捨てた後
姉と視線を合わせると体が石になったみたいに硬直し、全く動けなくなった。逃げ出したいのに逃げられない。助けを求めたくても誰も助けてくれない。久しぶりの経験だった。
「それで、今からあんたの娘がどうやって死んだか、それを教えないといけない。」
「ちょ、ちょっと待って・・・いきなりは・・・その。」
言葉に詰まる私。心の準備が出来ていないのである。娘が死んだということをまだ完全には飲み込めていない。そんな状態で死んだ仔細を教えられたら発狂して倒れてしまうかもしれない。
「ふぅ、分かったよ。じゃあ、あの子がウチに来て生きてきた道筋を語ろうじゃないか。」
「あ、ありがとう。本当に・・・ありがとう。」
姉の心遣いに感謝しつつ、こんな時にも持ち前の逃げ根性を発揮した自分に憤り、自己嫌悪が止まらない。あぁ、本当にダメな自分。
「あんたの娘、光(ひかる)はね。私達が育てることになった時から、あんたに対して何の文句も言わなかったのよ。」
そうか言わなかったのか。あの子らしいといえば、あの子らしいのだけど、捨てた私に対して怒らないなんて、本当に根っからの聖人君子だったのだろうか?
「でもね。捨てられたとは一度も言わなかった。あの子は自分が大好きなお母さんから捨てられたってことに関しては頑なに認めようとしなかったんだよ。まぁ、私も主人も『お前は捨てられたんだよ』なんて意地悪なことを言う性分じゃないからね。『捨てる』って言葉は、私達家族の中では禁句になってたよ。」
家族。そうか姉さんと旦那さんと光で一つの家族になれたのだ。予想していた通りとはいえ、それだけは私の救いになってくれた。捨てた私が何を言うのだ?と自分でもそう思うが、耐えがたい現実を目の前にしているのだ。少しぐらいの安らぎを私に下さい。
「あの子は曲がらずに真っ直ぐ育って行ったよ。友達もすぐに出来たし、家のお手伝いもよくしてくれた。いつも笑顔を絶やさなかったね。それで事ある毎に『私がお母さんの助けにいつかなるんだ』って口を酸っぱくして言うだよ。あの子はアンタのことを片時も忘れたりしなかった。歳を重ねるごとにアンタに対する気持ちはどんどんと大きくなるばかりだったよ。」
耳を塞ぎたい。正直なところそんな気持ちだった。私は本当にそんな想われるほどの良い親じゃ無かった。それなのにどうして助けになるんだなんて言えるんだ?私が同じ立場なら親を恨んで二度と会いたくないと考える。それなのに・・・それなのに。
「耳が痛いかい?だろうね。私はね、いつかあんたをぶん殴ってやろうって思ってたんだ、あんな良い子を捨てた愚妹をボコボコにしてやろうって、でもね本当に今の私にはそんな権利は一つもありゃしないんだよ。神様が私達に子供を作らせなかったワケが分かったよ。だって、あんな良い子を二十歳になるまでも育てられなかったんだもんねぇ。初めから親になる資格なんて無かったのかもしれない。」
姉さんが自分のことを自虐するところを初めて見た。あと目に涙を貯めているところも。自信にあふれて自分に厳しく他人にも厳しく、私の憧れの姉さんだった。姉さんに憧れて、でも姉さんにはなれなくて、ふて腐れて脇道にそれた結果がこれなのだ。こんな情けない私なのだ。
「姉さん、姉さんは悪く無い。悪いのは全部私。私が全部悪いの。私のせいで・・・私のせいで・・・。」
次の言葉が出てこない。言ってしまえば全てが終わってしまう気がした。自分の娘が死んだなんて口が裂けても言いたくなかった。捨てたくせに自分声が反響して行く。何かにつけて捨てたくせにが出てくるのは仕方がない。自分のせいなのだから仕方ない。
「ぐすっ・・・あの子ね、アンタから貰った猫のぬいぐるみを、ずーっと大事に持ってたんだよ。汚れを落としたり、綿を詰め替えたり、手入れを欠かさなかった。それがまた健気でねぇ。今日はそれを持って来てるんだ。」
姉は手提げカバンから見覚えのある、三毛猫のぬいぐるみを取り出した。これは何も買ってあげられなかった私が、意地と見栄で唯一娘に買い与えた物であった。これをあげた時の娘の嬉しそうな顔は今でも忘れたことが無い。満面の笑みで「ありがとう♪」と私に言ったのだ。
姉からぬいぐるみを手渡された私は、思わずギュッとぬいぐるみを抱き締めた。柔らかな感触が、まるで娘を抱いている様に思えて、自然と右の目から一筋の涙がスーッと流れた。
悲しいから泣いたのだろうか?自分の涙の理由を誰かに答えを教えて欲しかった。
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