第4話 かすていらと目玉
「え、嘘、また来たの? 懲りない人だね」
──あやかしであるなら、日の高いうちは出現しないのでは、という目論見は脆くも崩れ去った。
次の日の昼下がり。
女中たちが一息ついているところに、「ごみ捨てに行ってきます」と半ば強引に申し出た。
(……やっぱり、おっきなカラスみたい)
鬱蒼としげる草木で見えにくいが、その造形は昨日よりはっきりとうかがえた。
姿形は、思ったより人間のそれだった。男というよりは青年と言ったほうが正しい若々しさ。
「で、いつまで黙ってるの? また供物ドロボー?」
瞬きするのも忘れて見上げていたくるみは、はっと我に返った。
「ち、ちがい、ます! あなたは、その、山の主様ですか? か、
「半分合ってるけど半分違うよ。
「……じゃあ、
男は、ぷい、と顔をそらした。
「君に教える義理はないよ。でもここは僕の山で、ここにあるのは僕の供物だよ。泥棒さん」
「……きょ、今日は、泥棒にきたんじゃありません」
へえ? と男は興味深そうに視線をくるみに戻した。
(やっぱり、会話は通じる。だったら、)
がばり、とくるみは頭を下げた。祖母が言っていた。あやかしや神様は人間とは別の存在だから、無闇に刺激しないこと。どんなに理解できなくても否定しないこと。そうすれば、助けてくれる異形も多いと。
「昨日は失礼いたしました! お詫びの供物を持ってきたんです!」
「……お詫び?」
ふわりと翼を広げた男は、木の葉を散らして、くるみの前に降り立った。とん、と下駄を地につける。
「ちゃんと謝れるんだ。お利口さんだね」
ぎょっと身をのけぞらせたくるみの顔を、好奇心旺盛な眼で覗き込む。腰を抜かしかけたが、男の薬指にはまっている祖母の指輪を見て、くるみは覚悟を決めた。深呼吸し、ごみの入った手桶を置き、別の手提げから包み紙を取り出す。甘い匂いが香る。柔らかい
「かすていらっていう帝都で流行りのお菓子です。とっても高価で貴重品だから、気に入ってくださるかなあって……」
「おかし?」
大旦那さまが頂いたお土産を、お嬢様が女中たちに配ってくれたのだ。なんて寛大なお心づかい。こんな美味しそうなお菓子、見るのも食べるのも初めてだ。本当だったら、今すぐ自分で食べたい。涎が出るほど食べたい。けれど、着の身着のままここまで流れ着いたくるみに、高価な手持ちはひとつもない。指輪の代わりになるような供物は思いつかなかった。男は興味深そうに、ひょい、と片手でかすていらを掴むと、ぺろりと三口で平らげてしまった。
ああ、せめて、もう少し味わって食べて欲しい。
「……おいしーね」
「で、ですよね!? とても貴重な、庶民には手に入らないものなんです、あの、だから、」
「言っとくけど指輪は返さないよ。僕はもらったものは絶対に手離さないんだから」
「……」
けちんぼ、と喉元まで出かかった文句を呑み込む。涙を呑んで高級菓子を捧げた意味がないじゃないか。せめて、食べる前に教えてくれればいいものを。恨みがましい瞳を向けると、男は「怒った?」と無邪気にまた首を傾げる。
──なんだか、むしゃくしゃした。泥棒はそっちじゃないか。ごみを片付けようとしただけなのに、大事な形見の指輪を取り上げられるほど、悪いことしただろうか?
くるみは肩をいからせた。食べ物の恨みは深い。「用はそれだけです!」と不貞腐れて、生ごみをいつもの穴に放り投げようとしたら。
「あ、そっちももらうよ。いつもの供物でしょ?」
「え? あっ……」
くるみが
(ほ、本当に、ごみを供物だと思ってるんだ……って、ああ!)
「そんなに巻き散らかしたら、虫が湧いちゃう!」
「別に問題ないよ。虫も食べるし」
「そういうことじゃないよ! あなたがよくても、害獣や毒虫が湧いたら、ここにごみ──じゃなくて、供物を捧げに来る人間が危ないでしょ!」
今はまだ、春先だけれど、これから夏に近づけば、
「く、供物が大事だっていうなら、それを捧げる人間も大事にしてください!!」
大声で怒鳴りつけた後、はっと我に返った。男は目を白黒させていた。しまった。ご機嫌をとってうまく指輪を返してもらうはずが、叱りつけるなんて。くるみは慌てて取り繕ったような笑顔を浮かべ、後ずさりした。
「……な、なん~て……ま、まずこんな供物をここに捨てるほうが悪いですよねえ~……あはは……」
「──そうか。それもそうだね。想像したことなかった。ごめんなさい」
思いのほか素直に謝罪されたので、今度はくるみのほうが目を丸くさせる。男はしゃがんで、豊穣邸へと続く斜面を見下ろした。古くは丸太階段だった名残がうかがえるものの、ほとんど朽ちて、獣道になっている。低山といえど、ささくれた木片やひび割れた陶器も転がっていて、害獣や害虫の存在だけではなく、危険な場所だ。
「この前も、滑って転んで、血だらけになってた人間の子がいたよ。間抜けだなあって思ってたけど、人間は飛べないもんね。かわいそーに」
「……大けがした女中のことですか? あなたがやったんじゃないの?」
「なんで? 悪いことしないならなにもしないよ。君みたいにドロボーじゃないならね」
だから、泥棒じゃないって、と反論しかけて、くるみは思い直す。この男のせいじゃないのか。だったら、思ったより怖くないのかも。女中としての仕事のためにも、指輪を取り戻すためにも、この裏山に通わなくてはならないのなら。
「……あの、じゃあ、少しこの裏山を片づけてもいいですか? あまりにひどいというか。もったいないというか。ちゃんと整理してごみを処理すれば、ここはもっと綺麗になると思うんです」
「……ごみ?」
ざわり、と男の気配が揺らいだ。気がゆるんで、うっかり禁句を言ってしまった。しまったとくるみは青ざめる。よく分からないけれど、この男は供物をごみ扱いされたり、盗まれたりすることが我慢ならないのだ。
「やっぱり、僕の供物を汚いっていうんだ。ごみだっていうんだね。せっかく許そうと思ったのに──」
「わ、わあー! 待って、違います! もうごみだなんて言いません! そうじゃなくて、もっといい方法だってあると思うんです!」
「……方法?」
勢いまかせで言った提案に、男は怒気を治めた。ほっとくるみは息をつく。真意を探るように小首をかしげる仕草は、まさに小鳥そのものだ。
「……もう、ごみって言わない?」
「い、言いません。あなたにとっては、大事な物なんでしょう? 事情はよく分からないけれど」
くるみは、男の薬指に光る輝きを見つめた。祖母の指輪。純心の塊のような透明なだけの煌めき。
「……誰かにとって、取るに足らない物でも、その人にとって、大切な物は確かにあります。それは、私にも分かるから」
「……──」
男は瞳をまんまるに丸めた。驚いているその表情は、やっぱりどこか幼く見えた。
カラスたちが静まり返る。ざわめく木々。木漏れ日に照らされて
向かい合ったまま、じっとくるみを眺めていた男は──唐突に、破顔した。どきり、とするくらい無防備な笑顔だった。
「君、名前は?」
「え?」
「名前。教えてよ。ねえ」
……なんか近い。きらきら光る瞳がくるみの顔を覗き込む。そういえば、名乗ってなかったか。若干後ずさりながら、くるみは答える。
「え、と、くるみです。
くるみ、美味しそうな名前だね、と男は微笑んで、右手を差しだした。鋭い爪先に慄いていると「握手だよ、握手。知らないの?」と手を握られた。感触は人肌だったが、かすめる
「僕はね、
「あくた、さん? は、はい。よろしく?」
呼び捨てで構わないよ、とにこにこと微笑まれ、ぶんぶんと手を振られる。なにがなんだか。
「くるみ、指輪を返してあげる。僕の供物も触ってもいいよ」
「えっ!? ほ、本当!?」
思わず自分から身を乗り出す。男は一層嬉しそうに目を輝かせた。
「その代わり、君のなにかを僕にちょうだい? 生爪でも小指でも目玉でも──君自身でも。なんでもいいよ」
「えっ……!?」
ぐいっとひっぱられて男の──
「君も、よく見たらとっても綺麗だから。君のなにかをくれるなら、指輪を返してあげるよ」
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