自殺救命用具
狂酔 文架
第1話
屋上から見下ろした世界は、歩いて感じる街並みとは全く違う。上から見下ろせば、コンビニも、人も、家も、街のすべてが小さく見える。もうちょっと高いところから見れば、もうちょっと小さいのだろうが、僕に許されたのは、街では有数のタワーマンションの屋上だ。
『……今月の自殺者数も先月と同様増加傾向にあります。
先月に比べて割合が増えたのは、これ一体どういう現象なんでしょうか?』
『バッジ……のせいですかね、このバッジをつけていれば誰かが助けてくれる。つけてなかったら死を誰も咎めない。死にやすくなっちゃったんでしょうね、誰かが助けてくれるっていう安心感で』
『死にやすくなった……やはりそうなんですかね。
遺体からのバッジ回収率は90%、この結果から見てもやはり死にやすくなったと……』
気を紛らわすために適当に聞いていたラジオから、タイムリーな話題が流れてくる。
自殺、今にも僕が行おうとしている愚行だ。しかもお約束のようにバッジまでつけている。
発表された当時は自殺を止めた人々へのSNSでの誹謗中傷を止める役割があるんじゃないかだとか、こんなものができても自殺者は減らないだとか、いろいろな意味で、その影響力はすごかった。
でも、いざ普及されたSOSバッジ。
普及されたことで気づかれたのは、そのバッジ一番の性質は『誰かが助けてくれる』という無責任な安心感を自殺志願者に与えてしまうことだった。
無責任な安心感、顔も名前の分からない誰かが、このバッジをつけて飛び降りるふりをするだけでただ助けてくれるという安心感。
救くって欲しいと思いを伝えるがために、自分のSOSを伝えるために、わざわざ自殺をする。そんな本末転倒な事象を起こしてしまうのが、このバッジの本当の声質だった。
今それに浸っている僕に言えたことじゃないが、そんなに気持ちの悪いものはない。
今更そんなことを考えても、僕はこの愚行をやめようとは思わないし、考えを改めたりもしない。でももし……いや、やめよう。
今ここでこの安心感に溺れたら、僕の自殺が軽くなった気がして嫌になる。
でも、どうせ死んだら何も変わらない。僕の考えも、結局この空に落ちてパーだ。
《SOSバッジ》には二つ種類がある。一つは、”誰か”に助けを求める役目を持つ白色のバッジ。もう一つは、いつでも助けを提供できる”誰か”であることを証明できる青色のバッジだ。
このバッジが家に送られ来た時は、少し厨二臭い正義感で僕はこの青色のバッジを胸につけた。
だが、これが普及されて5年経った今でも、それが求められた意味を果たしたことはない。このバッジが成した功績は、僕に雑用を押し付ける理由になったことくらいだろう。
そもそも、もし本当にそういう助けを求められたとして、僕が白色のバッジを身に着けたその子を助けられるかなんて、今になっては否と答えるしかない。
結局最後は、救えてない。
僕に誰かを助ける力なんてなく、人に生きろと言える心など、持ち得ていなかった。
もし、今白色のバッジを身に着ける僕が無責任な安心感に溺れているなら、青色のバッジをつけている僕は無責任な正義感に溺れて、都合のいい雑用係に成り下がっていたのだろう。
そんな僕が嫌になって、僕は今こうして空に落ちようとしている。
死んでしまえば、こんなバッジをつけておきながら誰も助けられない自分に無力さを感じなくていい、もう無駄な正義感にとらわれなくていい、死にゆく”誰か”を見て、また助けられなかったと思わなくていい。なら、死んでしまった方が楽じゃないか。
改めて死を直視しながら、屋上から街を眺める。
スッと鼻に入り込んでくる風と、身体を後押しする風に、おびえてる自分がいるのに、僕はそこで気が付いた。
自殺間際のビルの屋上、風に後押しされる自分の足がぶるぶると震える。
「怖いんだ、死ぬの」
その声は、僕を押す風に流れて耳に入った。
聞いたことのない少女の声、風に乗ってやってきたその声の主の方に目をやると、胸には例の青色のバッジがつけられていた。
「足、震えてるよ。手繋いであげよっか。」
おしゃれな服を着こなした少女は少し茶色がかった髪色を風になびかせながら、僕の方に手を差し出す。
僕を包んでくれる優しい微笑、この人はこうして何人も救ってきたのだろうか。
僕にはできなかったことを……少女はやり遂げてきたのだろうか……。
頭によぎった考えの数多ののちに、僕の口からは自然と言葉があふれていた。
「大丈夫です……すぐ死にますから」
向けられた優しさを拒むように、僕は言葉を返してしまった。
自分にできなかったことをやり遂げてきたであろう彼少女に、この優しい微笑に、包んでくれるような優しさに、僕は嫉妬してしまった。
自分にはできなかったという劣等感に、僕はなおさらこの空中落下を後押しされているような気がした。
「そんな足で死んでも、後味悪いよ。まぁ、後があるかなんて知らないけどね」
いくら後押しされても、死に近づくたびに震える足、それに目をつけて少女は言葉を放った。
「一緒に死んであげよっか」
その言葉に、僕は思わず少女の方を見た。
顔はまだ微笑のままに、優しく死を提示したのだ。優しさがゆえに一緒に死ぬ、《SOSバッジ》掲げる救いとは別の救いを、少女は言い放った。
「ねぇ君、柊君でしょ? 下の名前は知らないけど。」
突如放たれた僕の名前に、僕は静かにうなづいた。
顔は見たことがない気がするけど、同じ学校の生徒なのだろうか。
「有名だよ、使い勝手のいい雑用係って。馬鹿にされたりもしてる、青色のバッジなんてつけて馬鹿みたいだってさ」
「笑いに来たの?」
反発的な態度を取りながら、心の中では答え合わせが始まった気がした。この少女がなぜここにいるかという問題の、そしてなぜ、僕が今ここにいるのかという問題の。
「笑うわけないよ、私もつけてるしね。君と一緒、私も雑用係だよ。」
どこか悲しい目をして、少女はそう言い放った。
夏の炎天下の下だというのに、少し肌寒い風が、僕たちの間を通り抜ける。
「ねぇ、知ってる? 自殺した人のほとんどが、みんな鞄の中にこれしまってるって話」
言葉と共に掲げられた白色のバッジ、涙を瞼にためながら、少女は言葉をつづけた。
「私の友達もさ、自殺した時の鞄の中にこれが入ってたんだ。
隠してたんだろうね、でも結局そのまま死んじゃった、誰にも言えないまま。」
言葉と共にあふれ出る涙、少女は屋上で泣いていた。
「私は頼ってほしかったよ……でもさ、死んじゃった子にそんな言葉、届かないんだよ。だから、私はこれをつけてるの、助ける理由が欲しかったから、あの子みたいな人を、もう出したくないから」
僕のバカみたいな正義感じゃなくて、理由のある、思いのある優しさ。救いたいという思いに行きつくまでの理由。このバッジはこうひう人がつけるべきなのか。
それに気が付いた時、僕の足の震えはなくなっていた。
「君も一緒なんでしょ? こんなバッジをつけても、結局誰も助けられなかった。
本当はね、私も死にに来たんだ。」
僕と一緒だ。結局はこの無力さに足元をからめとられて、無駄な責任感に溺れてるんだ。
ふと少女の足を見た。揺れるスカートの下の足、震えを知らないその足はもう、死ねると言っているみたいだ。
「ねぇ、一緒に死のっか。この海に溺れた者同士さ」
そう言いながら、少女は青色のバッジを投げ捨てた。屋上にいる僕たちには、それがどうなったのかもわからない。
彼女の言った通りだ、僕たちは海に溺れてる。この空に落ちれば、僕たちは救われる。でもそれは、運から脱したわけでもなく、溺れてないわけでもない。
言葉にする前に、僕の体は彼女の手を取っていた。
「死んでくれる?」
優しい微笑じゃない、どこか無理をしたような、どこか苦しみを隠すような微笑。今の僕を包むのは、やさしさなんかじゃない、彼女の浴びてる恐怖の海だ。
僕は横に首を振った、生きようなんて口に出すのは怖かった、まだ僕も溺れてるから。
「ぼ、僕これ持ってるんだ!」
僕はそう言うとポケットから凹んだ青色のバッジを取り出した。
何度も壊そうとして、捨てようとして、それでも離せなかったバッジを二人の間に掲げて見せた。
ぎこちない言葉と共に、フワッとしたから風が上ってくる気がした。
「た、助けさせてよ。」
宣言とは違って弱い声で、僕はそう言った。
目の前で死のうとする人間を目にいれて、溺れた海に光がさすのを、見て見ぬふりにはしたくなかった。
「なにそれ、ずるいよ。そんな目はさ、泣きながら助ける馬鹿がどこにいるの?」
少女は目から涙をこぼしながら、笑ってそう言い。僕の手をギュッとつかんだ。
僕が溺れていた海は、はじけ飛ぶように無くなった。
夏の暑さに久しぶりに照らされた気がする。暑くて仕方がない、でもこの空の下で溺れるよりかは、いくらかましだ。
夏の暑さにへこたれる僕の顔をそっとあげ、少女が言葉を放つ。
「じゃあもうこれはいらないね。」
スッと流れる夏の風に乗せたその言葉と一緒に、僕の胸から白色のバッジを取り、ビルの上から投げ捨てた。
「あーあ、助けてもらえなくなっちゃった」
僕が冗談交じりにそう笑うと、少女は僕の手を引っ張って言葉を返す。
「何してんの? 速く逃げるよ、空から」
優しい微笑に包まれて、僕も空から逃げ出した。
海に溺れて空に落ちようとし、結局ぼくたちは、やさしさに包まれてその両方から道を外した。
自殺救命用具 狂酔 文架 @amenotori
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