第5話 ごみと供物

(つまり、指輪の代わりに、お前が供物になれってこと、だよねえ……?)


 女中たちの敷布団をふとんたたきでばふばふ叩きながら、くるみは考えあぐねていた。


 あのあと、裏山のあやかし──あくたはあっさりとくるみを解放し、「いつでも、また来てね」と手まで振っていた。思ったより、友好的だったのはよかったけれど、指輪を取り戻す算段は、近づいたのか遠のいたのか。果たしてどうだろうか。口を開くと、どこか幼げな仕草のせいで、抜けているようにも見えたけれど、その本性はやはり、人ならざる者に思える。このまま通い続けていいものか、どうしよう、と悶々していると「くるみさん、休憩にしませんかね」と声をかけられた。豊穣邸ほうじょうていに仕える女中頭じょちゅうかしらだった。


「おやまあ、他の女中たちの分まで布団を干してくれたのかい。ありがとうね」

「……えっあ、今日は天気がよかったので!」


 今はむしろ仕事に集中したほうが落ち着くのだ。せっせと布団を取り込むくるみを見て、「働き者だねえ」と女中頭は皺だらけの目元を一層細くさせた。豊穣邸に女中奉公している娘は皆くるみと同じ年ごろか、年下が多かったが、この女中頭だけが年嵩で、腰も曲がり、骨の浮き出た老婆だった。長く勤めているのだろう。


「おや? くるみさん、肩になにか、ついとるよ」


 くるみの肩に触れ、なにか掴んだ。女中頭のその手には、大きな黒い羽根が握られていた。くるみはぎょっと目を剥いた。


「鳥の羽根……? カラス? それにしたって大きさが」

「えっわあ!? いつの間に……! た、たぶん裏山で……くっつけちゃったのかなあ!?」


 あくたのこと、言っていいものか、そもそも信じてもらえるのかと汗をかいていると、あっさりと告げられる。


「……もしかして、くるみさん、裏山のあやかしを見たりしたかい?」

「──はい!?」


***


「あれはね、御先烏みさきがらすっていうんだよ」

「みさきがらす?」


 女中頭──おふくという老年女性は、こぽぽと急須で緑茶を注ぎながら、くるみに話してくれた。他の女中たちにはそれぞれの仕事をいいつけ、今は台所にくるみと二人きりである。


「供物に群がる、カラスのことさ。あやかし……というより邪霊や死霊の寄り集まりみたいなもんだね。この裏山は昔はもっと広い鎮守の森で、日神様にちじんさまっていう太陽の神様をお祀りしていたんだけど、開港して土地を開くっていうんで、廃社はいしゃにしたんだよ。あのカラスはその日神様にちじんさまに捧げる供物のおこぼれを喰らううちに一緒に祀られだして、そのまま住み着いたって話さ」


 くるみの前に湯のみを置いてくれる。お福も自分の分を注ぎ、長机に備え付けの椅子に腰かけた。「もう消えちまったと思ったけど、まだいたんだねえ……」とぽつりと落とす。


「お福さんも、会ったことあるんですか?」

「むかーしにね、少し姿を見たくらいだよ。豊穣家ここから出るごみってごみに見えないだろ? うっかり手をつけようとしたら、ものすごく脅かされてね。あれは肝が冷えた。悲鳴をあげて逃げ帰って、それっきりさ。アタシは足は悪いからあまり裏山にも行かないしね」


 なるほど、とくるみは唸った。「これは供物ではなく、ごみではないのか?」などと、あやかし相手に大真面目に反論せず、ごみを置いて逃げかえればよかったのか。しかし、それにしたって。


「……あやかしが出るって知っていれば、さすがにごみを拾ったりしませんでしたよ」


 ずず、とくるみが緑茶を啜ると、お福は眉を下げた。どことなく声をひそめ。


「大旦那様も、奥様も、美乃里みのりお嬢様も、御先烏みさきがらすが出るっていう噂が大嫌いでね。新人に余計なこと言うなってきつく言われているのさ。ごみを持ち帰ろうとしなければ、出会うこともないし。上女中かみじょちゅうは、わざわざそんなことすることもないし、下女中しもじょちゅうだって、烏や虫が気持ち悪くてさっさとごみを置いたら戻ってくるし。最近は本当にいなくなったと思っていたんだよ」


 う、とくるみは肩を下げた。


 女中奉公する娘は、実は区別がある。四民平等が根づきつつある昨今では、昔ほどの区別ではないが、上女中と呼ばれる娘は良家の出身がほとんどで、花嫁修業や行儀見習いもかねて、奉公するのだ。豊穣邸には応接間もあり、大旦那さまの異国の客人や商人も多く訪れる。上女中はその接客や世話をこなす。暇を見ては華族の奥様から花や琴の稽古だってつけてもらえる。雑務や水回りの家事を任される下女のくるみとは立場が違う。そりゃごみを持ち帰ろうとなんて思うまい。

 つまりは──くるみがごみを拾うような貧乏人で、虫や烏にも慣れている田舎者なのがいけなかったのだ。


「この港町はこの國の玄関口。新しいものがたくさん入ってくる場所。古臭い迷信や価値観を捨てろと仰せなんだよ。異人さんは信仰も常識も違うから、あやかしだなんて、笑われちまうってさ。特に美乃里お嬢様は潔癖症で、ごみを漁るカラスが大嫌いだし。だから、この話はここだけの話にしとくれね」

「ああ、それは……お嬢様から直接聞きました……でも、なら、どうして裏山にごみなんて捨てるんですか? そんなことしなければ、御先烏みさきがらすに会うこともないですよね?」

 

 政府は数十年前に帝都で流行った疫病を重く見て、その原因ともなるごみの処理ついてお触れを出している。けれど、一般庶民に〝衛生〟という認識はあまり浸透していなくて、野焼きしたり川に流したりする処理の仕方がもっぱらだ。けれど、その分、使いまわせるものであるなら、瓶でも傘でも着物でも、残飯すらも、ちゃんと回収業者がいる。わざわざ裏山に全部捨てるなんて手間だし、何よりそんないわくつきの山に捨てる必要性もないだろう。


 ふう、とお福はため息をつき、


「昔はね。ごみじゃなかったんだ。本当に供物を、捧げていたんだよ」

「……供物?」

「この裏山も、当初は切り開く予定でね。ところが、いざ山を開こうとしたら、怪我したり、道具が壊れたりで不幸なことが続いたんだ。〝供物を捧げてきちんとお祀りすればお守りくださる〟ってその時の神主の言うものだから、その通りにしたんだよ。裏山も、それで残すことになったんだけど……もうずいぶん昔の話で、この辺りは開発が進んで新しい人が住んで、それもだんだん、なあなあになって、供物もすっかり痛み出して、粗悪品になっていった。そんなことを続けていたら、ごみが捨てられるようになっちまった。今ではすっかりごみ山──芥山あくたやまって、呼ばれるようになっちまったのさ」


 ──僕の供物を横取りするな!


 脳内に、芥の第一声が蘇った。そういうことだったのか。それで芥はごみを供物だなんて、勘違いしているのか。腐り、朽ち果て、ぼろぼろになったがらくたの山で。今もずっと。


「カラスはなんでも食う分、供物とごみの区別がつかないんだろうねえ。ちょっとかわいそうだよねえ」


 何故だか、少し胸が痛んだ。くるみがしょんぼりと落ち込みだしたので、怯えていると勘違いしたのか。お福は励ますように言葉をつづけた。


「ああ、心配しなくても大丈夫。ごみを持ち帰ったりしなければ、悪さしないよ。信仰なんて途絶えて久しいからね。そのうち消えちまうさ。だから、これまで通り、裏山のごみ捨て、任せてもいいかねえ。上女中たちを行かせるわけにいかないし、下女中のひとりは大けがでいつ戻るやらだし、アタシは足がこんなんだし、ね?」

「それは、別にかまわないんですけど……」


 もとより、指輪を取り戻す気で通う気はいた。事情が知れて、よかったとも思うのに。胸の内はもやもやと晴れなかった。


「……実は大事な指輪を盗られてしまって。どうしたら返してくれるかなって、考えていたんです」


 ぽつり、とくるみがこぼすと、お福は表情を曇らせた。


「気の毒だけど、諦めな。御先烏みさきがらすに盗られたなら無理だよ。なんでもかんでも自分のものにしちまうカラスだからね。なーに大丈夫さ。盗られた指輪がどれほどのものか、知らないけど。ここのお給金はいいから、そのうち金剛石ダイヤモンドだろうが紅玉ルビーだろうが、なんだって買えるようになるからさ」


 だから、ね、辞めないでおくれね、くるみさんが頼りなんだよ、と哀れっぽく説得される。あの裏山にごみ捨てに行く下女を逃したくないのだろう。

 くるみはそうですね、と力なく笑った。

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