死の詳細
私はぬいぐるみを抱き続けている。まるで唯一の心の支えの様に。
そんな私を見ながら姉はいよいよ本題を告げようとしていた。
「もう良いね。それじゃあアンタの娘が死んだ話をしようか。」
聞きたくないと耳を塞ぎたかったのだが、両手がぬいぐるみから離れようとしない、まるで呪いの様だ。
今から捨てた子供が死んだ話をされるのだ。私は立派な親でなく、捨てたからどうでもいいなんて冷酷な態度も出来ない。ただ今は姉の言葉に耳を傾けることしか出来ないのである。
「光はね。14歳になった。中学に上がってからも友達が多くて人気者で、本当に立派な子に育ってたよ。頭も良かったからねぇ、そろそろ進路について考えてたんじゃないかな?でもそんな時、下校中に光がトラックにはねられたって電話が私に掛かって来た。」
トラックにはねられた。それが光の死因なのだろう。関係の無い話をする意味は無いものね。あの子はトラックにはねられて死んだのだ。まだ姉の話の途中ではあるが形容しがたい現実を突きつけられて頭がクラクラしてきた。夢なら覚めれば良いのだが、まだこの悪夢は続くようである。
「ただトラックにはねられるような不用心な子じゃない。それはアンタも分かるだろう?子供を助けたんだ。公園でボール遊びしてた小さな女の子が、ボールを追ってトラックの前に飛び出してねぇ。そこに居合わせた光がすぐさま飛び出して、女の子を突き飛ばして助けた。でもそんなことしたら分かるだろ?自分がトラックにはねられたんだよ・・・咄嗟にそんなことが光ぐらいだよ。私なら足がすくんで、すぐさま動けもしない。あの子だから女の子を助けることが出来たんだよ。」
子供を助けた。それは立派な事なのだろう。美談である。他人事なら本当にそんなことがあるのだと感心させられるかもしれない。しかしながら自分の娘が自己犠牲で子供を助けて死んだなんて、親からしたら堪らない。私が今ここで発狂しないで済んでいるのは、皮肉にも自分が子供を捨てたという事実があるからである。捨てた親は悲しんだりショックを受けることすらおこがましい。そういう考えがストッパーになり、私はただただ呆然としていた。
「はねられた時に近くに住んでた人が光に駆け寄ったらね。まだ意識があったらしいんだよ。それで、虚ろな目でうわ言を喋ってたらしいよ・・・なんて言ってたと思う?」
「・・・な、なんて言ってたの?」
娘の最後に残した言葉を考えると、あの良い子が恨み辛みを言う場面は浮かんでこない。あの子は何処まで行ってもお人好しなのである。
そうして姉から告げられた娘の最後の言葉は、私の心を深く抉る様な言葉であった。
「『お母さんに会いたい』って言ってたそうだよ。」
・・・あぁ、もう、どうしてそんなことを言うのだろう。最後の最後まで私を自己嫌悪させてくる。それが狙いなのだろうか?・・・バカか、そんなわけあるか。光は本当に私に会いたかったのだ。最後の最後に綺麗事を言う人間なんて居るわけが無い。それが娘の最後の願望だったのだ。
娘がはねられた時、私は何をしていただろうか?きっとこの部屋で、ボーっとしていただろう。いつものことである。何をするでもなくボーっとして、ただ時が過ぎるのもを待っている。娘が死んだことも知らずにボーっと・・・あぁ、どうして光は子供なんて助けたんだろう?助けなくても誰も責めないのに、どうしてそんな立派なことをしてしまったんだろう?なんであんなに良い子なんだ?私から生まれたんだぞ?もしかして私はあの子を産んでないか?いや産んだだろ、出産の時に痛くて泣き叫んでただろ?そして可愛いあの子をアンタは抱いたんだ。一生掛けてこの子を守って行こうと誓ったんだ・・・何で誓いを破った?
「お母さんに会いたい、お母さんに会いたいって、あの子はそれだけを繰り返して息を引き取ったらしい。あの子の最後に私は立ち会えなかった。あの子を助けられなかったことも、あの子の最期を看取ってあげられなかったことも無念だった。私も旦那も、あの子中心に生活をしていたんだ。本当の娘みたいに思ってた。それなのにねぇ・・・。」
がっくりと肩を落として、涙をポロポロとこぼす姉。彼女に希望と絶望を与えたのは私だ。何もかも全部私が悪い。なんてことを私はしてしまったのだろう?もう逃げることも出来ない。逃げる気力も無い。娘の後を追って死ぬなんてことも許されない。それは立派な親がすることだ。私は立派な親じゃない。立派な親になりたかった。ごめんなさい光、ごめんなさい光・・・。
神様、私にタイムマシンを下さい。そして全てをやり直させて下さい。出来もしないことをやろうとしません。私の様な女が子供を産もうなんて考えません。身の丈に合った生活をします。だから人生をやり直させて下さい。
娘が死んだ詳細を聞かされても、そんなアホみたいなことを考えるばかりの私。本当にしょーもないダメ人間である。
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