【SS】アヤカシ・オーヴァドラヰヴ

夢咲蕾花

第1話 廃墟、記憶喪失一人

 吾輩は何者なのだ。名前さえも判然としない。


 目を覚ますとそこは見知らぬ天井――足元に輝く蛍光グリーンの非常灯が、薄汚れた石灰岩のトラバーチン模様の天井を浮かび上がらせている。さながら病院の天井のようだ。

 天井にはハロゲンランプが一基据えられているが、電源は入っていないようだ。サイドテーブルの上にはハンディサイズのスキャナーのようなもの。X線で体内に残留した銃弾や鉄の破片を探るつもりだったのだろうか。"自分"は負傷者だったのか? ——さながら手術台のような設備である。


 "自分"はゆっくり起き上がった。寝かされていたのはなんらかのゲル素材が用いられた介護用のベッドだ。床ずれが起こらないためのものだろう。

 体には電極が取り付けられている。これで電気的な刺激を送り、筋力低下を抑えていたのだろうか――そこまで考え、こういった知識は抜け落ちていないのだな、と思った。

 電極をパチパチ外していく。手術衣を押し上げる豊かな乳房に、肉感的な太ももと見事にくびれた腰回り。しかし、ぺらりと衣類を捲ると股間には男根が生えている。

 両性具有——それが特殊なことなのかどうかさえわからないが、なぜか、取り立てて騒ぐほどのことでもない気がする。


 知識は、最低限ある。

 ただ、己と言う存在だけがぽっかりと空いた真っ黒な穴のように抜け落ちている。


 と、横のサイドテーブルにかけられていたコートを見つけた。黒色のコート襟は紫色で、和風な作りのトレンチコートだった。腰紐を結べば、ちょうど着物を帯で止めたような感じになるわけである。今自分は簡素な手術衣のような格好で、ここは少し、肌寒い。誰のものかは知らないが、拝借していこう。

 "自分"はコートを掴み、袖を通した。胸の膨らみが襟を押し除け、前面に顔を出す。自分は女性として生きてきたのだろうかと思ったが、しかし股間には男根の感触が確かにあった。これを持って女性として生きるのは難しい。無理とまでは言わないし、肉体が完全に男でも乙女の心を持った者などそこかしこにいるが、自分はどうだったんだろう。

 やはり両性具有という言葉に至り、自分はひょっとしたら、珍しい人間だからここに預けられたのかもしれないと思った。無論それは、若干の飛躍を兼ねた推測――憶測だが。そもそも論だが、この土地において両性具有が珍しいという気がしないのだ。当たり前、と言うほどではなかったのだろうが。

 次に腰に違和感があって確認すると、自分には本体が黒色で先端が銀色の四本の尻尾が生えていた。イヌ科のものだろう。長太いモフモフしたそれを、コートのテールスリットに押し込んで通す。

 紐は絞めず、備え付けの藍色の羽織を手に取り、それも袖を通す。


 と、コートの中に手帳があった。内ポケットからそれを取り出すと、「三等百鬼士ひゃっきし 大守奏真おおかみそうま」とあった。

 百鬼士――とは、なんだったか。たしか、何でも屋のようなものだったと思う。野盗退治に幻獣狩り、お使いにいなくなったペットの捜索から無くした婚約指輪の捜索、浮気現場の証拠の取り押さえまでやる仕事だ。

 自分はその百鬼士だったのだろうか。それとも、この大守という何者かの忘れ物だろうか。ただ、都合がいいことは確かだ。これは身分証になる。奇妙な体で記憶喪失と知られれば何かと付け込まれる――この際、大守奏真を名乗ろう。

 そう決めて手帳のページを捲ると、ポニーテールの中性的な青年のバストアップ写真が写っていた。その頭頂部には犬? 狼? のような獣耳が鎮座している。


 奏真は部屋を見回す。手鏡があり、それを覗くと、あろうことか手帳の人物と同一の顔をしていた。髪は結っておらず、そのまま伸ばしっぱなしだが――。

 自分は犬――いや、名前からして狼だったのだ。尻尾だけが生えた人間ではなかった。頭頂部にはしっかり、肉厚の狼耳が生えている。白い耳毛が、ふわふわ出ていた。

 一体、何がどうなっているのだろう。

 自分は十中八九狼の人外――恐らくは妖怪で、百鬼士だったがここに来て眠らされていた。

 何らかの任務を請け負ってここに来て任務を失敗し、実験に参加させられていたのだろうか……?

 それとも大怪我を負ってここに搬送されたはいいものの、入院中——もしくはオペの最中に何かあって、放棄されたのか?


 いや、考える前に行動せねばと思った。

 もしこの施設に何者かがいて奏真を捕まえようとしてきたら、地の利がない自分は圧倒的に不利である。見つかる前にここを脱出せねばならないが、あいにくとこの部屋には窓らしい窓がない。ひょっとしたら、地下かもしれなかった。


 奏真は辺りをくまなく探した。何か使えるものがないかと思ったからだ。ロッカーを開けて長いバールを見つけると、それをコートのベルトに剣のようにして挟んだ。

 机の引き出しを開ければ、そこには四〇口径妖力式自動拳銃が一挺と、妖力焼け対策にと予備のマガジンが二本ある。それも拝借した。妖力銃は実弾を使うわけではないが、マガジンが妖力を弾丸に変換するモジュールを兼ねる。負荷をかけ続ければマガジンの回路が焼けつき、弾丸生成能力を奪っていくのだ。

 それから次の棚には手榴弾が四つ。二つは閃光音響手榴弾フラッシュバン・グレネード、もう二つは破片手榴弾フラグ・グレネード


 ベッドの下にはブーツと靴下があり、しっかりと貰い受けて黒いソックスを履いたのち、オリーブドラブ色のコンバットブーツを履く。

 二つ目のロッカーにはカーボンラバー製の少しマットでぴっちりしたスーツがあり、それを着込めと言うことなんだろうと思い着込んだ。備え付けのハーネスに拳銃のホルスターや手榴弾を入れるホルダー、マガジンポケットなどもある。

 サイドテーブル脇の寝袋の括り付けられたザックを背負って、奏真はあらかた探索を終えたことを確認すると、バールを構えて外に出ることにするのだった。


 拳銃を無造作においてある時点で、真っ当な施設ではないし、よしんば職員がいたとして脱走を容認している――あるいは、餞別のようなものに思えた。

 本当に脱走させたくないなら、ベッドに拘束具くらいつけるはずだろうし。

 ますますもってこの施設がわからない。どう言った意図で自分をあの部屋に預けていたのかも不鮮明だ。

 奏真はドアを慎重に開けた。そこまで古びていないらしく、キィと小さな軋りがして開く。

 廊下にも、非常灯が灯っていた。どこかに変電室なりがあるんだろうが、別にこの施設でどうこうしようなんてつもりは、奏真にはない。

 必要のないアクションを起こす必要はないと思い、奏真は通路を進んだ。廊下にはやはり、窓はない。ここが地下であると言う説はますます濃厚になっていく。

 時折曲がり角で止まって先を窺い、聞き耳を立てて何かが――幻獣がいないか探る

 幻獣の中でも危険な凶暴化した個体——凶獣に見つかるのはまずい。奏真自身は妖怪だろうが、記憶喪失のこの身でどれほど戦えるのかはわからない。


 幸い物音も、敵の匂いもしない。

 いく当てもないが右手法で進むことしばし、施設の案内掲示板を見つけた。

 どうらや地上二階建て、地下二階建ての構造でここは地下一階らしい。やはり窓らしい窓がどこにもないから地下だったのだ。

 地下二階は主に電源室や培養室などという一見すると物騒な文字が並んでおり、地下一階は手術室や研究室が多い。自分が眠っていたのは第二ラボという部屋らしかった。

 地上フロアにも研究施設があるが、なんの研究をしていたのかは不明である。ただ、生化学、という文字は見ることができた。

 ここから北に行くと地上へ出る階段があり、地上一階から外に出られるとのことだった。

 奏真は一通り情報を頭に叩き込むと、案内掲示板を後にして歩き始めた。


 非常灯以外は闇だが、奏真の目は狼の目である。夜行性動物である狼の目には僅かな光でも確かな光景として捉える細胞が多く含まれ、夜目が利くのだ。

 その優れた目で奏真は暗闇の中をバールを後生大事に抱えて進む。


 奥の階段を見つけ、奏真はギシギシ鳴る金属製のそれを踏みしめた。

 カーボンラバー素材のインナースーツに押し込められた胸が窮屈で苦しいが、そんなことを言っている場合ではないぞ、と言い聞かせた。

 階段を上り切ると地上階と繋ぐドアがあり、それは閉まっていた。押しても引いても開かない。

 鍵を探しに行く――? とそこまで考え、馬鹿げている、と思った。奏真はバールを腰に差し拳銃を抜くと、セーフティを外してスライドを引きマガジンリミッターを解除、弾丸を生成。数歩離れてドアのロック部を照準。

 撃つ。腕を蹴り上げる反動と、鼻腔を突く妖気の不思議な香りが立ち込める。ダン、ダン、ダン、と合計三発の四十ミリ弾が炸裂し、ドアのロック部を吹き飛ばした。

 奏真は拳銃を腰ベルトのホルスターに戻し、バールで砕けたロック部をガンガンと何度か殴り飛ばして、ドアをこじ開けた。


 開いた扉の向こうからは日差しが差していた。明るさからして午前中、もしくは昼頃だろう。

 ようやく外に出られるという安心感から、油断していた。


 ペタペタペタ――と足音が施設内に響き渡る。慌てて嗅覚を頼りに索敵すると、三体ほどの小型幻獣が――恐らくは凶獣だろう――地上階にいる。

 群れられた状態でバールで無双できる自信がない。まずは拳銃で遠距離から数を減らすのが得策。

 拳銃を構え、敵が迫る通路を見据えた。

 伸びる影が、敵の接近を知らせる。曲がり角の向こうから出てきたのは醜悪な顔をした、焦茶色の体毛の猿型幻獣。

 体重は目算三十キロほど、上背は一四〇センチばかりか。そいつらはギギッギィーと鳴きながら迫ってくる。


 奏真は明らかな敵意を向けられ、それに怖気付くではなく、闘争心を燃やした。なんなら一瞬ばかり敵の本能に飲まれかけたが、己を鼓舞する。

 アイアンサイトに敵幻獣——モンタドを捉え、引き金に指をかけ、絞る。

 撃ち出された弾丸が悪意ある猿モンキー・ボルンタド——モンタドの肩口を抉り、姿勢を崩させた。そこへ頭部へ二発弾丸を叩き込み、すぐに二体目に照準。胴体に狙いを定めて一発撃ち込むが、そこで向こうが手にしていた石を投げてきた。


「!」


 奏真は咄嗟に右に屈んで回避する。人間と同じ肩の構造に、指の構造であれば当然物を掴んで投げると言うことは可能だ。投擲という、原始的な飛び道具——人類もまた、それによって過酷な原始時代を生き延びてきた。武器として、有効な手段である。

 腹を撃たれていない一体が急接近。腕に飛びかかってきて、拳銃を弾き落とす。

 どうにか拘束を逃れなければとジタバタ暴れ、モンタドを壁に叩きつけて左拳で顔面を殴りつけ、すぐにバールを抜いて構えると同時に、頭部に向かって振り下ろす。

 二度、三度。バールが振り下ろされ、モンタドが動かなくなった。

 奏真は腹を撃たれて悶えるモンタドの元へ行き、黙ってバールの尻の鋭利な部分を心臓に突き立て、トドメを刺してやった。


 一通り幻獣を倒した奏真は、ザックの中から一振りの鉈を取り出した。

 それでモンタドの牙と鋭い爪を回収する。これら剥ぎ取りは幻獣を狩ったら必ず行うことだ。

 命への感謝、無駄にはしないという意志の表出であり、百鬼士なりの弔いでもあった。

 むろんこれらを売ることで生活の糧にできるからと言うのも大きいが、百鬼士はまず、この心構えを叩き込まれる。

 奏真の記憶から、それだけは抜け落ちていなかった。


 モンタドの牙、爪を回収し、ザックに真空収納されていた腰袋を取り出してその中に入れる。

 奏真は諸々の動作を終えると、鉈にべっとりついた血を懐の布で拭き取る。その布は同じく入っていた火の式符で燃やした。血の匂いに釣られる幻獣もいるからだ。

 鞘に納めた鉈を腰の後ろ側に差し、落とした拳銃を拾って奏真はようやく外へ向けて歩き出すのだった。


 途中途中ある扉は全て破れ砕かれ、足元にガラスが飛散していた。素足だったら、今頃足が飛散なことになっていただろう。正面ゲートの付近には受付があり、その受付の上には『××生化学』とあった。何生化学なのかは、わからない。意図的に文字のプレートが取り外され、破壊されている。この調子では、どこの物質的な書き残しも、データ上のものを漁ってもここの名前は出てこないだろう。

 奏真は呆れと、若干の気味悪さを感じながら外に出た。


 涼やかな風の匂いが鼻に飛び込んでくる。カビ臭い地下なんて真っぴらだったし、やっと外に出れた開放感で伸びをした。胸元がはち切れ寸前に膨らむ。

 あたりは緑で覆われていた。

 が、硬く踏みしめられた道路がある。何らかの自動車が頻繁にここに出入りしていた証だ。

 そこを通っていけば、人里にたどり着くかもしれない。だが、距離がわからない。

 奏真はしばし考え、研究所の裏手に回った。

 そこには一台のバイクが停まっている。オフロードの二五〇cc。鍵は差しっぱなしだ。ひょっとしたら奏真の持ち物だったかもしれない。


 奏真はスタンドを上げバイクに乗り込み、鍵を捻りつつ妖力タンクのメモリを見る。まだまだ腹八分目だ。輝いたタコランプの調子からして、充分動く。エンジンスタートボタンを押し込むと、長らく(多分)眠っていた妖力エンジンが息を吹き返し、長く待たせたことを文句言うように唸り出した。

 頼むからポストアポカリプスなんてやめてくれよと祈りながら、奏真はアクセルを開いて走り出すのだった。

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