リプレイ:女子大生・輪数典子の日誌より ~ 奇異なるもの

中学生くらいからだろうか…えも言われぬ疎外感を感じるようになったのは。


中高時代の部活は競技かるた部で、競技としての歌留多に興じる日々をおくってきた。先輩と後輩もできた。知り合いも出来た。だが、友達や、親友と呼べるような距離感を感じられる人とは出会えずにいた。


大学は推薦されたM女子大。そこで私は論文の題材として、芥川龍之介の『河童』を選んだ。それはとりもなおさず、この作品が私の疎外感を昇華してくれているかのように思えたからだ。


私は来る日も来る日も図書館に潜り、文献を漁るのは勿論、先生と仰ぐ龍之介ゆかりの地を辿る巡礼もした。河童にかける情熱で私の右に出るものはいないとすら自慢できるほどだった。


そんな勉学のみにいそしむ日々が続いていた、とある初夏の昼下がり。


大学図書館の地下の書庫の隅、ライトが故障したと思しき仄暗い場所で、私は偶然、あるの背中を見つけた。


河童だ。絵巻物によく描かれたそれである。

背後に私の気配を感じたのか、その河童は、


「しまった!また見つかった」と叫び、逃げ出す。


(また、って言うことは…)私は瞬時に、その河童が漁師のバッグであることを理解した。


追う私。逃げる河童。


地下書庫での不思議な短距離レースが一周ほどしたころだろうか、バッグはもと居た暗い空間を目指すと、消え入ってしまったのを目にした。


そこには黒々とした、としか形容できぬがあるばかりである。


私は悩んだ。

河童さんとならお友達になれるかもしれない。

あるいは、あちらの国に住めるかもしれない。


そんなことを思いながら、私は迷うことなく空間に勢いよく飛び込んだ。


☆   ☆   ☆


目が覚めると、私は小さな小屋のような場所で目を覚ました。伏せていた私をのぞき込んでいたのは……河童だ!


「大丈夫、大丈夫」


と、私の肩にそっと手を置く河童。


「私はチャックと言います。二十三号さんを診察した河童ですよ」


私は自分が河童の言葉を理解できることに驚いた。…というのは気のせいで、どうやらチャックさんが日本語を使っていただけのようだ。


「わ、私は…輪数典子わかずのりこといいます」


「初めまして、典子さん」


「日本語がお上手なんですね」


言うと、恥ずかしがるように頭をぽりぽりと描くチャックさん。


「あれから我々も勉強せねばということになりましてね。二十三号さんとと知り合いになった河童でしたら、概ね日本語は使えるはずですよ」


「そうなんですね, qua」


「おや、あなたも河童の言葉をご存じなのですか」


「いえ、二十三号さんが知っている単語を少しだけ」


ふむ、という風に両手を組むチャックさん。


「ならば日本語で会話することにしましょう。ところで今更ですが、あなたに目立った外傷はありません。痛むところはありますか?」


「いえ、気づいたらここに寝ていました」


「バッグ君が運んでくれたんです。彼に言伝をもらってまして、急ぎ漁があるから、とりあえず自宅に運んだ、すまない、と」


その後しばらく、トック君は相変わらず亡霊として写真に映ったりするのかとか、ラップ君のくちばしの具合はどうかとか雑談をしていると、部屋のドアをあけてバッグさんが入って来た。


「すみません、あねさん。ちょっくら儲かりそうな場所があるってんで、急いで船を出してたんです」


「いいえ、謝られることはありません。…しかし、私はこれからどうすれば」


「幸い家のすぐ隣に空きができました。そこでお住まいになるとよいでしょう」


かくして、私の河童の国での生活が始まった。


☆   ☆   ☆


この国に来てからというもの、私が初めて友達と呼べたのは、やはりバッグさんだった。一緒に朝早く、あるいは深夜に漁に出たり、旬の魚と野菜を使ったイタリアンをご馳走になったり、船上で即席の寿司を握ってもらったり、あるいは私が和食(といっても、まぐろのたたき丼しか作れない脳だったが)を差し上げたりして、漁師としても、同志としても私たちは仲を深めていくことができた。


だが、平和な日々はそう長く続かなかった。


なんと、チャック先生によると、私がもと居た世界のとある科学研究者に胡散臭い野郎が居て、そいつがどうやらこの河童の国を我がものとせん為に刺客を送り込んだみたいだ、と告げてきたのだ。やはり、ここでも敵はであった。


河童の国はそのニュースでもちきりになった。背の高さのためにヒトと間違えられ、暗がりで殴られた河童もいた。噂が噂を呼び、誰もが来るべき敵に怯え、車の往来は減り、買い物客は減っていった。


☆   ☆   ☆



だが、王国警備隊の精鋭部隊が刺客をしてから数日、数週間、そして数か月──なんにせよ、しばらくした後、町は恐怖から解放され、町には再び活気が溢れはじめた。そんなある日。


定期健診のためにチャックさんの務める病院の待合室で待っていた私。とんとんと肩を後ろから叩くものがあったので、ふり返るとラップ君が居た。私がこの国に来て会ったとき同様、くちばしは生憎依然として腐ってしまったままだった。


「お元気そうでなによりです。ですが、あなたがこちらに来てもう一年たちますね。そろそろ、戻ろうかなとは思わないのですか?」と、ラップ君が言ってきた。何気ない疑問だったのかもしれない。


本当のところは、戻りたくない。でも、なぜか、いつかは戻らなくてはならない日が来るような気がして、恐ろしくもあるのだ。


チャック先生に診てもらう私。どうやら、まだ抑うつ状態はとてもではないが治ったとは言い難いと診断された。


「戻ってはなりません。あなたの病状が悪化するおそれが大いにあります」


「でも、例えばケアする母親が居たりしたら…それでも?」


「それでも、です。あなたの国とあなたのが合わないのは、あなた自身も充分ご承知のはずです。…前もうかがったように、お友達ができなかったと、あなたはおっしゃっていましたよね」


無言で頷く私。


「ですがご覧になってみては呉れませんか。バッグ君も、ラップ君も、そしてこの私もあなたを立派な友人だと思っています。それでいいじゃないですか。無理をして故郷に帰ることはありません。あなたの宝物は、あなたの心があるところにあるのですから」


再び無言で頷く。

私の目に大粒の涙が溢れ出てきた。拭いても拭いても、止まらなかった。

チャック先生がハンカチーフを手渡してくれる。


「私、決めました」


「…その語調だと、決断は硬いようですね」


「はい」


☆   ☆   ☆


わたしはこの日誌を、連絡係となってくれているバッグさんに託し、人間界・私の学んでいた大学の図書館の書庫、そのとある箇所にひっそりと挟んでもらうこととした。


< もし彼を見かけたなら、本当に河童の国に行きたいのなら…その覚悟がある者だけが、彼のあとについてゆくがいい、と警告しておく >



── 河童の国に永住を決めたヒトの日誌より ──





1~3:河童の国でくらし続ける

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『河童』 revisited ~ ジャーナリングRPG 博雅 @Hiromasa83

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ