母親の経緯

 私は無理を言って仕事を早退し、自分のアパートに姉を招き入れた。

 どんどん暑くなる夏に適応するためにクーラーを買っておいて良かった。私なんぞがクーラーを買うなんておこがましいとも思っていたけど、汗っかきの姉をもてなすには必要な物だった。


「ここがアンタの家かい?殺風景だねぇ。」


 姉が溜息混じりにそう言うと、私は笑顔を取り繕った、決して上手く笑えている気はしない。四畳半に台所とトイレと風呂が付いて、五万円の家賃のアパート。私にはこれでも勿体ないぐらいだ。

 一応、私の生い立ちを語っておこう。でなければ、どうして子供を捨てることになったのか分からないでしょ?

 私は普通の一般の家庭に生まれた。とはいえ父親は市の職員、母親が中学高教諭という何ともお堅い職業で、私と姉はそれはそれは厳しく育てられた。こうあるべきだという親の決めた道を歩まされ、見るテレビ番組は教育番組ばかり、ゲームは買ってもらえず、挙句の果てには毎日三時間の勉強を強要された。

 三歳上の姉は出来が良く、それらのことを黙々とこなしていたが、私は早々にドロップし、親に反抗するようになった。毎日毎日大喧嘩を繰り返し、その内に親も諦めたのか、私にうるさく言わなくなって、私は放任され始めた。

 そうなると私は悪い友達とつるんで、あまり大きな声では言えないような悪いこともした。そうして高校二年生の時に4歳上の旦那となる男と出会い、子供を妊娠してしまった。避妊はちゃんとしていたつもりだったんだけどなぁ。

 両親はこのことに大激怒し、私は勘当を伝えられて、高校もやめさせられた。両親の守りたかったのは結局世間体だったことに気が付き深く絶望したが、縁が切れて清々したことも確かだった。

 旦那は長距離トラックの運転手で、私達に楽させる為に連日連夜働きに出て、あまり家に居た記憶は無い。生まれた子供にもロクに会ったことは無かったんじゃないだろうか?そんな旦那が死んだのは結婚して二年後のことだった。トラックの長距離運転中に、睡眠不足がたたって山道のガードレールに突っ込んで真っ逆さまに落ちたそうだ。聞いただけでも助かる見込みのない最後である。

 旦那が死んで安アパートの部屋に二十歳に満たない小娘と、二歳になる子供が一人。そこからの私は労働に育児と大変になった。朝は弁当やで働き、夜になって子供が寝た後はスナックで働いた。目が回る様に忙しいという言葉はこの事を言うのだとこの時に初めて分かった。何も無いのにトイレで吐いたりするので、自分が精神的に参っているのだと理解した。


「お母さん、大丈夫?」


 私が吐いていると、必ず娘が背中を擦ってくれた。娘は私なんかに勿体ないくらい良い子であり、我儘なんか言ったことが無く、欲しい玩具も当然の様に我慢して、それでもいつもニコニコと笑っているのである。

 それが私には重荷だった。いっそのこと悪い子なら怒鳴りつけることも出来るのに、どうしてこんなに良い子のなのだろう?と憤ることも多々あった。この子が良い子である分、私は頑張らないといけない気持ちにならざるをえない。それがどれだけ私にとって苦痛だったのか、それは当事者の私にしか分からないことだろう。


「私にはお母さんが居てくれたら何もいらないの♪」


 ニコニコしながら抱き着く娘。いつからだろう?そんな娘に愛想笑いをするようになったのは。この子は私を苦しめる為にワザと良い子を演じているんじゃないのか?そんなことも考える様になってしまっていた。

 そんな日々の中、とうとう私の中で何かが脆くも崩れ去り、子供と捨てるという愚行に走らせた。今考えてみても最低の行為であり、両親に感動を言い渡された後も、何かにつけて私を気にかけてくれた姉に対しても、恩を仇で返すことになってしまった。

 もう娘にも姉にも会う事は無いと思っていたのに、姉は私を訪ねて来て、娘が死んだと私に告げた。娘が死んだ?・・・娘が、死んだ?


「いつまでそんな所に突っ立ってるんだい?早く座って話をしよう。大事な話をさ。」


 立っている私を見上げて、四畳半の畳の上に胡坐をかいて座って居る姉。その眼差しは私を刺すように真っ直ぐで、私を酷く緊張させる。

 これから何を言われるのか?それを考えると逃げ出したい気分になったが、私は覚悟を決めて姉と向かい合うように座ったのだ。

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