第4話 かすていらと目玉

「え、嘘、また来たの? 懲りない人だね」


 ──あやかしであるなら、日の高いうちは出現しないのでは、という目論見は脆くも崩れ去った。


 次の日の昼下がり。

 女中たちが一息ついているところに、「ごみ捨てに行ってきます」と半ば強引に申し出た。美乃里みのりからもらった新しい着物に着替え、たすき掛けにし、胡桃色くるみいろの髪を後頭部に一つまとめにして気合を入れて裏山に赴く。──対峙しなくていいなら、それに越したことはなかったけれど、その期待は叶わず。男は杉の木の上で、大きな翼を休め、平然と日中に姿を現していた。


(……やっぱり、おっきなカラスみたい)


 鬱蒼としげる草木で見えにくいが、その造形は昨日よりはっきりとうかがえた。

 姿形は、思ったより人間のそれだった。男というよりは青年と言ったほうが正しい若々しさ。

 琥珀色こはくいろの丸い眼球。切れ長の目尻。すっと通った鼻筋。白い肌。整っているとすらいえる顔立ちで少し驚く。

 濡羽色ぬればいろの長い髪はふさふさして羽毛のよう。墨色すみいろの着物に袴。二本歯にほんば高下駄たかげた。思ったより身綺麗な装いだ。木の上でぷらぷら両足を揺らしている仕草は、外見よりも幼く無邪気に見える。もっとも、その背から生える黒い翼が、人間の枠に当てはめていい存在ではないと証明していたけれど。


「で、いつまで黙ってるの? また供物ドロボー?」


 瞬きするのも忘れて見上げていたくるみは、はっと我に返った。


「ち、ちがい、ます! あなたは、その、山の主様ですか? か、烏天狗からすてんぐ、とか?」

「半分合ってるけど半分違うよ。からすだけど、天狗じゃない」

「……じゃあ、山神様やまがみさま、とか!?」


 男は、ぷい、と顔をそらした。


「君に教える義理はないよ。でもここは僕の山で、ここにあるのは僕の供物だよ。泥棒さん」

「……きょ、今日は、泥棒にきたんじゃありません」


 へえ? と男は興味深そうに視線をくるみに戻した。


(やっぱり、会話は通じる。だったら、)


 がばり、とくるみは頭を下げた。祖母が言っていた。あやかしや神様は人間とは別の存在だから、無闇に刺激しないこと。どんなに理解できなくても否定しないこと。そうすれば、助けてくれる異形も多いと。


「昨日は失礼いたしました! お詫びの供物を持ってきたんです!」

「……お詫び?」


 ふわりと翼を広げた男は、木の葉を散らして、くるみの前に降り立った。とん、と下駄を地につける。


「ちゃんと謝れるんだ。お利口さんだね」


 ぎょっと身をのけぞらせたくるみの顔を、好奇心旺盛な眼で覗き込む。腰を抜かしかけたが、男の薬指にはまっている祖母の指輪を見て、くるみは覚悟を決めた。深呼吸し、ごみの入った手桶を置き、別の手提げから包み紙を取り出す。甘い匂いが香る。柔らかい小麦色こむぎいろ。男の瞳孔が開いた。


「かすていらっていう帝都で流行りのお菓子です。とっても高価で貴重品だから、気に入ってくださるかなあって……」

「おかし?」


 大旦那さまが頂いたお土産を、お嬢様が女中たちに配ってくれたのだ。なんて寛大なお心づかい。こんな美味しそうなお菓子、見るのも食べるのも初めてだ。本当だったら、今すぐ自分で食べたい。涎が出るほど食べたい。けれど、着の身着のままここまで流れ着いたくるみに、高価な手持ちはひとつもない。指輪の代わりになるような供物は思いつかなかった。男は興味深そうに、ひょい、と片手でかすていらを掴むと、ぺろりと三口で平らげてしまった。


 ああ、せめて、もう少し味わって食べて欲しい。


「……おいしーね」

「で、ですよね!? とても貴重な、庶民には手に入らないものなんです、あの、だから、」

「言っとくけど指輪は返さないよ。僕はもらったものは絶対に手離さないんだから」

「……」


 けちんぼ、と喉元まで出かかった文句を呑み込む。涙を呑んで高級菓子を捧げた意味がないじゃないか。せめて、食べる前に教えてくれればいいものを。恨みがましい瞳を向けると、男は「怒った?」と無邪気にまた首を傾げる。


 ──なんだか、むしゃくしゃした。泥棒はそっちじゃないか。ごみを片付けようとしただけなのに、大事な形見の指輪を取り上げられるほど、悪いことしただろうか? 


 くるみは肩をいからせた。食べ物の恨みは深い。「用はそれだけです!」と不貞腐れて、生ごみをいつもの穴に放り投げようとしたら。


「あ、そっちももらうよ。いつものでしょ?」

「え? あっ……」


 くるみが豊穣邸ほうじょうていから持ってきた生ごみを男は奪い取ってぶちまけた。あばら家や木の上で様子を窺っていたカラスたちが一斉に寄ってきて、生ごみを啄む。果物の皮や、骨の魚をうまそうに貪り食う。呆気に取られて眺めていたら、男は「もういいよ。帰って。ドロボーしないなら用はないから」としっしっとくるみを追いやる。


(ほ、本当に、ごみを供物だと思ってるんだ……って、ああ!)


「そんなに巻き散らかしたら、虫が湧いちゃう!」

「別に問題ないよ。虫も食べるし」

「そういうことじゃないよ! あなたがよくても、害獣や毒虫が湧いたら、ここにごみ──じゃなくて、供物を捧げに来る人間が危ないでしょ!」


 今はまだ、春先だけれど、これから夏に近づけば、ハエ蛆虫ウジムシ、ゴキブリやネズミが必ず湧き出す。特に地中に巣を作る大雀蜂オオスズメバチは厄介だ。果物や昆虫に寄ってきて、なんでも餌にする。うっかり巣の近くを踏んだだけで、大雀蜂オオスズメバチの大群に襲われて命を落とした故郷の村人だっていた。それに、害虫や害獣は病原菌の媒介でもある。ほんの数十年前、帝都の疫病でたくさんの人が亡くなったのは、田舎にいても耳に届いていた。


「く、供物が大事だっていうなら、それを捧げる人間も大事にしてください!!」


 大声で怒鳴りつけた後、はっと我に返った。男は目を白黒させていた。しまった。ご機嫌をとってうまく指輪を返してもらうはずが、叱りつけるなんて。くるみは慌てて取り繕ったような笑顔を浮かべ、後ずさりした。


「……な、なん~て……ま、まずこんな供物をここに捨てるほうが悪いですよねえ~……あはは……」

「──そうか。それもそうだね。想像したことなかった。ごめんなさい」


 思いのほか素直に謝罪されたので、今度はくるみのほうが目を丸くさせる。男はしゃがんで、豊穣邸へと続く斜面を見下ろした。古くは丸太階段だった名残がうかがえるものの、ほとんど朽ちて、獣道になっている。低山といえど、ささくれた木片やひび割れた陶器も転がっていて、害獣や害虫の存在だけではなく、危険な場所だ。


「この前も、滑って転んで、血だらけになってた人間の子がいたよ。間抜けだなあって思ってたけど、人間は飛べないもんね。かわいそーに」

「……大けがした女中のことですか? あなたがやったんじゃないの?」

「なんで? 悪いことしないならなにもしないよ。君みたいにドロボーじゃないならね」


 だから、泥棒じゃないって、と反論しかけて、くるみは思い直す。この男のせいじゃないのか。だったら、思ったより怖くないのかも。女中としての仕事のためにも、指輪を取り戻すためにも、この裏山に通わなくてはならないのなら。


「……あの、じゃあ、少しこの裏山を片づけてもいいですか? あまりにひどいというか。もったいないというか。ちゃんと整理してを処理すれば、ここはもっと綺麗になると思うんです」

「……ごみ?」


 ざわり、と男の気配が揺らいだ。気がゆるんで、うっかり禁句を言ってしまった。しまったとくるみは青ざめる。よく分からないけれど、この男は供物をごみ扱いされたり、盗まれたりすることが我慢ならないのだ。


「やっぱり、僕の供物を汚いっていうんだ。ごみだっていうんだね。せっかく許そうと思ったのに──」

「わ、わあー! 待って、違います! もうごみだなんて言いません! そうじゃなくて、もっといい方法だってあると思うんです!」

「……方法?」


 勢いまかせで言った提案に、男は怒気を治めた。ほっとくるみは息をつく。真意を探るように小首をかしげる仕草は、まさに小鳥そのものだ。


「……もう、ごみって言わない?」

「い、言いません。あなたにとっては、大事な物なんでしょう? 事情はよく分からないけれど」


 くるみは、男の薬指に光る輝きを見つめた。祖母の指輪。純心の塊のような透明なだけの煌めき。


「……誰かにとって、取るに足らない物でも、その人にとって、大切な物は確かにあります。それは、私にも分かるから」

「……──」


 男は瞳をまんまるに丸めた。驚いているその表情は、やっぱりどこか幼く見えた。


 カラスたちが静まり返る。ざわめく木々。木漏れ日に照らされて硝子ガラスの破片があちこち光る。がらくたの中の不思議なあやかし。それでも、損なわれない神秘と魔性がそこにはあった。琥珀色の宝石のような瞳は、見ているだけで吸い込まれてしまいそう。


 向かい合ったまま、じっとくるみを眺めていた男は──唐突に、破顔した。どきり、とするくらい無防備な笑顔だった。


「君、名前は?」

「え?」

「名前。教えてよ。ねえ」


 ……なんか近い。きらきら光る瞳がくるみの顔を覗き込む。そういえば、名乗ってなかったか。若干後ずさりながら、くるみは答える。


「え、と、くるみです。栗山くりやまくるみ」


 くるみ、美味しそうな名前だね、と男は微笑んで、右手を差しだした。鋭い爪先に慄いていると「握手だよ、握手。知らないの?」と手を握られた。感触は人肌だったが、かすめる鉤爪かぎづめにおっかなびっくりする。


「僕はね、あくたっていうの。よろしくね」

「あくた、さん? は、はい。よろしく?」


 呼び捨てで構わないよ、とにこにこと微笑まれ、ぶんぶんと手を振られる。なにがなんだか。


「くるみ、指輪を返してあげる。僕の供物も触ってもいいよ」

「えっ!? ほ、本当!?」


 思わず自分から身を乗り出す。男は一層嬉しそうに目を輝かせた。


「その代わり、君のなにかを僕にちょうだい? 生爪でも小指でも目玉でも──でも。なんでもいいよ」

「えっ……!?」


 ぐいっとひっぱられて男の──あくたの顔が吐息がかかるほど近づく。突然すぎて、思考が追いつかず。間近で見るとやっぱり端正な顔だちだな、と明後日のことが頭によぎる。あくたの両手がくるみの頬を包み込みこんだ。柔らかく、優しい手つきだったけれど、鋭い鉤爪が視界の隅をかすめるたび、身がすくんだ。お気に入りの玩具を手にした幼子のような表情で、あくたは笑った。


「君も、よく見たらとっても綺麗だから。君のなにかをくれるなら、指輪を返してあげるよ」

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