいんだよね~」と呑気に話しかけてくる。くるみはたくさんの硝子の破片を指さした。


「芥、この硝子、危ないよ。怪我しちゃう。これも取り除こうよ」


 くるみのこの提案には、芥はしぶった。


「……なんで? 硝子は腐らないし、虫も湧かないよ?」

「でも、割れちゃってるよ。芥以外のカラスや生き物もたぶん、この水飲んでるんでしょ。あんまり水場にモノを入れると汚れちゃうし、詰まったりしちゃうよ」


 お気に入りなのか、芥は不服そうにした。


「水の中に浮かべると、きらきらして綺麗なのになあ」


 ちゃぷり、と水たまりに鉤爪かぎづめを突っ込み、芥は破片を手に取った。花瓶か薬瓶か。綺麗な翠色のびいどろ。ひび割れて使い物にはならないだろうけれど。芥は宝物のように眺めていた。


「僕、きらきら反射するものが好きなんだ」

「それは、芥がカラスだから?」

「それもあるけど」


 芥はしょんぼりと眉を下げた。


日神様にちじんさまの御神体は鏡だったから。硝子は鏡みたいで見てると嬉しくなるんだ」

「……そっか」


 こうして、日神様の影を追っていたのかと思うと、くるみは何も言えなくなる。捨てたほうがいいなんて、安易に口にできない。


(でも、このままにしておくのもなあ。破片は危ないし……ん?)

「あ、これ、この水盆すいぼんは? これは割れてない! これに水入れようよ芥」


 傷ついていない水盆すいぼんを見つけて、張り付いた落ち葉を洗い流し、くるみは水を注いだ。底が浅くて平たい、土色の器。


「おばあちゃんに聞いたんだけど、昔はね、鏡は高級品で、みんな、水瓶みずかめや水たまりを鏡代わりにしてたんだって!」


 水盆を芥に差し出す。透明な水が器に満ちて、鏡のように、くるみの姿を反射した。


「……うん。で?」


 芥は意味が分からないという顔をした。


「えっ、いや、だ、だから、鏡の代わり。み、水鏡みずかがみってやつ……日神様のカンタン御神体……じゃ? だめ? やっぱり? 私ちょっと手持ちがなくて、手鏡とかも持ってなくて……どうにかこれで、我慢してもらえると……」


 言いながら、自分でもさすがにあんまりか、と自信がなくなり、しおしおと頭を下げた。

 ぷ、と芥は吹き出した。


「くるみったら、びんぼー!」

「ちょっと!? ひっどいな! 私なりに考えたんだよっ!」


 くるみは頬を膨らせた。ぷい、と明後日の方を向き水盆の水をじゃばじゃば捨てる。芥はくるみの背後から両肩に手をかけて、ご機嫌をとるように擦り寄った。


「ごめんごめん、すごくいいよ。ありがとう」

「笑いながら言うな~!」

「本当だよ。僕が大事にしてるモノ、君も大事にしてくれて嬉しい。ありがとう」


 芥は真剣なまなざしになって、くるみの瞳を覗き込む。鉤爪かぎづめがくるみの肌を傷つけないよう、頬を包んだ。沈黙が落ち、くるみは振り向いて芥の瞳を見つめ返し──その背後にちらりと見える太陽が傾いていることに気づいて、飛び上がった。


「ねえ、くるみ、あのさ」

「はっしまった!! 今何時!? 長居しすぎた! 私帰らなきゃ! また明日ね芥! 供物まとめといてよ! 草刈りもしておいてね!」

「え、ちょっと」


 芥を押しのけて、くるみは慌てて手桶を持ち、裏山の斜面を下る。そろそろお嬢様が帰ってくる。夕食の支度も手伝わないと他の女中から顰蹙を買う。女中の仕事だってあるのに、余計な仕事を増やしてしまった、と走りながら、くるみはため息をつく。考えなしの無鉄砲はよくないと、おばあちゃんにもよく叱られたっけ。


(でも、こんな状態で一人きりで誰かを待ってる人を、放っては置けないよ)


 捨てたほうがいいものを律儀に抱え込んでいる人を。祖母の寂しさを。よく知っていたから──後悔はしていない。


 やるぞ、と気合を入れなおし、一層足を早めた瞬間、ガッと朽ちた丸太階段に足を取られた。


「うわっ!!!」


 感覚を失って、勢いよく転げ落ちる。その斜面の先に。突き出た硝子の破片が目に入った。ちょうどくるみの喉の真下。このままだとざっくりと突き刺される。どうすることもできず、やばい!! とくるみは真っ青になって目を瞑る。

 ふわりと、身体が浮上した。


「あっぶなあ~くるみっておっちょこちょい? 僕心臓が飛び出るかと思ったよ」

「あ、あくた……」


 芥に腰を抱えられて、宙に浮いていた。助かった。どっと冷や汗が吹き出した。気合を入れた途端に、死ぬところだった。


「僕が下まで送ってあげるって言おうとしたのに、聞かないで走ってっちゃうし」

「え、あ、ありがとう」


 芥はくるみの身体を横抱きに抱え直し、翼を羽ばたかせて、裏山を降る。あっという間に豊穣邸ほうじょうていに近づく。こんなことなら、最初から頼めばよかったな、と芥にしがみついていた。


「でも確かに、くるみの言う通りだね」

「え?」

「僕の大事な供物が、くるみを傷つけたら、やだ」


 さっきの硝子の破片のことか。朽ちた丸太に入り込むように突き出ていたから、登るときは気が付かなかった。翼を羽ばたかせながら、芥はぽつりと呟いた。


「僕のせいで、くるみが壊れたら、やだ」


 ぎゅっとくるみを胸に押し付ける。

 

「目玉でも、小指でも、君の一部であるならば、価値は変わらないと思ったけれど」


 芥はくるみの瞳を覗き込んだ。硝子玉のような胡桃色くるみいろの瞳を大切そうに見つめる。がらくたの山を宝物のように見つめていた同じまなざしで。


「君からなにか、損なわれるのはいやだ」


 鉤爪かぎづめが近づき、思わず目を閉じたくるみの瞼を優しくなぞる。


「その身も──その心も。くるみはそのまんまが、一番きれいだよ」


 目を開けると。くるみは地面に足をつけていた。いつの間にか、裏山を下りきり、豊穣邸ほうじょうていの勝手口の前。

 芥は最後にくるみの巻き毛を撫でて、無邪気に笑った。


「だから、やっぱり、丸ごと僕のものになってね」


 ──ガラリ、と勝手口の戸が開く音。


 女中頭じょちゅうがしらのおふくが怪訝そうに顔を出した。


「くるみさん? 帰ったのかい? よかった。今お嬢様が帰って……て、顔が赤いけど、どうかしたのかい?」

「……なんでもありません、遅くなってすみませんでした」


 飛び去る一羽のカラス。

 はらはら舞い散る黒い羽根を恨めしげに見つめ、くるみは唇をとがらせた。


「……まだ、あきらめてないのか。欲張りめ」


 ***


 翌日の夜明け。

 御神木の上で、芥は朝日の光で目を覚ました。

 くるみの言った通り、日光を遮っていた草木を刈り取ると。太陽が裏山を照らした。懐かしい光。昔はここはとても明るかった。そんなことも、忘れていた。温かい日差しは、その昔、頭を撫でてくれた大切な神様の手のひらを思い出させた。


「……日神様にちじんさま、どこにいるの? 僕、ずっと待ってるよ」


 芥は朝日に向かい、ぽつりと本音を漏らした。


日神様にちじんさまにお渡しするためにいっぱい供物を集めたんだよ。いくら供物を集めても全然来てくれなくてずっと、寂しかった」


 目を細め、芥は思い出したように肩を揺らした。


「でもね、最近、変な子が来てね。少し寂しくなくなったよ。この山のためにいろいろ考えてくれて、嬉しかった。……本当は、その子も日神様にちじんさまのために捧げようと思ってたんだけど」


 ──だって、最上級の供物といったら。


「──生贄だから。でも、ちょっと、日神様にちじんさまに渡すのも、惜しくなっちゃった」


 琥珀色の眼を妖しく光らせ、芥は笑った。


「ねえ、他の供物は全部あげるから。あの子だけは、本当に僕のものにしていい?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る