第7話 文明開化と神様
翌日、夕飯の下準備を終えると、くるみは生ごみを念入りに細かく砕いて、新聞紙にくるむ。水気を抜けば多少匂いも収まるはずだ。もっとも裏山自体を片付けない限りは焼け石に水だけれど。
「あの、お
他の女中の手前、
「そうだ、忘れてた!」
くるみはいったん女中部屋に戻り、ぼろ布で編んだ巾着の中から、忘れ物を取り出した。
***
三度目ともなると、山登りも慣れた。元々山育ちであるし、低山の山頂には三十分もかからない。
「くるーみ! いらっしゃい! 待ってたよー!」
「のわっ!!」
裏山を登りきった瞬間、空から降ってきた
「なにくれる? なにくれる?」
「待て待てえ! 気が早い! 先に返すものがあるから!」
「返す?」
くるみは
「あれ? 僕の羽根だ?」
「そう。よく分からないけど、真夜中に確認に来るくらい大事なものなのかなって。だから返す。ていうか、もうお屋敷に来ちゃだめだよ! 誤魔化すの大変だったんだから!」
くるみがめっと、叱ると、芥は羽根を不思議そうに眺めた。
「……捨てたんじゃなかったんだ」
「えっ捨てないよ!」
「なんで? 僕の供物の印だって言ったよ? その気がないのなら、なんで持ってるの」
「うっ、そ、それはっ」
くるみはもごもごと口をつぐんだ。カラスが嫌いなお嬢様に見つかっては面倒だと、お福は火にくべて燃やそうとしたが、自分で捨てるからと、くるみがわざわざやめさせて、保管していたのだ。──なんとも、くだらない理由で。
「……だって、おっきくてきれいな羽根だから、も、もったいないかなあって……」
実は、ちょっと気に入っていたのだ。
「もしかして、びんぼー? それで僕の供物を漁ったりしたの? かわいそーに……」
「へ!? ち、ちが……」
「じゃあ裕福?」
「……貧乏ですけどお」
むす、と、くるみが唇を尖らせる。芥は声を立てて笑った。
「それ、あげる。供物の目印じゃなくていいから、くるみに持っててほしいな」
「えっいいの? やった」
「あっ、でも、見つかったらまずいな。うまく隠さなきゃ」と悩みだすくるみを見て、芥は「変な子」と喉を鳴らして笑い続ける。子供じみた貧乏根性だとは思うのだけれど、がらくたの山に執着をしているカラスに笑われる筋合いはない。
「カラスの羽根なんて、大事にしても、なんにもならないのにね」
くるみは反論しようとして、言葉を飲み込んだ。芥はくるみの手に握られた羽根を眺めていた。その瞳は、なんだが少し、寂しそうで。
「……芥はそんなにここの供物が大事? 指輪はもちろん返して欲しいけど、目玉とか小指とか……わ、私自身を、渡せって言われても困るよ」
素直な戸惑いを吐露すると、芥は少し静かな口調になった。
「そりゃあ、だって、神様やあやかしが供物を返したら、信仰そのものを拒絶したようなものじゃない? 僕達は人間が覚えていてくれなきゃ、消えちゃうのに。無条件では返せないよ」
「それは、」
そうかもしれない、と納得しかけて慌てて首を振る。指輪は捧げたわけじゃない。奪われたのだ。もっとも、くるみが先に芥の供物に手を出したせいだけれど、そんな大事なものだなんて分かるわけがない。
(……でも、おばあちゃんも、芥と同じようなこと言ってたな。最近は忘れられた神様やあやかしが増えたって)
そこらじゅうにいた土地神や妖怪は、開国してから、姿を消してしまったと。人ならざる者だけでなく、古くから地に根付いた寺院や仏閣は潰されて、首を切られた仏像や地蔵が、打ち捨てられている姿も見かけた。寺と違い、社は國に保護されたものの、國の統制を強めるため、小さな祠や田舎の社もまた、たくさん壊されたのだ。
なんでそんなことをするのか、くるみにはよく分からない。それが、新政府の打ち出した方針なのだという。
古い風習は悪習で、土着の信仰は迷信で、時代遅れの代物だと。捨てるべきものだと。必要な信仰は諸外国に対抗するための、國が民をまとめやすくするための〝國が認めた宗教〟だと。そう決められてしまった。
この港町に来て、それはより顕著に感じる。
文明開化という言葉は、翻ってみれば、まるでこの國には文明がなかったような物言いだ。この國が西洋列強と並べるように。生き抜いていくために。食べるものも、着るものも、暦も、神様も仏様も、今までの在り方を変えてしまった。古いものを置き去りにして。
「……だから、芥は供物を集めているの? 忘れられないように」
くるみは、ごみだらけの山を見た。もはや誰もこれが供物だなんて思っていないし、この山の信仰なんて残ってもいないだろうに。
「うん。そうだよ。それに、
「
かつてこの山に祀られていた神様のことか。開港ともに、廃されたという。くるみでも聞いたことのある、太陽の神様。
「……じゃあ、やっぱり、ここは廃神社だったんだね」
くるみは振り返り、あばら屋を見る。ところどころ朽ちてひゃげているが、大きな祠のようにも見える。崩れた石は石灯籠だろうか? 奥に数本転がっている朽ちた丸太は、もしや鳥居の名残だろうか。
芥はあからさまにすねた。
「廃神社じゃない。今でも
「あ、ご、ごめん。芥は、その、
「……なんだ、知ってたの? 黙ってるなんてひどいなあ」
後ろ暗そうに芥は視線をそらした。
「……そうだよ。供物を横取りする悪いカラスだった。昔ね、僕はいつもお腹がぺこぺこで、
本当に悔いるように唇を噛みしめるので、くるみは何も言えず、黙って聞いていた。
「それでね、ある時、僕に気づいた人間たちが怒って僕をぼこぼこにしたの。もうこのまま死んじゃうってときに、
くるり、と芥はその場で一回転して「こうして、人型にも
「カラスは太陽の
「やたがらす?」
くるみが首を傾げると、「知らないの?」と芥は声をあげた。枯れ枝を拾い、芥は地面にカラスの絵をがりがり描いた。子どもが描いたようなカラスの足に三本目を付け足す。
「三本足のカラスの
憧れるように呟いて、そのあと、芥は泣きそうな顔をした。
「そのためにも、人からもらう信仰も供物も大事にしなさいって、いつも言ってた。人間と神仏はそうして共存していくものだからって。なのに、ある日いきなり、
「え……?」
こっち来て、と芥はくるみの手を引き、海岸を指さした。覆われた草木の合間から、遠くに停泊する異国の船が見渡せる。
「海にね、ああいう黒い船がいっぱい見えて、見たこともない服を着た偉い人? が来てね。ここに
「混ざりもの……?」
それはどういう意味かと、くるみは尋ねたが、芥も首を振った。
「僕も分からない。でも、無遠慮に神域を踏み荒らして、
芥は悔しそうに眉をひそめた。
「海と太陽が見渡せるお山。天に近い高台は、それだけで神聖なものなのに。……ずっと昔から、
「それは……」
くるみにも、分からなかった。
「それで、気づいたら
ぱ、と芥は嬉しそうに笑った。くるみの両手を握りしめて。くるくる回る。
「〝供物を捧げますから、もう悪さしないでください〟ってお願いされた。ここを残そうとしてくれた人はいたんだって、嬉しくてお願いを聞いたよ。それからはね、ずっと供物が届き続けてた。
でも、ちょっと困ったことになってね、と芥は肩をすくめた。
「長く
「……」
「びっくりしたけど、僕その名前も、もらったんだ。人からもらったモノはなんであれ、大事にしなくてはいけないから。供物もね、
「だって、今でも、供物が届いてるってことは、忘れられてないってことだよね? 毎日ちゃんと、届けてくれているもんね。くるみは、最初盗もうとしたけど腹が立ったけど、謝ってくれたからよかった」
ありがとう、と芥は無邪気に笑った。
くるみは言葉をなくした。
目を合わすこともできなかった。
くるみが持ってきたのは、ただの食べ残しで、燃えカスで、どうしようもない
「いっぱい供物があれば、
そうして、また天を見上げた。届かない日差しの中、古びた
「僕、待ってる。いつか、
──いつか、あのひとが、迎えに来てくれるまで、ずっと待ってる。
──しわくちゃのおばあちゃんなっても、この指輪を大事にしていれば、きっと、会いに来てくれる。
脳内で、優しい祖母の声が、芥とだぶって聞こえた。
──
──ボケてたのは最初からだろ。いつまでくだらない夢見てるのかねえ。あんな価値のない指輪なんか大事にしてよ。
それをかき消す、いろんな揶揄の声。
──だって、あの指輪は、
「──芥!!」
「うわっ、なに、びっくりした。脅かさないでよ〜」
突然、大声を出したくるみに、芥は髪の毛を逆立てた。俯くくるみの表情を見て、不安そうにする。
「どうしたの? どこか痛い? 泣きそうだよ」
「……大丈夫、なんでもない、ねえそれより」
くるみはぐるり、と辺りを見渡した。
「芥、ここの空き地の雑草抜こう。小さいけど畑にできるかもしれない。いつも持ってくる
「え? なんで?」
「供物が大事なのは分かるけど、保存や処理を間違えると害あるモノなっちゃうんだよ。そんなの嫌でしょう? 大事なものなら、なおさら」
そうして、くるみは空を見上げた。雑木林で覆われ、葉が太陽を隠している。湿っぽい
「芥、この上の葉っぱ切ろう」
「葉っぱ、切っちゃうの?」
「うん。
くるみはぎゅ、と唇をかみしめて、天を指差した。
「ここに、日が当たるようにしよう」
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