第2話
身長おおよそ190cmのモデル体型の男が飛びついてくる。美咲だってぎりぎり170cmと日本人の平均身長だし、これでも料理は体力勝負なところがあるから、鍛えてはいるけど、流石に受け止められる気はせずサッと避けてしまった。つんのめった男がぶぅぶぅとブーイングを言う。
「どうして避けるの、美咲!」
「普通は知らない人に抱きつきかけられたら、避けるに決まってるだろ!」
「知らない人……?まさか、美咲は俺のこと憶えてない……!?」
こんなイケメン一度見たら忘れられないだろう。美咲がゆるゆると首を横に振ると、グレーの煌めきに涙が溜まっている。長い睫毛が影を作って、今にも泣き出しそうな曇り空のようだ。
困った美咲がわたわたとしていると、堪えきれなくなったのか、大変だと慌てていたはずの母親の美津子がくすくすと笑い出した。
「あらあら、あんなに仲が良かったのにねぇ。この子ったら薄情だわ~。ね、怜ちゃん」
仕方なくポケットに突っ込んでいたハンカチを探していた美咲の動きが止まる。
「…怜ちゃん……え!?あのれーちゃん?」
「美咲、やっと想い出してくれた?!」
今にも泣き出しそうな瞳が笑みを作り、ポロリと涙がひと粒落ちた。よくころころと表情が変わるものだと美咲は逆に感心してしまう。とりあえず引っ張り出したハンカチを渡せば、ぐしぐしと涙を拭いていた。
鷹取・ジャン・怜。子供の頃はもっと小柄で痩せていた。幼馴染みになるのだろう。そして、フランスの話を美咲に聞かせてくれた人物でもある。
「お前、泣き虫なとこだけ変わってなかったんだな」
「誰だって、幼馴染みに覚えてもらってなかったら悲しい気持ちになるでしょ」
擦ったのか目元の皮膚が赤くなっている。あーぁと美咲がハンカチを受け取ろうとすると、かたん、と側に居た客が立ち上がった。黒のスーツにぴっしりと固めた髪。視線が集中する。その中で怜だけがにこにこと笑っていた。
「これで賭けは俺の勝ちだよね、羽生さん」
「はぁ……仕方ありませんね。次の撮影場所はこちらに致しましょう。宜しいですか、ご亭主?」
「俺は最初から反対も賛成もしてねぇ。ただ、こいつらが思い出せるかどうか見たかっただけだ。なぁ、母さん」
「そうねぇ…お客様がたくさん来てくれるとうちとしてはありがたいから嬉しいんだけどねぇ」
「???」
大人たちの間で交わされる会話に美咲だけが置いてけぼりだ。ちゃっかり隣を陣取った怜の袖をひっぱる。
「れーちゃ……、あ、えっと、怜、でいいかな?」
流石に昔の呼び方は恥ずかしい。慌てて、訂正すると「美咲にならなんて呼ばれてもいいよ」なんて言うものだから、なんとなく美咲は気恥ずかしくなってしまった。
「で、賭けって何?」
「嗚呼、それはね……」
「それは私の方から説明させて頂きます。申し遅れましたが、私、羽生藤四郎と申します」
怜が口を開こうとすると、羽生と呼ばれた男が名刺と数冊の雑誌を取り出して共に美咲に渡した。
「怜は売り出し中のモデルでして……見たことありませんか」
「あ、ごめんなさい、俺、そういうのに疎くて……」
「まあ、女性向けの雑誌が多いですからね。まだまだ未熟ということでしょうか……その中の一つに、『妄想シチュエーション』という企画がありまして。恋人のシチュエーションを楽しむものなのですが」
羽生は美咲に渡した雑誌の中から一冊を取り、パラパラと捲る。どうぞ、と開かれたそこを見ると怜に負けず劣らずな美形の男が二つマグカップを持って立っていた。文章をさっと読むとどうやらおうちデート、というシチュエーションらしい。男の美咲が恥ずかしくなるくらい甘い台詞が書き連ねてある。
「で、今回はレストランデートってことなんだけど、どこでも良いって訳じゃないでしょ?だから俺がたかなしを推したの」
「確かにパスタはとても美味しかったですし、値段もちょっと背伸びした大学生男子という設定でいけそうです」
「おじさん、おばさん、駄目かな……?」
伺う様子がしょぼくれた大型犬みたいに見えてしまい、味方をしたくなってしまう。美咲は口を開いた。
「父さん、母さん、良い話じゃないかな?結構、口コミって重要だし、怜なら悪い様にはなんないと思うよ」
「美咲……!」
また飛びついてこようとする怜を制し、美咲は迷う両親二人を後押しする。
「まあ、世の中何でもやってみるに限るか」
「よろしくお願いしますね」
「此方こそ宜しくお願いします」
こうして、レストランたかなしは撮影場所として提供する事になったのだった。
おいしい話はご用心! 湯島屋あくた @yusimaya
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