最後の手紙

「アンタこれでも泣けないのかい?子供の為に泣いてあげられないのかい?」


 ギロリと私のことを涙目で睨む姉。結局のところ心は大いに乱されても、私の目から涙が落ちたのは一滴だけ。私が冷徹な女と言ってしまえば、そこで話は終わってしまうのだが、こんな私が今更泣いたところで何になるというのだろう?もちろん、光は帰って来てくれないし、泣いたところで今までの罪が洗い流されるわけでもない。自己満足の為に泣くことなんて意味が無い。


「じゃあ、やっぱり泣くまでアンタのことをぶん殴ってやろう。」


 姉が拳を握る。体格の良い姉には姉妹喧嘩でも買ったことが無い。あの拳で殴られると考えただけでも震えて来るが、私は殴られても何の文句も言えないし、殴られるべき人間である。たとえ殴り殺されたって仕方がない。


「と、思ったけど、まだこれがある。」


 再び手提げ鞄から何かを取り出す姉。それは一枚の便箋だった。

 しみじみと便箋を見ながら姉がこう語った。


「その今アンタが抱いてるぬいぐるみ。私が首のところをしっかりと縫い合わせたんだが。その前は赤い糸で雑に縫われていてね。あの子にしては不格好なことになったと思ったら、簡単に赤い糸が抜けて首が取れたんだ。それでぬいぐるみの中に、この便箋が入ってたってわけさ。読んでごらんよ。」


 そう姉から手紙を手渡され、恐る恐る見てみると、そこには『お母さんへ』と書かれており、心臓がギュッと締め付けられる感じがした。


「こ、これ私宛なのかな?」


「当たり前だろ?私はおばさん止まりさ。アンタがお母さんだろ?違うのかい?」


 お母さん。私があの子のお母さん。何もしてあげられなかったし、捨てて逃げてしまったのにお母さん。お母さんで良いのだろうか?


「あぁ、もうじれったいね‼アンタがお母さんだ‼そんなことでイチイチ悩んでるんじゃないよ‼とにかく手紙を読め‼バカ妹が‼」


 姉に怒鳴りつけられ、体がビクッと震えた。

 私は慌ててハサミを使って便箋を開け、中から折られた一枚の手紙を取り出して、ゴクリと生唾を飲み込んでから、その内容を確認した。



 お母さんへ


 お母さん元気ですか?これを見ているということは私は死んでいるということでしょう。勘違いしないで下さいね。自殺する気は毛頭ないので、これをお母さんが見ているということは不慮の事故や病気で私が死んだということです。

 

 なんでこんな手紙を私が書いているかというと、よく友達から「光は良い人だけど危なっかしいね」とか言われて、そうなのかな?と考えさせられ、もしものことがあってお母さんに会えなかった時、私は何も伝えられないなぁと感じたので、もしもの時のことを考えて、この手紙を書くことにしました。

 

 まぁ、もしもの時の為なので、お母さんに大手を振って会いに行く時、この手紙は燃やそうと思います。だって会いに行って自分の声で気持ちを伝えますから。この手紙は必要ありませんよね?


 さて本題に入ろうと思います。単刀直入に言うと私はお母さんの子供で幸せでした。私には少し生まれた時の記憶があります。知らない大人に囲まれて不安で堪らなくて泣いてしまったけど、すぐにお母さんが優しい笑顔で私を抱いてくれたので、凄く安心できたのです。生まれた時から私はお母さんのことが大好きでした。お母さんが居るだけで心が温かくなって、お母さんが私の全てでした。

 お母さんは私を置いて行ってしまったけど、別に恨んだりしていません。おばさんもおじさんも私に良くしてくれたので、きっと私の為を思って預けてくれたんですね?まぁ、どういう理由であっても私はまだお母さんのことが好きで堪りません。


 一度お母さんに会いに行こうとしたことがあります。こっそりお母さんが今何処に居るのか探していて、私はとうとうお母さんの働く食堂を見つけたのです。それで居ても立っても居られなくなって、私は休みの日を使ってお母さんの働く食堂に行きました。ガラス戸から中を覗き込むと、大好きなお母さんが汗水たらして働いているのが見えました。少し瘦せたかな?ちゃんとご飯食べているのかな?心配になりましたが、とにかく生きていてくれて良かったです。お母さんの無事を確認すると、何だかとても満足してしまって、会うのはやめました。だってお母さんを支えられるだけの力は、まだ私には無いから、立派な大人になってからまた訪ねたいと思います。

 あぁでも、これをお母さんが読んでいるということは、私はこの世に居ないということですね。もしそうだったのなら会っておけば良かったなぁ。


 最後に私は死んでいるかもしれませんが、どうか気にしないで下さい。お母さんと出会い、おじさんおばさんと暮らし、良い友達にも恵まれて、とても充実した人生でした。

 私のことを忘れて良い人生を生きて・・・なんてことは流石に言えません。たまには思い出して欲しいです。せめて私がお母さんを大好きだったことだけは覚えていて下さいね。

 それでは、さようなら。天国でまた会いましょう。


                          アナタの娘より





 手紙を読み終え、私は姉に質問した。


「お姉ちゃん・・・私泣いても良いのかな?」


「良いに決まってるだろ?人間はね、意味が無くても泣くんだよ。悲しい時は泣くんだよ。本当にバカな子だね。」


 姉の一言に私の涙腺はいよいよ崩壊した。


「うっ、うっ、うわあああああああああああああ‼あっ、あっ、ああああああああああああああああああああ‼」


 死んだ、死んだ、あの子が死んだ。死んだのだと初めて実感できた。取り返しはもうつかない。もう触れ合うことも、会う事も出来ない、あの子は骨になった。私が死なずにあの子が死んだ。こんな甲斐の無い話は無い、こんな甲斐の無い話は何処にも無い。本当は大好きだった、でも愛し方が私には分からかった。嫌われるのが怖かった。だから逃げた、私は逃げた。死ぬなら私だったんだ、でも神様はいつだって私に意地悪だ。何もあの子を殺すことは無いだろう?


「あああああああああああああああああああ‼あああああああああああああああ‼」


 泣き狂う私を姉が抱き締める。彼女も泣いていた。良い歳をこいた大人二人が泣いている。

 私はこれから娘の仏壇に手を合わせに行くだろう。墓にも行くだろう。そこでまた泣くのだろう。娘は骨だけになった。幸せになる筈だった、母親想いの娘を殺したのは母親である私だ。そこだけは譲れない。私のせいで娘は死んだのだと高らかに言ってやる。

 娘を捨てた私だけど、この罪だけは捨てずに背負って行こう。それが捨てた娘への唯一の償いだ。

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捨てた子供が亡くなった タヌキング @kibamusi

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