第5話 ごみと供物
(つまり、指輪の代わりに、お前が供物になれってこと、だよねえ……?)
女中たちの敷布団をふとんたたきでばふばふ叩きながら、くるみは考えあぐねていた。
あのあと、裏山のあやかし──
「おやまあ、他の女中たちの分まで布団を干してくれたのかい。ありがとうね」
「……えっあ、今日は天気がよかったので!」
今はむしろ仕事に集中したほうが落ち着くのだ。せっせと布団を取り込むくるみを見て、「働き者だねえ」と女中頭は皺だらけの目元を一層細くさせた。豊穣邸に女中奉公している娘は皆くるみと同じ年ごろか、年下が多かったが、この女中頭だけが年嵩で、腰も曲がり、骨の浮き出た老婆だった。長く勤めているのだろう。
「おや? くるみさん、肩になにか、ついとるよ」
くるみの肩に触れ、なにか掴んだ。女中頭のその手には、大きな黒い羽根が握られていた。くるみはぎょっと目を剥いた。
「鳥の羽根……? カラス? それにしたって大きさが」
「えっわあ!? いつの間に……! た、たぶん裏山で……くっつけちゃったのかなあ!?」
「……もしかして、くるみさん、裏山のあやかしを見たりしたかい?」
「──はい!?」
***
「あれはね、
「みさきがらす?」
女中頭──お
「供物に群がる、カラスのことさ。あやかし……というより邪霊や死霊の寄り集まりみたいなもんだね。この裏山は昔はもっと広い鎮守の森で、
くるみの前に湯のみを置いてくれる。お福も自分の分を注ぎ、長机に備え付けの椅子に腰かけた。「もう消えちまったと思ったけど、まだいたんだねえ……」とぽつりと落とす。
「お福さんも、会ったことあるんですか?」
「むかーしにね、少し姿を見たくらいだよ。
なるほど、とくるみは唸った。「これは供物ではなく、ごみではないのか?」などと、あやかし相手に大真面目に反論せず、ごみを置いて逃げかえればよかったのか。しかし、それにしたって。
「……あやかしが出るって知っていれば、さすがにごみを拾ったりしませんでしたよ」
ずず、とくるみが緑茶を啜ると、お福は眉を下げた。どことなく声をひそめ。
「大旦那様も、奥様も、
う、とくるみは肩を下げた。
女中奉公する娘は、実は区別がある。四民平等が根づきつつある昨今では、昔ほどの区別ではないが、上女中と呼ばれる娘は良家の出身がほとんどで、花嫁修業や行儀見習いもかねて、奉公するのだ。豊穣邸には応接間もあり、大旦那さまの異国の客人や商人も多く訪れる。上女中はその接客や世話をこなす。暇を見ては華族の奥様から花や琴の稽古だってつけてもらえる。雑務や水回りの家事を任される下女のくるみとは立場が違う。そりゃごみを持ち帰ろうとなんて思うまい。
つまりは──くるみがごみを拾うような貧乏人で、虫や烏にも慣れている田舎者なのがいけなかったのだ。
「この港町はこの國の玄関口。新しいものがたくさん入ってくる場所。古臭い迷信や価値観を捨てろと仰せなんだよ。異人さんは信仰も常識も違うから、あやかしだなんて、笑われちまうってさ。特に美乃里お嬢様は潔癖症で、ごみを漁るカラスが大嫌いだし。だから、この話はここだけの話にしとくれね」
「ああ、それは……お嬢様から直接聞きました……でも、なら、どうして裏山にごみなんて捨てるんですか? そんなことしなければ、
政府は数十年前に帝都で流行った疫病を重く見て、その原因ともなるごみの処理ついてお触れを出している。けれど、一般庶民に〝衛生〟という認識はあまり浸透していなくて、野焼きしたり川に流したりする処理の仕方がもっぱらだ。けれど、その分、使いまわせるものであるなら、瓶でも傘でも着物でも、残飯すらも、ちゃんと回収業者がいる。わざわざ裏山に全部捨てるなんて手間だし、何よりそんないわくつきの山に捨てる必要性もないだろう。
ふう、とお福はため息をつき、
「昔はね。ごみじゃなかったんだ。本当に供物を、捧げていたんだよ」
「……供物?」
「この裏山も、当初は切り開く予定でね。ところが、いざ山を開こうとしたら、怪我したり、道具が壊れたりで不幸なことが続いたんだ。〝供物を捧げてきちんとお祀りすればお守りくださる〟ってその時の神主の言うものだから、その通りにしたんだよ。裏山も、それで残すことになったんだけど……もうずいぶん昔の話で、この辺りは開発が進んで新しい人が住んで、それもだんだん、なあなあになって、供物もすっかり痛み出して、粗悪品になっていった。そんなことを続けていたら、ごみが捨てられるようになっちまった。今ではすっかりごみ山──
──僕の供物を横取りするな!
脳内に、芥の第一声が蘇った。そういうことだったのか。それで芥はごみを供物だなんて、勘違いしているのか。腐り、朽ち果て、ぼろぼろになったがらくたの山で。今もずっと。
「カラスはなんでも食う分、供物とごみの区別がつかないんだろうねえ。ちょっとかわいそうだよねえ」
何故だか、少し胸が痛んだ。くるみがしょんぼりと落ち込みだしたので、怯えていると勘違いしたのか。お福は励ますように言葉をつづけた。
「ああ、心配しなくても大丈夫。ごみを持ち帰ったりしなければ、悪さしないよ。信仰なんて途絶えて久しいからね。そのうち消えちまうさ。だから、これまで通り、裏山のごみ捨て、任せてもいいかねえ。上女中たちを行かせるわけにいかないし、下女中のひとりは大けがでいつ戻るやらだし、アタシは足がこんなんだし、ね?」
「それは、別にかまわないんですけど……」
もとより、指輪を取り戻す気で通う気はいた。事情が知れて、よかったとも思うのに。胸の内はもやもやと晴れなかった。
「……実は大事な指輪を盗られてしまって。どうしたら返してくれるかなって、考えていたんです」
ぽつり、とくるみがこぼすと、お福は表情を曇らせた。
「気の毒だけど、諦めな。
だから、ね、辞めないでおくれね、くるみさんが頼りなんだよ、と哀れっぽく説得される。あの裏山にごみ捨てに行く下女を逃したくないのだろう。
くるみはそうですね、と力なく笑った。
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