幻想食事処「青藍軒」

ころん。

お父さんのナポリタン

連日の猛暑、日に日に五月蝿くなっていく蝉の声。

木々が青く染まり始めた夏の日。

大好きだったお父さんが亡くなった。交通事故だった。

あまりにも早すぎる、若すぎる。

私は葬儀が済んで間もない仮の祭壇の前で、泣き崩れていた。


小さいときにお母さんが出ていってからずっと私を育ててくれてたお父さん。

誰よりも大切で、大好きなお父さんを失った悲しみは到底計り知れず、ずっと心を埋めていたものがバラバラになってしまった感覚だ。


大学を卒業してから、ずっと都市部でOLとして勤務していて、最近は実家に帰ってくることは少なかったけど…


それでもいつか、私は愛する大切な人を見つけて、結婚式の晴れ着を見せてあげたかったし、可愛い孫を見せてあげたいと思っていた。


どれだけ後悔しても時は戻らない。分かっているはずだけど…

実家で遺品整理をしているこの数日間、私は全く何も口にしていなかった。

食欲がめっきり無くなり、体系は痩せこけていた。


そんな私を心配してか、片付けを手伝ってくれていた親戚の人が気分転換に外食を勧めてくれた。


外に出て、空気を思い切り吸い込む。空には点々と星が浮かんでいた。

爽やかな夏の夜を吸い込んだ私は、特にどこで食事をしようとも考えずにふらっと歩き始めた。


歩き始めて数分、大通りへと向かう道沿いに見慣れない店があった。


幻想食事処「青藍軒」と書いてある看板。

気がつけば吸い込まれるように、私は店内に居た。


豪華な料理屋らしく、天井にはシャンデリアが吊るしてあって、テーブルには白いクロスが敷かれていた。


ただ、たくさん用意された席とは裏腹に店内には私しか居ない。


もしかしたらとんでもないお店に来てしまったのかも知れない。

こっそり引き返そうとすると、目の前に店員さんがやってきた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


人形みたいに綺麗なウェイトレスさんだ。

まっすぐ整えられた黒髪が、シャンデリアの光を受けて輝いている。

ガラス玉の様な瞳が、私を見つめた。


「ええと…」


開いたメニュー表には、値段の表示が無い。

それに、書いてあるメニューは一つだけ。「ナポリタン」だった。

ナポリタン専門店なんて聞いたこともないんだけど…

と思いつつも、これ以外注文できるものはない。


「ナポリタン一つお願いします」


思い切って注文すると、これといって動じることもなく、ウェイトレスさんは「かしこまりました」と言って厨房へと向かっていった。


段々、トマトの程よい匂いと、肉を焼く音が聞こえてきた。


ナポリタン、という言葉で思い出したことがある。

お母さんが家を出ていった時、お父さんは料理があまり上手じゃなかった。

ケチャップで和えた素朴なパスタに、大胆にベーコンと目玉焼きが乗っているナポリタン。

思えば小さい頃、「またナポリタン?もう花蓮飽きちゃった」と私が言って以降ナポリタンを作る父親をあまり見ていなかった。

その代わり、いろいろな料理に挑戦してくれたりしたんだけど___


色々考え込んでいると、「お待たせしました」とウェイトレスさんがナポリタンを持ってきた。それを見て思わず私は「あ、」と声を漏らした。


そのナポリタンの見た目が、あまりにもお父さんの作ってくれたナポリタンにそっくりだったから。不器用なベーコンの切り方、卵の半熟具合。

全部お父さんが作ったとしか思えないナポリタンだった。


「あ、あの!」


ウェイトレスさんを呼び止めたが、ウェイトレスさんはにっこり笑って、


「冷めないうちにどうぞ」


と言うだけだった。

これ以上何かを問い詰めるわけにもいかず、私は意を決して口にナポリタンを運ぶ。


ほかほかと湯気がたっているナポリタンが口の中で踊っている様な気がする。

ベーコンの旨味がパスタに溶け出して、食べる手が止まらない。

目玉焼きを割って、とろっとした黄身と一緒に口にいれる。

数日間の食欲を取り戻すかのように、私は気がつけば一気にナポリタンを平らげていた。


「おいしかった〜!」


思わず、独り言をつぶやいてしまう。OLとはかけ離れた無邪気な声が店に響いた、その時だった。


「そうか、なら良かった」


聞き覚えのある声。

お父さん…?


ただ、どこを見渡してもお父さんらしき姿はない。


「お父さん?居るの?」


声はただただ先ほどと同じように店に響いているだけだ。

ただ、それと同時に目も開けられないような眩い光が辺りを包みこんだ。


「辛い思いさせてごめんな」


お父さんの声がまた聞こえたと思ったら、そこは先程まで歩いていた歩道だった。

目の前から店は跡形もなく消えている。


私は起きたことが全て信じられずに立ち尽くしていた。

けれどしばらくして、「ホントだよ…お父さんのばか…」と一筋、また涙が溢れてきた。



私にとって一生忘れられない味、お父さんのナポリタン。


家に帰って、遺影のお父さんをちらっと見る。

何だか前よりも穏やかに笑っているように見える。


お父さん、大好き。

そう思いながら、温かい夜は更けていった。

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幻想食事処「青藍軒」 ころん。 @Koron_

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