EP.二夜 あれも鬼なり、これも鬼なり

 人は空に浮くか?否浮く筈がない、それは当然の摂理だろう、ヘリコプターのホバリングというモノはローターによる高速回転によって生まれる揚力が必要だ、人一人が浮く方法と考えると最近のテクノロジーで可能になったジェットスーツだろうか?

 ジェットスーツも背中に少し大きめなジェットエンジンが一つと片腕に2つずつ。何が言いたいかと言えば、要はそれほどまでの力が無ければ人は人一人が浮くというのは、それだけの力を要してようやく可能になる大変難しい事なのである。

 だからこそ夜宮玄はこう思う、彼女は何をもってその揚力を得ているのだろうか?

「どうも……、えっと…綺麗な空を見せてくれてありがとう?」

「この景色でもそう思ってくれるのなら、ここまで君を逃がした甲斐もあるという物だね」

「逃がした?傍から見たら俺追い詰められてた?」

「君の死角に、下で暴れているゾンビ?が居たモノだから、こう助ける為に?何だい?流石にこの距離で見つめられるとなると気になるんだが?」

「……いや君の顔、最初に刺された人だよ…ね?あの傷で死んでなかったの?君がもしあのグールの長というのなら、俺は一先ず君の無力化を図らないといけなんだけども」

「……それは怖い、まぁ私は一度死んだそれは確かだ、頸動脈を切り開かれ、腹部から大動脈に達する程の傷を負ったのも事実、うつ伏せで見えなかったがまぁ臓物も出てただろう、……まぁそれでもなんか生き返った的な?金髪のお姉さんに助けられた的な、そんな感じだよ、うん。それにもうこの跳躍も終わる、舌を噛まないようにせいぜい気を付けたまえよ」

 目の前にいる彼女曰く、これは跳躍らしいここまで跳躍の頂点で静止する跳躍も無いとは思うのだが、この現象を引き起こしている彼女本人が発言するのであれば、その通りなのだろう。

 自身より少し体躯の小さい彼女に、お姫様が如く抱きかかえられた夜宮の体は自由落下による浮遊感を臓物が普通ではないと拒絶するように、吐き気の症状が夜宮に表れる。

 着地の瞬間、慣れない感覚というモノに対して普通、人は恐怖を覚える、それは夜宮玄だって例外ではない、高所からの落下、そして接着その衝撃はいかほどの物かと思考を研ぎ澄ませるが、彼女の腕を離せないという現状を受け入れるしかないと悟る。

「っとと、足場が悪いね流石にこの上」

 不思議と着地の衝撃が体を巡ることはなく、ふんわりと衝撃を相殺したかのように彼女は男の死体が干されているようにも見える街灯の上に着地した。

「なんか視線がこっち向いているけど、皆懐疑的な顔をしている、どうして?」

 その疑問を考える時間すら与えられずに、夜宮は彼女と面と面で相対する。遠くから見た時も思ったが本当に整った容姿をしている、自己基準でいうのであれば下手なモデルなど手足も出ない程度に、そして彼女は耳元で夜宮に囁いた。

「では、少しいただきまぁーす」

 それは何という行為に当たるのだろうか?心地良いようで少し痛い、けれどこの痛みがどこか安息をもたらしている、そんな感覚にも包まれる。

 性的接触?粘膜接触、キス、いやどれも違う、この行為を表すのに最も適した言葉はこれこそが一番正しいと夜宮玄は考える。

 これは〝食事〟であると。

 ビルに映るのは夜宮一人、彼女の姿は映っていない、恐らく下に居る皆が懐疑的な疑問を抱いていた理由はこれだ、目には映っている、だが何か媒体を通した場合彼女はそこには映っていない。

 首筋から二筋の溢れでた血が流れ落ちる、大量にではなく少量だ、そして鏡に映らない存在、そして吸血と言ってもいいその行為が行われたから見られる、蝙蝠の様な羽が骨盤の上、腸骨の付近だろうか、あるいはそれより少し上の場所から少し苦し気に服から顔を覗かせ、そして大きく羽ばたかせる、そして確実な死からの生還。

 これらから考えられるのはただ一つ、夜宮玄は血を吸われている相手は知性を残したグールではなく、恐らく本物の吸血鬼に。

「ぷはっ、ご馳走様。君の血信じられないくらい美味しいね、力がモリモリ湧いてくる」

「そりゃ……どうも?」

 勝手に血を吸ってきた相手に礼を言うのは変であろうか?

 まぁとりあえず言えることは、吸血鬼とグール(通称)は根本的に違う、と思う。


 ◆


 本能に身をゆだねるがまま、なし崩し的に彼の血を吸った。

 吸血鬼チェペシュ曰くかなり血というのは味がかなり変わっているのか、それとも彼女が偏食家なのか、どうなのかという疑問を抱いてはいたが、これが信じられない程美味しかった、人の血を美味しかったというのは人間的にどうなのだろう?

 まぁそれは一先ず置いておくとして、観衆に見られながらの吸血というのは、実に恥ずかしいモノだった、例えるのならば接吻、あるいはキス、あるいはチュウ、したことは無いがその行為を大衆の目の前でやるのときっとそう変わらない羞恥心を鮮華は抱く。

 君という意中の血に夢中になりながら注視に晒されながらチュウをしている、そんな下らないダジャレも降ってきた程には、鮮華の脳内は処理機能が低下していた。

 鉄と鉄がぶつかり合い劈くような衝撃音を響かせる、それを鳴らすのは鮮華の爪と、彼がグールと例えた恐らく一緒に殺され、あの賭けに負けた元人間。

「うーん、私は人生で喧嘩というモノをしてこなかった質なんだけれど、まぁ見様見真似の実践あるのみってね」

 再び跳躍し、今度は高度を上げ過ぎず3階程度の高さで留まり浮遊する、指を銃の形にしてみる。

「そうだ厳密には神様からは程遠いけれど、人生で一度くらいやってみたかったんだよね」

 幼き日の頃、日本という国を知れという家の教えに沿い、連れられて行った歌舞伎がとてつもなく格好良く感じたのだ、それもあそこまで見得を切り、粋なセリフも尚更に。

「窮屈を忘れるこの街で、自由を求めるこの私。問われることもないので名乗りはしないが、ただただ今日はここで宣言してみる事の許しは請わない、齢20も超えずに一度は死し復活とげた吸血鬼!………そこの見知った顔もあるグール共、私が直々に殺してやるよろしく頼むよ?」

 掌を顔の前へ向け、きっと会話も通じぬグールに向上を名乗ってみせる、案外人に見られてやるのは恥ずかしい、そんな感情に鮮華は想いを馳せながらグールを殺す手立てを試案する。

 吸血鬼のイメージといえばなんだろうとイメージした際に浮かんできたのは、銀の弾丸。これは弱点側の話だが、なにかを撃ちだす、その行為はこの体では可能であろうか?そう鮮華は考え指を銃身に見立てて、狙いを定める。

「パァン」

 鮮華が放つ言葉と共に指先から細い糸の様なモノが飛び出してくる、そしてその細い糸はグールの眉間を貫いても尚威力が落ちることなく、地面に突き刺さる。

「おっと、このイメージはダメだね、それじゃこっちはどうかな?」

 これで貫通した先に生きている人間が居れば大惨事になりかねない、次の手へ。

 複数体居るグール相手に指を差し示して、イメージするのはある程度自由の利く、歪曲する弾丸と行った所か、オーケストラの奏者の様に流麗に指を振るい、その振るいに合わせて次々とグールを貫通させていく、自由に動かせるというのは便利だ、それもリモート操作などではなく、直接的な直観的な操作ができるというのはお年寄りにも受けがいいだろう。

「一先ずこんな感じかな?……、おや?死んでいないのか、それぞれのグールを通して人間における急所は全て潰してみたはずなんだが、……どうしたモノか……」

 足止めは出来ても殺す事が出来ないのでは、先に音を上げた方が負けのただの根競べになってしまう、それはとても面倒だ。そう思っていた矢先の出来事だった。

「市民には当てるなよ。総員、構え!……ッてぇ!」

 とっさの判断で顔と心臓を背中から生えている羽で体を覆うようにして庇う。

 羽の隙間から見えるのは、恐らくこの国を守る自衛隊、夜桜鮮華が一度死んでから何分経っているのか今すぐに把握しろと言われても不可能だ、だがこれだけの馬鹿騒ぎが起き、通常ならざる現実がそこにある限り、国としての対処を求められたことは想像に難くない。

 そして当たり前の話だが、一斉に銃を発砲されることなんて普通の人間では体験しようがない、故に幾つもの弾丸が体の肉という肉を引き裂いてすり抜けていく感覚というモノは、筆舌に尽くしがたく、ただ苦痛極まりない。

「今はそれどころじゃないって、分かれ!」

 貫かない、それだけを意識した長い血のロープで纏め取るように、自衛隊の群れを一か所に放りなげてビルの2階部分に固定させる、これまでの感覚で掴んだモノは血をイメージで出来るかどうか試した血を扱うという行為は、基本的に血で理論上可能な机上の空論を押し付けることはできるという事。

 圧力を掛ければ水圧の様に凄まじいエネルギーを蓄え、相応の量を固まらせることで今やった通り人を固定することだって可能。

「なら、これもできる筈」

 範囲を選択し、血の造形を固定する、ウォータージェットをイメージ、とりあえず斬ることに特化させた、手の甲に生やした鈍らを何度も起き上がってくる、グールに突き刺す。

「いい加減に………っはッ!……今は私じゃないだろ!」

 一瞬意識が飛ぶ、貧血という線も考えられたが頭に残る痛みがそれを否定する、脳を何かが貫通したのだろう、だがそちらに構っている暇はない彼らは鮮華を殺す事は適わない、ならばこちらが行う実験が先だ、吸血鬼のなりそこないを殺す。


 いったいどれほどの時間が経ったであろうか、夜は明けかけているというのに、未だなりそこないの彼らを殺す手段を夜桜鮮華は持ちえなかった。

 急所に攻撃をしようが、バラバラにしようが、木端微塵にその肉体を破裂させようがグールという存在は形をその破壊状況に夜とは言え結果的に形を整えて行動を再開する、それはグールに限った話ではなく、鮮華自身にも当てはまることでもあるのだが。

 故に彼らとの違いは、大きく二つしかないことがこの数時間で理解できた。

「1、彼らに吸血鬼的能力はない。2、彼らに理性は残っていない、吸血あるいは食人をしたところで得るのは肉体の回復速度が上がる程度、駄目だな……分かりやすく不死身だね」

 吸血鬼的能力というのは鮮華が今連想しうる限りの能力を実際にできるかどうか、事実かどうかを試した結果である。

「とりあえず、もう面倒くさいから全部を張りつけにすることにしんだが、どう思うかな自衛隊さん、一応私の実験の為に残したんだけれど……、流石に恐怖が許容量を超えたか」

 実験に付き合わせた人質としての自衛隊員は、意識を失い既にその場に伏していた。

「あぁそうだ、君が居たね。血を吸わせてもらったが、伝承でいう所の眷属になっているのかな?……それと……」

 全てを語り切る前に吸血鬼のような少女は、その街から姿を消した。

 姿を消した瞬間は誰一人として捉えていなかった、それほどの早業だったのか、それとも今日の深夜から起こった全ての出来事、一夜の幻であったのか。

 幻ではない、なぜならばその凄惨たる光景は残り続けているのだ、報道陣もその場に駆けつけている、残るのは惨たらしく死した人だったモノと思われる肉塊であり、どうまき散らしたのかが分からない程の一面に広がる血飛沫、そして人ではないモノは日光を浴びると同時に灰となって消え、全ての証拠は残らない。

 目に見えている筈なのに、吸血鬼的な少女の姿はどの媒体を通しても残っておらず、ただ見えるのは恐らく吸血鬼が操っていた血の物体という曖昧な映像だけが出回りきっと世間を無駄に騒がせるのだ、夜になると吸血鬼が現れるという御伽噺を怖がる子供の様に。

「で、グールは太陽の光で灰なり始めたのを見て、私を守ることが理由だったとはいえ、ここまでついてくる意味は何?」

「俺の家もこっちの方面だからだ、いきなり血を吸ってきたと思ったらなんなんだコイツ……自意識過剰か」

「何か言った?」

「いや何も」

 朝日が鮮華と少年を照らしながら、二人は同じ帰路という事で同じ方向へ歩いている。

 鮮華自身としては、正体を知られるというのは困る、警察などが押し寄せてくるとすれば面倒この上ない、だが幸い背中の羽も気づけば無くなっているし、血を吸うために発達したと思われる犬歯も普通の物に戻っている、そのお陰もあるのか、それとも元人間だからこそ吸血鬼の状態と人間の状態を行き来できるのか、幸いなことに日光を浴び灰になる事はなさそうだった。

 だがそれでも全ての吸血鬼的成分が消えた訳ではない、証明しようと思えばできる、だからこそ鮮華は彼に対し細心の注意を払う。

「なんかずっと見られるの、気味悪いから止めて貰える?」

「あ、ごめん。いやそうじゃなくてだね、正直に言うなら君が私の正体を世間に晒さないかを疑っている、私だって死んだと思ったら吸血鬼になっていたんだ、成り行きで君を庇ったし、成り行きで自衛隊をボコしもした、でもある程度の人は助かったん……」

「途中から自分がどこまで吸血鬼なのか、試していなかった?……まぁそれはいいや、別に誰かに話すなんてことはしないから気にしなくていいよ」

 食い気味な質問が真実故に突き刺さる、一瞬目は泳ぐが、想いだけは揺るがせない。

「いやいや、そんな簡単に信じられる訳ないだろう、せめて名前くらい名乗ったらどうなんだ、私は夜桜鮮華、今年の春から高校2年生、そして昨日の晩から吸血鬼、趣味は夜を自由に生きる事、ほら君は?」

 彼は鮮華の勢いに負けたかのように面倒くさそうに語り始める。

「俺は夜宮玄、高校二年生。趣味は深夜徘徊……かな?」

「夜宮君……君はボケ老人かな?まぁそれは置いておいて、君も夜に出歩くものなら、またどこかで会うだろう、それじゃあ私はここで」

「夜桜さんと夜に会うなんて二度と御免だね、………吸血鬼成分は正直もうこりごりだ」

「なんか言った?」

「言ってない、俺も家この近くだから、んじゃあ」

「この近くって、どこに住んでるのさ。この付近に家なんて数えられる程しか」

「どこって、本当に近くだよ、そこだよそこ」

「あぁ…えぇー、そんなことある?」

「なにさ文句あるの?」

「いや私の家こっちだから…、幾らご近所と言っても少し離れているとはいえ、隣人の同級生を知らないなんてことあるのか、と」

 彼が指を差したのは、鮮華の実家であるこの無駄に広々とした庭と、巨大な日本家屋のお屋敷の隣、といっても数十mは離れているが、憧れていたあの洋館を確かに彼は指を差していた、そしてふと記憶を遡る、何気なく会話をしていたが、何か妙に引っかかる。

「あっ、夜宮家って、あーあの」「あっ、夜桜家って、その夜桜なんだ」

 二人して妙に納得してしまう、日本でも1、2を争う名家同士が並んで立っているなんて、どれ程の偶然だろうか、そして今まで一度も出会うことが無かったのは、本当に偶然なのだろうか?

 だからこそ夜桜鮮華はこれを、運命の様だなと思った。


 ◇


 ふと目が覚めた、いつもであれば家を抜け出し徘徊する時間である、眠りにつこうとしていた自分への意味不明な戒めのようなモノか、家そのもが居心地が悪いからだろうか?

「遠出はなんか言われるけど、家の前くらいなら別に文句は言われないか」

 眠気は来ない、クローゼットに仕舞っている外行きの服に着替えて、クローゼットについている鏡を見る、鏡に映るのは夜宮玄本人とその部屋。

 夜宮玄の特徴としてはやはりかつての記憶に映る祖母から遺伝したように見える、濡烏の色彩を放つ黒髪と、ある程度の癖毛が目立つ、あとは基本的に悪い意味で聖人君子の雰囲気が見て取れた。

 そして鏡に夜宮玄の部屋は、評するのであれば無機質その一言に尽きる。

 綺麗に使われたベッド、使用した形跡が殆ど見られない机に、机から離れた場所に鎮座した椅子と、その椅子の付近にある少し汚れた本棚。それ以外に目立ったものはない、というよりも置いていないというのが正しいだろう。

「出るのは別に玄関でいいかな」

 いつものように隠れて終電の時間までの深夜徘徊をする訳でもない、ならば何もやましいことはない、止められるとはわかっていても突っ切るという事は可能だった。

「止められると思ったのに……」

 いざいざと進んでみれば、使用人には見て見ぬ振りをされるが如く、素通りが許されてしまい、少し意気込んだ自分が馬鹿みたいだと思いながら外への扉を開けて、瞬く間に敷地外に出てしまう事ができた。

 吸血鬼事件という惨劇が起きたのが、つい一週間だというのに、この家は夜宮玄という存在に無関心すぎる。

「やぁ、深夜徘徊系少年の夜宮玄君。君ともう一度会えるのを待っていたよ」

 こちらを見て手を振り迎えるのは、吸血鬼事件の真相に最も近い存在兼、夜宮玄が17年目という短い人生の中で出会う、二人目の正真正銘完全なる吸血鬼であった。

「こう待ち伏せされるのは良い気分ではないんだけど、……待っていたって事は何か用?」

「それじゃ血を吸わせてくれるかい?」

「ちょっとペン借りるね、みたいなノリで人の血を吸おうとするな、まぁいいけど……はい」

 別に吸われた所で吸血鬼になる事はない、それは断言できる一人目の吸血鬼もそれが稀有な礼として例えていたことから、夜宮はその出来事が深く記憶に根付いていた。

「おおぉ、そこまで吸って♡みたいなポーズを取られても、劣情を催してしまうよ…えっち」

「出会い頭に血を吸わせろと言ってきた吸血鬼の反応とは思えないな、吸わないなら吸わないでいいけど」

「あぁーいや、吸います、吸わせてください」

「なんかキモいよ、夜桜さんのそれ」

「…華」

「なんか言った?」

「鮮華って呼んで、私は夜桜っていう苗字は別に好きじゃないから」

「は?……んっ…返答を待たずに吸わないで貰えるか?」

 吸血をされたのはこれを含めると人生で4回目、まともな状況での吸血という区分に区切るのならば、夜宮にとってこれが人生初めての吸血であった。

 少し首筋が痛い、そして吸いながら唇が当たるからか、どこかこそばゆい、相手にその気が無いのなら、案外血が抜けた感覚は味わない、その日は初めてそれを知った夜だった。


「外で話すというのも、ご時世的にどうかなと思ったので、はい粗茶ですが」

 夜空したで偶然?出会った知り合いと語り合うのも中々におつなモノではあったのだが、ご時世の問題、というよりも目の前の夜桜鮮華が関連している吸血鬼事件の影響もあって、今の日本の夜は極端に静かである、故に外に居るという行為そのものが周囲からは不自然に映る、だからこそ自室に招いたのだが。

「なんでそんな嫌そうな顔しているの?」

「いや、夜宮君、君の様な洋館に住んでいる男が客人に出すモノとしていかがなモノかと思ってね、コレは」

「一応好きな緑茶と、お茶菓子なんだけど、苦手だった?」

「いや好きではある……あるけどぉ……、こういう洋風の家だったらさ、紅茶とかにならないかい?お茶請けももうちょっとクッキーとか!」

「クッキーより羊羹とかの方が美味しくない?そもそも洋風の家に住んでいるから生き方もヨーロッパ風にはならないでしょ、夜ざ…鮮華さんの家だってそうじゃないの?」

「私の家は和食系しかでないんだが?やむを得ない事情や、余程必要不可欠ではない海外かぶれになろうモノなら……いやいい、疲れた。確かに緑茶も美味しいさ、ここは一つお茶でも飲んで落ち着くとするよ」

「うん、そうしてくれると嬉しいよ」

 こうして話すことは殆ど無かったが、案外夜桜鮮華という名家の淑女であっても人並は声を荒げたり、フラストレーションを発散する為に夜の街を闊歩したり、外部から寄せられた意見などは、参考にならない程度には普通の女の子である。

「夜桜家って日本人ながら海外に染まろうとしている日本人を見下しているとか、あとは鮮華さんも学校で夜桜家としての印象のまま人を見下していると思っていたんだけど、そうじゃないんだね案外普通」

 まぁ普通の子は吸血鬼にならないし、人の血を無許可で吸わないし、自衛隊を相手に自身の実験をしようとはしないであろう、まぁそれを引いて見るとするのならば普通だ。

「世間の印象を間違っているとは言わない、実際夜桜家としての印象はそれでも間違いではない、私もいつかはそうなってしまうのかもしれない、そう昨日までは思っていた」

「昨日まで?吸血鬼になれたから家出るの?」

「違うさ、君が私を家から連れ出すんだよ、私の知る限り一番あの夜自由だったのは夜宮君、君だった!だから君が私に自由に生きる術を教えて欲しい、それを頼みにわざわざ張っていたんだからね」

「やっぱり張っていたんだ」

 でも他人から見ると、そういう風に思われていたのか。

 〝自由〟確かに他人から見ればそう思うのかもしれない、ただこれは自由とは違う気がする、こちらからすればあの日街中で吸血鬼として戦った、鮮華という人間の方が自由に見える、そう夜宮は思わずにはいられなかった。

「まぁ嫌だけど」

「なんでだい⁉」

「そんな驚愕した顔されても……、確かに星空とか月は綺麗だと思うけど、別に夜が好きって訳ではないし、まぁとにかく却下。寝る時間なのでお引き取りください」

 自分の行動こそが彼女にとっての憧れというのなら、夜宮玄は彼女をこんな目に遭わせてはいけないという義務がある、彼女が憧れる自由とはきっと相反するモノ、そんな事は先ほどのメイドの行動からしてもそうだと理解している、だから嫌なんだ。

「なんて力……、君本当に人間か?こうなったら」

 スルンと押していた彼女の体をすり抜けるように、扉の外に自分だけが叩きだされる。

 どういうことだ?と後ろを振り返ると、彼女は自室の窓を開け靡くカーテンの狭間からこちらを不気味に赤い瞳を輝かせ、腰下から大きな羽を広げてこちらを眺めている。

「吸血鬼としてあれだけ実験したからか、随分使いこなせているね」

「努力こそが私の下地だよ、それが自分に起こせる事象なら、大抵の事は努力で解決する、そう私は信じているんだ」

「素晴らしい考えだと思うよ、それを共感してくれる人は少ないかもしれないけど」

「そうだ、共感してくれる人なんて事実私も出会ったことがないよ、けれど君には共感してほしい、なぜだか私はそう思っている」

「余計なお世話だよ」

「少ない問答の中、私を遠ざける行為、私を単純に嫌っている面倒だと思っていると思っていたけれど、いやその顔にはきっと面倒だという感情が込められているね、うん」

 気づいてくれたようだ、いつまでも外から自身が吸血鬼だと証明し続けるような真似をして、会話を続ける事に少し嫌気がさしているのも事実だ。

「夜宮君、私は思った。私は君を自由だと例えた、けれど君の反応を見てそれが違うことはすぐに分かった、けれど君は確かに自由を求めている、違うかい?」

「素晴らしい推理だ、小説家にでもなってみたらどう?」

「いやそこは探偵を進めて欲しい、そもそも私は探偵じゃないんだから」

 的を射ている、というよりも自由を求めているという点は別に夜宮の心境を言い当てている訳ではない、けれどおそらく夜桜鮮華は夜宮が外に求める理由に到達できる、だからこそはぐらかしたい、そう思っていた。次の言葉を聞くまでは。

「コホン……だからこれは提案だよ。今の夜宮君はきっと不自由なんだ、私と同じ様に家に縛られているのか、それとも他の何かに縛られているのか分からない、それを知りたいとも思っている、けれどまずは私と一緒に、自由を探そう私達の求める自由を」

 どの言葉に夜宮玄が反応したのかは、分からないけれど、そのとても魅力的な誘いがあったとしても、やはり夜宮は乗る気にはなれない。

「いや、鮮華さんは一人できっと見つけられるよ、自由を」

「私は君と一緒に見つけたい、だからまた声をかける、何度でも夜宮君が乗り気になるまで声をかける、だから覚悟してくれ。わざわざこの姿で宣言したのは、その覚悟の表し、とでも思ってくれ、それじゃ」

 そう言って、夜桜鮮華は闇夜に姿を消した、ご丁寧に窓を閉め、外から鍵を閉めるという吸血鬼としての力を使いこなしながら、彼女はきっと闇夜にどこかに跳躍したのであろう。

 夜桜鮮華は家に縛られている、だからこそ彼女は自由を望んでいる。

 彼女は怒るかもしれないが、そんな彼女の育った環境が少しだけ羨ましく感じた。


 夜は明け朝日は昇り、枕元に置かれたスマートフォンは早朝が訪れたことを伝える。

 今日も懲りずに朝はやって来る、まだ眠っていたいという我儘、もう起きなさいという我がママ、まぁ夜宮玄の母親起こしに来ることなど、あり得はしないとわかっていての自虐は心の中で納め、学校へ行く準備を済ませてから洋風な城を想起させる大広間で使用人が用意してもらった食事を口にし、家をあとにする。

 夜宮の学力は突出している訳ではない、だからと言って頭が悪いという訳ではない、私服登校が許される進学校において、その中の平均から上や下へウロチョロする存在、それが夜宮の学校での立ち位置である。

 押しつぶされるような満員列車に揺られながら、心をどこかに追いやりただただ時間が過ぎることを待つ、それだけの時間を過ごしようやく学校の最寄り駅に降り立ち、密閉された空間からの解放が許された。

「どうして都会はこうなのか…全くもう、電車の中で本の一つくらい読ませてくれ」

 昔暮らしていた北海道の田舎が最高、過疎化が進んだ限界集落こそが至高などというつもりもないが、物事にはやはり限度というモノがある、夜宮はそう考える。

 そう吸血鬼やら、グールやら、果ては隣住んでいる少女があの夜桜グループの令嬢であり、その令嬢本人が吸血鬼になり、夜宮の血が美味しいと吸いに来て、そして一緒に自由を手に入れようと誘ってきた、流石に脳みそがキャパオーバーを訴える非日常がここ数日で起こっている、学校の中でくらいは平…。

「夜宮くーん、同じ学校ってことを隠しておくなんてひどいじゃないかー」

 振り返ればきっと奴が居る、だから夜宮が取るべき行動はただ一つだった。

「あ、ちょっと?夜宮君、なんで逃げるの?」

 「なんで夜桜さんと夜宮君が?」「お家柄の繋がりでもできたのかな?」「実は付き合っていたとか?」「やることやっているんじゃない?」確証もない噂が、この逃走劇の間に幾つも作り出される、だが人の噂といのも七十五日も経てば人は新たな噂に耳が移る、人といのはそういう様に出来ている、だからここが重要である。

 自由を求める夜桜鮮華には申し訳ないが、彼女にはできればしばらく不自由に生きて貰う為に、夜宮は走りながらの策を練り始める。


 ◆


 今日も一日が始まる、かったるい、行きたくない、そもそも鮮華という存在は今、どちらに属している?人間?それとも吸血鬼?いつもは考えるのが面倒で流すことが当たり前な鮮華であっても、この問題にだけは未だに納得のいく答えを得られていない。

「なろうと思えばなれるけれども、なろうと思わなければ別になる訳でもない」

 一週間程度の時間を要した鮮華自身の肉体で行った人体実験の結果を語るのであれば、夜になると吸血鬼になるのではなく、夜でなくても鮮華が吸血鬼になりたいと思えば吸血鬼になれるという事。

 吸血鬼としての特徴は凡そが事実という事。

 1つ、蝙蝠に変身はできないが蝙蝠の様に羽を広げ空に向かい跳躍するという形で自由に空を駆けまわる事は可能である。

 2つ、霧や蒸気に変身はできないけれど物理的に壁などの物体をすり抜ける事は可能。

 そして重要な3つ目、吸血鬼はグールの様に日光にあたると灰になる訳ではない、ただ出血をしたまま日光に当たると不死ともいえる吸血鬼の特性は発動しない、逆にいうのであれば夜の内はあの日のグール同様、外的要因によって受けた傷は全て拒絶されたように修復されるという事。

「まだまだ分からないことだら……あれ?」

 そこには見覚えのある顔が何か文句がありそうな顔をしたまま、鮮華が通う学校に入っていく姿が見える。

 家は隣で、同級生、そして学校も同じ、どうしてここまで鮮華は夜宮玄を知らなかったのだろうかと疑問に思うほど、鮮華が求める自由を持った彼は、ずっと傍に居たらしい。

 灯台下暗しとはよく言ったとも思うが、そんな人はいないと探しても居なかった鮮華に当てはまる言葉ではない、そう思いながら彼を捕獲するように鮮華は声をかける事から始めてみる事にした。

「夜宮くーん、同じ学校ってことを隠しておくなんてひどいじゃないかー、でもよかった、学校が終わってからしか会えないって言う手間が……あ、ちょっと?」

 友人に送るような最大限の笑顔でこれからの学校生活をよろしく頼むという旨を使おうと思えば、夜宮玄はその場から逃げるように立ち去ってしまう。

 夜こそが鮮華の一日が始まる時間だと思っていたが、実はそうでもないのかもしれない、そう思いながら鮮華は逃げる彼を追う。

 学友を騒がせ、教師を騒がせる、初めて鮮華は学校に居て楽しいと思う、学生らしい騒がしい一日の始まりを予感させていた。


 それは授業間の休憩時間。

「ちょっと聞きたいんだけどいいかな?」

「夜桜さん⁉は、はい、夜桜さんが私達のクラスに何用でしょうか?」

「夜宮君ってさ」

 夜宮玄という人物の人柄、人物像、普段の態度、成績や果ては女性の趣味までありとあらゆる事を探る為に鮮華は尽力し。

 またある時は昼食時、いの一番に彼が居る教室へと向かい交友を図る為。

「夜宮君、どうだろう私と一緒に昼食でも!」

「夜宮はなんか用事あるとかで、どっか行ったよ」

「うーん…ダメかぁー」

 誘おうとするも、ここまで派手に動けば流石に次の行動も予測し易く、そして逃げられる。

 それ故に次に試みるのは。

「先生、少しお手洗いで席を外しても?」

「大丈夫だ……」

「行ってきます!」

「どうしてトイレであんなにはしゃいでいるんだ?夜桜は……まぁいいか、えー次は……」

 鮮華が考えた作戦は、夜宮のクラスメイト曰く成績は普通だけどちゃんと授業は受けているという事を踏まえ、あえて鮮華はこの時間帯を狙った、そう授業中の奇襲である。

「失礼します、夜宮君に用があって来ました」

「あー…えっ?夜桜?君は違うクラスじゃ、そもそも今は授業中だが……って夜宮ー!」

「ふっ…それは読んでいたさ、逃がさないよ!」

 窓を開け二階から飛び降りる、その姿は凡そ普通ではない思考回路ではあるが、昨日鮮華を拒否し、それでも鮮華が諦めていないという事を知った彼は逃げる事に徹底していた。

「夜宮くーん、なんでそこまでして逃げるんだよー」

「こっちが聞きたいわ!嫌なモノは嫌って言っているんだから、とっと引き下がってくれ」

 そうして未だ授業中にも拘わらず、学校を越えて、街を越えて、気づいた時には学校に持って行ったカバンなどは全て忘れて見慣れた風景の住宅街にたどり着いていた。

「はぁ…はぁ…夜宮っ君……ぜぇ…君は本当に普通の人間かな?今の私だったら君が私と同じ吸血鬼と言っても……はぁ…信じる……はぁ」

「人をどういう定義をもって人たらしめるかは知らないけれど、まぁ吸血鬼では無い事だけは確かだよ」

 仮にも中学生時代に所属していた陸上部では毎年全中に出場していた筈の鮮華を差し置いて、彼は息一つ切らしていないのだから、疑いたくもなるのだが、彼がそういうのであればこちらとしては証明できない。

「とりあえず夜宮君の家で休ませて…、流石に……疲れた……」

「人様を追いかけ続けた奴のセリフとは思えないな」

「なんか言った?」

「いや何も」

 何か嫌味を言われたような気がするが、酸欠状態の所為か少しだけ耳が遠くなった感覚を覚えて彼に聞いてみたが、彼曰く何も言っていないそうだ。

 今の鮮華の心境は、もう疲れた学校に戻るのも面倒、だから涼しい所で休みたい、ただそれだけであった。

 

「夜宮君の家はクーラーが聞いていていいねぇ…、私もこういう家に住みたかったよ」

「流石に鮮華さんの家にもクーラーはあるでしょ、いくら和を重んじていても今時エアコンも設置しないなんて馬鹿のする事じゃない?」

「エアコンは部屋ごとに設置はされている、けれど家の中では基本和装なのがねぇ、洋服なんて見つかったら、すぐに捨てられちゃうし」

「今日もそうだけど、学校と、あとはあの日も洋服来ていたけどあれはセーフなの?」

「学校は家の出した誓約をクリアして服装問題を解決したよ、まぁ分かりやすく模試とか、あとは国連英検とか、まぁ色々さ色々とやって色々となんとか合格したんだ」

「ほぇー噂程度にしか知らなかったけど、やっぱり鮮華さんって頭いいんだねー」

 学校を途中で抜け出してきても何も言われない彼の環境、いわば放任主義、それこそが夜桜鮮華が求める自由の一端。

 ポケらとした顔をしながら、今日も今日とて彼自身で用意した緑茶と茶菓子を彼は美味しそうに手に取り、口に運ぶ動作からはどこか子供らしさを感じながらもやはり鮮華は思ってしまう『羨ましい』と。

「そういえばだ、鮮華さん」

「なにかな?夜宮君」

「君に良いものをあげよう」

「洋菓子をあげれば喜ぶと思っていたら、鳩尾を殴ろうと思うけどいいかい?」

「まぁ……これは一旦置いておくとしてだ」

 少ししょんぼりした顔をしながら、部屋の中に隠していたのかいかにも洋菓子と紅茶セットを乗せたトレーをまたあるべき場所に片づける、流石に言い過ぎたであろうか?

「昨日来た時も、さっきの話で合点が言ったんだよ、なんで昨日は学校でよく見る服を着ているんだろう?って、んでさっきの話で合点が行った訳、そしてそういえば同じ服を我が姉が残していた気がする!と思って探してみたら、こりゃ偶然あったんです!」

「え?本当に、それを貰ってもいいのかい?嬉しいよ本当、アレは私がどうにか外で出歩くための一張羅だったのさ……、あ、でもサイズとかって大丈夫かな」

「鮮華さん多分170㎝くらいでしょ?我が姉も171㎝とかだったから、多分大丈夫、えーっと確かここに……置いていた気がするんだけれど~」

「夜宮君の目測通り169㎝だ、ほぼ170と言っても過言ではないね、うん。……それにしても自分の血も含まれているとはいえ大量の返り血を浴びたあの服とはしばらくお別れだと思っていたが、なかなか早い再開になりそうで安心、安心」

 態度的には落ち着いているようには見せているが、本当に嬉しい。別に貴重なモノという訳ではないが、手に入れるのも大変だった分もあってか愛着は湧いていた物でもあるのだ。

「あったあった、これでしょこれ」

「おぉー、本当にブランドも同じだー、………ん?」

「どうかした?」

「いや…ちょっと違和感が、どうしてだろう?同じ服のはずなのにどうしてこんなに違和感が……、ちょっと試着してもいい?」

「流石に女性の着替えを見る訳にはいかないし、別にいいけど……部屋荒らさないでよ?」

「荒らさないよ、私をなんだと思っているんだ全く、じゃあ着替えたら呼ぶから少し部屋の外で待機してくれたまえ」

「はいはい」

 服を脱ぎ捨て、意気揚々とその渡されたサイズもブランドも一緒のはずのオープンショルダーのトップスに体を通す、そして鮮華はようやくこの服にある違和感に気づき、膝から崩れ落ち、まるで周囲に居場所がなく孤立するぼっちの様に。

 鮮華はただ部屋の隅で両膝を手で抱え、壁に一人この世に対する愚痴を投げかけていた。


 ◇


 部屋に出されて、体内時計で十数分の時が経った、よくある展開であれば夜桜鮮華は実はまだ着替えの途中であることや、思っていた性別とは違う姿を見れる、そんな展開も存在するであろう、だがしかし十分以上経っても彼女は出てこないどころか物音一つ鳴らさない、誰だって不安に思う状況だ、何かあったかもしれないと、だからこそ夜宮はドアノブに手を掛ける、少しの緊張感が冷や汗を促進させ、唇は乾燥したかのようにくっついたままだ、触らなくても分かる、夜宮はドキドキしていた。

 ドアを開ける、それはもう勢いよく。

 扉を開けた先で待っていたのは、壁に向かいオープンショルダーのトップスに膝を捻じ込み体育座りをし、心ここにあらずと言った様子の鮮華の姿。

 その姿は見るに堪えない光景であり、先ほど夜宮を支配していた気分の高鳴りも、そして感じていた心地の良い緊迫感も、全てが水泡に帰したように収まっていく。

「何してんの?そんな所で、一応こっちの姉の服だからな?伸ばすなよ、それ」

「ふふっ…あーっはっはっは………伸びる生地があるのならこんな真似はしないさ!既に十分伸ばされているからねぇ!時に聞くことがあるんだ、夜宮君いいかい?」

「哀愁を漂わせていると思えば、ハイになったり情緒はどこにいったんだよ、情緒は。んで何さ、言っておくけど服の事なんてそんなに詳しくないからな」

「ふふっ…安心したまえ、ご家族であれば知っている当たり前の情報をただ教えていただきたいだけだとも、君の姉君はそうだなメロン程度の果実を持っていたのかい?」

「メロン?別に好きじゃなかったけれど…てか持っているって何?」

「君はあれか?小学生男児よりも性的隠語を知らない質かな?まぁいい、ならば単刀直入に聞こうではないか!君の姉のバストサイズを言ってみたまえ!」

「知らねぇよ、逆に弟が姉のバストサイズを把握していたら逆に怖いだろ」

「ならば、ブラの類は置いていないのかそのクローゼットには!もういい私が探す!」

 何故かキレ気味に声を荒げる鮮華に、夜宮は気圧され怖い人には関わらないでおこうと一先ずの決心をし、渡すタイミングを逃した紅茶と洋菓子を皿に移す為に、一度部屋を出る。

 なにやら喚くような、悲鳴のような、そしてすすり泣く涙声の様なモノもどこからか聞こえてきたが、きっと彼女はそういう日だったのだと自分に言い聞かせ、茶菓子を用意をする為に一度部屋の外に夜宮は出る。

 戻ってくる頃には、そんな物音も声もせず実に静まっている、いつもの我が家ようやく落ち着いたかと、鮮華の意をくみ取り。ならばといつも通りの感覚で部屋を開けた。

「変態が居る」

 周囲に散乱した姉の下着と、その下着の山に埋もれならがサイズの合わない下着を着用しようとし、そのまま床に落とす夜桜鮮華の姿を見て、今日だけでかなりすり減った夜桜鮮華に抱く僅かな尊敬の念で取り繕う、目一杯の苦笑いという微笑みを夜宮は彼女に向ける。

「そうだね……私も気が動転していたとはいえ、その言葉に対して何一つ言い返せないな」

「急に落ち着いて話始めるのやめて貰えます?」

「何かと言えば、あーだ、こうだ言ってくるな夜宮君は……まぁいいこれを見たまえ」

「見たまえって言われても、うーん……サイズの割にブカブカだね、着痩?」

「これは夜宮君の姉君が持つダイナマイトボディによって、伸ばされてしまった洋服の成れの果てだよ、私は二次成長によって身長はすくすく育ったが、女性らしさの方は控えめに落ち着いてしまってね、いやはや別にたゆんたゆんに揺らしたい訳ではないのだがね、こういう場面に実際立ち寄るとなると、少しばかり成長が足りなかったのが悔やまれるね」

「鮮華さんはどちらかと言えば控えめというか、ほぼ無い……あぶなっ」

 正直な感想を述べようとしたその矢先に、一瞬だけ彼女は優しい笑みを見せつけてから、最速の拳を顔面に振り抜いた。

 勢いはなんとか掌で受けきれたものの、直撃していればただでは済まないそういう拳であることは確かである。

「夜宮君、君に良い事を教えてあげよう女性が気にしている事を本人に直接伝える行為は、ハラスメントに他ならないし、そして女性に体重を聞くことも、年齢を聞くことも社会においては非常識になり得ることをよぉーく、憶えておきたまえ?」

 鮮華の日本人らしい黒い目は、今この瞬間この事実を夜宮に伝える瞬間だけの為に自身の吸血鬼化を活性化させ赤い目になり恫喝する姿はまさに鬼に違わない圧力であり、夜宮も必死に頷くことで場の収集を図り、そしてまた彼女の情緒はどこかへ弾け飛び、また部屋の隅で名家の令嬢が口にしてはいけないであろう、何かをこの世界に向けて紡いでいる。

 やはりその姿は悲しい程までに、哀愁が漂う死にかけの野良猫の様な、いで立ちをしていたのであった。


 しばらくの時、正確に語るのであれば学校が定めた先日の吸血鬼事件において下校時刻を早めるという動きが強くなった今日この頃に置いて夕日が窓から差し込む17時になっても、夜桜鮮華は壁の模様を数え続けている。

「そこまでショックなことだったの?」

「あぁショックさ、二重の意味でね。夜宮君の姉君に女性として格の違いを見せつけられただけではとどまらず、やっとの思いで購入した洋服の変えも無い……夜に着物出歩く変な人になってしまう!」

「夜に外へ出ないって発想はないんだね、……それなら学校に来ている服を持っていけばいいんじゃない?というかそれが手っ取り早いでしょ」

「着ていた服の洗濯周期が変わったらバレるに決まっているだろう?だからこそ一張羅だったんだ。……はぁ、まだ無断でアパートを借りられるような歳でもない…どうしたものか、夜買いに行き隠し場所の金庫に入れるのもいいが、金庫の中の金庫なんて作戦いつまで持つのかは未知数だ……、うぅーん……ダメだ!」

 鮮華は顎に指をあて考えてはいるモノの、どれも家族に発覚しないような状況を作り出すというのは難しい事らしく、考えることを諦めたのかベッドに向かって体を投げ出し、それでも良い案は出てこないらしい。

 状況としては鮮華の家には絶対に配達できない、直接買いに行った所で荷物を発見されたら詰み、使用人が部屋を掃除する際に使用している金庫の中の金庫こそが唯一の隠し場所、聞いていて分かっていたことだが彼女の家族は必要以上に彼女を縛っている、家訓的なモノもあると彼女は言うが、果たしてその日本人らしさはそこまで重要視されるモノだろうか?夜宮には正直答えは分からないし、そもそもの話として夜に出歩く理由が夜宮の様な自由というのなら、生憎応援は出来ないだがただ日常を夜桜の子ではなく鮮華として楽しみたい、それが彼女の根底にあるそんな気がする、そのためにならば自分も少しだけ夜宮玄として手伝える事はある。

「じゃあいっそ俺の家から服を買って、俺の家に置いておけばいいんじゃない?」

「……夜宮君……」

「な、なんでしょうか?」

 ゴクリと固唾を飲み込み、神妙な面持ちで見つめる鮮華に改めて目を合わせる。

「君は天才かな?……そうだよ、夜宮君の様になりたいのなら夜宮君の家から夜を始めればいいだけじゃないか、全然使わない所為もあってかお金ならあるんだ、よし決めた……ここを私の……」

「条件が一つあるから、それ聞いてから話を纏めてくれない?」

「いいだろう、今の私はどんな条件でも飲めるとも」

 そうか、それならよかった、そう夜宮は安堵し、胸を撫でおろす。

「部屋は自由に貸すし、自分でお金を払うならいくらでも服を買えばいい、けど俺みたいになろうとすることは絶対にやめて、それが条件」

「くっ、そう来たか……短期的に見れば私には利しかないが、長期的に見れば今を続けるだけになる……でもまぁ一先ずは夜宮君、君の条件を呑むよ、契約成立だ」

「そう、それは良かった」

「そうと決まればさぁさぁ!服を選ぶぞー!夜宮君も一緒に選ぼうではないか!夜に似合う服はどういう服なのか、夜宮君と一緒に夜を過ごせなくとも君の好悪を知る事も、そして君に私はどういう人間なのかを教える事も、きっと君の紐を緩ませるには重要なこと、そうだろう?」

 無邪気な笑顔でPCを開き、通販サイトに最速で移動する、そして彼女が語った、自分を知りたい、そして私を知って欲しい、確かにそうだ夜宮は一方的に彼女には自分の様にはなって欲しくないというのも、それは自分の理想に過ぎないどうして彼女がそう思うのか、どうしてそこまで固執するのか、それを知る機会くらいはきっと作るべきなのだろう。

「わかった、そこまで言うなら一緒に選ぶよ」

 だから夜宮玄を知ってもらう為、今の自分の考えを宣言しておくとしよう、鮮華がこちらに向けた無邪気な笑顔をそのまま返すわけではないが、偽りなき言葉で。

「絶対に紐は緩めないから、その頑張りが無駄に終わる事を精々待っているといいよ」

 願いはしない、これは結果として訪れるモノだから、願うことはできない。

 けれどただ夜宮玄という個人が思うただ一つの想いを述べる事が許されるのなら、吸血鬼という異形になった彼女だとしてもまだ彼女が自身が人間であると自覚している内は、夜宮玄として夜桜鮮華が人間であり続けるサポートをしよう、そう思った。


 ◆


 空は暮れ夕日は地平線の奥に沈みゆく、電気をつけなければ真っ暗な洋館の一室で、ある少年と少女は変わらずにたった一つの明るさを頼りに、少女が求める理想を追い求めていた。

 それは空腹をも忘れさせ、喉の潤いすらも忘れさせ、ただひたすらに自由を求めて私達は思案をし続ける。夜宮の姉君が残していった身長的には丁度良い筈の服たちも、どうしてか鮮華が着ることで何故かオーバーサイズな服に早変わり、どういう服を着たいのかそれだけを考えて、更に夜は更けていく。

「これはどうかな?カットアウトデザインの脇腹みせジャケット」

「痴女でしょ、これじゃあ」

「でも羽が上手く出せないのは窮屈なんだよ、ほらほら」

 夜にもなったことで鮮華は安易に吸血鬼化ができるように、なり来ていた服の中でもがくように苦しそうな羽を敢えて夜宮にばたつかせて見せる。

「それならこのクロップドシャツとかは?これからの季節にいいんじゃない?」

「うーんパンツはすぐに決まったんだけれどもね……」

「まぁパンツはパンツだからじゃないか?スキニージーンズと、ルーズパンツの二択しか鮮華さんにはなかったんだから」

「うーんパンツは確かにこだわりが無いんだけど、トップスにはこだわりたいというか、なんというか……、そういえば珍しくこの時間になっても家からの連絡が来ないな…なぜだろうか?何か重要なことを忘れているような?」

「あぁー……吸血?」

「確かにそれがあった……、いやいや違うこの時間になっても家から連絡がないなんてことはまずあり得ない、では何故連絡が来ないんだろうか?」

「学校に忘れてきたとか?」

 一瞬の静寂と共に、ゆっくりと鮮華は夜宮に向かって指を差す、それだけ今までにない熱中をしていたからか、それともこの時間が楽しかったから家に縛られないこの時間が凄まじい程に快適だったからか、正に光陰矢の如し、少し使い方を間違ってはいるが、彼と過ごした経った数時間は鮮華にとっては気が付いた時には、恐ろしい程に時間が経っていた。

「もう9時だ、ご飯どころか寝る時間ですらあるよ、そもそもなんで夜宮君のご家族はそれを知らせてくれなかったんだぁ……」

「人様の家族を当てにするなよ」

「ご飯の時間になったら普通呼ばれないのかい?洋風というやつは⁉」

「いやぁ家庭環境?これも一種の家訓かな?まぁ結構放任主義だから家って」

「羨ましい……じゃなくてだね…、とりあえず私に掴まりたまえ、ちょっと目立つかもしれないがやむを得ない、空から学校へ戻る」

「別に俺は大丈夫だけど……」

「一人だと何出るか分からないだろう!全くもう」

「そういう理由なのね」

「そもそもだね、夜宮君は恐れが無さすぎる、普通だったらあの場面で殺人犯に向かう馬鹿がどこにいるっていうんだ」

「こっちからすれば見るからに挙動不審な男と相対して、何悠長にしているんだって話だけど?」

 そこをつかれると痛い、確かにあの状況から今の私は生き返ったからまだしも、普通であればそこで私の人生は潰えており、あの男がどんな行動を起こすのかだって普段の鮮華であればその結末にだってたどり着いていたはずだ、なぜそうならなかったと言えば、よく言えばこれが運命だったという事であり、悪く言うとするのなら。

「存外私はショックに弱くてね、あの瞬間だけは少し自暴自棄だったんだ、学校であったかもある人間に気が付いたら、あの状況なら誰だって驚くだろう!」

「鮮華さんは同じ学校って知ってたの?単純に俺はやたら目を引くなーと思って眺めていただけなんだけども」

 今の発言は同じ学校に通っていれば、夜桜鮮華の姿は目に焼き付いている、そんな自身への驕りから来た自意識過剰的発言だと気づき少し顔が赤くなる。

「なんで顔を赤らめてるのさ」

「うるさいなぁ、もう出発するから舌を噛まないように気を付けたまえ、その口を黙らせるためにもう一度。夜宮君、君が綺麗だといった景色を見せてあげよう」

「おー、楽しみー」

 ちょっろ…、とは決して口には出さないが、夜桜以上に世界を相手に戦っている、というよりは全世界相手にもてなす側の夜宮家の子供がこれで良いのかと思ってしまうのだが、それこそ彼の言った放任主義の一端なのかもしれない。

「それじゃあ行こうか、あのそらへ」

 自身の欠点すらも家族が矯正しないまでの放任主義、確かにそれは自由ではある、だからこそ鮮華は憧れた。けれども彼はどうなのだろうか?抱えた彼の横顔を見ながらそう思う。

 けれど今は、この時間だけは楽しく自由な夜にしたい、だから鮮華はただひたすらに空へ向かって跳躍を繰り返していく、誰かに見つからないように高く高く飛び、自由の象徴たる夜を上から眺めている。

「やっぱり綺麗だ」

 そう夜宮は言う、星空も月も見えないこの景色を綺麗だと言う、人々が残業を終えて帰宅している姿であり、残業が未だに続いている光があり、仕事が終わったからこその団欒と飲み会を行っている人間達があり、社会の縮図を埋め込んだようなこの景色を彼は綺麗だというのだ。

 皆自由から遠ざけられている、そんな感想しか抱けない鮮華とは大違いな感想を持てる感性が凄く羨ましい、まるで人間の日々の成長を見届ける神の視点を持つような、彼を鮮華はやはり羨ましく思ってしまうのだった。


 美しい夜景とは誰かの残業で出来ていると誰かが言った、これは本当に的を射ていると鮮華は思う、その誰かたちの残業代によって発生するお金その合計額を以てして、百万ドルの夜景も百億円の夜景も完成している。

 そう思ってしまう鮮華自身の感性がそうさせるのか、やはりどこまで行ってもこの光景は綺麗だとは思えない、この明かりは人が未だ栄えに飢えている証明であり、そしてこの夜景の下にはまだ人が居るという事を認識させている、いわばこれは人間の生きているというともしび、今の鮮華が輝かせる赤い瞳にはそうとしか映らなかった。


 空を飛び、囲まれた塀を越え、閉じられた門扉を無視し、ようやく眼前に迫った鮮華のクラスがある窓際にある淵につま先隅に立ち、その場で発生するはずの衝撃は完全に相殺し、まるで重力に逆らって行動しているように衝撃が発生した事実は無かったと言わんばかりに鮮華は学校に侵入する、すり抜ける感覚も良好であった。

「臓物がひっくり返る感覚はあるのに、どうして衝撃がないんだ?本当に」

「さぁ?人じゃないなら、人の理は考えない方が楽じゃない?」

 自身の存在を希釈するように、質量を限りなく0に近づける事によってすり抜けは完了する要は、論理的あるいは可能性として人間は人間のまま壁をすり抜けることもできる、それを吸血鬼として肉体を改変することによって可能にしている。

 詰まる所それは、吸血鬼だからできているのである、故にこれから起こる悲劇は必然だったのである。

「え…ちょ…まっ」

「あっ……忘れ」

 夜宮の焦った声と共に、夜宮の肉体と窓がぶつかる事によって発生した、衝撃によって窓は突き破られ破片が飛び散る、鮮華が打ち消した衝撃は着地の衝撃、それ以降はそのままの速度を維持し窓へと直行していた。

 予期していることならば対処はできた。だが鮮華にとって全く予期していなことだったからこそ、そのすべては必中的でそして鮮華の顔面に鋭くとがったガラスが宙を舞う。

「痛い……眼球に刃物が刺さる感覚…知りたくなかった…」

「鮮華さん、大丈夫?」

「そして突き破った筈の夜宮君が無傷という事実はもっと知りたくなかった……」

 破片は縦横無尽に散らばっているのに、夜宮が倒れ込んだ場所、そして手を付いた場所にはモノの見事に破片は落ちていない、衣服に少しついている程度、それも今払いのければすぐ解決する程度の些細な問題。

「吸血鬼になれてよかったと、こういう場面に実際に遭遇して初めて思うんだね、普通だったら失明コースだよ、えーと…バッグはどこに置いたかなっと?」

「早く見つけなよー、こういうのって基本的にセキュリティーが発動するとかなんとか?うちの学校って巡回警備?それともサービス利用だっけ?まぁ今の所は警報とかもなってないようだk」

「あ、あっt」

 耳をつんざくような炸裂音、少し違うがその音に鮮華は聞き覚えがある、あの話題になった吸血鬼事件の際にそれを警察や自衛隊の面々に打ち込まれていた。

 それは撃鉄が撃針を打つことで、弾薬底部の雷管を打ち発火させることで火薬は燃焼し、高温高圧の燃焼ガスによって押し出された弾丸と同時に非常に大きい炸裂音を鳴らすモノ、それは紛れもなく銃声であった。

「夜宮く」

 どこから?一体誰が?それ以上に撃たれたのは自分ではないことを瞬時に判断し、鮮華は窓際から顔を乗り出し周囲を警戒していた夜宮の方を向く。

 警戒といってもそこまで注視していたわけではないのだろう、教室側に体を向け割れた窓に寄りかかっていた、だからこそ銃弾は彼の心臓部を抜き打ち、撃たれた衝撃で彼は二階の高さから力なく落ちていく。

 今ならすり抜けて彼を拾う事も出来た、けれどその隙を許す相手ではなかった。

「おや?こっちが噂の新米吸血鬼か、じゃあお前は?……まぁいい、後処理は面倒だが、要があったのは元からお前だ。お前は吸血鬼として目立ち過ぎた、だから消す異論はないな?」

 狙いは鮮華であった、そして鮮華が吸血鬼になったことを知っている存在、考える必要もない、なぜならば見ても、そして会話を聞いていてもその正体にはすぐ検討がつく。

 鋭利に育った犬歯と、あの赤い月の下で見た私と同じ真っ赤な目をした存在、羽は締まっているのか確認できない、だがそれよりもやるべき事が確かにある。

「あるに決まっているだろう、なぜ!」

「理由が必要か?お前の行動で私たちが生きづらくなるから以外の理由がどこにある?」

「そんなことはどうでもいい!夜宮君は関係が無かっただろ!なぜ彼を撃った!」

「なんだ?眷属候補だったのか?なら安心しろ、死体でも俺達の血を使えばグールくらいにはできるぞ?餌は必要で、隠す手間もある余りオススメはしないがな」

 鼻で笑うように目の前の男は、こちらを嘲笑う、その一挙手一投足に鮮華は苛立ち、もう自分ではどうする事もできない程の怒りに満ちている。

「そんなことは聞いていないって理解できないのか?質問に答えろなぜ彼を撃った!」

「なんだお前、吸血鬼を殺せるのは太陽光だけで、自分は不死になったとでも考えているのか?……まぁいい、お前の問いに答えるのなら、私は吸血鬼を殺す術を持っているし、知ってもいる。正直吸血鬼という同胞が増えても餌の取り合いになるだけだからな、なぜアイツを撃ったのかという問いには私にも分からん、ただアイツの方が危険性を秘めている、そう私の直感が告げた」

「あぁ、そう…、ご丁寧に説明を…」

 随分良い声で語りかけてくる、恐らく齢30台中頃に思える壮年の男性が語る。

 吸血鬼であっても殺せる術がある、敢えて推測をするのであれば、今の銃弾もその殺せる術の一つなのだろう、けれど曰く彼の危険視は鮮華ではなく夜宮に向いてしまった、だからといって確認も無しに凶手にかける?

 駄目だ、常識的な物差しで事を測るな、そう鮮華は言い聞かせ家で習い続けた仕来りの様に、ただ淡々と成すべき事を成す、今はとりあえずそれだけで、悔やむのも何もかもあとにする、そう決めた。

「どうもッ!……」

 思考を整理する間に、こちらの攻撃が届かぬ間を作られた、だから攻撃は避けられるそれくらいであれば、プロでもない私でも理解できるだから、けれど今の自身の肉体は人ではない、人ではないのならその常識をも超えることで、攻撃は当てられる。

 鮮華は確信し、口角をあげる。

「お前と俺では吸血鬼になってからの歴が違う、大人しく殺されろ」

「…安心しろ、夜桜の名の下にお前は今日殺す……」

 鮮華は夜桜家が嫌いだ、生き方を強制される夜桜家が嫌いである、だって鮮華は自由に生きる事を夢見てきてしまって、それを目の前で行う夜宮玄という人間に憧れてしまった、その憧れを真っ向から否定するはずの夜桜家は嫌いだった。

 けれど夜桜であるからこそ、鮮華という存在は形作られる、それは一度も一番を取れない星の元に生まれ、試合に負けて戦いに勝てる夜桜の生き方を、彼女は知っている。

「目立つのが嫌いなんだって?それでは…まずは目立つ苦しみを与えてやる」

 目の前の男の吸血鬼に避けられた足先は、その威力を保ったまま男の背後にある壁に直撃する、人間と吸血鬼、見た目の関しての違いは鋭利に進化した犬歯と真っ赤な瞳に、そして蝙蝠のような羽、けれど中身は人とは比べ物にならない。

 たかが蹴り一発、それが学校の外壁を破壊させることなど、朝ごはんを作る片手間で目玉焼きを作ることより容易いことだ。

「はぁ……がっかりさせるなよ。お前もそういうタイプか、嫌だな…本当に」

 相手は空へ逃げる、まるで重力が反転したかの様に空へ落ちる、そうとしか表現をできない感覚、鮮華がイメージする跳躍とは違った空の動き方。

「少し派手にやり過ぎた……けれど!」

 支配、どこまでも透き通って見え、自由の象徴かの様にも見える空。

 けれど何もない、邪魔するモノが何もない空は、とても暗く視認性は悪く、遠くに見える星々と欠けた月明り、そして人が紡ぐ生活の灯、たったそれだけの光源を手探りに、吸血鬼は空を跳躍する。

「解体する…」

 指から血の糸を紡ぎ、そして相手を囲う円形状の格子。

 一本一本に鋭さを求め、ただ相手をバラバラにする事だけに特化した十本の糸。

「なりたてにしてはよくやる方…だが、お前では私には勝てない」

「ほざいてろッ」

 格子は相手を囲み、肌と糸が接着するその瞬間にまで余裕を持たれている、あるいは余裕のフリをしている、固定されたモノへのすり抜けは容易だが常に動き続けるモノに対してのすり抜けは明らかに勝手が違う、それも自身の構造を自在に変換し、物体を透過する事が可能な吸血鬼同士であれば、それは尚の事。

「こんな攻撃は、私たちには通用しない。死にゆくお前にだが、レクチャーの一つくらいはしてやろう」

「何…ォ……」

「お前は吸血鬼になっておいて自身の特性を理解していないのか?お前の親は随分と教育を怠っているようだ、だから吸血鬼事件なんてモノを起こしてしまう、あぁ嫌だ本当に…」

 腹部に感じる鈍痛と、空が遠くなっていくこの感覚で鮮華は空中から地上へと叩き落された事を、その時になってようやく理解する。

「……クソ!少し良い声だからか、ちょっと油断した」

 低いトーンの声がどこか心地良く感じる、これは鮮華を吸血鬼にした彼女の視線の強制の様な感覚をどこかで覚えながらも鮮華は改めて相手を探す。

 ビル群をすり抜けによって通過し、追撃を食らわせる為その勢いを殺し切った先に、吸血鬼の男は待っていた。

 動きがいくら何でも速すぎる、恐らく根本的なまでに鮮華のこれまで自身で確認し知り得た吸血鬼の情報、その何倍もの先を行くのが恐らくこの男なのだ。

「目立つなという割には、こんなビルをすり抜けさせるなんて馬鹿だ。……手に持っていたマグカップを余りの驚きか、残業に残っている社員が目を点にしていたぞ?」

「安心しろ、お前は今日この夜を以て殺す、お前がこの世から消えれば、目撃者も該当する人物を探すなんて不可能だからな」

「致命傷の一つくらい入れてから…っ!」

「ならば?お前の望み通り確かな死の恐怖をお前に与えよう、お前が知ってと思うがこんなちゃちなリボルバー拳銃の一発程度では吸血鬼を殺すことなどできないさ」

「落とせばいいだけでしょ、そんな弾」

 撃鉄が落とされ、銃身から発砲に必要な火薬が銃口付近で燃焼し、発生する閃光。

 夜闇にいきなり光る閃光に目を眩ませされる違和感よりも、この国では聞きなれることがない銃声の方が体に緊張感を残す。

 けれど鮮華自身が吸血鬼という存在であることの証明でもあるが、その銃弾は避けるには時間が足らずとも、反応しそれを弾くそういう行動は可能だ。

「……え?」

 鮮華は目を疑った、なぜ硬化させ血による装甲強化も図った羽を意図も容易く貫通しているのか、そしてなぜ件の弾丸はそこで止まる事を辞めずに鮮華の心臓を確かに撃ち抜き、鮮華は力なくその場から崩れるように、意識を失った。


 空へ落ちるのではなく、空から落ちる。それはただの重力に従った落下、それを鮮華が認識したのは、プロ野球の試合が今終わったのか、どこか見覚えがあるユニフォームを着ている人間達や、これから帰宅するのかスーツを着て疲れた顔をした人間をその目で認識できるほどまでに地面に接近した瞬間の事であった。

 衝撃は消し切れない、一度はある程度の損傷を受け付ける必要がある、だが今までダメージというダメージを認識してこなかったこの体で、そのレベルの損傷を受ける事が可能なのだろうか?

 もし回復ができないという状況ならば、肉塊となる結末のあとに待っているのは死という結果だけである。

「被害は自分だけで済んだ方が良い……なら」

 地面が迫った瞬間今の自身が行える跳躍と羽による羽ばたきを同時に行い、東京駅の近く、ある程度の消灯が済んでいるエアバックとしては硬すぎるオフィスを無作為に選び、その一角に体を激突させる。

「何も考えずに、お前……本当によくやるよ」

 確かになった銃声、夜空から地面すれすれまで落下してきた人型の何か、そして突如として突如としてビルに衝撃音と共に出来た直径5m程度の見てわかる程度の凹み。

「死は確かに意識したよ…」

 けれどあの時、あの赤い世界の下で味わった漠然とし、言葉にできない苦痛と恐怖。

 あの死んでも生きてもいない状態で味わされた、孤独と無限に押しつぶされるあの絶望よりは、どう考えてもマシだった。

「そうか?ならばその死を意識したまま死ね、神の元には行けなくとも、そこにお仲間は沢山いるだろうさ」

 もう一発の発砲、二度ある事は三度あるではないが、二度の銃声を勘違いしたとしても、三度目は流石に民衆も勘違いしないだろう、空に佇む一人の男と、ビルに打ち付けられた羽を広げる少女の姿を見れば、きっとその場面で自身が注目されているという悦に浸る為に、誰もが片手にカメラを構えるのだ。

 傍観者それがこの国に蔓延する悪い国民性であり、そしてなんでも記録に残そうとする貴重な国民性でもある。

 けれど鮮華たちの姿は決して映らない、映るのは落下してきた一発の弾丸程度なモノだろう。

「吸血鬼を殺す術、それを考えていた。ニンニク?聖水、十字架、ロザリオに聖遺物、日光、そして銀の武具」

 放たれた弾丸に対し鮮華は自身の血液と損壊したビルの破片で材質を補い構築した、遠心力を用いることによって収納と抜刀が可能な可能な手甲剣を用い、抜刀の為に上へ振り上げた剣で斬り落とす。

 反応が間に合えばそれくらい、容易い事ではあったのだから。

 B級映画に出てきそうなドラキュラから、歴史的な観点で見る吸血鬼という伝承、そして現代でのイメージ、鮮華は知り得る限りの情報をできる限り集約し、そして参照した。

「答えは未だに分からない、でもこれが貫通してくれなくて本当によかった」

 鮮華は苦悶にも似た表情を浮かべながら、自身の心臓部に手を入れ、体の中で留まった銃弾を手に取り、空に佇む吸血鬼に見せる。

「これは銀だ、まさかここまで古典的なモノが本当に吸血姫の弱点とは思わなかった、銀製の武具なんて高コストで、作るだけまるで無駄な物ばかりだが意味はあったらしい。ニンニクが効くとは思えない、十字架も効かないだろう、なぜなら私にとっても、そして吸血鬼達わたしたちにとっても日常的に目にするものが弱点とは到底考えられない」

 けれど聖なるモノは?どうであろうか、この世に神は今もこの世に居るか?と問われれば鮮華は「居た」と答える、そしてこれからは「顕れない」とも答える、神は間違いなく存在するが、神が居た事実も信じられる、けれど今この世には存在し得ない、そう夜桜鮮華は断言するであろう。

「神は今この世に存在しないそれが私の答えだが、けれど神が残したモノはある、それは想いだろうか?それとも物であろうか?願いであろうか?」

 ふと鮮華は気になった、神の存在を他の者らはどう認識しているのだろか?と、それこそが現状における逆転の道筋ではないのだろうかと、そう思ったのだ。

「君の生まれはどこだい?私の予想だと欧州…北欧辺りかな?」

「……イングランドだ」

「イギリスか、当たらずといえども遠からずと言った所かな?現地の人間にそれが許されるかは知らないが、これはまぁ日本人の戯言だ」

 どんどん知識を吸収できているような、幾度もの努力という名の土台を積み上げた事によって果たされる理解、それ似た感覚を今の鮮華は味わっている、理解できなかったものを理解する、その行為に歓びの感情が当てはまるのは、それは人が持つ好奇心故だろうか?

 いや違う、そう鮮華は切り捨てよう、理解とは好奇心によって生み出されるモノではなく、幾つものズレた歯車がかみ合った瞬間、例えるのであれば恐らく好奇心ではなく前へ進み続ける覚悟の向上心に当てはまる、そう鮮華は考えた。


 鮮華は興味本位で男に話かける、鮮華の内にある向上心が、知識の探究を止めるな、少しでも知り得る限りは知り尽くし前へ進め、そう叫んでいるのだ。

「日本人は神を信仰しているし、それらの多くは基本的に他の国とも違わないだろう、だが過去の神話、受け継がれてきた神話に限ってはそれに当てはまらない、イエスキリストが絶対神という認識は変わりないが、日本には唯一神という考えは根付く事はなかった。これは稗田阿礼により執筆された古事記による影響も大きいのかもしれない、エジプト、メソポタミアとローマにケルト、北欧。宗教とまでは行かなくとも神話というモノはその地域の伝承や神話は人々が興味を抱くには十分な娯楽になり得るだろう」

「何が言いたい?」

 確かに目の前の吸血鬼の言う通り、話が脱線しすぎていた、伝えたい事は要点を纏め、短く伝えるべきだというのに、鮮華は肉体の修復と本来であれば流血することがない血液の流失もあってか、どこか興奮状態にあるらしい。

「つまりはだね、日本という国は凡そ1550年に日本に初めて伝来した、キリスト教つまりは宗教という文化が神という概念を持ってくるよりも前に、ある意味で神は存在した。そしてその伝承は未だに信じられているとはいかなくとも、都合の良いように使われる事はある、質問だ、君は神が今この世に存在すると思うかい?」

 鮮華は問う、日本を含めキリスト教あるいはイスラム教、世間一般的に言えば世界の5割強を占める宗教。だが鮮華はこの教えを信じているし、信仰しているけれど、なぜ神は存在すると考えられるのかは理解できない。

 故に鮮華は問う、神は存在するのか?鮮華は既に世界に神は存在したが、今は存在しないという答えは伝えている。

「……神は居ただろうさ、だが今も神が私達を見ているとは思えないな……もういいだろう?これで終わりだ」

 向けられた銃口は鮮華の額に照準を定められているのは、容易く理解できる心臓という生きていくのに最も重要な臓器だとしても、吸血鬼という種族は、弱点を付いてなおも修復を可能としている、ならばその弱点をどこに使うのが最も効果的かと考えれば、脳という人間の情報、その全ての指示を司るパーツを破壊するに限る、そう鮮華も考える。

 吸血鬼になりたての鮮華でも思いつく事で、今この場で起ころうとしている結果を見ればその考えは正答なのだろうという推測も可能だった。

「日本にはとても都合の良い神様が存在する、八百万の神という都合の良い神が」

 男はピクリと一瞬の緊張を走らせ、銃身の先が少しぶれ、たった1㎝弱のズレだけで鮮華に当たらなくなったと計算するのも用意なほどに、男は〝神〟というワードに反応した。

「やはり君たち……、いや違うな私たちは神を恐れている、恐らく吸血鬼となったことで刷り込まれた潜在意識の様に!」

 既に心臓部の回復は完了し、鮮華は動き出すには十分な隙を作っていた、だからこその攻撃方法は直進による突進攻撃、両手に装備された手甲剣を左右から斜めに交差するよう斬り下げる。

「クッ……なぜその力を、お前が!」

 切り裂く必要はない、もう一度戻るように学校へと弾き飛ばす、流石にここで暴れるのは色々と問題があるし、何よりもいい加減に帰宅しなければ家に何を言われるか分かったものじゃない、だからこそ最後の望みをかけ銃弾によって伏せ鮮華では眷属にできない夜宮玄を助ける術を、あの男に問いただす。

 今の鮮華がやれることはこれくらいしか残っていない。

「やれ付喪神や土着神、氏神ただのビルとはいえ何かしらの神が残したモノが付着していると考えてみたわけだが、本当に都合よくいるものだね。八百万という言葉に偽りはないようだね、本当」

 夜空を跳躍し、少し人だかりができ始めている学校へ向かう、彼の遺体が発見されていればもう鮮華に打つ手は残されていない。

 その光景はどうしようもなく、光に包まれていて騒ぎを聞き野次馬という人だかりは多く、やはり綺麗だとは思えない光景で、やはり彼は変わっているのだ、こんな人の集合体のような景色が綺麗と語るなんて、そう思いを馳せ、鮮華は彼が綺麗だと言った空を舞う。

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カミサマは深夜に顕れる 鈴川 掌 @suzunone13

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