第6話 濡羽色と胡桃色
(なんだかなあ、事情を知らないほうがよかったかなあ……)
夜。
女中部屋の布団に入り、くるみはぼんやりと薄暗い天井を眺めていた。
(……分かっててごみを供物代わりにするなんて、なんかもやもやする)
明日もごみ捨てに行かねばならないのに、気後れする。指輪だって隙を見て取り返そうと思ったのに言い出しにくくなってしまった。なにより、他人がごみくずだと思っているものを、大事にしている姿は祖母を思い出して、いたたまれなかった。
(は〜寝れない。お水をもらおう)
他の女中を起こさないように、部屋から抜け出す。中庭の縁側を通り、台所に向かう途中。羽音がした。月夜を背に一羽のカラスが、屋根の上でじっとこちらを見つめていた。光沢のある
「カラスもいろいろ複雑な事情があるんだねえ」
「そうかな?」
いきなりカラスがしゃべったかと思えば、次の瞬間には、縁側の軒下から「こんばんは〜」と
「ギャッッ──もががっ!!」
「しーっ、夜中に騒いだら近所迷惑だよ」
「ぷはあっ! び、び、びっくりしたあ、な、な、なんでいるのお……」
芥がむ、と頬を膨らませた。再び鋭い爪先が伸びてきたかと思えば、くるみの背中に両手を回し──肩甲骨を探るようにまさぐった。
「ひゃあっ!?」
「ご挨拶だなあ。僕だって山から降りるのは結構大変なのに〜」
「な、な、な、なにす──!? う、ひゃあっひゃひゃっ!」
「やっぱり、ない。くるみ、僕の羽根、取っちゃったでしょ!」
背中を弄られて変な声が出た。「く、くすぐったいよ!」とぺしんと、手を叩くと芥は不貞腐れながら、両手を離した。
「は、羽根? あれが、どうかしたの?」
昼間、お福が取ってくれたカラスの羽根か。ぷんすか、と芥は不満げになる。
「僕の供物の印なんだから、取っちゃだめだよ!」
「えっ!? そういうものだったの!? て、いうか、私、供物になるなんてまだ言ってないよ!?」
「そう? 了承したも同然だよ。指輪、返してほしいんだよね?」
ほらほら、と指輪をはめた指を芥は見せびらかした。ぐぬっと睨むくるみの瞳を嬉しそうに見つめ返し、
「小指もいいけど、やっぱり目玉がいいなあ。くるみの瞳の色、とっても綺麗だよ。大事にするから、早くちょうだい?」
「いやいやいやっ! 無茶言わないでよ!」
「無茶かな? じゃあやっぱり丸ごと僕のものになっちゃう? そうすれば指輪もくるみも返さなくていいし、一石二鳥だね!」
「もっと無茶でしょーが!!」
「我が儘だよーくるみ」
「どっちが!?」
芥の境遇に同情した気持ちを返してほしい。この業突く張りめ。ギャアギャア言い争っていたら、す、と障子が開く音がした。
「……だあれ? 誰かいるの?」
くるみは飛び上がった。
「くるみ? なにしてるの? 誰かと話していた気がしたけど……」
「お、お嬢様! こ、こいつは、そのっ! ……って、あれ?」
くるみが慌てて芥に向き直ると、そこに芥の姿はなかった。はらはらと黒い羽根が舞い散る。屋根の上のカラスがふん、と
(す、素早い。逃げたな)
「あら、やだ。カラスだわ。夜中に出るなんて珍しいわね」
美乃里は形の良い眉を潜めた。カラスが嫌いというのは本当のようだ。ひとまず、芥の姿を見られてはいなかったようで、くるみは安堵の息をつく。美乃里はくるみの寝巻きの袖をぎゅ、と掴み、飛び去るカラスを睨んでいた。
「知ってる? カラスって異国では悪魔の使いなの。不吉の鳥なんですって、異人さんが言ってたわ。いやね」
「へ、へえ、そ、そうなんですかあ……」
(〝あくま〟て、なんだろ?)と首を傾げると、美乃里は心配そうにくるみを覗き込んだ。
「それで、くるみはどうしたの? こんな夜更けに。眠れないの? なにか悩み事かしら?」
「あ、えっ、ええーっとお、そのお……」
安堵したのもつかの間、くるみは額に汗を掻く。
「……話が噛み合わない相手と、どうやって、話し合えばいいのかなと、悩んでおりまして……むしゃくしゃして、カラス相手に独り言を……」
「まあ……」
美乃里は目を丸くした。頭のおかしい奴だと思われたら心が痛いが、美乃里は思いやりあるお嬢様だった。
「そうよね。田舎から出てきて、いきなり環境が変わったのだもの。いろいろ困惑するわよね」
いい感じに誤解してくれたようだ。仕事仲間とうまく馴染めていないと思ったのか、美乃里はそれ以上は追求せず、親身に相談に乗ってくれた。まさか、話が噛み合わないのはそのカラス本人なのだとは言えなかったけれど。
「お父様の受け売りなんだけど、自分の常識を捨てることよ」
「……捨てる?」
「そう、異国の方は育ち方も考え方も違うから。自分にとって当たり前のことも、相手にとったら普通じゃないって、理解しようとする姿勢が大事ってお父様がいつも言うの。異人さんでなくても、ここは國中からいろんな商人や奉公人が来るから、相手の立場を考えなさいって」
「……」
「大丈夫、古臭い田舎からその身一つで飛び出してきたあなただもの。きっとここの人たちとも、打ち解けられるわよ」
(ふ、古臭い……)
ぐさり、と胸を抑えたが、まったくその通りなので何も言えない。同時になるほど、と納得する。美乃里がくるみに妙に慕わしくしてくれる理由はそれもあるのか。ただの無鉄砲だったのだけれど、あえて否定もせず。くるみは頷いた。
「ありがとうございます、お嬢様。もう一度、頑張ってみますね」
美乃里はにっこりと微笑んだ。
「私はくるみの味方よ。あなたのこと気に入っているの。だから、いつまでもこのお屋敷にいてほしいわ」
そうして、くるみの瞳の色を見つめた。
黒色とも褐色とも少し違う、この國では少し珍しい
居た堪れなくなり、くるみは視線をそらした。前髪で瞳を隠すと「お、おやすみなさい」と足早に女中部屋に戻る。
(はあ、なんか余計に疲れたあ〜)
布団に潜り込み、ため息つく。芥のせいで、頭が痛いことばかりだ。とにかく明日、裏山に行って二度と屋敷には来るなと釘を差しておかなくちゃ。
(……相手の立場になる、か──)
あやかし相手に当てはまるか分からないけれど。くるみは眠りに落ちる前に、美乃里の言葉を思い起こす。
(確かに、供物はあやかしや神様にとったら、重要なものだって、おばあちゃんが言ってたな。信仰の象徴だからって欠かしちゃいけないって。執着するくらい芥には大事なのかな。ごみばっかりでまともな供物がないもんなあ)
まどろみながら、くるみは枕の下をもぞもぞと探った。硬い軸とふわふわの羽毛の感触。
(せめて、捧げるものがごみじゃなくなれば、芥は満足してくれるかなあ……)
無論、いくら形見の指輪の代わりといえど、この身を差し出すわけには、いかないけれど、もう少し、話くらいは聞いてみよう。
枕の下に隠しておいた──芥の羽根を握りしめて、くるみはそのまま眠りに落ちた。
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