第7話 文明開化と神様

 翌日、夕飯の下準備を終えると、くるみは生ごみを念入りに細かく砕いて、新聞紙にくるむ。水気を抜けば多少匂いも収まるはずだ。もっとも裏山自体を片付けない限りは焼け石に水だけれど。


「あの、おふくさん、裏山にごみ捨て行ってきます。


 他の女中の手前、女中頭じょちゅうがしらのお福に暗に伝える。「御先烏みさきがらすと会うかもしれないので時間がかかるかもしれません」と。お福は一瞬目を瞬かせたが、「そうさね。気を付けて頼むよ」とうるさく言わなかった。上女中かみじょちゅうはもちろんのこと、虫や獣が出る裏山にわざわざ出向きたがる下女中しもじょちゅうもいない。多少は戻るのに時間がかかっても多めに見てくれるだろう。手桶に生ごみや薪の灰を入れて、いざ、と裏山に足を踏み入れようとして──あ、と思い出した。

 

「そうだ、忘れてた!」


 くるみはいったん女中部屋に戻り、ぼろ布で編んだ巾着の中から、忘れ物を取り出した。


***


 三度目ともなると、山登りも慣れた。元々山育ちであるし、低山の山頂には三十分もかからない。


「くるーみ! いらっしゃい! 待ってたよー!」

「のわっ!!」


 裏山を登りきった瞬間、空から降ってきたあくたが飛びついてきた。


「なにくれる? なにくれる?」

「待て待てえ! 気が早い! 先に返すものがあるから!」

「返す?」


 くるみはあくたから身を離すと、襟元から一枚の黒い羽根を取り出した。あくたはきょとんと目を丸くさせた。


「あれ? 僕の羽根だ?」

「そう。よく分からないけど、真夜中に確認に来るくらい大事なものなのかなって。だから返す。ていうか、もうお屋敷に来ちゃだめだよ! 誤魔化すの大変だったんだから!」


 くるみがめっと、叱ると、芥は羽根を不思議そうに眺めた。


「……捨てたんじゃなかったんだ」

「えっ捨てないよ!」

「なんで? 僕の供物の印だって言ったよ? その気がないのなら、なんで持ってるの」

「うっ、そ、それはっ」


 くるみはもごもごと口をつぐんだ。カラスが嫌いなお嬢様に見つかっては面倒だと、お福は火にくべて燃やそうとしたが、自分で捨てるからと、くるみがわざわざやめさせて、保管していたのだ。──なんとも、くだらない理由で。


「……だって、おっきくてきれいな羽根だから、も、もったいないかなあって……」


 実は、ちょっと気に入っていたのだ。濡羽色ぬればいろの艷やかな羽根は見ているだけでも楽しくて。子どものころ、山で拾った鹿のツノや蛇の抜け殻をこっそりと集めていた頃を思い出して。芥はぱちぱちと目を瞬かせ、「……くるみってさあ」となんともいえない顔で呟いた。


「もしかして、びんぼー? それで僕の供物を漁ったりしたの? かわいそーに……」

「へ!? ち、ちが……」 

「じゃあ裕福?」

「……貧乏ですけどお」


 むす、と、くるみが唇を尖らせる。芥は声を立てて笑った。


「それ、あげる。供物の目印じゃなくていいから、くるみに持っててほしいな」

「えっいいの? やった」


 「あっ、でも、見つかったらまずいな。うまく隠さなきゃ」と悩みだすくるみを見て、芥は「変な子」と喉を鳴らして笑い続ける。子供じみた貧乏根性だとは思うのだけれど、がらくたの山に執着をしているカラスに笑われる筋合いはない。


「カラスの羽根なんて、大事にしても、なんにもならないのにね」


 くるみは反論しようとして、言葉を飲み込んだ。芥はくるみの手に握られた羽根を眺めていた。その瞳は、なんだが少し、寂しそうで。


「……芥はそんなにここの供物が大事? 指輪はもちろん返して欲しいけど、目玉とか小指とか……わ、私自身を、渡せって言われても困るよ」


 素直な戸惑いを吐露すると、芥は少し静かな口調になった。


「そりゃあ、だって、神様やあやかしが供物を返したら、信仰そのものを拒絶したようなものじゃない? 僕達は人間が覚えていてくれなきゃ、消えちゃうのに。無条件では返せないよ」

「それは、」


 そうかもしれない、と納得しかけて慌てて首を振る。指輪は捧げたわけじゃない。奪われたのだ。もっとも、くるみが先に芥の供物に手を出したせいだけれど、そんな大事なものだなんて分かるわけがない。


(……でも、おばあちゃんも、芥と同じようなこと言ってたな。最近は忘れられた神様やあやかしが増えたって)


 そこらじゅうにいた土地神や妖怪は、開国してから、姿を消してしまったと。人ならざる者だけでなく、古くから地に根付いた寺院や仏閣は潰されて、首を切られた仏像や地蔵が、打ち捨てられている姿も見かけた。寺と違い、社は國に保護されたものの、國の統制を強めるため、小さな祠や田舎の社もまた、たくさん壊されたのだ。


 なんでそんなことをするのか、くるみにはよく分からない。それが、新政府の打ち出した方針なのだという。

 古い風習は悪習で、土着の信仰は迷信で、時代遅れの代物だと。捨てるべきものだと。必要な信仰は諸外国に対抗するための、國が民をまとめやすくするための〝國が認めた宗教〟だと。そう決められてしまった。


 この港町に来て、それはより顕著に感じる。

 文明開化という言葉は、翻ってみれば、まるでこの國には文明がなかったような物言いだ。この國が西洋列強と並べるように。生き抜いていくために。食べるものも、着るものも、暦も、神様も仏様も、今までの在り方を変えてしまった。古いものを置き去りにして。


「……だから、芥は供物を集めているの? 忘れられないように」


 くるみは、ごみだらけの山を見た。もはや誰もこれが供物だなんて思っていないし、この山の信仰なんて残ってもいないだろうに。


「うん。そうだよ。それに、日神様にちじんさまが言ってたんだ。人からもらったモノは大切にしなさいって」

日神様にちじんさま……」


 かつてこの山に祀られていた神様のことか。開港ともに、廃されたという。くるみでも聞いたことのある、太陽の神様。


「……じゃあ、やっぱり、ここは廃神社だったんだね」


 くるみは振り返り、あばら屋を見る。ところどころ朽ちてひゃげているが、大きな祠のようにも見える。崩れた石は石灯籠だろうか? 奥に数本転がっている朽ちた丸太は、もしや鳥居の名残だろうか。


 芥はあからさまにすねた。


「廃神社じゃない。今でも日神様にちじんさまのおやしろだよ」

「あ、ご、ごめん。芥は、その、日神様にちじんさまと一緒に祀られてたっていう御先烏みさきがらすなの?」

「……なんだ、知ってたの? 黙ってるなんてひどいなあ」


 後ろ暗そうに芥は視線をそらした。


「……そうだよ。供物を横取りする悪いカラスだった。昔ね、僕はいつもお腹がぺこぺこで、日神様にちじんさまの供物をこっそり盗み食いしてたんだ。ひどいよね。人間たちが食うに困っても、捧げていた供物だったのに。日神様にちじんさまに対する祈りそのものを、僕、いっぱい食べちゃったんだ」

 

 本当に悔いるように唇を噛みしめるので、くるみは何も言えず、黙って聞いていた。


「それでね、ある時、僕に気づいた人間たちが怒って僕をぼこぼこにしたの。もうこのまま死んじゃうってときに、日神様にちじんさまが僕を憐れんで、神気しんきを分け与えてくれたんだよ」


 くるり、と芥はその場で一回転して「こうして、人型にも変化へんげできるようにしてくれたんだ。そのほうが、人間たちにも受け入れてもらいやすいからっておもんばかってくださったんだよ。すごいでしょ!」と自慢げに笑い、懐かしむように、天を仰いだ。鬱蒼と茂る雑木林で、太陽はよく見えない。


「カラスは太陽の神使しんしだから、縁があるって。身を清め、盗みを働かず、真っ当な供物や信仰を集めれば、いつか僕も神使烏みさきがらすに──八咫烏やたがらすにだってなれるかもよって日神様にちじんさまも言ってくれたのに」

「やたがらす?」


 くるみが首を傾げると、「知らないの?」と芥は声をあげた。枯れ枝を拾い、芥は地面にカラスの絵をがりがり描いた。子どもが描いたようなカラスの足に三本目を付け足す。


「三本足のカラスの神使しんし。天のお使い。かっこいいんだ〜」


 憧れるように呟いて、そのあと、芥は泣きそうな顔をした。


「そのためにも、人からもらう信仰も供物も大事にしなさいって、いつも言ってた。人間と神仏はそうして共存していくものだからって。なのに、ある日いきなり、日神様にちじんさまは、いなくなっちゃったの」  

「え……?」


 こっち来て、と芥はくるみの手を引き、海岸を指さした。覆われた草木の合間から、遠くに停泊する異国の船が見渡せる。


「海にね、ああいう黒い船がいっぱい見えて、見たこともない服を着た偉い人? が来てね。ここに日神様にちじんさまがいたら駄目だって言ったんだ。こんなはふさわしくないって」

「混ざりもの……?」


 それはどういう意味かと、くるみは尋ねたが、芥も首を振った。


「僕も分からない。でも、無遠慮に神域を踏み荒らして、日神様にちじんさまをじろじろ見てた。僕、すっごく嫌だった」


 芥は悔しそうに眉をひそめた。


「海と太陽が見渡せるお山。天に近い高台は、それだけで神聖なものなのに。……ずっと昔から、日神様にちじんさまはここにいたのに。なんでかな? なんでふさわしくないんだろう?」

「それは……」


 くるみにも、分からなかった。


「それで、気づいたら日神様にちじんさまはいなくなってた。御神体ごしんたいも奪われて、祠も取り壊された。僕、悲しくて、頑張って抵抗したんだよ。日神様にちじんさまが帰ってきたとき、これじゃ悲しむでしょ? ひどいことする奴らを追い払って、守っていたの。そしたらね、人間たちから供物が届くようになったんだ」


 ぱ、と芥は嬉しそうに笑った。くるみの両手を握りしめて。くるくる回る。


「〝供物を捧げますから、もう悪さしないでください〟ってお願いされた。ここを残そうとしてくれた人はいたんだって、嬉しくてお願いを聞いたよ。それからはね、ずっと供物が届き続けてた。日神様にちじんさまがいらっしゃったときより、質素になっちゃったけど、その気持ちが嬉しかったから大事に全部とってある」


 でも、ちょっと困ったことになってね、と芥は肩をすくめた。


「長く日神様にちじんさまが留守にしちゃったせいで、僕がこの山のヌシだって勘違いする人間もいたんだ。それで、このお山に新しい名前までつけてくれたんだよ──芥山あくたやまって」

「……」

「びっくりしたけど、僕その名前も、もらったんだ。人からもらったモノはなんであれ、大事にしなくてはいけないから。供物もね、日神様にちじんさまが戻るまで僕の供物として、ちゃんとお守りするんだ。いつか、日神様にちじんさまにお返しできるように」


 塵芥ちりあくたのような、なんの価値もない僕を、拾ってくれた神様のために。芥はそう笑い、ぎゅっとくるみの両手を握る手に力を込めた。


「だって、今でも、供物が届いてるってことは、忘れられてないってことだよね? 毎日ちゃんと、届けてくれているもんね。くるみは、最初盗もうとしたけど腹が立ったけど、謝ってくれたからよかった」


 ありがとう、と芥は無邪気に笑った。


 くるみは言葉をなくした。

 目を合わすこともできなかった。


 くるみが持ってきたのは、ただの食べ残しで、燃えカスで、どうしようもない塵芥ちりあくたばかりだ。芥の気持ちにかなうモノなんて一つもない。芥はそんなこと気づきもせず、人間が吐き出したごみを大事そうに見つめた。


「いっぱい供物があれば、日神様にちじんさま、帰ってきてくれるかな。もっと、たくさん、集めておかなくちゃ」


 そうして、また天を見上げた。届かない日差しの中、古びたカビの匂いと、がらくたの山の中。


「僕、待ってる。いつか、日神様にちじんさまが迎えに来てくれるまで──ずっと、ずっと、待ってる」


──いつか、あのひとが、迎えに来てくれるまで、ずっと待ってる。

──しわくちゃのおばあちゃんなっても、この指輪を大事にしていれば、きっと、会いに来てくれる。


 脳内で、優しい祖母の声が、芥とだぶって聞こえた。


──栗山くりやまさんちのばあさん、ボケたなあ。

──ボケてたのは最初からだろ。いつまでくだらない夢見てるのかねえ。あんな価値のない指輪なんか大事にしてよ。


 それをかき消す、いろんな揶揄の声。


──だって、あの指輪は、金剛石ダイヤモンドなんかじゃなくて……。


「──芥!!」

「うわっ、なに、びっくりした。脅かさないでよ〜」


 突然、大声を出したくるみに、芥は髪の毛を逆立てた。俯くくるみの表情を見て、不安そうにする。


「どうしたの? どこか痛い? 泣きそうだよ」

「……大丈夫、なんでもない、ねえそれより」


 くるみはぐるり、と辺りを見渡した。


「芥、ここの空き地の雑草抜こう。小さいけど畑にできるかもしれない。いつも持ってくる生ごみ供物は土を被せるだけで虫も湧かなくなるから、毎回被せよう。うまくすれば土にもいいはずだし」

「え? なんで?」

「供物が大事なのは分かるけど、保存や処理を間違えると害あるモノなっちゃうんだよ。そんなの嫌でしょう? 大事なものなら、なおさら」


 そうして、くるみは空を見上げた。雑木林で覆われ、葉が太陽を隠している。湿っぽいカビの匂い。日が当たらない。


「芥、この上の葉っぱ切ろう」

「葉っぱ、切っちゃうの?」

「うん。日神様にちじんさまは太陽の神様なんでしょ? きっと日差しが届いたほうが喜ぶよ」


 くるみはぎゅ、と唇をかみしめて、天を指差した。


「ここに、日が当たるようにしよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る